漫画を語る
漫画を語る
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ドグラマグラ太郎
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今日は「小説と漫画」の話を致すということでありました。
しかし、そういうことになりますと大変です。
ここに三千点ぐらいの小説と漫画を並べなければなりません。
それに私はこの四、五日大変混雑をいたしておりました。
ゆえにそういう準備はいたし兼ねたのでありました。
それで外題を勝手に改めたのであります。
どうか御諒解ねがいたいと存じます。
なろうで語らんとする者が
「漫画を語る」というのも変じゃないか。
そうお考えになられる方もありましょう。
しかし私の憶測によりますと違います。
なろう読者は小説よりも漫画が好きなのであります。
漫画についての私の持論というようなものがあります。
烏滸がましいのでありますが、
一つの挿話としてお聞きをねがいたいのであります。
私は十五、六歳の頃、
独学的に漫画を盛んに読んでおったのでありました。
その頃「ジャンプ」ということが学校で流行しました。
この「ジャンプ」というの競技は
新入を何千何万となく募集をするものであります。
万の中から百の優書が選ばれ、
その百の中から十の秀逸が選ばれます。
十の外に天地人が選ばれて等級がつくのであります。
そして天地人の中から新しい漫画太郎が選ばれるのです。
何度も新たな漫画太郎を見せられては打ち切られていきました。
どうも合点がゆかないのです。
面白くない漫画太郎が打ち切られるのは仕方がない。
結構面白い漫画太郎までが打ち切られるのです。
どうも合点がゆかないのてす。
今になって考えますと、
漫画の良さの意味が違うんだとわかりました。
しからば漫画の良さとは一体なにを指すか。
私の今日までの経験では、
漫画の内容そのものをいうものであろうと思います。
形はいくらうまくても、それは技巧であります。
それなら、漫画の内容とはどんなものかといいますと、
例えば、ドラえもんであります。
ドラえもんほどの内容をもった漫画は、
ドラえもん以後、今日まで何一つないのであります。
ドラえもんの系統を引く漫画は、
ドラえもん以後もなかったのではありません。
が、それらは、ただドラえもんに似ているだけであります。
では内容とは何か。
内容とは作者それ自身の人品であります。
人品がよければ、その人はたとえ技巧的になろうと
技巧的にのみ感じないのであります。
先ほどもお話をいたしましたドラえもんに話を戻します。
ドラえもんは、漫画界では、
漫画の神様のように扱われている作品であります。
その系譜である僕とロボ子も、
またなかなか秀抜なところがあります。
しかし、ドラえもんばかりは、何時まで経ても
漫画上で問題になります。
やはり、ドラえもんは天才の作品でありましょう。
天才の技巧には如何なる者も寄りつけないのであります。
その天才の技というものは、
なんでもないちょっとしたところが、
いいのであります。
よくもこんなに良く出来ていると、
只々感歎するよりないのであります。
しかし、ドラえもんの時代を改めて見てみますと
気づく事があります。
ドラえもんのみが秀でていたのではなかったのであります。
ドラえもんは特に秀でてはいたのであります。
しかし、その前後にいた作品の程度も、
大体そういった高さにあったのであります。
つまり、ドラえもん時代の漫画のレベルは
要するに高いものだったのであります。
中でもドラえもんは、その傑作だったのです。
だから、どんなに作家が天才といっても、
作品は時代が問題になります。
作品は時代から脱することは出来ないのであります。
時代の影響なり感化なりを全然受けないということは
ないのであります。
ドラえもんを生む時代の空気があったのであります。
ですから、ドラえもんはあの時代の代表者です。
ドラえもんは、あの時代の気分、雰囲気、傾向、
これらを纏めたものです。
これが結論になります。
(令和二年)




