俺の声 7
ロカビリーバンドのステージが終わりホールの客電が点くと、スタッフはステージ上にスツールとブームマイクスタンド、ギターをセッティングした。
ギブソンのJ-45に見えるが、本物かコピーモデルかはわからない。
客席が少しざわついた。黒崎の前にいるふたりの若い女が、
「ギター1本?次、誰の出番だっけ?」
と言いながらスマホをいじっている。
やがてオープニングSEが流れてきた、ボブ・ディランの曲だ。前の方の男客が『KENT!』と叫んだ。どうやらKENTのコアなファンらしく、SEでわかったのだろう。
「えーっ!KENT?マジ?…今日来て良かったー!」
前の女たちが喜びの声を上げて、ステージに近い場所へと寄って行った。
客電が緩やかに落ち、SEがフェイドアウトすると、KENTがステージに現れた。幾何学模様の黒系の長袖のシャツに、スリムなブラックジーンズ姿だ。前のバンドより大きな拍手が沸き上がり、あちこちでKENTを呼ぶ声が上がるが、声の大半は男のようだ。
KENTはスツールに腰を下ろしギターを抱えると、客席を見回した。だが黒崎には、KENTの目に怯えの色が浮かんでいるのがわかった。目の動きも落ち着きがなかった。
ペットボトルの水を半分ほど飲むと、KENTです…とポツリと言いステージがはじまった。
しかし唄がはじまると、いつものしゃがれ声がホールを包む。マイクとアンプで増幅したその響きは、黒崎にも鳥肌を立たせた。
KENTのステージは大したMCも挟まず、急ぎ足のように進んでいく。黒崎は時計を見た、はじまってから25分が経過していた。
「それじゃ最後に『俺の声』、今夜はありがとう」
KENTの短いMCに不満の声が上がったが、KENTは構わずにイントロのストロークを弾いた。
『俺は王様だと思ってた 俺の声で誰もが躍ると思ってた だがしかし…』
そこで突然、KENTは唄とギターを止めた、そして目を見開き、凍りつくようにホールの後方を見つめると、ギターを放り出して、楽屋のある下手へと逃げるように駆けていった。
客席は一瞬静寂に包まれたが、その後すぐにざわめいてきた。…その直後、客席の後方の暗がりから、男たちが突っ込んでくる。『どけ!邪魔だ!どけよ!』と罵声を上げながら、客を片っ端から突き飛ばしている。
女の甲高い悲鳴と男の怒声が入り交じり、ホールは混乱した。
黒崎は騒然とした様子を怪訝な目で見ていたが、バーを乗り越えてステージに上がった男たちが、店に来た北竜の連中だと気づき、ステージへと駆け出した。
だが男のひとりが倒れたギターを蹴飛ばすと、ステージの下手へと走っていく。場内にはキーンと、ハウリングの音が響く。あとのふたりも下手に消えていった。
PAルームから若いスタッフが飛び出してきて、バーを乗り越えるとステージから下手へと走っていく。が、スタッフはすぐに戻り、
「店長!KENTさんも誰もいません!」
と、大声で叫んだ。このハコは楽屋から直接外へ出られる出入口がある、KENTも男たちもそこから出て行ったのだろう。
黒崎は踵を返すと、カウンターの前に蒼白な顔で立っている店長に向かって行った。
「和田森!」
店長の和田森は、怒鳴り声を上げた黒崎に気づくと、
「黒崎さん…」
と、唇を小刻みに震わせた。
「てめえ、嵌めやがったな!」
黒崎はそう言うと同時に、和田森の左頬に強烈な拳を叩きつけた。和田森は吹っ飛んで倒れる。
「よくもだましやがったな!」
倒れている和田森に馬乗りになった黒崎は、めくらめっぽうに拳を叩きつける。
「違います!違うんですよ!」
黒崎の下の店長の悲鳴に、駆けつけたスタッフ数人はあわてて止めに入るが、怒り狂った黒崎のパワーは凄まじく誰も止められない。ホールにいた男性客が騒ぎに気づき、数人がかりでやっと和田森から黒崎を引き離した。