俺の声 3
雪の舞う市街地の歩道、インターロッキングの上を、若い男女が寄り添って歩いている。…ふたりとも中学生だ。
学校の帰りに駅前まで足を延ばして、クリスマスの買い物をしたり、お洒落なカフェを探して歩いたデートの帰り道。
ふと、女子が足を止めた。
「ねえ、この歌声、KENTじゃない?」
女子はどこから聞こえてくるのか、あたりを見まわした。
「…ホントだ、KENTの声だよね」
男子も歌声のする方向を探す。
「この上じゃない?」
女子は目の前のビルを指さした、見上げたふたりの顔に冷たい粉雪が舞い落ちる。…まつ毛についた雪つぶを、女子はニットの手袋で払った。
ビルの入り口に表示されているテナント名を、男子が読み上げる。
「1階、信陽フィナンシャル 長野店。2階、カワセミノルフーズ 長野営業所。3階、ふきだまり…、ふきだまり?」
男子は振り向いて女子に言った。
「ふきだまりってなんだろう?…飲み屋かな?」
女子は白い息を吐きながら、スマホを操作する。
「KENTのライブ情報に、こんな名前出てないよ。それにライブ予定、更新してないし」
女子はポケットにスマホをしまうと、もう一度ビルを見上げた。KENTらしき歌声は続いている。
「ねえ、行ってみようよー」
たまらずに男子のジャンパーの袖を引っぱった。
「え?…でも俺たち中学生だよ。ここがいかがわしい店で、恐い人がいたらやばくね?」
男子は消極的だった。
「その時はその時!ごめんなさい、間違えましたって謝ればいいよ。…さ、行こ」
女子は袖を引っぱったまま、急な階段を登り始めた。近づくにつれて、KENTらしき歌声とギターの音が大きくなってくる。胸が高鳴った女子が言った。
「やっぱ、この上だよ」
ふたりは照明の弱い階段を登っていったが、2階から先は極端に暗くて、足元も見えづらい。…急に不安になった女子は、
「叶多くん、先に行って」
と、促した。
「えーっ!マジで…?」
男子はしぶしぶ前に出ると、黒いドアの前に立った。…ドアノブを動かして、そっと開けた。向こうで神社の大きな鈴のような音がする。
それと同時にKENTのギターの音が途絶えた。
男子は恐る恐る、中に顔を突っ込んだ。…タバコと強い酒の臭い、薄暗いオレンジ色の照明が、煙でかすんで見える。
奥にカウンターが見え、目つきの悪いKENTの顔が見えた。カウンターの奥には坊主頭でサングラスの、KENTよりもっと怖そうなおじさんが、こっちを見ている。
(…うわー、やっぱりじゃん)男子は後悔したが、後ろに女子がいるため、黙ってドアを閉めるわけにもいかない。
「…あのう、僕たち中学生なんですが、入ってもいいですか?」
男子は緊張した声で聞いた、すぐ後ろで女子が突っついてくる。(…これ、入んない方がよくね?)男子は念力を送ったが、通じてないようだ。
ちょっと間を置いて、明らかに怖いおじさんが唇をニヤリと曲げて、あごをしゃくってきた。(…もういいや)と、覚悟を決めた男子が室内に入ると、なだれ込むように女子が続いた。
「あの、香音が…、いや彼女が、KENTのファン、あ、いやKENTさんのファンなんです」
男子が棒読みのように言うと、いつの間にか男子の前にしゃしゃり出た女子が、
「この下を歩いてたら、KENTの『俺の声』が聞こえてきたんで、つい上がって来ちゃいました。会えて嬉しいです!」
そう言って、恥ずかしそうにちょこんと頭を下げた。そして、
「今日、ここでライブなんですか?」
と、聞いた。
KENTはコアなファンの急な訪問に少し照れながら、
「そういうわけじゃないんだ。ここんとこお世話になってるマスターに、リハみたいな感じで聴いてもらってたんだ」
と言うと、若いファンに微笑んでみせた。男子はやっと緊張を解いたようだ。
「お前、やるねえ。…どうせなら、ハコでやってる感じでやってやんなよ」
黒崎はそう言いながら、ふたりにあごをしゃくってボックス席にと合図した。
「じゃあ、急に来てくれた若いお客さんのために、やらせてもらいます」
KENTの言葉に、中学生ふたりは目を輝かせて拍手した。…しかし男子はカウンターに寄って来ると、
「あの、なんか飲み物とか注文しなきゃいけないですよね?」
と、小声で言う。
「そんなもんいらねえよ。…あ、なんかあったかや、ちょっと待ってて」
黒崎はそう言うと、冷蔵庫から瓶のコカ・コーラを2本持ち出して男子に渡した。
KENTは予期せぬシークレットライブに、しゃがれ声を張り上げた。