第二話 ドープでクールなお尋ね者
「やっぱなってるか、お尋ね者。」
街中のベンチに背をもたれて新聞を開きながら、ハトルがぼそりと呟いた。第一面に、彼女とリーゼ王女の顔写真が鎮座している。
「目撃情報だけでも1000万エピ、確保したら1億エピ……相当なお値段ですね。」
隣に座ったリーゼが、ハトルの新聞を覗き込みながらそう言った。
「お前の身分のせいだけどな。」
「すいません……」
「いや、なんで謝るんだよ。誘拐したのはあたしだろ。」
「あっ、それもそうでしたね。」
大丈夫か、という呆れ顔を、ハトルはフード越しに作った。
「つーか、この懸賞金額は異常だ。王女の誘拐という大事件以外にも何かある。そうだろ?」
ハトルは王女をじっと見つめた。王女の表情はフードに隠され、その詳細を窺い知ることは出来ない。しかしもじもじと動く足、その上で握りしめられた両手から、彼女が何かを巡瞬していることは理解出来た。
「……協力者として、あなたにも伝えておくべきですね。」
「協力者……ね。まぁ、間違ってはねーわな。」
リーゼの方へ、ハトルが体を向けた。
「お兄様方が私を追う理由。それは、私の持つ『お宝の地図』にあります。」
「なんだそれ、随分お気楽な名前だな。」
軽口を叩きながらも、ハトルの口調は真剣なままだった。
「『お宝の地図』。アルテミシア王家に代々伝わる家宝です。それが示す先には、世界の全てを思いのままにする宝が眠っている、とされています。」
「なんとも大きく出たな。そんなもん、マジで存在するのか?」
「少なくとも、お兄様方はそれを信じています。」
リーゼは懐から何かを取り出し、ハトルに渡す。それは1枚の紙だった。驚くことに、そこには何も書かれていなかった。地名はおろか、等高線も水涯線もない。ここはどこなのか、何を示しているのか、何も分からない。しかしただ1つだけ、確かな情報があった。
「ゴルドスケイル王国……!」
ハトルの声がうわずる。紙の左下には、彼女自身が赴いた戦地の名前があった。
「ゴルドスケイル王国との先の戦争。アルテミシア王家はその理由を、向こうが領土侵犯を行なったため、と主張してきました。」
「しかし実際は違った。そういうことか。」
「向こうは宝の地図を。こちらは宝が眠る土地を。それぞれの王家が違う目的で、同じ野望のために戦争をしたのです。」
ハトルはしばらく押し黙り、やがて口を開いた。
「……これだけじゃ何が何だか分かんねーだろ。」
「宝の地図は、これで全てではありません。他の国にいくつも散らばっていて、全て集めることで意味を為すとされています。」
「でもお前のお兄様方とやらは、馬鹿正直にそうしようとしていない。そうだろ?」
リーゼは静かに頷いた。
「戦争後、ゴルドスケイル王国は民主化されました。聞こえは良いですが、実際は自分の国から送った人間をトップに据えた政権です。」
「お宝がある場所さえ分かれば、後はローラー作戦で何とかなるってことか。」
「はい。現在もゴルドスケイル王国の国民達が、宝を探すための強制労働に従事させられているそうです。」
リーゼは唾を飲み、話を続ける。
「お兄様が……アルテミシア王家が宝を手にしようものなら。そしてその宝が、本当に世界を思いのままに出来るのであれば。宝のために戦争を起こす人間です。世界は滅茶苦茶になるでしょう。」
しばらくの間、沈黙が続いた。やがてハトルが口を開く。
「改めて協力するぜ、リーゼ・アルテミシア王女陛下。」
「ありがとうございます。」
「ハトルさん、どちらに行かれるのですか?」
大股でずしずしと歩くハトル。その後を必死に追うリーゼが声を掛ける。
「その名前は呼ぶな。気付かれる。」
「あっ、すいません。」
ハトルは結局質問に答えず、再び歩き始めた。リーゼは聞いても無駄、と判断したのか、黙って彼女の後を着いていく。
しばらく歩くうちに、空気が変わってきた。周囲の人々が目的を持ってきびきびと動く人間から、目的もなく、ただ緩やかに時を過ごす人間へと変化していた。何が起こったのか、とリーゼは周囲を見回す。彼女の前。ハトルが向かう方向の少し先に、大きなサーカス用のテントが鎮座していた。
「これって……」
「サーカスだよ。この街じゃ結構有名らしい。」
ハトルはそう言うと、大きくクシャミをした。
「えっと……何をされるのですか?」
「いや、分かるだろ。サーカス鑑賞だよ。」
リーゼの目が点になった。
「……冗談ですよね?」
「本気だ。」
「私達はお兄様の野望を阻止しなくてはいけないのですよ!こんな所で油を売っている場合では……!」
一瞬のうちに距離を詰めたハトルが、リーゼの腹部に銃口を突きつける。
「選択権はあたしにある。違うか?」
「……分かりました。」
ハトルはそれを聞き、再びテントへと向かった。
昼間だというのに、テントの中は驚くほど暗かった。周囲の人々は努めて静かにしようとしていたが、抑えきれない高揚感から、さざめくような音があちこちから上がっている。視覚が封じられた今となっては、その音はより鮮明に聞こえた。
「サーカス、見るの初めてか?」
座るリーゼに、ハトルが声を掛ける。
「ええ。お恥ずかしながら。」
「気にすんな。あたしもだ。」
突然、人々のざわめきが消えた。テント中央の舞台に、スポットライトが照らされたのだ。
「アナリマフサーカス団へようこそ!」
良く通る、高い声だった。ステージの中央に立ったピエロが、周囲の聴衆相手に挨拶をする。
「講演が始まるまで時間があります。それまでお菓子を楽しんでね!」
ピエロが指を鳴らすと、空中にスポットライトが移動する。そこに、空中ブランコにぶら下がった男性が現れた。彼は左脇に、手編みの籠を抱えている。
2度、3度。男性が体を揺らすと、ブランコが大きく揺れ始めた。男性は器用にバランスを取りつつ、観客席に籠の中のお菓子を撒いていく。キャンディーにキャラメル。きらびやかな包装紙に包まれた菓子類が、あられのように降り注いだ。
男性がお菓子を全て配り終わると、スポットライトが消えた。再び場内が、暗闇に包まれる。
「貰えませんでしたね、おかし。」
リーゼは少し悲しそうに呟いた。どうやら男性は、全ての席に配れなかったらしい。
「どーせ安もんだから良いだろ。」
ハトルはそう言って、またしてもクシャミをした。
「風邪ですか?」
「まぁな、そんなとこだ。」
ハトルが鼻をすすると、再びライトが点る。そして、きらびやかなショウが始まった。
マジシャンがシルクハットからハトを出し、調教師の従えたライオンが火の輪をくぐる。ジャグラーの投げたナイフは華麗に宙を舞い、遥か先にあるリンゴを貫く。非日常が日常の中に舞い降りたような光景に、観客は歓声を上げ、魅了されていく。
「楽しいか?」
ハトルがリーゼに尋ねる。
「……はい。」
リーゼは何かに遠慮しているかのように、控えめな返事をした。
「あんまり嬉しく無さそうだな。」
「私には使命があるのに、こんなことをしていて良いのかと。」
「良いんだよ。今は。パーッと楽しもうぜ。」
ハトルはその台詞を、台本を音読するかのように述べた。
「お待たせいたしました!本日最後のショウとなります!」
MCのアナウンスに、会場のボルテージは最大になる。そしてステージの中央へ、大トリを勤める演者が歩いて行く。
「あれは……。」
最初にお菓子のアナウンスをしたピエロが、観客の歓声を浴びて立っていた。
期待に満ちた観客の視線を一身に集め、ピエロは両手を広げる。するとその掌に、変化が起こった。
「シャボン玉だ……」
大小のシャボン玉が、ピエロの掌に出現した。まるで水を沸騰させた鍋の底のように、次々とシャボン玉が生まれ、宙へと登り、弾けて消えていく。
「はぁいっ!」
ピエロがその場で1回転すると、シャボン玉がテントのあちこちへと飛んでいった。その光景はとても幻想的で、会場中が興奮と歓喜に包まれる。
「綺麗……」
「すげーな。」
乗り気ではなかった2人も、素直に感嘆の声を上げた。
「はあっ!」
ピエロは両手を上げた。するとそこに、巨大な1つのシャボン玉が出現する。
「まだまだ行きますよ!」
ピエロのかけ声と共に、シャボン玉は更に、更に大きく膨らんでいく。次に何が起こるのか、どうやって自分たちを楽しませてくれるのか。観客達は期待した。が、その時だった。
「おい!おれの金を返せ!」
ステージに、一人の男がいた。いや、先ほどのシャボン玉に観客達が夢中になっている隙に忍び込んでいたのだ。
「お前だよ。お前が街でも、家でも、どこでも俺を見てくるせいでよう、1秒も、1秒たりと落ち着くときがねえんだ。」
節が目立ち、曲がった人差し指で、男はピエロを指さした。貧相な身なりに虚な目。何日も風呂に入っていないせいか、髪の毛は脂で光っている。
「お前が吐き出す虫。ゴキブリにムカデに蛆虫。アレだよアレが俺の体に這いずり回るんだ。そのせいでかゆいんだ。掻いても掻いても、痒くなるばっかりだ。許さねえ。ぶっ殺す。」
男はナイフを取り出し、一歩踏み込んだ。ピエロが目をつむったその時、銃声が轟いた。
「あ……が……」
男はうめき声を上げ、倒れた。
「ハトルさん!」
リーゼは静かに声を上げた。ハトルの右腕に付いた銃口から、煙が上がっていた。
「安心しろ。ゴムの銃弾だ。死にはしない。」
ハトルはそう言って、銃口を義手に収納する。
「結局中止になっちゃいましたね。」
「まぁ、しょうがねえな。」
二人はテントのすぐ近くにあるベンチに腰掛けていた。サーカスに便乗したのか、周囲の出店はとても賑わっている。
「あの、戻られないんですか?」
「何がだ?」
「いや、その……今晩の宿も決めないとですし。」
「まーな。」
ハトルの言葉は覇気が無く、表面上は同意こそしていたが、心はこれっぽっちも動いていないようだった。リーゼは口元を歪める。本当に大丈夫なのか、と心配しているように見えた。
「あっ!こちらにいらっしゃいましたか!」
突然、二人に声がかけられた。ハトルとリーゼは1秒遅れて反応し、声の主を探す。
「さっきは本当にありがとうございます……!いやホント、どうなることかと!」
声の主は、ぺこぺこと頭を下げる一人の少女だった。年齢は十代の後半くらいだろうか。スリムな体とすらっと伸びた手足が印象的だった。
「えっと……どなたでしょうか……?」
リーゼが怪訝そうに質問する。
「あっ!すいません!そうでしたね……私は」
「さっきのピエロだろ。」
少女が説明しようとするのを、ハトルが遮った。二人は一斉に、彼女の方を向く。
「そうですそうです!……その、どうして分かったんですか……?」
「声が同じだろ。」
「……!言われてみれば……!」
白塗りのメイクに赤い鼻。そしてボディラインを隠すだぼだぼのピエロ服。外見では二人を結びつけるのは困難だったが、良く通る高い声は、寸分違わず同じだった。
「ご挨拶が遅れました。私、ポポロと申します。アナリマフサーカス団にて、演者をやらせていただいております。」
ポポロの自己紹介は流暢だった。流石はエンターテイナー、と言った所か。
「先ほどは本当にありがとうございました。その件につきまして、団長がお礼をしたいと言っております。」
「お礼?」
「ええ。今晩の食事を皆様に、と。」
リーゼの顔に、迷いが浮かんだ。今の彼女たちはお尋ね者だ。もし身分がバレれば、只では済むまい。
「申し訳ありません。お気持ちはうれしいのですが……」
「そうか。じゃあありがたく受け取らせてもらうか。」
ハトルが立ち上がり、ポポロの誘いを受ける。
「ちょっとハトルさん……!」
「大丈夫だ。安心しろ。」
心配するリーゼを、ハトルが片手で制した。リーゼは不服で、不安そうだったが、渋々矛を収めた。
「では偉大なる客人を祝して、乾杯!」
「乾杯!」
ショウで猛獣を操っていた男性の音頭によって、一斉にグラスが宙でぶつかった。一口、二口と中身を飲んだ後、参加者が一斉に卓上の料理に手を付ける。宴が始まった。
「いやぁ本当に!ウチの団員がお世話になりました!団長として、お礼を申し上げます!」
「いえいえ、これくらいのことは。」
「それにしても、どうしてフードを被っているのですかな?脱いでいただいても構いませんが……」
「いやぁ、私も相方も肌が弱いもので……こうしていないとかぶれてしまうのですよ。」
普段からは想像できないような穏便な態度で、ハトルは猛獣使いの男性と談笑していた。一方のリーゼはうつむいて大人しくしている。いつ気付かれるか、気が気ではないようだった。
「いやあ、本当にありがとうございます!あの時はどうなることかと!」
ポポロは会った時と変わらず、ぺこぺことお辞儀をしていた。食べ物にも手を付けていないようだ。
「いやぁポポロ、アンタも良かったよ。」
「そーだぜ。初めての大トリ、中々だったじゃねぇか。」
ポポロの近くに、二人の男女が近づいて来た。一人はナイフ投げを披露していた女性で、もう一人はブランコからお菓子を配っていた男性だった。
「でも……結局中止になっちゃいましたし……」
「気にする事ぁないさ!アイツが全部悪いんだ!」
ブランコ乗りの男性からフォローされても、ポポロは元気になる様子は無い。
「何か、気になることでも?」
今まで押し黙っていたリーゼが、ポポロに尋ねる。
「いやぁ……あの人、常連さんだったんですよ。」
「ほう?」
ハトルがポポロに顔を近づける。話の続きをせがんでいるようだった。
「少し前までは普通のお客さんだったんです。でも最近になって、公演中に暴れ出したりして……どうしちゃったんでしょうか……」
「なーに、人生色々あるのさ。」
「そうよ。アンタが考える事じゃないさ。」
「……そうですね。」
先輩団員から諭され、ポポロは疑問をビールで流し込んだ。
「あっそうだ。お二人の寝床はこちらで用意します。……私と相部屋になってしまいますが、よろしいでしょうか?」
「いいぜ。」
「……はい。ありがとうございます。」
泊まる場所を選べない二人にとって、ポポロの提案は渡りに船だった。
街の中心から、少し離れた郊外。サーカス団員達は、そこの空き地にそれぞれのテントを張って寝る。
「私は明日の公演の準備がありますので、お二人はお先に休んでいてください。」
ポポロはそう言うと、外へ出て行った。
「あたしは寝てる。お前も早く寝ろよ。」
「分かりました。」
ハトルがランタンを消すと、テント越しの月光がよく分かるようになった。5分、10分。リーゼは深呼吸をし、寝袋の中でもぞもぞと動いてみるが、一向に意識が闇へと沈んでいかない。不安と緊張が、彼女の意識を覚醒の方へと引き上げているのだ。
少し夜風を浴びよう。そう思ったのか、リーゼは音を立てないように、テントの外に出た。ひんやりしたと風が、彼女の頬を撫でる。もっと浴びたい。その誘惑に負け、思わずフードを脱いだ、その時だった。
「あっ」
「あっ」
もう全員寝ているから大丈夫だろう。そんな油断が、悲劇を生む。リーゼの目の前に、ポポロが立っていた。
「えっと……その……」
どうするべきか。どう取り繕うべきか。リーゼは脳をフル回転させて考える。ここでしくじれば、全てが水の泡だ。
「あの……肌、大丈夫なんですか?」
「へ?」
「いやさっき、なんかこう……肌が弱いって聞いたので。」
思考のネジを5回ほど回して、リーゼはようやく理解した。ポポロはどうやら、自分のことを知らないらしい、ということに。
「ああ、ええ。夜は大丈夫なんですよ。」
「ああ!そうなんですか!良かったです!それにしても……」
「なんでしょうか?」
「いやその、すっごく美人さんだなぁって。」
突如、リーゼの心臓が跳ね上がった。かわいい。美しい。彼女はそのように褒められたことなど、一度も無かったからだ。
「ええと、ポポロさんは何をされていたのですか?」
頭に登る血と暴れ出す心臓を抑えるように、リーゼは誤魔化しの質問をする。
「えーとですね。明日の練習です。」
「練習?」
ポポロは空中に手を掲げた。あの時と同じく、シャボン玉が出現する。
「綺麗……」
「ありがとうございます。毎日やっとかないと、鈍っちゃうんで。」
ポポロは連続してシャボン玉を生み出す。それらは月に吸い込まれるようにして天に上り、弾けて消える。ショウの時とはまた違う、幻想的な光景だった。
「私のスキル、生活にも戦いにも役に立たないんですけど。こうやってお客様を楽しませられるのが嬉しくって。」
「素晴らしい力だと思います。私のものに比べれば。」
「比べれば、と言うと?」
リーゼは少し逡巡した後、ポポロと同じように左手を掲げた。すると辺りに、空気の渦が発生する。
「おお……!」
ポポロが感嘆する。空気は渦巻き、リーゼの手の上の、ある1点へと吸い込まれていく。そして、そこに宝石が出現した。
宝石はタッパーの中でミョウバンの結晶が成長するかの如く、空気を吸い込んで大きくなっていく。そしてスーパーボール程の大きさになると成長を止め、リーゼの掌に落ちた。
「見ていてください。」
リーゼは宝石を、頭上に放り投げる。放物線の頂点に達し、月の光を受けてきらりと輝いた時。宝石は突然、消えた。
「わっ!?」
ポポロが驚きの声を上げた。彼女の頭上から、風が降ってきた。方向から察するに、宝石から放たれたのは自明だった。
「私のスキルは……空気を圧縮して宝石にすることです。宝石は私の任意のタイミングで、元の空気に戻すことが出来ます。破壊されたり、ある程度時間が経過しても同じです。……ほんとうに、それだけの能力です。」
リーゼは努めて笑顔を作っていたが、彼女が自分の能力に感じている負い目を、昏い感情を、隠すことは出来ていなかった。ポポロは何を言えば良いのか分からず、口ごもる。
「なるほど。妙だと思ってたんだ。」
「ひゃあっ!?」
背後から聞こえてきた声に、リーゼは素っ頓狂な声を上げる。ザリガニのように後ろに飛び退きながら振り返ると、ハトルが立っていた。
「あたしに銃で脅されても、全く抵抗しなかった。ヘンだなぁって思ってたけど、そんなに自分の能力を使うのがイヤだったんだな。」
「……いつから、見てらしたのですか?」
「『肌、大丈夫なんですか?』の部分から。」
「大分前じゃないですか!」
エンターテイナーの性か、ツッコミを入れてしまうポポロ。それに気付いて気まずそうに口を塞ぎ、うつむいた。
「お前、酒場じゃあんなこと言ってたじゃねぇか。能力の可能性とかなんとか。自分には当てはまんねーのか?」
「……私のブレスは、お兄様達と比べて貧弱なものです。戦闘面でも、普段の生活にも役に立ちません。」
「そうは言ってもなぁ。お前、その能力を本当に隅々まで検証したのか?」
「はい?」
困惑するリーゼにハトルはぐいと詰め寄る。
「まず始めに、1度に何個まで宝石を作れるのか。どれくらいの量の空気を圧縮できるのか。圧縮した宝石に、元の気体の性質は反映されるのか。答えによっては、能力の拡張性も決まるだろ。」
「……ハトルさんも、言ってることが違うじゃないですか。」
「お前に感化されただけだ。それより。」
ハトルは自分の背後を親指で指した。そこには、数十のランタンが光り輝いている。
「なん……ですか?」
「緊急事態だ。」
「団長……?どうして……?」
ポポロが声を絞り出した。周りに点るランタンの灯は、サーカス団員達によるものだった。
「ポポロ、そいつらから離れろ。」
「どうしてですか!?」
「そこにいらっしゃるのはリーゼ王女陛下。そして、その誘拐犯だ。」
その言葉を聞いて、ポポロは目を白黒させた。あまりにも急で、膨大な情報を流し込まれた脳が、まともな動きを出来ないでいるようだった。
「……王女様、ずいぶんゴツいんですね。」
「バカ!逆だ逆!新聞見なかったのか!」
「すいません!今度から4コママンガ以外もちゃんと読みます!」
団員の誰かが一歩、ハトルとリーゼの方へ足を踏み出した。それに合わせて、他の誰かもにじり寄る。潮が満ちるようにして、包囲網が狭まっていく。
「……大方、あたしらを捕まえて警邏の前に引きずり出そうって考えだろうが、そうは上手く行かねーぞ。」
ハトルがぼそりと呟いた。
「御託を並べるな、犯罪者め。」
「犯罪者はどっちだ。ヤクの売人がよ。」
包囲していた団員達の足が、一斉に止まった。
「えっ?ヤク?どういうことですか?」
どういうことですか、とポポロは周りの団員達に何度も問いかける。
「団長、ウソですよね。そんな訳ないですよね。」
ポポロの質問に、団長は反応しない。周りの団員も同じだ。顔を伏せ、目をそらし、誰もが説明責任から逃れている。
「……どういうことですか……?」
ポポロは質問する先を、ハトルに変えた。彼女だけには聞きたくないという抵抗が、言葉の節々から溢れ出ていた。
「クルー草という植物がある。」
ハトルは静かに、ゆっくりと語り出した。
「どんなに汚染された土地でも育つ生命力と、強力な幻覚・興奮作用と依存性を併せ持つ植物だ。しかしある欠点のせいで麻薬業界じゃメジャーになれなかった。」
「欠点?」
「ああ。中毒性を発揮するのに、複数回の摂取が必要な点だ。しかも日を置いて。その上、一度でも切らすとまた最初からやり直し。一発で『リピーター』になって貰わなきゃ商売にならない麻薬業界じゃ、劣等生で不良物件だ。」
「しかしだ。その欠点を補うことが出来たら。日を置いて複数回の摂取を、定期的に出来るのなら。」
「……まさか。」
リーゼは既に、気付いたようだった。
「ああ。サーカスの公演で、バレないように菓子に混入させれば、だれでも中毒者だ。」
ポポロは胸に手をやり、何度も瞬きをしていた。何度もやれば、この悪夢のような事実が消えているのではないかと思い、それに賭けているようだった。
「どうやって、そのことに気付かれたのですか?」
「ネストルで、この街にクルー草が大量に流入していることを知っていた。そんで、あたしは気化したクルー草の成分を嗅ぐとクシャミが出る。だから鼻を頼りに、ここを探した。」
ハトルは罪を咎めるかのようにして、周囲の団員達をじろりと睨んだ。
「決め手になったのは、ポポロを襲ったあのおっさんだ。幻覚に興奮。間違いない。クルー草をキメていたんだ。」
ハトルが説明を終えてから、しばらく時間が流れた。誰もが口を開くことをためらっていた。
「団長、ウソですよね。」
ポポロが口を開いた。先ほどと同じ台詞だったが、疑問のイントネーションが消えていた。
「団長、言ってたじゃないですか。お客さんに自分たちのショウを見てもらうのが楽しいんだって。夢を見てもらうことが俺の生きがいなんだって。やらないですよね、そんなこと。ウソですよね。」
ポポロは問いかけてはいなかった。今ハトルが言ったことが嘘であることを祈るかのように、念仏を唱えていた。
「……夢は見せるには、金が必要だ。」
団長の言葉は、驚くほど事務的で冷徹だった。
「白鳥は優雅に水面を滑るが、その下では必死に足をバタつかせている。俺達の仕事も同じさ。うわべは華やかでも、それを剥げば醜いもんだ。」
団長はハトルとリーゼを指さした。
「そいつら二人を警邏に突き出せば、しばらく生活には困らねぇ。ポポロ、お前が捕まえろ。」
「らしいぜ。どうする?」
ハトルはポポロの方に顔を向けた。
「ここであたしらを捕まえて、このままサーカス団を続けるか。それとも、」
ハトルはリーゼを二の腕を掴んだ。
「こいつと逃げて、犯罪者になるか。」
ポポロは目を閉じた。顔のパーツを思い切り中央に寄せ、苦悶していた。良心と恩、正義と恐怖の天秤が、心の中で悲鳴を上げているようだった。こみ上げる胃酸を抑えるように、彼女は何度も唾を呑んだ。
「皆さん。」
ポポロは口を開いた。
「長い間、本当にお世話になりました。」
「ありがとよ。『白鯨』」
ハトルの足下から煙が巻き起こる。戦いの火ぶたが、切って落とされた。
「とにかくそいつを連れて逃げろ。あたしも何とか数を減らすが、全員は無理だ。」
白煙の中聞こえてきたハトルの指示は単純だったが、こなすのは至難の業だった。包囲網を突っ切ったポポロはひたすら、森の中を走った。
「大丈夫ですか!?」
「ええ!」
ポポロが安否を確認し、後ろからリーゼの声が返ってくる。そんなことが幾度となく繰り返された。追っ手の気配はない。だからと言って、足を止める理由にはならない。とにかく逃げることが、彼女達の仕事だった。
しばらく走るうちに、周囲の状況が変わってきた。走るのを邪魔していた下生えが消え、油断すれば転がり落ちるような傾斜も、緩やかなものになった。油断したのか、二人の走るペースが少し弱まった。その時。ある声が聞こえてきた。
「ひいっ!?」
「これは……!」
二人はそれを聞いて、足を止めた。ポポロは怖じ気づき、リーゼは警戒する。それは低く唸る、動物の声だった。声からさえも伝わるそれの体重は、明らかに人間のものではない。ぐつぐつと沸騰するようなどう猛さは、草食動物から出せるモノではない。二人の脳裏に、その正体が写し出された。
「団長……!」
茂みの中から、たてがみをたくわえたライオンに騎乗した団長が姿を現わす。
「ここに居たか。恩知らず。」
冷酷に語る彼に、宴の頃の面影はない。小太りの彼が、本来騎乗用ではない動物に乗っているのは、シュールでファンシーな光景のはずだった。しかし今、それらが一切感じられない。
「もう一度言う。王女を渡せ。」
「い、嫌……です。」
「そうか。やれ。」
団長の指示に反応して、ポポロを引き裂かんとライオンが跳ねた。
「うわあああ!シャ!シャボン玉!」
ポポロは腰が引けつつも、構えた手から大きなシャボン玉を出現させる。それがクッションとなり、ライオンの跳躍を受け止めた。間一髪、彼女達は助かった。
「これ、結構耐久力あるんですよ。」
ポポロが痙攣する苦笑いを浮かべた。
「知ってるぞ。弱点もな。」
団長が指を鳴らすと、ライオンはシャボン玉に爪を立てた。すると、シャボン玉はたちまち消えてしまった。消えた、というより、視認できないスピードで弾けてしまった。
「尖ったものには、とても弱い。」
「……はい。」
ライオンが、再び構えた。先ほどの初見殺しは、もう通用しない。
「リーゼさん!ごめんなさい!私はここまでです!逃げてぇっ!」
ポポロは叫ぶ。彼女は逃げようとしていなかった。自分が犠牲になることで、時間稼ぎを試みていた。
「お断りします。」
「へ?」
ライオンの鼻先で、何かが炸裂した。
「……自分の能力が使えないとか、そんなこと言ってる場合じゃないですよね。」
突然の異変に驚いたライオンは、しきりに鼻を前脚で擦っている。
「私も闘います。」
リーゼは前のめりになった。そして未だ混乱しているライオンの方へと走り出す。
「ちょっと!何してるんですか!」
「おいバカ!何をしている!」
ポポロと団長。二人がそれぞれの理由で、彼女を止めようとした。しかし、遅すぎた。彼女はライオンの、目と鼻の先にいた。
「あなたに罪はない。これは私の我が儘です。」
リーゼは目を閉じて、ライオンの耳を塞ぐように手を当てた。空気が集結し、宝石が出来る。
「本当に、ごめんなさい。」
宝石とライオンの鼓膜が、同時に弾けた。彼はこの世のものとは思えないようなうなり声と雄叫びを上げる。そして跳ね、転がり、回転しながら、夜の森へと消えていった。
「お、おい!レオ!逃げるな!帰ってこい!」
一人残された団長は、闇夜に向かって必死に叫び続けた。しかし、返事はなかった。
「今のうちに!」
「はい!」
今がチャンスだ。リーゼはポポロの二の腕を掴み、逃げ出した。
「ここまで逃げれば大丈夫でしょう。」
「そうですね。」
太陽が東の地平線を焼き、空がオレンジに染まる頃。リーゼとポポロは、地面に腰を下ろした。
「ハトルさん、大丈夫でしょうか。」
リーゼがぽつりと呟く。今までは自分たちのことで手一杯なせいで気付いていなかったが、彼女も大変な状況だ。無事逃げおおせたのか、彼女は不安で仕方なかった。
「よぉ。よく頑張ったな。」
「ハトルさん!」
茂みをかき分けて現れたハトルに、リーゼが歓喜の声を上げた。彼女の服は泥だらけだったものの、ケガはない。そして荷物がはち切れんほどに入った大きなカバンを背負っている。
「それ、どこから保ってきたんですか?」
「決ってるだろ。サーカス団からだ。」
ハトルは殆ど落下するようにして、地面に座り込む。
「あいつらが悪いことしてるなら、それをタネに脅して馬とか金とか貰っとこうかと思ってたんだ。」
「思考が犯罪者じゃないですか……」
ポポロは完全に引いていた。
「いくらこっちがお尋ね者と知ってても、あっちにも後ろめたいことがあるんじゃ通報しにくいだろうしな。結局恐喝のはずが火事場泥棒になっちまったし、団員には何人か逃げられちまったし。アシにするはずの馬はゲットできねーし。最悪だよ。」
ハトルは大あくびをした。一晩中戦い続けていた彼女の疲労が、よく分かった。
「何故、私に伝えてくれなかったのですか?」
リーゼの言葉に、ハトルは首を彼女の方へ向けた。
「何故……ってそりゃ、恐喝行為に王女様を加担させる訳にはいかんだろ。」
「お気遣いしていただき、ありがとうございます。でも。」
リーゼは背筋を伸ばした。
「私は覚悟しなくてはいけません。お兄様の野望を止めるためには、きれい事ばかり言っていられないのだと。私は当事者です。自分の手を汚し、闘わなくてはいけないのです。」
リーゼはハトルの前で膝をつき、頭を垂れた。
「今の貴女の前では、私は王女ではありません。一人の人間として、好きに使っていただいて構いません。その上で、改めて協力を依頼します。ハトルさん。」
「了解だ。今後ともよろしく。」
顔を上げ、リーゼはほほえんだ。柔和なものだったが、その中には確かな芯が宿っていた。
「お二人とも、上手く行ったみたいですね。では、私はこれで。」
「何言ってんだお前。」
「へ?」
立上がろうとしたポポロを、ハトルが呼び止めた。
「お前、何するつもりだ?」
「何するも何も、団長達のやったことを報告しないと……」
「ああ、それなら心配ねーよ。警邏が来て色々やってくれるだろうしな。それより。」
ハトルは懐から、新聞を取り出した。そしてそれをポポロに見せる。
「お前もお尋ね者だぞ。」
「えっ……えっ……?ええええ~~~~~っ!?」
一面にはハトルとリーゼに加えて、ポポロの顔写真が大アップで写っていた。
「ど、ど、どうしてですか……?」
「さっき言ったろ。何人か逃がしちまったって。そいつらが警邏にチクったんだろうな。お前がリーゼを連れ去ったって。」
「じゃ、じゃあ私はどうすれば……?」
「あたしらと一緒に逃げる。それ以外無いな。」
「そんなぁーーー!!!」
ポポロの叫び声と共に、太陽がひょっこり顔を出した。