となりの町のお嬢さん 1
酒棚の横に置いたラジオが鳴っている。AMのみ受信可能な木製の古い真空管ラジオだ。…以前、高速道路上での意図的な事故で殺された金田が大事にしていた物だった。
先日、金田の女房がやって来て、生前夫が一番大切にしていた物だから是非とも黒崎さんに、と置いていった。
30枚のLPレコードと古いラジオ、それだけが黒崎の元に残った。腐れ縁とお互い呼んでいた仲だったが、いなくなってみると心のどこかが欠損してしまった感じがする。
最近は紀美江も亜紀も来ない、当然のことだろう。紀美江の元夫で、亜紀の父親でもある木原との再出発の瞬間にすべてを失った。かつて過剰防衛で殺してしまったアルコール依存症の男の息子に、木原は刺されて死んだ。念願だった亜紀にも逢えずに逝ってしまった。
ラジオは天気予報を伝える、10年に1度の最強寒波がやって来ると言っている。…50年以上も昔に製造された機械が、高精度になった天気予報を伝えてくる。古ぼけたラジオが未来を教えてくる、黒崎はなんとなく不思議な気持ちになった。
長野はNHKとNHK第2、あとは民放の1局しかない。天気予報が終わるとダイヤルを回してNHKに合わせる、…落語がやっていた。音声が古そうなので多分、昔の名人寄席のセレクションみたいなものだろうと思った。
冷蔵庫からスルメの一夜干しを取り出すと、反射式ストーブの上で炙る。香ばしい匂いが立ち込めてくると、日本酒が飲みたくなったので棚から一升瓶を下して冷や酒を飲んだ。
だが依然、黒崎の心は鉛のような重石がつっかえたままだ。(…死んだやつらをずっと忘れずにいること、俺にはそれしかできねえ)気づいたらスルメは真っ黒に焦げていた。
カウベルが控えめに鳴りドアが開いた。今日初めての客は、
「お邪魔します…」
と言って入り口に突っ立っている。金髪に近い髪色だが悪党のような顔つきではなかった、どっちかというと気弱で幼さが見える青年だった。古着らしいアメカジファッションにギターのソフトケースをぶら下げていた。
「いらっしゃい」
黒崎が言うと、ようやくカウンターに寄ってきた。青年は緊張の顔を緩めずに、
「あの…、前ここにKENTさんがいたって聞いてきたんですけど…」
と聞いてきた。…その目はしきりに泳いでいる。
「ああ、いたよ。ほんのちょっとの間だったけどな」
黒崎が答えると、途端に青年の目が輝いてくる。そして店内の方々を見回す。
「うわあ、会いたかったなー!…俺、大ファンなんです」
青年は顔をほころばせた。
「あんた学生かい、…まあ座れよ」
黒崎がうながすと、青年はギターケースをカウンターに立て掛けてからスツールに腰かけた。
「小堀健太といいます、近くの味噌工場で働いてます。…マスターがKENTさんの師匠だって聞いたんで、ギターを教えていただきたくて来ました」
小堀はそう言うと深々と頭を下げた。…市街地から少し西側に行ったところに、全国的に知られた味噌メーカーの本社工場がある。そこで働いているのだろうと思った。
「俺はKENTの師匠なんかじゃねえよ。たまたまあいつが転がり込んできて、しばらくここにいたってだけだ。…KENTは東京でやってるらしいな」
「はい、最近は都心のライブハウス、ソールドアウトになるらしいですよ。…バンドやってる仲間が、ふきだまりのマスターは昔、プロのミュージシャンだったって言ってました。ぜひギター教えてください!」
少年のままの目つきだと黒崎は思った。
…黒崎が元プロミュージシャンだったというのは事実だった。4人組のブルースロックバンドとして活動中、あるプロダクションにスカウトされて契約を結び、全国各地へツアーで回っていた時期があった。
だが順調だったのは1年ほどで、年がら年中同じ顔を突き合わせていると悪いことも起こる。メンバー間のつまらない諍いは絶えなかったが、それ以上にプロダクションのやり方や待遇が気に入らなくなり、頻繁に衝突が起こった。
元々謙虚さのかけらもない個性的なメンバーだったので、歯車が狂いだすと空中分解寸前まではそう時間はかからなかった。
リーダー的な立場だった黒崎は収拾がつかなくなる前に、バンドの解散とプロダクションとの契約解除の話を進めた。2年ほどのプロ活動だったが、それ以来メンバーは誰も音楽で食っていこうとはしなかった。黒崎も然り。
小堀は壁に掛けてあるL1に気づき、
「ギブソンじゃないですか、…これはロバート・ジョンソンモデルじゃないですか?いいなあー」
と見上げていた。
「どんなのやってんだ」
黒崎が聞くと小堀はケースのファスナーを開き、ギターを出した。国産のドレッドノートタイプだった。マーティンのコピーのようだが造りは良さそうだ。




