俺の声 1
店のフロアーに置いた反射式ストーブ上のヤカンが沸いている。黒崎はヤカンの湯を、麦焼酎が半分入ったグラスに注ぐ。
ここ3日ぐらいで長野市街地は一気に冷え込み、最低気温がマイナス5℃の日が続いていた。
店には当然空調設備があるが、それだけではどうも温まらない。そこでペントハウスの押し入れからストーブを出してきた。
黒崎は直に火が見え、筒が赤くなるこの色が好きなのだ。焼酎のお湯割りに、大きな梅干しを沈めた。
…入口のカウベルが激しく鳴ると同時にドアが開き、男が飛び込んできた。
逆立てた赤い長髪、あちこち擦れてくたびれた黒革のハーフコート、スリムすぎるブラックジーンズにリングブーツ。瘦せすぎの若者は、ロック系のミュージシャンのような出で立ちだ。
唇の端に血をにじませ、血走った眼を黒崎に向けてきた。明らかに危機を訴えている目つきだ。
「突然すんません!」
しわがれ声でそう言いながら黒崎を見ると、急に表情を変えた。
「黒さん?…黒さんじゃないですか!お久しぶりです!」
危機から一変して、人懐こい笑顔に歯を見せた。
「誰だっけ?」
黒崎にこの若者の記憶はなかった。それより手元のグラス内の梅干しを潰すことに気が向いている。
「昔、一緒にライブやらせてもらったことがあるんです!」
若者は市街地にあるライブハウスの名を上げ、過去に対バンで一緒になったことを話した。
…もう10年以上も前だが、黒崎は仲間とバンドやギターユニットで活動していた時期があった。だが、この若者に会った記憶はなかった。
「あの頃俺はまだ15歳、バンドはじめたばかりで坊主頭の野球少年だったから、憶えてないと思います」
若者はそう言って笑った。
「そうなんか、…それよりお前、あわてて入ってきたように見えたけど」
黒崎は熱いお茶でも啜るように焼酎を飲んだ。若者はその言葉で我に返った、また表情を急変させる。どうもあわて者らしい。
「そうです、いきなりなんですが…、俺ちょっとヤクザに追われていまして。わけは後で話しますが…、ご迷惑じゃなかったら、少し匿ってもらえませんか?」
と、頭を下げた。
黒崎は熱いグラスに口をつけたまま、少し考えた。その後、あごをしゃくって階段の方を指した。
「すみません!ありがとうございます…」
若者はそそくさと階段ホールへ逃げていった。
お湯割りを一杯飲み終え、次の一杯を作った頃、激しくドアがノックされて、ふたりの男が入ってきた。目つきと人相の悪い男たちだ。黒崎は見覚えがあった。
「やあ、営業中にすまねえな」
背の高い男は詫びの言葉と裏腹に、威嚇の目つきでカウンターに寄ってきた。後ろの小柄な男は店内をキョロキョロと見回している。…背の高い男が聞いてきた。
「毛が赤くて長えチンピラみてえなガキが入って来なかったか?」
黒崎は新しいお湯割りを飲むだけで、答えない。沈黙の間を置いたあと、男の目つきが変わる。
「なあ、マスターよ。…聞いてんだろうが!」
男は不要な大声を出してイキがった。
「…チンピラみてえなガキは知らねえな。…チンピラのおっさんなら二匹、俺の前に見えるが」
黒崎はそう言うと、色眼鏡の向こうでニヤリと笑う。
「なんだと!」
すぐに反応した小柄な男が、後ろから突っかかってきた。すぐに背の高い男が制して言った。
「そういやあんた、この界隈の協力金、いつまでたっても払ってくれねえよな。…今日はそれもついでにいただいてくか」
男はそう言うと、三白眼を上目づかいにして凄んできた。黒崎はまったく意に介した様子もなく、タバコをくわえて言った。
「てめえらみてえなクズにくれてやる銭など、1円もねえな」
吸い込んだ煙を、目の前の男に盛大に吹きつけた。
「てめえ!なめてんのか!」
後ろの小柄がノッポを押しのけ、カウンターに手を伸ばすと黒崎の襟首をつかんだ。そのまま右の拳を出してくるような勢いだ。
黒崎はカウンターの下にそっと手を突っ込むと、黒い塊を取り出し、小柄の腕の手首あたりに当てた。
「痛えっ!」
小柄はあわてて手を離すと、後ろに飛び退り左手首を押さえて呻く。何食わぬ顔をしている黒崎の右手には、強力なスタンガンが握られていた。様子を見ていたノッポが、
「貴様、カタギの分際で俺等をなめてると、あとで痛え目に遭うぞ」
と、険悪な目つきで言い放った。
「痛い目?…こういう風にか?」
黒崎は空中でバチバチと、スタンガンを放電してみせた。
「こいつは豚でも牛でも痛えらしいぞ。…てめえらにくれてやる銭などねえ、さっさと失せろ」
男たちと黒崎は睨みあった。が、
「まあいい、てめえのことはよく覚えておく。後悔したってもう遅え」
ノッポはそう言って踵を返した、勢いよくドアを開けて出ていく。小柄は手首を押さえながら黒崎を睨むと、後をついて出ていった。