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ふきだまり  作者: 村松康弘
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最後の約束 2

 午前0時過ぎ、黒いドアが半開きになり紀美江が顔だけのぞかせる。店の中を窺い、男がいないことがわかると入ってきた。

 「まこっちゃん、さっきはごめん。…食材は?」

 黒崎は黙ったまま冷蔵庫を指した。紀美江はうなづくとため息を吐きながらスツールに腰を下ろす。

 「聞いたかもしんないけど、あの人あたしの亭主だった人。…愛人の亭主を殺して、今までずっと刑務所に入ってたのよ。そろそろ出てくることは知ってたんだけど、いきなりここで会っちゃったからびっくりして…、ごめんね」

 紀美江は頬杖をついて憂鬱そうに言った。

 「たまには飲むか」

 黒崎が聞くと、

 「じゃあ、ビールちょうだい」

 と言ったので、ふたつのグラスに注いだ。

 「あの人ね、若い頃から観光バスの運転手やってたの。それで年中家を空けてたから、ガイドの女とできちゃったんだろうね。その女も亭主がいたからダブル不倫ね。…それでどんな理由があったんだか、あの人一切話さなかったから知らないんだけど、その亭主を殴り殺して刑務所行き。…その時、亜紀はまだ1歳よ、今でも信じられないよ。それであの人、木原って名前なんだけど、あたしは離婚して坂本姓に戻ったの」

 紀美江は淡々と話したが、この15年間相当苦労しただろうと黒崎は思った。母子家庭で経済的に大変な上、世間からは白い目で見られていただろう。

 「亜紀はそのこと知ってんのか」

 紀美江は首を横に振った。

 「知らないわ、教えてない。いづれわかることだろうけどね。…でも未成年のうちは知らずにいてほしいと思ってる」

 黒崎と紀美江の間に沈黙の時間が流れた。…黒崎は言おうかやめようか迷ったが言った。

 「あの人、亜紀が作った煮物を食った時、昔食べたことがあるような気がする、懐かしい感じだって言ってたぜ。妙にしみじみした顔して。…最後には亜紀が作ったものだと察していたぜ。…あの煮物もお前が亜紀に教えたもんだろ」

 紀美江は黒崎の目を見ながら、目に涙が盛り上がってきた。そしてひとすじ流れたが拭きもしなかった。

 「そうよ、あたしが亜紀に教えたの。…あの人そんなこと言ったんだ」


 カウベルを鳴らしてフジが入ってきた、妙に胸部がふくらんだジャンパーを着ている。紀美江に気づくと、よう姐さん、と言って胸部から仔犬を抱いて出した。まだ生後1か月も経っていない茶柴の仔犬だ。

 「夜中の散歩の途中で寄ったんだ」

 と言い、カウンターに乗せた。仔犬は初めて来た環境に戸惑って周囲を見回している。

 「ふところに抱いて歩いたって散歩にゃならねえだろ」

 黒崎は笑いながら言う。紀美江が手を出すと仔犬はその手にじゃれついて、小さな牙で紀美江の指を噛む。歯がかゆい時期なのだろう。

 「このチビ公め、かみつきやがってー」

 紀美江は手の中で仔犬を弄んだ。


 「そういやさっき、面白えもん見たぜ。駅前にいきがったガキどもがたむろしててさ、そこに50過ぎぐれえのおっさんが通りかかって。…背は俺ぐれえあったかな、ちょっと矢沢に似た感じの。…で、ガキどもが金をせびろうと寄ってったんだ。おっさんは最初、無抵抗で相手にしてなかったんだが、調子に乗ったガキがおっさんの胸ぐらをつかんだ瞬間、おっさんのワン・ツーが飛び出て、あっという間に3人のガキどもを片づけちまった。すげえ早わざだったぜ。…あれはボクシングかキックやってた人間だな」

 フジは感心するように言うと、ポールモールに火を点けた。黒崎が紀美江を見ると仔犬をあやす手が止まっていて、目は宙を彷徨っていた。


 木原は高齢の母親がひとりで暮らしている郊外の市営住宅に身を寄せていた。そして朝から新聞や折り込みを見ている。社会復帰のために仕事先を探していたが、55歳という年齢ではかなり厳しい。まして元殺人犯という身の上では。

 …木原は観光バスの運転手だった、事故も違反もなく社内でも模範的な運転手だった。だから後輩たちからの信頼も厚かった。その分、後輩運転手からもバスガイドからも様々な相談を持ち掛けられることも多かった。

 その中で一番かわいがっているガイドから、家庭の相談をされた。…女は結婚していたが亭主はひどいDV男だった。女の稼ぎをあてにして働かず、昼間からパチンコ屋に入りびたり金を使い込み、一日中酒を飲んでいた。女が帰ってくるとパチンコでスッた不満を暴力でぶつけてくる男だった。

 木原はある日、ガイドの女に同行してその家を訪れた。亭主を説得するためだった。しかし亭主は木原と自分の妻が不倫関係だと勝手に思い込み、逆上して台所から包丁を持ち出すと木原に躍りかかってきた。

 木原は防衛するために手を出したが、アルコール依存症で身体がもろくなっていた亭主は呆気なく逝ってしまった。

 木原は正当防衛といえど相手を死に至らしめたこと、学生時代からボクシングをやっていて格闘技経験者という立場でありながら、無意識とはいえ急所を狙ってしまっていたことを考え、その後の裁判では一切の言い訳をせず刑に服したのだ。

 



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