隣を歩く
走馬灯のように過去の記憶を思い出す。
昔の友達と再び仲良くなろうと試みるが、冷たい言葉を返される。
幼馴染は冷たい視線とともに『うざい』『はぁ……』『近寄らないで』という言葉をかけられる。
初恋の人は……俺をいない人のように振る舞った。
時折、誰もいない時に俺に優しい言葉をかける事もあるが、心が感じられなかった。
殴られ屋をやっていて、殴られた痛みとともに、俺の心も鈍化してくのがわかった。
残るのは罪の意識だけ。
お母さんは乱暴者だった俺がおとなしくなって上機嫌であった。
時折、『今日は友達と遊ばないの?』と声をかけてくる。俺は心配させないために友達と遊びに行くフリをして外に出る。
姉さんは俺に無関心であった。
家族には迷惑をかけられない。
周りのざわつきが鮮明になっていた。
俺は意識を取り戻した――
頭の下に柔らかい物が敷いてあった。
目を開けると、汐留の泣き顔がそこにあった。
胸がズキンと傷んだ。俺はそんな汐留の顔が――怖くて――またイジメられるんじゃないかと――
違う、俺が神凪をイジメていたのが悪いんだ。
俺はイジメられていない。罰を受けていただけだ。
体感的には長い時間寝ていたようだけど、そんなに時間は経っていない。
「あっ……気がついた……。ねえ、信士……、まって、起き上がっちゃ――」
俺は倒れないようにゆっくりと起き上がった。頭がガンガンと痛む。大丈夫、殴られて痛みには慣れている。
救急車で呼ばれたら家に迷惑がかかる。
だから、ここから離れないと――
「大丈夫……、もう動けるから……」
「いや、無理っしょ!? あんた頭から血を流しているんだよ! 運転手さんが今電話してるから――」
その言葉を遮って、クラスメイトの冴島君が汐留に声をかけた。
「おい、夏美、大丈夫っていってんだからさ、こんな不良放っておいて二次会行こうぜ? みんな待ってんぞ? 運転手に言っておいたぜ。誰も怪我してねーから、帰ってもらった」
「へ、あ、あんた何言ってんのよ!? 竹芝が怪我してんじゃん!!」
「あん? 夏美は怪我してねーだろ? だったら誰も怪我してねーよ。ほら、行こうぜ? ここら辺は俺の庭だから良い店連れてってやるぜ」
クラスメイトの視線は俺に集まる。
俺は怖くてその視線を見ることが出来なかった。
「帰る――」
「ば、馬鹿!? あんた……、はぁ、分かったわよ」
夏美は冴島の言葉に納得したのか、俺を一瞥して立ち上がった。
冴島はにやにや笑いながら俺を見ていた。
小学校の頃は一緒に馬鹿をやった。立場が変わると、率先して、俺をいじめるようになった。壊された文房具は数しれない、遊び半分で殴られた事もあった。俺を使って遊ぶ事に全力を注ぐ冴島。
昔はあんなに仲が良かったのに……なぜだろう?
冴島は汐留とも仲が良い。汐留を視線で追っているのをよく見かけた。
もしかして――汐留の事が好きなのか?
だけど、そんな事もう俺には関係ない。
俺は歩き出した。
計画通り、このまま山まで歩いてひっそりと誰にも知られずに消えて無くなる。
少し足をひねったのか、歩くたびに足が痛む。
……クラスメイトが後ろから見ている気配がする。
俺は痛みを無視して、大丈夫なふりをして歩く。自分を騙すのには慣れている。
突然、柔らかい感触が俺の腕に感じられた。
汐留が俺の腕を支えようとしていた。
「――今日は私帰るわ。なんか冷めちゃったしね。竹芝と帰り道同じだから一緒に帰るね! じゃあまたね〜! 芽衣子も帰りなよ? お兄さん、よろしくね!」
神凪はお兄さんの陰に隠れて震えているだけであった。何か、苦々しい顔をしていた。
お兄さんの表情は見えない。
冴島がうろたえた声を出す。
「お、おい、夏美!! は、話がちげーじゃねーか! お、俺は今日、お前に――」
「うっせ、黙ってろ!! もううんざりなんだよ……、空気を読むなんてさ……」
俺は全く状況がわからないまま、汐留と歩く羽目になった。
……一つわかる事がある。
このままだと俺は家に帰らなければ行けなかった。
「も、もう大丈夫」
「はぁ……、駄目に決まってんでしょ? あんたいなくなるつもりっしょ……」
頭では汐留と離れなければならないと思っているのに、身体がうまく動かない。
どうして俺と一緒に帰るなんていったんだ? だって、汐留は俺を――
「ん、なんか不思議そうな顔してるわね。あっ、別にあんたの事好きとかじゃないわよ? ……ただね、自分がすごく嫌な女だって再確認したのよ」
「……離してくれ」
「いやよ。死にそうな人間を置いて帰るなんてどうかしてる」
それっきり汐留は黙ってしまった。
俺たちはゆっくりと夜道を歩く。時折、汐留はスマホで誰かに連絡をしていた。
ふと、汐留は俺を見た。
「ていうか、あんたスマホどうしたの? 何度かけても繋がんないんだけど……。マジムカつく」
「解約した」
「……そう」
本当は汐留の事が怖いはずであった。
冷たい目で見られると心まで凍りつく気持ちになってしまう。
あんなに仲が良かったのに、立場が変わるだけで人は変わるものだ、と身に染みて感じた。
でも、今の汐留は……なんだか昔みたいな雰囲気であった。
「あーー、これで私も明日からイジメられちゃうかな? 命令破ったしね。ははっ、冴島はあのクラスでカーストトップだし。はぁ……、私何やってんだろ? 落ちぶれたあんたなんか構って……」
嫌な響きじゃない。なんだか温かい声色であった。
……でも、俺に――
「優しくしないでくれ。どうしていいかわからない。俺は神凪をイジメて……悪い男だったんだ――」
汐留は大きなため息を吐いた。
「はぁぁぁ……、あんたね……、ガキが好きな子にちょっかい出すなんて普通の事じゃん。ていうか、ちょっと行き過ぎたかも知れないけど、それを免罪符にあんたをいじめる方がどうかしてるわ。……そう、どうかしてたわ……、ほんと、嫌になるわ」
汐留は足を止めた。目には涙が溢れていた。
なんでだ? 俺の事を嫌いになったんじゃないのか?
声がうまく出せない。
汐留が涙を堪えながら続けた。
「……ホント、今更だよね? 後悔したって遅い。だって、あんたのこと一杯傷つけちゃったからさ。でも、もう嫌なの。私が標的になってもいい。イジメられてもいい。だけど、これ以上あんたをいじめるヤツは許さない――。言ったじゃん、子供の頃さ、ずっとあんたの隣にいるって。ごめんね……ひっく、やくそ、く、やぶ、ちゃって……」
胸がズキリと傷んだ。物理的な痛みじゃない。
心がかき乱される。
――俺が悪かったんだから、優しくされても――
「――困るんだよ。な、夏美……、こ、まるんだよ……。意志が逃げちゃう……、せっかくこの苦しい世界から逃げられると思ったのに……、そんな事言われたら――俺は――」
夏美は泣きながら笑っていた。
「へへっ、いいじゃん。困らせてもさ。だって、そうやって人と関わりながら生きて行くんでしょ、私達って。だから私は信士を困らせる。これからずっと困らせてあげるから。……あっ、べ、別に好きじゃないから勘違いしないでね」
涙が堪えられない。
俺は涙を隠すために、大きな笑い声をあげた。
「は、ははっ……ははっ……、駄目だよ……こんな俺を――」
「ぷっ、あんた泣いてんじゃん。だっさ! ていうかさ……、うん? 電話だ」
夏美は電話に出ると、苦い顔をしていた。相手は神凪であった。声が大きいから俺にまで丸聞こえだ。
『――夏美ちゃん、竹芝君に関わっちゃ駄目だからね! あの子は私がどん底から救うんだからさ……、だって私の事好きなんだよ? 私が先生にイジメを報告してから、いい感じに仕上がって来たのに……。ほら、明日から夏美ちゃんがイジメられないように、私が冴島君に言ってあげるから。私達友達でしょ? 夏美ちゃんのものは私のもの。……はぁ、自分の立場わかってよね? ――竹芝君は』
俺は思わず声を出してしまった。
「……俺はもう――誰も好きじゃない。哀れみなんていらない。優しいふりなんてしないでくれ、困るだけだ――」
『えっ!? た、竹芝君!? こ、これは――違うの! 夏美ちゃんが――あの女が――』
夏美はスマホの切った。俺の初恋は終わった。
夏美からは罪悪感と悲しみを感じられた。
「はは、ほんとに私嫌な女だよね? 女の子の陰口聞かせちゃってさ。……はぁ、私もあんたと一緒に逃げようかな? ……もう全部嫌だよ」
逃げるか……、思えば俺は逃げてばかりであった。
もしかしたら、夏美と視線が良く合ったのも、俺の事を心配していただけなのか?
直接的なイジメは夏美はしなかった。
夏美は誰かに命令されていたのか?
もし、逆らったら、夏美がイジメられるのか?
肩を小さくした夏美が、本当に小さく見えた。
幼い頃の記憶が蘇る――
『てめえら夏美をいじめんじゃねーよ!! ――夏美、俺が守ってやるぜ!』
心臓がドクンと跳ね上がった。
小さくなった夏美が幼い頃の夏美と重なって見えた――
体中に力がみなぎる。夏美を見ていたら、生きる活力が湧いてきた。
自分の心なのに戸惑ってしまった。
――全く、本当にいつも困らせてばかりだ。……悪かったな夏美、ずっとウジウジしていて。
俺は小さくなった夏美の肩に手を置いた。
「――俺のせいだろ? だったら、俺が――夏美を守る」
もう逃げる事なんて出来ない。
「えっ……、し、信士? で、でも私あんたにひどい事……。そ、それにあんたを利用してるだけかも知れないよ? あんたを困らせるだけだよ!?」
「……それでもいい。困らせてもいい。だから、今は……隣を歩いてくれ」
「ひ、ひっぐ……、う、うぅぅ……うぅ……」
俺は泣いている夏美を支えながら、家までゆっくりと歩いた――
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