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ふきだまり  作者: 村松康弘
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春なのに 1

 ――ようやく反射式ストーブの出番もなくなったので、ペントハウスの物置に片付けた。階段を下りてくると客がスツールに腰掛けていた。……おしゃべりな郵便局員の平林だ。

「やあ、黒さん久しぶりだねえ」

 平林は赤い顔をしている、どこかで飲んだあとに来たようだ。いらっしゃい、と言って黒崎はカウンターに入る。

「今日は嘱託まで勤めた上司の送別会があってねえ、ちょっと寄ってみた。……そうそう、黒さんとこステレオあったよねえ」

 平林はそう言うと隣のスツールに置いてあった紙袋をカウンターに載せた。

「上司が退職を機に郊外に引っ越すらしくて、家の中の整理してたらこれが出てきたんだって。もし持ってってもらえるならありがたいって言ったからもらってきたんだけど、……俺んちステレオどころか音楽聴く機械なんてなんもねえこと忘れてて」

 笑いながら紙袋の中身を出してきた。レコードだが全部シングルで30枚ほどはありそうだ。黒崎は手に取ってみた。

「石野真子『春ららら』、中村雅俊『俺たちの旅』、岩崎宏美『すみれ色の涙』……、なんだこれ、全部昔の歌謡曲じゃねえか」

「みたいだね、自分で買ったのやら息子や娘が買ったのやらいろいろだって言ってた」

 黒崎はひと通り眺めた、……だが最後の1枚を見た時に心がズキッと疼く。すぐにすべてを重ねてカウンターに置いた。

「おいおい、せっかくだからステレオで聴かせてくれよ。たまには古い曲も聴きたいじゃん」

「しょうがねえな、じゃあ聴きてえやつ選べよ」

 そう言うとステレオの電源を入れた、真空管アンプなので立ち上がるまでに時間が掛かるのだ。……平林は手に取って選ぶと黒崎に渡した。

 チリッチリッとレコードノイズとともに曲がはじまる、黒崎はジャックのボトルとグラス、氷を平林の前に置いた。聴きだすと、……たまにはこういうのも悪くない、と黒崎は思った。


 平林はチビチビとジャックを舐めながら眠そうな顔をして聴き入っている、最後の1枚を手に取った時、また黒崎の心が揺れた。(……春なのに、か)

 ……ストリングスのイントロが流れてきて、柏原芳恵の声が聴こえてくる。美しい旋律と切ない歌詞、3月の今時分、時期的にもタイムリーな曲だ。だが黒崎の胸の内はささくれ立っていた。


 針が戻るまで黒崎はプレーヤーを見つめていた、レコードを袋に戻すと平林はカウンターに突っ伏して眠っている。呼びかけたが起きないので肩を揺すって起こした。

「おい、家に帰って寝ろよ」

「……あ、ああ、ごめん。今日は飲み過ぎちゃったなあ」

 黒崎は紙袋にレコードをしまうと差し出すが、受け取ろうとしなかった。

「言ったじゃん、俺んち音楽聴く機械ねえって。……黒さん、預かっといてくれや」

 平林はそう言うと腰を上げ、ふらふらとトイレに行った。中から『春なのにいー』と、声が聞こえた。


 平林が帰ったあと、紙袋からレコードを出す。気になるのは1枚だけ、『春なのに』だった。透明なビニール袋の中に、ジャケットと紙のカバーに包まれたレコード。

 ジャケットのみを抜き出して歌詞が書いてある裏面を見た、……黒崎の手が止まる、そして小刻みに震えてきた。(こんな偶然、あるのだろうか……)

 ジャケットの裏にはA面・B面の歌詞が書いてある、そしてその余白に手書きの文字が並んでいた。

 『誠くん、この歌詞みたいにさよならはしないよ! 引っ越すけれど、ずっと誠くんとつながってるからね! みき』

 

 ――中学を卒業間近の黒崎と篠沢美樹しのざわみきは、つきあって1年以上だった。黒崎は卒業後近くの工業高校に進学が決まっていたが、美樹は父親の転勤で南信に引っ越すことになっていた。

 ふたりは黒崎の離れ部屋で音楽を聴いて過ごすことが多かった、黒崎も美樹も口下手というか思いを口に出すのが苦手だった、つきあって1年以上になるのに手さえつないだこともない。無口なふたりは部屋でレコードを聴いたりギターを弾くことだけで満足だった。

 ある日、美樹が持ってきたのがこのレコードだった。

「歌詞カードにマジックで書いたら消えないだろ」

 読んだあと照れ隠しで黒崎が言った、美樹も照れながら言った。

「そうだね、あたしばかみたい」

 だが寄り添ってこの曲を聴いていると、お互いの気持ちがわかった。かけがえのない大好きな恋人、……本当はそんな風に口に出したかったのだ。

 

 引っ越しが迫った3月下旬、黒崎は美樹の家に行き、珍しく悩んで買った美樹へのプレゼントとともに、借りていたレコードも返した。……その中にこのレコードが紛れ込んでいることも知らずに。

 予定通りに美樹は遠い南信のある町に引っ越していった。見送るのが恥ずかしい黒崎は引っ越しの前日に美樹に会いに行った。

「……新しい住所がわかったら教えてくれよ、その前に新しい電話番号教えてくれよな」

「うん、すぐに知らせるね……」

 そう言うと美樹は肩を震わせうつむいて涙をこぼした、黒崎は暮れていく空を見上げて眼鏡を外すと目を拭いた。嗚咽で温かくなった美樹の身体を抱き寄せると、ふたりとも人生初めてのキスをした。


 ――黒崎はそれ以来、美樹の住所も電話番号も知らず現在に至っている。

 



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