男達のメロディー 1
――23時、男は小雪の舞うコンビニエンスストアの脇に立っている。店内の照明や看板灯の明かりが届かない場所を選んでいた。
白馬村 神城――県内でも屈指の豪雪地域。路肩や歩道の脇には、掻きつけられ堆積した雪が連なるように壁を作っている。
駐車場にはキャリアにルーフボックスを載せた関東ナンバーのSUV、同じ仕様の東海ナンバーの赤いアウディが停まっていた。中身はスノーボードだろう。
しばらくすると地元ナンバーの軽4WDが入ってきた。運転席からジャンパー姿の老人が降りてきて、寒そうに背を丸めて店に入っていく。男は他に同乗者がいないのを見定めると、体をずらして店内の様子を見る。老人がトイレに入っていくのが見えた。
男はさりげない歩みで車に近づく、ライトが点きっぱなしなのでエンジンが掛かっているのはわかっている。そのまま運転席まで行くと、黒革の手袋のままドアノブを引き、素早く身を潜ませた。
運転席から店内を一瞥すると、老人はまだトイレから出てきていないようだ。……男はATレバーをリバースに入れるとバックし、方向転換すると駐車場を出ていく。面した国道を左に曲がった。
――国道148号線、千国街道、別名糸魚川街道と呼ばれるこの道は、このまま北上すれば、新潟県糸魚川市で国道8号線と直交する。右へ行けば上越市、柏崎市、長岡市、その先は新潟市。左へ行けば黒部市を経て、富山県、石川県、福井県。だから夜は北陸へ向かうトラックが多い。
男は燃料計を確認した、残量は7割ほどだ。(……これだけあれば上等)湿ったダウンジャケットのポケットからラークを出すと火を点けた。……車内の暖房のせいで、フリースに浴びた返り血が生臭い。鉄さびの臭いのようにも感じる。
――男の名は、横瀬邦雄。ある男を刺し殺して逃走を開始したところだ。
直線な路面をしばらく北上し、白馬駅を少し過ぎたところを右折する。この先は国道406号線となる。『国道』と名が付いているが、400番台の国道は比較的悪路が多い。この路線もかなりのものだ。白馬から旧鬼無里村、旧戸隠村を経て長野市の北側へつながる、曲がりくねった山道だ。
本来ならオリンピック道路と呼ばれる県道31号線を東進し、国道19号線に合流した方が距離も近いしカーブも勾配も少ない。しかし横瀬は盗んだ車で捕まりたくなかった、老人が通報すれば、まずその路線に配備がなされるだろう。……今は捕まるわけにはいかないのだ。
オドメーターが15万キロを超えている古いパジェロミニのアクセルを踏みつけると、坂路を駆け上がっていく。
横瀬は横浜市中区で小さなスナックを経営している。中華街や山下公園の近くだ。横瀬は長野市の出身だが、高校を卒業すると神奈川県内の建設機械メーカーに就職し、相模原市や厚木市に住んだこともあるが、ずっと神奈川県にとどまっている。
東京を目指す同期が多い中、横瀬がそうしなかったのは家賃があまりに高いのと過密すぎる街の造りが、自分には合わないと思ったからだ。
建機メーカーで約10年修理工を経験したのち、5年間大型トラックドライバーをやった。それから現在までの10年は、小さな酒場の親父をやっている。
修理工の頃に一度結婚したが、数年で別れて以来ひとり者だ。時々女はできたが横瀬が結婚するつもりがないことがわかると、女はいづれも去っていった。横瀬はそれでもいいと思っていた、所帯を持って子どもを育てて、という家族の形が、自分には向いていないと感じている。性欲は夜の街でいくらでも処理できる。
道路は圧雪状態が続いていた。除雪車が掻き寄せた雪塊が路肩にあるが、その後に降った少量の雪が路面を固くしている。
昼間に日の当たる場所はアスファルトが見えているが、そういう路面は解けて凍っての繰り返しの果てに、スケートリンクの氷上のようになるから滑りやすい。横浜住みの横瀬にとっては慣れない状況なので、カーブや下り坂は慎重に通過していく。
パジェロミニはパートタイム4WD方式、つまり副変速機が付いていて、レバーを操作すると4WDハイモード・ローモードに切り替わる。しかしこの車は前後の重量バランスが比較的均等なので、後輪駆動でもなんとか走れた。だがターボ付きエンジンでも車体が重いせいか、登坂時は音のわりに速度は上がらない。燃料計の針はみるみる下がっていく。おそらく燃費はリッター当たり10キロ未満だろう。
途中に何か所かトンネルや隧道がある。ふたつ目のトンネルを抜けた先が急カーブになっていることに気づくのが遅れ、スリップして左に滑り出した。ブレーキを踏んでもロックしたタイヤは滑走して制御不能になる。横瀬はガードレールに衝突すると覚悟したが、寸前で止まり胸をなでおろした。そこからはより一層慎重に走っていく。
この路線が数えきれないほどのカーブで構成されているのは、沢筋に沿って作られているからだ。橋などの構造物が作れなかった大昔の街道そのままなのだろう。
走り出して1時間半たった頃、眼下に街の灯りが見えてきた。何年かぶりに見る、長野市街地の夜景だった。




