1.蘇る記憶
初っ端から申し訳ありません。
残酷な表現があります。
この展開が鬱々と続きますので、苦手な方はお読みにならないでください。
ケイトリンは目眩を覚えた。
この風景を知っている。
正しくはこの風景ではない。
だけど、何回も繰り返したことがある。
何回も繰り返して、そして。
ケイトリンは立っていられずに、壁にもたれた。スカートの中で足が震える。
そのまま、ズルズルと座り込んでしまった。
知ってる。
この風景。この後、起こること。この後の人生。そして。
一瞬前まで輝いていた世界が一変した。
これは残酷な死への玄関。
自分が貶められ存在を否定され、挙句、残酷な死を迎えるための一ページ。
ケイトリンの頭の中が、ぐるぐると回った。
お嬢さん、大丈夫かい?
だれかが、ケイトリンに声をかけた。
アーロン家のお嬢さんじゃないか。
誰か、と言ったところで、ケイトリンは腕を取られ、立たされた。
立たされても頭がグラグラした。立っていられない。
そんな、そんな。
どうして、今なの⁈
どうして今日なの⁈
ひどい!ひどい!!
心の中で叫ぶが、頭の中に次から次へと浮かんでくる記憶に、体がバラバラになりそうになる。
「何をやってるんだ。」
ケイトリンの耳に冷たい声が聞こえて、思わず歯を食いしばった。
よく知っている声。
兄のロベルトだ。
「みっともない真似をするな。まだ始まったばかりだぞ。」
ケイトリンを支えていた手が、離れたのがわかった。
ケイトリンは俯いていた。
顔を見れない。
ケイトリンは兄が怖かった。
昔からケイトリンと違い、物覚えがよく、頭も切れた。王家より古くあるアーロン家の跡継ぎとして、沢山の教師に囲まれていたが、どの教師も口々にロベルトを褒めた。
対して、ケイトリンはできがいいとは言えなかった。
その差はロベルトからすると怠けに見えて、甘えるな、もっと努力しろ、と顔を合わすたびに叱られた。
ケイトリンはその目が怖かった。
「どうかしたの?」
俯くケイトリンを囲んだ人混みに、明るい声が響いた。
ケイトリンは顔を上げた。眼鏡がずれて、元に戻した。
エリオットがいた。
声をかけたのは、先程まで彼と踊っていた、可愛らしい女の子だった。
彼女もデビューらしく、白のドレスだが、ケイトリンと違い、肩を出した大人びたデザイン。膨らみのある胸もとには光を反射したネックレスが飾ってあった。
隣に立つエリオットは不快気に眉をひそめた。
ああ、いつも、この顔。
ケイトリンは絶望感に襲われた。
一瞬前まで、初めての夜会、初めてのダンスにワクワクして、胸がいっぱいだったのに。
全て砕け散り、今は死への階段を一歩登ったことを自覚している。
婚約者だというのに、自分とは別の女性と腕を組み、まるで汚物を見るように顔を歪ませるエリオットを、今まで何度見たのだろう。
口も足も小刻みに震えて、声を出すこともできない。
「ひどい顔色よ。気分が悪いなら、休憩室を借りたら?」
「そうだ、そうするといい。」
エリオットが女の子に同調して言った。
「殿下もこうおっしゃってるのだし、退出するといい。そこの君。これに部屋を案内してやってくれ。」
ロベルトは広間の要所要所に控えている侍従に声をかけた。
次のワルツが始まった。
「殿下、もう一曲、お願いできますか。」
「ああ、でも。」
「お嬢さん、二回同じ相手と続けては、無作法になります。私といかがですか?」
エリオットの横にいた騎士がエリオットから、女の子を引き離した。女の子は少し名残おしいようにエリオットを見た。
「そうなんだよ、舞踏会のルールだから。また後で踊ろう。クラウディア。」
クラウディアは騎士とダンスの輪に入っていった。
ロベルトが、ため息をついたのがわかった。
「こんな場所で暗い顔を見せるのも無作法だ。早く退出しろ。」
と憎々しげにケイトリンに言った。
ケイトリンはふらふらと動きだした。
「エリオット殿下、娘を紹介させてください。今夜のデビューのイリスと言います。」
ケイトリンの背中で、誰かがエリオットに紹介していた。
追いかけて、来ない。
婚約者だというのに、気遣う言葉一つかけられない。足もとも覚束ないというのに、エスコートもない。
だが、ケイトリンはホッとしていた。
怖い。
手の震えが止められない。
休憩室に入ると、ケイトリンはズルズルと座り込んだ。
お嬢様、いかがされました⁈
ついてきてくれた侍女が、驚いて駆け寄った。
ケイトリンは頭を振って自分を抱きしめた。
怖い。怖い。みんな、怖い。
どうしてもっと早く思い出さなかったの?もう始まってしまった。だけど、思い出しても同じだった。どんなタイミングで、婚約を避けても、結果は同じだった。
残酷な死。そしてその前に行われる、死より残酷な苦しみ。
ケイトリンは手洗いに飛び込み、吐いた。髪を振り乱し、せっかくの白いドレスが吐瀉物で汚れたが、止められない。
吐き気は止まらず、胃の中がなくなっても吐き続けた。
全身に痛みがあった。
背中に燃えるよう痛み。首には締め上げられる痛み。
そして。
うう、とケイトリンはまたこみ上げるものを吐いた。
身体中を這う男の手。胸を鷲掴みにされ、体の最奥に異物が押し込まれる感覚。口の中にも押し込まれ、中に液体を無理矢理入れられて、むせた苦しい息。たくさんの男の手。
死にたい。
床にうずくまり、吐き気に耐えた。もう出すものはない。それでも止まらない。
体の中が燃えるように苦しい。穴という穴から、自分の意思とは関係なく体液が出てくる、おぞましい感覚。
体の中に火をつけられたような感覚にのたうちまわって、叫び声を上げた。