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下手くそな鼻歌


 私、百合ゆりかもめ学校の新聞部の記者をしている地味で陰キャな女子高生。

 普段はこんな時間に登校しないけど、たまたま寝坊をしたら……、凄いものを目撃してしまった。


 同じクラスの竹芝君。

 彼は色々あってイジメられている。一部の人間は彼が殴られ屋をやっている事を知っていた。可憐な容姿と、儚さを感じられる彼は、地味な女子から異常な人気があった。イジメをどうにかしたい気持ちはある……、でも私達ではどうしようも出来ない。手を出せないというか……怖い。

 私達は陰キャ……、イジメやイジりは誰もが経験した事がある。

 みんな勇気を出せなかった。


 竹芝君に優しくしたら、庇ってしまったら、私達が目立ってしまう。私達が目立ったら、それだけで標的にされてしまう。何もしない方が自分の平穏を脅かされない。


 本当に私達は駄目な人間だと思う。何か言われても言い返す事が出来ない。

 じっと耐えて、嵐が過ぎるのを待つしか出来ない。



 さっきの竹芝君は、いつもみたいな暗い目をしていなかった。

 金髪君と対峙した瞬間、雰囲気が変わった。私は目が離せなくなった。


 あの金髪君の本気のパンチを華麗に避けていた。

 誰もが目を奪われた。人はあんなにもキレイな動きができるんだ――


 ……竹芝君は、私が雨の日に転んでしまった時、タオルを手渡して去っていった。泥だらけの私を笑わずに『大丈夫? 怪我してたら大変』と、心配そうに声をかけてくれた。


 それなのに私は自分が陰キャだからって、何もしない。


 何も出来ない私だけど――あの竹芝君を見て、胸の奥からこみ上げるものがあった。


 学校へと向かう足が早くなる。

 目頭が熱くなってきた。竹芝君を見ていたら、私もなにかできるかも知れないと思えた。

 だから――


 スマホを大切に胸に抱きしめて、私は走り出した――






 ***********





 大興奮した生徒達の波をすり抜けて、俺達は学校に着いた。


「はぁはぁはぁ、マジなんなの……、意味わかんない」


「ふぅ、全くだ。何がしたかったんだろう?」


 俺達は下駄箱から上履きを取り出す。


「あん? なんだこれ?」

「あ、俺の下駄箱にも入ってる」


 下駄箱にはお互い手紙が入っていた。

 後ろを見ると、クラスメイトより――と書かれていた。


 夏美は大きなため息を吐いて、それを投げ捨てた。


「はぁぁぁ……、マジめんどい。こんなのどうだっていいよ。あっ、信士、け、怪我なかった? ほ、ほら、なんか凄いパンチだったからさ……」


「えっと、耳が少し擦れたくらいかな? このくらい大丈夫だよ」


「ばっかっ! 擦り傷でもバイキン入ったらどうすんだよ! ほ、保健室行こう」


 俺は近くにあったゴミ箱に手紙を放り込んで、先に行こうとする夏美の後を追いかけた。






 保健室は誰もいなかった。

 俺は勝手に消毒液とガーゼを借りて、自分の怪我の処理をする事にした。

 朝のパンチよりも、昨日の擦り傷や打撲の方が症状が重い。

 ちゃんと処理をすればすぐに治る程度だけど。


 夏美は俺が手際良く作業をしているのを、感心しながら見ていた。


「へー、すげーじゃん。うまいこと包帯巻くね」


「ああ、殴られ屋の時に傷だらけになったから。あっ、そろそろ始業の鐘が鳴ってしまう。遅れるけど、どうしよう――」


「ま、いいんじゃね? あんたも私もたまには休んでいいでしょ? 成績も別に悪くないしね」


「あれ? 夏美、俺の成績知ってるんだ」


「べ、別にあんたのお母さんから聞いただけよ。……だ、だって気になるじゃん」


 俺は包帯の処置を終えると、夏美を手招きした。


「うん? どうしたの? ひゃっ!?」


 俺は夏美の手を取った。さっき走った時に、どこかにぶつけたんだろう。少しだけ擦れて赤くなっていた。夏美の手はとても綺麗であった。

 赤いところに消毒液を塗る。


「ほら、しみるから我慢して。今絆創膏貼るから」


「び、びっくりしただけよ! もう、先に言いなさいよ……」


 夏美は俺が絆創膏を貼っている間、無言になった。

 変な空気じゃない。自然な空気だ。静けさが心地よい。


 いつもだったらこの時間は教室で暗い顔で授業を受けていたはずだ。

 ……たった一日でここまで変わるんだな。


 絆創膏を貼り終わっても、俺は夏美の手を握っていた。

 それが自然と思えたからだ。


 ここにいると、全部忘れられる。ほら、夏美だって穏やかな顔を――



「――っ……、ね、寝てないにゃ……、私は……起きて……」


 必死で目を開けようとしている夏美がいた。

 思わず笑ってしまった。昨日は遅かったから仕方ない。色々あったし疲れただろう。


「保健室の先生には言っておくから、ここで寝てな」


「……いや……信士と……離れたく……にゃい」


 夏美は俺の肩を枕にして、寝ようとしていた。

 俺は夏美の身体を優しく動かし、ベッドに寝かしつけた。

 ベッドの横に座って、俺は夏美の手を握り直す。夏美の表情が柔らかくなった。


「へへ……むにゃ……行っちゃ、や……」


「大丈夫、どこにも行かない……」


 タイミングよく、保健室の扉が開いた。

 保健室の先生が入っていた。初老の女性の先生は、とても優しい雰囲気の持ち主であった。


「あら、怪我かしら? 大丈夫?」


「あ、はい、すみません。処置は勝手にしたんですが、彼女も僕も少し休んで行こうかと思って……」


 先生は俺の傷を見ると、小さく頷いた。多分、軽い怪我じゃないと分かっているんだろう。

 俺にとっては日常的な怪我だけど。

 そして、俺が握っている夏美の手を見ていた。


「あらあら、ふふふっ、仲良いわね。あなたなら大丈夫ね。じゃあ、ここの書類に名前を――」


 その後、保健室の先生は、俺達の担任の先生に連絡を取ってくれて病欠扱いになった。

 俺と夏美はしばらく保健室でのんびりとした時間を過ごした。






「んんーー!! よく寝た! ……あっ、授業」


「おはよう、それは心配しないで。俺たちは今日は休み。ちゃんと先生に言ってあるから。ほら、今日は帰ろ? 母さんと姉さんも心配してるし」


「マジで? じゃあアイス食べに行こ! あんたと一緒に行きたいところは沢山があるんだよ。……よしっ、私が奢ってあげる!」


「じゃあ駅前だね?」


 まだ時間は正午であった。

 保健室の先生は居眠りをしていた。なんだか起こすのが可哀想だから、お礼の書き置きをしてこっそりと部屋を出ていく事にした。






 夏美は俺の手を取りながら、廊下を先に歩く。

 だけど夏美は足を止めてしまった。


「……あはっ、嬉しいのになんでだろ? あんたを守れなかった、じ、自分が悪かったのに……、ひぐ……、もうこんな風に一緒にいれないと思ってたから……かな? ゆ、夢みたいだよ。……信士……今までごめん……ごめんなさい……」


 夏美は涙を堪えながら謝り続けた。

 俺は夏美と沢山話したい事があった。

 今日は一日夏美と一緒にいられればいい。昔の事なんてどうだっていい。


 だから、泣かないで――


 俺は夏美の手を強く握りしめた。




「夏美、そんな顔で謝られても、困るだろ? ……泣いてる夏美よりも笑ってる夏美が――俺は好きだ。あっ、べ、別に変な意味じゃないから――」




 夏美は嗚咽がとまり、一瞬だけキョトンとした表情をした。


「あははっ……、ば、馬鹿言ってんじゃないよ。変な意味ってどういう事よ? あんた、私が可愛いから惚れちゃったの?」


「へ、変な意味って、わ、悪い意味じゃない。――早く行こう」


 俺は夏美の手を引いた。泣いたと思ったらもう笑っている。

 全く、夏美には本当に困ってしまう。


 俺は小さく呟いた。


「……あんまり可愛いから困らせないで欲しい」


 夏美は無言であった。俺の言葉は聞こえてなかったようだ。良かった。

 だけど、夏美との距離がさっきよりもすごく近くなっていた。


 夏美の嬉しそうな鼻歌が聞こえた――






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