十戒 5
1時間ほど時間を潰して帰ると、紀美江はいなかった。エプロン姿の亜紀が、カウンターで洗い物をしている。泣いているようで洟をすすっていた。
「紀美江は帰ったのか」
黒崎が聞くと亜紀は黙ってうなづいた。タバコに火を点けると、灰皿を差し出してくる。
「オカンがあたしの自主退学の理由を知って、怒られちゃった。…それで家に帰って来なさいって言われたんだけど、帰らないって言ったの」
黒崎もその理由は知らないが、学校で人間関係のトラブルがあって辞めたのだろうとは思っていた。
「なんで。紀美江はお前を許したってことだろう、それは」
「そうなんだけど、この生活はじめたばっかだし毎日楽しいし、まこっさんがいいって言ってくれるなら、もうしばらくここにいたいと思って」
亜紀はまだ涙が乾いていない目で黒崎を見た。
「俺は別に構わねえよ、いつまでいても」
そう言うと、目をそらして天井に煙を吹き上げた。
亜紀が来たおかげで黒崎もなんとなく張り合いがあったし、ふきだまりはそれ以前よりにぎやかになっている。繫盛して客がいつまでも帰らないのは嬉しいことではないが、活気があることは悪くない。
-翌日のコンビニ。
亜紀は業務をひと通り覚え、店員やバイト仲間との関係も良好だった。亜紀が入っている時間は、同年代の男性客が増えているようだ。
…しかし亜紀にとって『招かれざる客』がやって来た。
21時で上がる30分前、店の入り口のガラスの向こうに、あの3人が立ってこちらを見ていた。…あの3人とは、校内の部室で亜紀を無理やり強姦した生徒たちだ。
(あいつら…)思い出したくもない記憶が甦ってきて、胸が苦しくなる。亜紀は一緒にレジに立っているおじさん店員に、
「ちょっと気分が悪くなったので、少し外れていいですか?」
と断ると、飲料の箱が積まれたバックヤードのパイプ椅子に腰かけた。心臓の鼓動が早くなり、呼吸が荒くなる。額を触ると冷や汗がじっとりとしていた。
(…あいつら、どんなつもりで。二度と見たくない顔なのに)亜紀は首を垂れると、しばらくその姿勢でいた。
10分ほど経過すると、ようやく気分も治まってきた。すると、(あたしは悪くない、悪いのはあいつらだ。あたしは逃げる必要なんてない。…堂々としていよう)という気持ちが湧いてきた。
よし!、と頬を叩いて立ち上がると、レジに戻る。さっきの位置にも店内にも連中はいなかった。ほっと胸を撫で下ろす。時間が来たのでタイムカードを付くと、亜紀は店を出た。
廃棄でもらってきた食べ物が入った袋をぶら下げて歩いていると、建物の間から連中のひとりが出てきて、亜紀の手首をつかんだ。いなくなったと思い、警戒を怠ってしまった。
(あっ!)踵を返して逃げようとしたが、執拗につかまれた手首は離れず、亜紀は路地へ引き込まれた。…案の定3人いる。
「お前ら、なんのつもりだよ!お前らの顔なんて一生見たくねえんだよ!」
亜紀は声を張り上げたが、3人は寄ってたかって亜紀の身体を押さえつけようとした。
「やめろ!やめろ!」
食べ物の入った袋を捨てて、亜紀は逃げようともがくが男3人の力にはかなわない。
あの時の主犯格のSが、亜紀の耳元に口を寄せてきた。
「あれからお前の身体が忘れられねえんだよ、俺たち」
と、下卑た笑いとともに、コンビニの制服に手をかけてきた。
「おい、M、お前はそこで見張ってろよ!」
Sは小柄なMを路地の入口に立たせ、見張り役をさせる。
「いい加減にしろよ!やめろよ!」
亜紀は力をふり絞って手を振りほどこうとするが、獣の雄のような連中はしつこく絡みついてくる。制服が脱がされセーターに手をかけてくる。もうひとりはジーンズの股間のホックに手をかけ無理やり脱がそうとしてくる。亜紀の脳裏にあの忌まわしい体験が甦る。
「…最低だよ、お前ら最低だ」
息が切れ声も出なくなってきたが、半泣きで叫んだ。
…ゴツッ!と、入口で音がした。もつれあってる3人が振り返る。路地の入口に誰かが立っていて、見張りに立ってたMは壁にもたれていたが、やがてズルズルと倒れ込んだ。
路地の向こうの街明かりが逆光になり、人相はわからないが人影は痩せた体型に見えた。どうやらMは人影の回し蹴りをくらってダウンしたようだ。亜紀の周りの男たちは息を呑んで静止している。
人影は硬いカカトの音を鳴らしてこっちに向かってきた。…逆光にしても黒すぎる、おそらく黒づくめの恰好なのだろう。
亜紀を拘束していたSとTは手を離して路地の奥へ逃げようとした。が、人影は大柄なTの頭髪を両手でつかむと、腹部に強烈な膝を突き上げた。
うっ、と呻いて前かがみになった胸ぐらをつかむと引き起こし、腰の捻りを充分に効かせた右拳を振り出す。…長い腕だった。拳は高速で頬に叩き込まれ、ぶっ、と声を上げるとTは吹っ飛んだ。振り抜いた右腕が綺麗に突き抜ける。
Sは呆気に取られて立ちすくんでいた。人影がSを見据えた瞬間、踵を返して逃げ出した。人影がSに飛びかかると襟首をつかみ、後ろへなぎ倒した。ゴツッ!と路面に頭部が衝突する音がする。Sは恐怖の叫びを上げる。
「まだ早えぞ、小僧」
亜紀は人影の声を初めて聞いた。(女…?)ガラガラに灼けた声だったが、あきらかに女の声だった。女が亜紀の方を向く、フジと同じような鋭い眼をしていた。
ふん、と女は言うとSの胸ぐらをつかんで立たせ、膝を2回突き上げる。Sはゴロゴロと喉を鳴らして吐いた。
「こいつが主犯だろ」
女は聞いてきたが返事を待たずに右拳を叩き込んだ。亜紀は拳が顔に叩きつけらる瞬間、Sの顔が大きくゆがむのを見ていた。呆然と立っている亜紀に、
「大丈夫か、嬢ちゃん」
と、声をかけてきた。女にしては高身長だった、やはり黒づくめのスリムな格好だった。
「これだけじゃ終わらねえ。こういう性根の腐ったガキどもは、徹底的に懲らしめてやらねえと」
女は呻いているSに手を掛けると、ゲロまみれの服をはぎ取っていく。Sは必死に抵抗するが、その度にSの頬を平手打ちした。ついに下着まではぎ取り素っ裸にした。
そしてTとMも同じように素っ裸に剝いた。…3人の若者は暗い路地に横たわっている。
女は、よし、と言うと3人の衣服をかき集める。そして路地を出ていく、亜紀もあとを追った。女はコンビニの外にあるごみ箱にそれを放り込んだ。
「これぐれえやってやんねえとな、ああいう腐れガキには」
そう言うと、ガラガラ声で笑った。
「あの、ありがとうございました。助けていただいて…」
亜紀は女の迫力に圧倒されて、小さな声で礼を言う。(…こんなすごい女の人、見たことない。本当に女なのかな)腹の中ではそう思っている。
「家は近いんか」
女がタバコをくわえて言った。
「あ、はい。すぐそこです」
亜紀と女は並んで歩き、黒崎ビルの前に来ると、
「ここです」
と、亜紀が指をさした。女がくわえタバコのまま目を丸くした。




