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ふきだまり  作者: 村松康弘
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生きてるって言ってみろ 2

 『ビッショリ汚れた手拭いを 腰にゆわえてトボトボと 死人でもあるまいによ


  自分の家の前で立ち止まり 覚悟を決めてドアを押す 地獄でもあるまいによ


  生きてるって言ってみろ 生きてるって言ってみろ 生きてるって言ってみろ』


 ロックやフォークが好きな父親がよく唄っていた曲を口ずさむが、誰の唄かは知らない。

 荻原はなにもかも嫌になっていた。生きていること、そしてこれからも生きて、ストレスを抱え続けていかなければならないこと。…本気で嫌気がさしてきた。

 ぼんやり歩いていて、いつもの角を曲がり忘れた荻原は、次の角を左に曲がった。

 コンビニの先にあるビルの前で立ち止まる。なんの変哲もない3階建てのビルを見上げると屋上が見え、その奥の方にペントハウスの一部が見えた。

 何気なくテナント表示を読んだ。1階の信陽フィナンシャルは営業が終了していた、2階のカワセミノルフーズは、煌々と明かりがついている。

 荻原は大きなため息を吐くと決心した。(妻や息子には悪いが、俺はもう生きているのが嫌になった。…屋上から飛んでこの世とおさらばしよう…)

 

 入口のガラス戸を開けると階段を登っていく、照明は点いているが弱かった。2階から上はもっと暗くて歩きづらい。3階につき屋上へ続く階段を探すが、黒いドア以外なにもなかった。

 周りが暗いのでドアの隙間から漏れる明かりが見える。荻原はなぜか吸い寄せられるようにドアの前に立つと、ノブを動かしてドアを引いた。

 ガラガラと妙な音とともに、タバコの煙の匂いが外に漏れだす。薄暗い照明の向こうにカウンターが見えた。どうやら飲み屋のようだった。

 カウンター内の男と目が合った、伸びた坊主頭に薄い色つきの眼鏡、無精ひげでタバコをくわえている男は、この店の店主のようだ。

 荻原は屋上から飛ぶことをしばし忘れ、

 「こんばんは…」

 と言って、中に入る。

 「いらっしゃい」

 店主は呟くように言ったが、あまり歓迎している態度には見えなかった。

 荻原はカウンターの左端のスツールに腰を下ろした。が、財布の中身を思い出した。日頃こういうタイプの店に行かないので、飲み代の相場も知らない。当たり前だが、定食屋のように壁にメニューと値段を書いてあるはずもない。

 「…あの、すみません。間違えて入ってしまいました」

 荻原は降ろしかけた肩提げバッグを背負いなおすと、立ち上がった。

 「金、ねえんだろ」

 その言葉で荻原は動きを止めた。店主は様子を眺めながら言うと、唇をゆがめて笑った。…図星を突かれた荻原は黙った。また惨めな気持ちがぶり返してくる。踵を返して歩きだそうとした時、

 「いいよ。俺もヒマだからつきあえよ」

 と、店主は接客業とは到底思えぬ口をきいたが、荻原はなぜか不快ではなかった、むしろ親しみに似たものを感じてとどまった。

 スツールに座りなおすと、店主は酒棚からI.Wハーパーというボトルを出し、グラスと一緒に置いた。

 「うちはセルフでやってもらっててな、氷と水はどうする?」

 荻原は酒が強い方ではないが、今は酔いたい気分だった。…本当なら今頃は気分もなにもない。この空に消えちまっているはずだった。

 「ストレートでいいです」

 と答え、ボトルの栓を回した。カリッとした手ごたえがある、新しいボトルだった。店主と目が合うと、いいよと目で合図をしてきた。

 グラスに半分ほど注ぐと口をつけた。…バーボンの独特な香りと味が、日頃の屈辱をかき消し、喉と食道が灼けた。一気に半分飲み込んで、熱い息を吐いた。

 店主は目の前に小鉢を置き、袋から殻付きのピスタチオをバラバラ撒くと、カウンターの端に行った。

 荻原は少し不安になった。(…いいよと言ったからその言葉を信用して飲みはじめたが、あとになってから何食わぬ顔で、高額な飲み代を請求されるかも知れない。…そもそも見知らぬ人間に、ただ酒を提供する店があるだろうか。いいよ、の言葉は『ただでいいよ』の意味ではないかも知れない。…見たところ、あまり柄の良さそうなタイプではないし…)

 横目で見ると、店主はカウンターの上でジグソーパズルをやっているようだった。

 (そういえば俺は、なんで不安な気持ちになったんだろう。…死んじまえば高額な飲み代もクソもない。…死んでしまえば、俺になにかを要求することなんてできやしない。どこの誰だって)

 荻原は開き直るように、立て続けに強い酒を呷った。2杯飲み終わると顔が熱くなり、心臓の鼓動が速くなっているのがわかる。

 

 

  

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