春なのに 3 ― 完 ―
――引っ越し業者の若い作業員ふたりが、洋服タンスを担いで階段を降りてくるのが見えた。黒崎はマンション手前の少し幅員のある場所ギリギリにビートルを停めると、右側の助手席から降りる。
3階の廊下を忙しく歩いている作業員がいるので、篠沢の住居は3階だと思いコンクリートの外階段を上がっていく。突き当りの部屋の玄関ドアが開けっ放しだった。
玄関から中をのぞき、お忙しいところ恐縮ですが……、と声を掛ける。はい、と声がしてジャージにエプロンを着けた中年の女性が出てきた。美樹の母親、篠沢の女房だろう。美樹に似た面影がある。
「私、黒崎誠と申します。……中学生の頃、美樹さんと親交がありまして……」
そう言った瞬間、母親らしき女性の顔が曇った、だがすぐに笑顔を作ると明るい声を出した。
「もしかして美樹の同級生だった誠くんかしら、たまに電話をくれた」
黒崎が、そうです、と言うと、少し躊躇った顔をして部屋の奥の方を振り返る。
「ちょっと主人を呼んできますね」
母親はそう言ってそそくさと引っ込んだ。
少しして体格のいい白髪頭の紳士が首にタオルをかけて出てきた、こんにちは、と言ったが表情は怪訝そうだ。黒崎はどう切り出していいか迷ったが、ありのまま中学時代のふたりのことを話し、昨日の平林とのやり取り、そして『春なのに』のレコードのことを伝えた。篠沢は黒崎の話に驚きの表情を見せた。
「そうか、美樹があの中学で仲良くしていたのは君だったのか」
篠沢は感慨深い顔でうなづく、だがすぐにうつむくとため息を吐いた。少しの間沈黙の時間が流れる。
「……それで美樹さんは今?」
黒崎が切り出すと篠沢の頬の筋肉がグリグリと動く、歯を食いしばっているようだ。間を置いてから口を開いた。
「……美樹はね、あの引っ越し先で作業をしている時に、『飲み物を買ってくる』と言ってコンビニに向かっている途中」
そこで一度言葉を切った、深呼吸とため息が交互に続く。
「その途中、飲酒運転のトラックが居眠りで歩道に突っ込んできて、娘は近くにいたおばあさんとともに巻き込まれて亡くなった……、娘は避けようと思えば避けれたんだが、おばあさんを助けようとしてふたりとも亡くなった」
「美樹が……、亡くなった?」
黒崎は予想もしなかった美樹のその後に、衝撃というよりなにかが崩れ落ちていくような落胆を感じ、呆然とした。そして身体はバランスが取れなくなるほど朦朧として、壁に手をつき荒い息を吐いた。(そんな馬鹿なことがあるわけ……)、そう思いながら篠沢の顔を見る、……眉間にしわを寄せて目を閉じていた。
「美樹は自分のことを話さない子だった、だから親しくしてる男子がいることはうすうす知ってはいたが、誰だかわからなかった。……あの子は日記も書いてなかったし、住所録のようなものもなかったんで。……レコードを詳しく調べてみれば君の存在に気づき、連絡することもできただろう。申し訳なかったね」
篠沢はそう言うと頭を下げた、その拍子に涙がこぼれる。
「……こちらこそ、辛い出来事を思い出させてしまいまして、申し訳ありませんでした」
黒崎は腑抜けのように脱力したまま、玄関を出ていこうとした背中に声を掛けられる。
「娘は、美樹は、私の実家の墓地に眠っています、もしよければ会いに行ってもらえませんか」
充血した目で篠沢が言った、黒崎も、せめて美樹が眠っている場所に行きたいと思う。そこ以外に美樹との接点がある場所などどこにもないのだから。
篠沢は墓地の場所の地図を紙に書いてくれた、長野市だが西のはずれの町らしい。
黒崎は美樹の両親に別れを告げると、ビートルに乗って市街地に戻っていく。途中、紀美江のことを思い出した、彼女も同じクラスメイトだった。運転しながら電話を掛けるとすぐに出た。
「花屋がどこにあるか知ってるか」
「花屋?まこっちゃんらしくないね、そんなロマンチックな男だったっけ?……ところでタトゥーのヤツのいたずらがひどくて困るよ。早く返すからね」
黒崎は美樹のことは告げずに花屋の場所だけ聞いた。市街地に戻ると花屋で花束を作ってもらい助手席に置く。ガソリン臭いビートルの車内にかぐわしい香りがたちこめる。
国道19号を西へと走る、25キロ先の小さな谷あいの町に着いた。黒崎にはあまり馴染みのない場所だ、中心地の交差点を左に曲がると犀川に架かる橋を渡る。南方に見える山の麓に集落が見える、そこが目的地のようだ。
山道を3キロほど上がると隔離されたような小さな集落に着く、その杉林の中に篠沢家の墓地があるようだ。黒崎はビートルを降りると花束と墓掃除の道具を持って、けもの道のような歩道を進む。
墓地が見えてきたが鬱蒼とした林に囲まれているので、昼間でも暗かった。墓石を洗い花立てに生ける、となりにある墓誌に刻んである『美樹』の文字を見た時、あらためて美樹の死を実感した。
線香を供えると手を合わせる、(美樹、27年の間、会いに来れずにごめんな、俺はついさっきまでお前が死んでしまったことさえ知らずにいた。……こんな形でお前に会うなんて寂しすぎるよ)
黒崎の脳裏に、『春なのに』のフレーズが流れてくる、(あのレコード、お前の形見として大切にするよ)
目を閉じたまま念じていると、背後に枯れ葉を踏む足音がかすかに聞こえてくる、わずかに息遣いも聞こえた。この集落の人だろうかと、黒崎は振り向こうとした。その瞬間、声が聞こえてきた。
「振り向かないで。……振り向いたら、あたし消えちゃうから」
それは紛れもなく美樹の声だ、懐かしい声に目まぐるしく美樹の容姿が浮かんでくる、黒崎の胸になにか温かいものがこみ上げてきた。その姿勢のまま聞く。
「美樹? 美樹なのか?」
「そう、美樹だよ、誠くんに新しい電話番号を知らせる前に、お別れすることになってごめんね。それを伝えることもできなくて……」
黒崎は目を閉じたまま胸が詰まってきた、なにか言おうとするが言葉にならない。
「誠くん、そのまましゃがんで。誠くんに触れたいんだ」
ゆっくりとしゃがみ込む、その背に温かい重みが乗ってきた。両腕が黒崎の首を包むように回されてくる、美樹はずっと黒髪だった、その黒髪の毛先が黒崎のうなじに触れる。美樹の髪の匂いがして、黒崎の頭に美樹の頭が重なってきた。
耳のすぐ後ろに温かい息遣いを感じた、そして美樹は話しはじめる。
「誠くん、あたしのために今まで誰ともつきあわず、結婚もしなかったこと知ってるよ。……でももういいんだよ、誠くんはこれからも生きてく人、あたしはもうこの世にいない。だからもういいんだよ」
「美樹、俺は……」
黒崎が言いかけた時、背中の重みがすうっと消えた。しばらくそのまましゃがんでいた、目を開けると前には墓石があるだけだ。ゆっくり立ち上がる、見上げると杉林から見えるわずかな空に、白い煙のようなものがゆっくりと立ち昇っていった。
― 完 ―




