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ふきだまり  作者: 村松康弘
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最後の約束 1

 男がふらりと現れた、背の高い男だった。年齢は55歳ぐらいだろうか、短めな髪、無精ひげに地味なツイードのジャケットを着ている。黒崎はロックミュージシャンの矢沢某に雰囲気が似ていると思った。

 男は背後でドアを閉めると一度店内を見回してから、左端のスツールに腰を下ろす。

 「いらっしゃい」

 黒崎は普段通りの不愛想な声をかける。

 「…冷や酒をもらおうかな」

 落ち着いた静かな声だ。黒崎はカウンターに小皿を出し、その上にグラスを載せると一升瓶から注いだ。男は表面張力で盛り上がったグラスの天端に口を寄せた。

 「あとはお客さんが自分でやってくださいや」

 黒崎はカウンターに一升瓶を置くと、ガス台に火を点ける。…男はグラスの酒を半分ほど煽ると、ふうーっ、と息を吐く。

 「ああ、しみるね…」

 グラスを握ったまま、しみじみ呟く。…あたりにいい匂いが漂ってきたので、黒崎は根菜の煮物を鉢によそって出した。根菜のほかに鶏肉や干しシイタケなども入っている。

 昨夜、亜紀がここで作っていったものだ。…客が必要以上にほめるので、亜紀は最近調子に乗って頻繁にやって来ては作っていく。しかし腕前は確実に上達しレパートリーも増えている。

 男は出された鉢に手を付けると、またしみじみした顔をした。

 「うまいねえ、なんかこの味、昔食べたことがあるような気になるよ。懐かしい感じだ。…マスターが作ってるの?」

 ほころんだ顔で聞いてきたが黒崎は、

 「いや、バイトの小娘がね。…作るのが楽しくて仕方ないらしい」

 と言うと、男は笑った。

 「俺は元々長野の人間なんだが、15年ほど長野を離れていて、昨日戻ってきたもんで」

 グラスを干すと自分で注いだ。

 「酒を飲むのも15年ぶり…、やっぱりうまいな」

 男は微笑んでいるが、その表情の奥になにか暗いものを感じる。


 『タタンタンタタン…』…黒崎は紀美江がやって来たことに気づく。最近来るのは亜紀ばっかりで紀美江が来るのは久しぶりだ。ガチャリとドアが開くともう口が開いていて、しゃべりながら入ってくる。

 「まこっちゃん!今日はうちのスーパーで…」

 だがそこまで言うと紀美江の口が止まった。振り向いた男と目が合った瞬間、凍りついたようになった。目と口を大きく開けたまま静止した。

 やがて唇を震わせるとボックス席のテーブルの上にレジ袋を放り出し、背を向けて出て行った。男はしばらく黒いドアに目をやっていたが、正面に向き直り苦い表情を浮かべる。そして、紀美江…と呟いた。黒崎はただ事ではないとわかったが黙っている。

 男はグラスの酒を干すとため息を吐いた。

 「…別れた女房なんだよ、15年前にね。…俺はその15年間、刑務所にいた。帰ってきた翌日にまさかあいつに会うとは…」

 男は黒崎に言っているようだが、半分はひとり言のようだった。そして勘定を聞いて払うと立ち上がる。だがそこで動きが止まり、

 「これを作ったバイトの小娘って、もしかして亜紀かな」

 黒崎はだまってうなづく。すると男は遠くを見るような目をして、なにやら口を動かしている。

 「ありがとう、ごちそうさまでした」

 男はそう言うと店を出て行った。 


 入れ替わるように平林という男が入ってきた。郵便局員だがよくしゃべる男だ。よう、と言いながらスツールに座るなり新聞を拡げる。…黒崎は、はじまるなと思う。

 この男は新聞を読みだすと必ずその内容をネタに、解説や持論を話したがる。…根っからの話し好きなのだろう。

 「軽井沢のスキーツアーバス転落事故から7年かー、あれはいたましい事故だったよな」

 平林はそこで黒崎に同意をうながす目を向けてきた。黒崎は黙ったまま酒棚を眺めると『郵便局 平林』とタグのついた角瓶を出し、ロックアイスとミネラルウォーターをカウンターに置いた。

 「やっぱさ、破格な値段のツアーなんてもんは落とし穴があるぜ。安全対策とか車両整備とか運転者教育とか一番は人件費、なにかを省いたり手抜きしなきゃ相場より格安なツアーなんてできっこねえんだよ。…事故起こして死んだ運転手はマイクロバスしか運転したことなくて、大型はやりたくねえって言ってたらしいじゃん。そいつもひでえ話だぜ。中型と大型じゃ重量も全然違うしミッション機構やブレーキシステムも全然違う。…大型免許持ってたってろくに乗ったことねえペーパーみてえなドライバーに人の命あずけられるかよ」

 平林はひとりで講釈を垂れているが、キビキビと自分の酒を作っている。案外器用な男なのかも知れない。

 「なんの仕事でもそうだが適正な金額で取引するのが商売ってもんだ。違法な手抜きをして、さも『お得ですよ』なんてだますのは商売じゃねえよ」

 平林は唾を飛ばしながら力説したが、それは黒崎も同意見だった。

 「そういやさ、もう40年近く前のことだけど、長野市の西側の○○○橋でスキーバスの転落事故あったじゃねえ。あれもこんな時期だったよな。…あれは路面凍結しててスリップして転落だったらしいが、あれも運転手の過労運転だったよな。関西のバス会社だったけど、2週間休みなしで走ってたらしいぜ。そんなん体力もちっこねえじゃん。あんなでけえの転がしてるだけで、どんだけ神経使ってるか」

 平林は早口でしゃべりながらも水割りを飲み、煮物を食い尽くした。…すべての動作が速い男だ。…そして周りに誰かいるわけでもないのに、黒崎を手招きするような手振りで顔を寄せると小声で話しだした。

 「…西側の局のヤツから聞いたが、あの橋じゃ今でも不可解な事故が起こってるらしいぜ。たとえば、直進してきた対向車がいきなり反対車線に飛び込んでくるとか。なんにもねえ直線の道路でだぜ。そういうのが何年に一度かは必ずあるって話だ」

 平林はそこでまた水割りを作った。鉢を黒崎に押しやると指で差した。おかわりの合図だ。

 「でな、霊感のある知り合いが言ってたんだが、あの橋の中間を横断する霊とか、向こうの絶壁を昇っていく霊とか、頻繁に見るらしいぜ。…40年近く経っても彷徨ってる魂があるんかもな…」

 最後の話の真偽はわからないが、黒崎もそのいたましい事故のことは知っていた。

 



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