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ふきだまり  作者: 村松康弘
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十戒 1

 「いたたた…、ちょっとオカン、痛いって!」

 小雪が舞う宵の口の市街地、亜紀は母親に腕をつかまれて引っぱられている。

 母親の車で市街地に出てきたので、てっきり買い物や外食ができると思って喜んでついてきたが、車を降りた途端に母親の顔が険しくなり、無言で腕をつかむと歩きだしたのだ。

 母親の紀美江は小柄だが、力と気は強く声と態度は大きい。母ひとり子ひとりで暮らしてきたせいか。

 紀美江は42歳、亜紀は16歳だ。

 「ちょっとお、どこへ連れてくのよ!」

 亜紀はすれ違う人波をよけながら引きずられていく。

 紀美江は中央通りから駅方面に向かう角を曲がると、とあるビルの前で立ち止まった。亜紀は建物を見上げる、なんの変哲もない3階建てのビルだ。入口にテナントの表示があった。『1F 信陽ファイナンス、2F カワセミノルフーズ…』そこまで読んでる途中で、紀美江はガラスの扉を引くとあらためて亜紀を引っぱっていく。急で薄暗い階段だった。

 「ここはなんなのよ!」

 亜紀の声が階段ホールに響く。

 「いいから来るのよ‼」

 紀美江の声は亜紀以上に大きく、間近にある2階の会社のドアが開くと、不審げな顔をした男が様子を窺ってきた。眼鏡の奥のギョロリとした目がふたりを見ている。

 「…あ、どうもすみません。お騒がせしました」

 紀美江は作り笑顔で頭を下げる。2階から上は極端に暗くて足元もよく見えなかった。3階に着くと紀美江は黒いドアをノックした。

 『タタンタンタタン、タタンタンタタン』

 なにかの合図のような妙なリズムだ。返事を待たずにドアを開けるとガラガラと変な音がして、中が見えた。薄暗い照明の奥にカウンターがある。タバコと酒の匂いがした。

 「飲み屋…?」

 亜紀がひとり言のように呟くと、紀美江はまた腕をつかんできた。

 「さ、入るわよ」

 と言いながら亜紀をフロアーに引き込んだ。


 変調子のノックが聞こえたので、黒崎は紀美江が来たとわかった。ドアが開き小柄な体が入ってきたが、いつものような笑顔ではなく不機嫌そうだ。そして後ろに若い女を連れていた。

 「まこっちゃん、あけましておめでとう」

 と言ったが、ちっともおめでたい顔をしていない。

 「ああ、おめでとう」

 黒崎が返した。後ろの小娘は不機嫌そうな顔で店内を見回している。そのままカウンターの前まで来ると、

 「この子、あたしの娘で亜紀というんだけど」

 そう言って亜紀の方を向くと、挨拶をうながす顔をした。亜紀はしぶしぶといった表情で軽く頭を下げる。

 「実はまこっちゃんにお願いがあるんだけど、…しばらくこの子をあずかってほしいの」

 黒崎と亜紀は同時に驚愕の声を上げた。

 「ちょっと!オカン、どういうこと!」

 亜紀は紀美江の手を振り払った。紀美江は亜紀に答えずに言う。

 「このバカ娘、年末に勝手に高校を退学してきて、これからどうするのって聞いたら、なんにもしないでのんびり家にいるなんて言ったから頭来ちゃって。…だから、まこっちゃんにあずかってもらってこの子を教育してもらおうと思ったの、お願い!」

 黒崎は呆気に取られてなにも言えなかった。

 「ちょっとお!それなんなのよ!聞いてないよ、そんなこと」

 亜紀は大声でわめいた。

 「うるさい!あんたはそんなこと言う資格ないの!ここでしばらく反省してなさい!」

 それからふたりは同時にお互いを罵りあっているので、黒崎はなにを言っているのか聞き取れない。やたらやかましくてウンザリしてきた。…しばらく言い争ってようやく落ち着いた。

 「紀美江、ここは少年院でも刑務所でもねえんだぜ。なんで俺が娘を教育しなくちゃならねえんだよ。そもそも俺が教育なんてできるわけねえだろ。…それに娘には娘の人権ってもんがある、なあ」

 後半は亜紀の方を向いて言った。

 「そうよ!なんであたしがこんなおじさんと暮らさなきゃなんないのよ!」

 黒崎はその言葉を聞いて少しへこんだが、

 「娘の言う通りだ」

 と、応援した。

 「まこっちゃんにはたまにご馳走してやってるでしょ!少しは恩を返しなさいよ!…亜紀、家に帰ってきても絶対に入れないからね!」

 紀美江は鬼の形相でそう言うと、つかつかと入り口に行き、バタンとドアを閉めて出て行った。

 黒崎と亜紀は立ちすくんだまま、紀美江を見送った。

 

 


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