十戒 2
「あーあ、どうしよ。…こんなことになると思ってなかったから、スマホと財布以外なにもないよ」
亜紀はカウンターに頬杖をついて頬をふくらめた。亜紀は母親に似ず痩せていて、背も標準だった。茶色いストレートな髪をかきあげると、整った顔だちが現れる。きっとかわいい部類に入るだろう。
「彼氏のとこにでも転がりこめよ」
黒崎はタバコをくわえたまま言う。
「だって彼氏いないもん、今は」
大きな目で黒崎を睨んだ。
「あ、ねえおじさん、タバコちょうだい。…おじさんは変か、オカンなんて呼んでたっけなあ」
「ガキのくせに吸ってんのか。…いいけどこれはキツイぞ」
黒崎はそう言ってロングピースの箱を振ると、1本出した。
「あ、まこっちゃんだ。ははは、まこっちゃんはちょっとないから、まこっさんだな、まこっさん」
亜紀はそう言うとタバコを抜き出した。そしてパッケージを見る。
「ロングピース?知らないな」
と言うと、黒崎のライターで火を点けた。途端にゲホゲホとむせる。
「なにこれ?こんな強いタバコ吸ったことないや」
黒崎は様子を見て唇をゆがめる。
「彼氏がいねえなら友達がいるだろ。携帯あるんだし連絡すればいい」
そう言うと、亜紀の表情が曇った。
「みんな縁切ったんだ。…あんなヤツら」
亜紀は目を伏せ、なにかを考える顔になる。黒崎は、ふうん、と言うと冷蔵庫からビールを持ってきて、カシュッとプルトップを開ける。亜紀は目を上げて様子を見た。
「あ、まこっさんだけずるーい!あたしのは?」
「なんだお前、酒まで飲むんか。ませたガキだ」
ケラケラと笑う亜紀を横目にビールを持ってくると、そら、と渡した。亜紀はプルトップを開けながら、
「せっかくだから乾杯しよお!」
と、陽気に缶を掲げる。黒崎はそこに缶を触れさせた。(こういう無邪気なとこは、やっぱガキだな)と思う。棚から乾物のつまみを出すと、亜紀は喜んで手を出した。
「ところでお前、なんで学校やめたんだ。紀美江にも相談しねえで」
黒崎が聞くと亜紀は目をそらした。
「別に…、なんにも面白いことがないからだよ」
その表情から、学校でなんらかのトラブルがあったと察した。
…昨年の11月のある日、亜紀の机の引き出しに同級生のSからの手紙が入っていた。Sは割とイケメンな方で親は金持ちだった。だから女生徒からは人気がある。
『亜紀に相談したいことがあるから、放課後テニス部の部室に来てほしい』と書いてあった。
亜紀はSに対して恋愛感情などなかったが、『相談』という言葉が気になった。なにか悩みがあるのなら、少しは力になれるかもと、要望通りに向かった。
しかし待っていたのはSだけでなく、TとMもいた。そして亜紀が部屋に入ると内部から鍵をかけた。
「なにこれ?話が違うじゃん!」
そう言った亜紀の両手を、ふたりの男が拘束した。Sは粘着テープを取り出すと、亜紀の口を塞ぐ。
「お前、もうバージンじゃないだろ?…ちょっとぐらいいいじゃん」
男たちは亜紀の服を剥がしにかかる、亜紀は必死で抵抗するが、男3人に力でかなうはずもなく、あっという間に素っ裸にされた。
…1時間後、裸のまま放心状態の亜紀はくしゃくしゃになった制服と一緒に、横たわっていた。スマホで裸体を撮られているようだが、そんなことも気にならなかった。
「誰にも言うなよ、言ったらお前が恥をかくだけだ」
Sは残酷な笑みを浮かべると、亜紀のそばに1万円札を5枚放り、他の男たちと一緒に出て行った。
亜紀は涙が止まらなかった。3人とも避妊具を着けていたから妊娠のおそれは低いが、自分が強姦されたあげく風俗嬢のように扱われたことが悔しかった。5枚の札はその場で引き裂いた。
亜紀は翌日から1週間、学校を休んだ。母親は心配したが理由は言わなかった。この母親のことだから、真実を知ったら怒り狂って事が大きくなるだけだからだ。
…だがその間にSたちの行為がその親たちにバレた。一部始終を校庭から見ていた生徒がいたようだ。そしてその親たちから、亜紀に謝罪したいとスマホに連絡が来た。
亜紀は母親に知られたくないので断ったが、自宅に謝りに来ると執拗に言われたので、仕方なく近所のファミレスで落ち合うことにした。
そこで会った親たちはみんな金持ちの連中だった、亜紀のように母子ふたりで狭いアパートに住んでいるような人間とは無縁のセレブだった。
テーブルに厚い封筒を並べると、バカ息子たちと一緒に謝罪の言葉を口にした。だがその本心は要するに『口止め』だった。図体ばかり大きくて、自分で自分の尻も拭けない甘ったれのガキを、今後も甘やかすための金だった。
亜紀は封筒を突っ返すが、ひとりの父親が亜紀のバッグに無理やりねじ込んできた。…徹底的に嫌気がさした。
…それから数日後、亜紀は久しぶりに登校した。が、今まで仲の良かった女友達はみんなよそよそしかった。振り向くとみんなが亜紀を白い眼で見ていた。
昼休み後、亜紀は引き出しに紙切れが入っていることに気づく。そこには、『風俗嬢は学校やめろ』と書いてあった。
途端に亜紀の目に涙があふれる、しかしそれだけでは済まなかった。もう午後の授業中だったが、亜紀は立ち上がると、
「このクソども!これを書いたのは誰だ!出てこい!」
と叫ぶ。そして周りにいる生徒をかたっぱしから殴りつけていく。その勢いは凄まじく体格のいい男子も逃げ惑った。何人かが亜紀を押さえようとするが、怒り狂った亜紀を止めることはできなかった。
職員室から数名の教師が乗り込んで、やっと亜紀を止めた。
「もうこんな学校には用はねえ!やめだ、やめ!」
亜紀はそう言い残すと学校を出て行った。




