春なのに 2
――1時を回ったので店を閉めようとドアのロックに手を掛けた瞬間、ドアが開いた。うわ!、と言って暗がりに退いた人影は小堀健太だった。その後ろに健太の驚きようを笑っている徳永みゆきの姿もある。
「黒さん、お久しぶりです! たまにはみゆきとふきだまりで飲もうって来たんですけど、もうおしまいですか?」
健太、みゆきと会うのはアッシュトレイズ・ローズでのライブ以来だった。……打ち上げの最中、みゆきがここにやって来て、『私とつきあってください』と、健太に言った時は全員が呆気にとられた。……この様子を見るとその後は順調に続いているようだ。
「いや、せっかく来たんだから飲んでけよ」
黒崎がカウンター内に戻るとふたりはカウンターの真ん中に並んで座った。……みゆきが健太のライブに来た時、誰かに似ていると感じたが、それは美樹に似ているのだと今わかった。背格好や髪型や顔の造りが似ていると話し方まで似ていることもある、まさにそんな感じで黒崎はつい、みゆきに視線が行った。
頬杖をついた健太が、なに飲もうかな、と言うと、みゆきが黒崎をまっすぐ見て言った。
「マスターがおすすめのもの、ありますか?」
その目を見た黒崎は思わず見入ってしまう、まるで27年前にタイムスリップしたような気になる。美樹……、と話しかけたくなる衝動に駆られた。
「あ、ああ、亜紀のお気に入りのジャックダニエルソーダでも作るか」
目をそらすと棚からボトルを下して手早く作る、(……明日、平林に連絡先を聞いてみよう)、そう思っていた。
翌日の午前中、黒崎は近くのコインパーキングに行くとリモコンを出して、一番奥のガレージのシャッターを開けた。ここは黒崎の父親が所有している駐車場で、黒崎の場所だけガレージを建ててあるのだ。
中で眠っているのはシルバーのフォルクスワーゲンビートル、最近の復刻版じゃなく1978年製造のものだ。黒崎は免許を取って以来、この車を乗り続けている。
ガレージ内の棚から工具を出してバッテリー端子をつなぎ、エンジンオイルや空気圧、ブレーキフルードの量をチェックしてからエンジンを掛ける。
空冷水平対向4気筒OHVのエンジンが、バタバタと独特な音を立てる。排気がガレージ内に籠るので車体をガレージから出して暖機運転をする。ウインドウやミラーの埃を拭ってからゆっくり発車した。
ウインドウを下して左腕を窓枠に載せて走っていると、今朝のやり取りを思い出した。
平林の携帯に電話を掛けると眠そうな声で出た。
「……おはよう、黒さん、えらく早い時間にどうしたい?」
「昨日のレコードを聴いてたら、持ち主に聞きたいことが出てきちまってさ、お前連絡先わかるんだろ?」
「聞きたいこと? ……まあいいや、連絡先はわかるよ、名前は篠沢っていうんだ」
そうだろうとは思っていたが、いざその名前を聞くと黒崎の胸はズキッと痛み、心拍が上がる。カウンターの上に置いた紙にボールペンでメモを取る体勢を整えた。じゃあ頼むよ、と催促する。
「名前は篠沢広樹、広いに樹木の樹、歳は嘱託だったから64ぐらいかなあ。住所は……」
平林は寝起きにも拘わらず丁寧に教えてくれた。
「……でも今日あたり、引っ越しの準備で忙しいんじゃねえかな。まあいいや、行くなら行ってみなよ。平林から聞いてきたって言えば安心すると思う、黒さん見た目のガラ悪いから普通の人は警戒するよ」
平林はそう言って電話口で笑った。……そして早速、黒崎は会いに行くことに決めた。
黒崎は美樹とつきあっていた頃も、家族には会ったことがなかった。携帯のない時代だから用事がある時は家の電話に掛けるしかなかったが、電話に出るのは美樹の母親かたまに兄が出た。『いつもすみません』と言われたが、丁寧な言葉遣いが苦手な黒崎は、その対応の時間がたまらなく嫌だった。
平林から聞いた住所は市街地から東へ10キロほど行った場所だった、国道18号を上越方面へ向かっていく途中を左に折れ、野球スタジアムのある運動公園の先の古くからある住宅地だ。
車同士がすれ違えないような細く入り組んだ道が蜘蛛の巣状になっていて、馴染みのない人間だと迷うこと間違いなしの迷路のようだ。ナビを眺めながら進めばなんとかなるが、ビートルには付いていない。
何度か間違えてようやく目的のマンションが見えてきた、くすんだグレーの3階の建物だ。黒崎はその手前の路肩にビートルを停めた。タバコに火を点け、美樹が現在どのような状況にあるのかを考えた。
……まず、27年前だが、なぜ引っ越したあと連絡をくれなかったのか。それは今でも最大の疑問だが、まったく想像もつかない。
黒崎は現在42歳、美樹も当然同じ年齢になっている。黒崎は今まで一度も結婚せずずっとひとり者だが、多数の人間は普通に生きていれば異性とのめぐり逢いがあって結婚して、子供の親になっている年齢だ。
ここから見えるマンションに親と住んでいる確率は低いように思う、どこかに家庭を持って暮らしているのか……。
タバコを2本灰にするまで考え続けたが、まとまるはずもないのでやめた。ビートルを発車させるとマンションへと近づいていく。……路上に引っ越し業者のトラックが停まっているのが見えた。




