今から地獄を見せてやる (読むVシネマ)
突然、やるせないバイオレンスアクションのネタが浮かびました。構想10分。製作5時間。
普段の私の作品とはかなりテイストが異なりますが、これも引き出しのひとつだと了承して下さるとありがたいです。
何で今、俺は生きているんだろう……。
もうすぐ死ぬ事が分かっていて。
この激痛から逃れる事も出来なくて。
毎日見飽きた、嫌な思い出しかないこんな病院のベッドの上で。
使い切れない程の富を、持って行く事も出来ない、地獄に行かなければいけないなんて……。
最早食事も摂れない末期ガンの俺は、自分の腕から繋がれた点滴の管からこぼれる雫を眺めるだけで、また1日の生を無駄にする。
俺の名は速水。
物心付いた時には天涯孤独の身だったが、死んだ一族が残してくれた不動産を元手に一山当て、ベンチャー企業の社長として時代の寵児に上り詰めていたはずだった。
古臭いしきたりに縛られた大資本を向こうに回し、日本を捨てて世界を牛耳るはずだった。
晴天の霹靂が訪れたのは、中国の土地の買収を持ち掛けられ、クライアントからの要請で現地に自ら赴いた時。
そこは震災の傷跡として意識的に隠されていたが、元は放射性廃棄物の不法投棄場。
それも中国の企業ではなく、日本の企業が俺を嵌める為に買収して誘致した土地だった。
視察を終えるや否や、すぐに身体に異常が現れる。
放射性廃棄物吸引による肺ガン。
そして全身に転移したガンはあらゆる臓器、全身の骨をも侵して行く。
まだ40歳だった俺の死は、既に決定事項だったのだ。
「……兄貴、持って来たぜ……。これだけの量が一度に欲しいなんて、普通じゃねえよ」
俺に残された唯一の仲間、大介がブツを持って病室にやって来た。
しがないチンピラをやっていた大介は、組の金とドラッグ、拳銃を奪って逃走し、まだ羽振りが良かった頃の俺が、アジア対策のボディーガードとして雇った弟分。
金だけなら掃いて捨てる程持っていた俺は、暫くドラッグには手を付けなかったが、医療用のモルヒネでは抑えられない今の痛みを、大介が運んでくれるコカインだけが癒してくれる。
病院にも金を握らせているから、俺の手荷物が検査される事はない。
「……もう、テレビや新聞を見る気力もねえよ……。大介、奴等は上手くやってるのか?」
俺は目の前のベッドの柵を虚ろに見つめながら、新聞を小脇に抱えた大介の浮かない表情を察知する。
「唯一残された、ウチの本社跡地も買収されたよ。金はウチと提携していたチャイナ野郎に全額渡った。視察の御礼だろ」
小刻みに身体を震わせながら、大介は努めて冷静に事実を伝えた。万事休すだ。
「大介……世話になったな。お前が運んでくれたブツが無くなる頃には、俺も地獄に行くよ。俺の金を持って、早く逃げろ。マカオならお前を受け入れてくれる」
俺は金の力でのし上がり、大介もチンピラから金の力でのし上がった。お互い不動産投資に見せ掛けた、ただのろくでなしだ。
だが、俺達がろくでなしなら、奴等は悪魔だ。この真実を誰かが伝えなければいけない。
「俺は、兄貴の亡骸を供養するまでは日本を出ません。兄貴がいなければ、俺は野垂れ死にしていました。兄貴が生きている間に、奴等に地獄を見せたいんです」
「……そうか……ありがとよ、大介……。奴等に地獄、見せてやりてえなぁ……」
こんな時くらい、悲劇のヒーローを気取りたい。昔よく見た映画みたいに。
でも、全身の痛みと寒気は、一時たりとも夢を見せてはくれなかった。
震えて、奥歯がカタカタと鳴る。
頭の中は、この苦しみが少しだけ治まる、数分後をただ、待ち続けているだけ。
それを毎日、100回くらい繰り返すだけ。
「大介……痛えよ……。俺、死にたくねえよ……。1日でいいから元気になって、憎い奴等を殴りてえ……殴りてえ……」
弟分の前では強がってきた俺も、もう限界だった。ベッドの柵を持ち上げんばかりのパワーが、何処からか湧いてくる。
「兄貴、ヤバい話なんだけどよ、コカインを2回分キメると、ハイになって痛みを感じなくなるって聞いたんだ。コカインは全部持って来たから、2週間分はある。一か八か、やってみるか?」
いたたまれなくなった大介は、普段なら口にしないギャンブルをけしかけて来た。
望む所だ。俺の覚悟は、とうの昔に固まっている。
「くれよ、やってみる」
あれから30分、見違えた気分の俺は自分の足で立っていた。
いつもなら車イスに乗る事さえひとりでは出来ないのに、今は大介の手を借りながらではあるが、自分の足で歩けていた。
勿論、自分ではこれが最後の底力だと分かっている。
だからこそ、休む事なく、命尽きるまで走り続けたい。
「大介、車まで行くぞ。このメモをマスコミに届けるんだ。そして、まだ俺に命があれば、奴等を殴りたい」
俺がまだ読み書きが出来た頃、一連の真実をメモ帳に克明に記しておいた。
関わった企業、人間が残らず判明する。
「……あなた、患者さんね!ダメです!早くベッドに戻って下さい!」
突然、背後から聞こえる金切り声。
末期の肺ガン患者が直立で歩く異常事態を、看護師に見られてしまった。
「喋るな!最後の散歩に行くだけだ!」
大介はウエストポーチから拳銃をちらつかせ、間接的に看護師の口を塞ぐ。
「エレベーターは人目に付く。階段から行くぞ」
「兄貴!?動けるんですか?」
自らコカインを提案した大介も、俺の余りの回復ぶりに目を丸くする。
だが、その顔はどこか嬉しそうだ。
やっぱりこいつは俺と同じ、ろくでなしだよ。
体力を温存する為に、俺は階段を滑り落ちる。
末期ガンの全身の激痛は、階段から落ちる痛みなど感じない。
むしろコカインのお陰で、心地よいスリルすら感じる。
何て楽しいんだ。
もっと早く……キメれば良かった。
「兄貴、早く!」
看護師が通報したのだろう。警備員が俺達の背後に迫っている。
だが、日本の警備はいつもザルだ。
日本の警備は、犯罪者が5分前までまともな人間だったと思って対応している。
違う。
犯罪者は、日々の積み重ねで完成する。
少なくとも1日前には、完全に犯罪者になっている。
俺が今日まで犯罪者にならずに済んだのは、立ち上がる力が無かっただけなんだ。
「よし、日照新聞に行くぞ」
首尾よく大介の車に乗り込めた俺達は、メモ帳の情報を暴露するマスコミを日照新聞に決めていた。
日照新聞は、ゼネコンや不動産の大手企業と揉めた事がきっかけで、メディアとしての権威を失墜していたと聞く。
上を目指す人間は、そのゴールを自分で決める事が出来なければ、いつの日か自分が欲にまみれたろくでなしである事がバレてしまう。
その悪評の腹いせに、新たなろくでなしを見付けて当たり散らそうとする瞬間を、敗者は最大限に利用しなくてはならない。
「兄貴、大丈夫か?コカインが切れても、無闇やたらにはキメられねえ。メモを渡すのは俺に任せてくれ」
大介は逮捕されないギリギリまでスピードを出して、日照新聞本社へと車を走らせる。
こいつも昔の血が騒いでいるのだろう。
「馬鹿言え!俺がこの姿で、骨と皮だけの姿で歩いて見せなければ意味が無い。それが人間を動かす原動力になる。他人の不幸を自分の幸せに繋げられると知った時、人間は一番早く行動するんだ」
俺には大介の善意は痛いほど理解出来たが、今痛みを回避した所で、どうせ明日をも知れぬ身なのである。
少しでも成功の可能性を高めなくては。
「あっ……お客様?紹介が無ければ入れません……お客様!」
ドアを蹴破らんばかりの勢いで日照新聞本社に乱入した俺達は、周囲の制止を大介の拳銃を見せる事で振り払い、顔も名前も知らない手近な役員を掴まえた。
「俺は速水恭一。速水コーポレーションの代表だった男だ。俺は嵌められて病気にさせられて、もうすぐ殺される。このメモを受け取ってくれ。お前らの大嫌いなゼネコンや不動産の大手の秘密が満載だ。中国の悪徳企業も実名で載っている。金は要らない。真実を報道してくれ!」
俺は積年の怨みを叩き付ける様にまくし立てたが、だいぶ呂律が回っていない事を自覚していた。
この痩せこけた身体も、周囲の同情や哀れみを誘うだけだろう。
だが、幸いにも目の前の役員はベテランで、少なくとも俺が何者かが分かっていた。
「そのメモを読め!記事を書け!」
大介は要点だけを叫んで念を押し、俺達は足早に車へと戻った。
「……くそっ、効き目が切れてきた……ぐああっ!痛てぇ……しょうがねえ……」
俺は、既に生きる事は諦めた。もう1回クスリをキメて、最後の悪足掻きをする決心をする。
俺達を嵌めた企業、ファーストホームの本社への殴り込みだ。
3回目の薬は、恐ろしい程に自然にキマった。既に脳と身体が完全にコカインに侵されてしまったのだろう。
痛みどころか、走って暴れたい気分になってきた。
大介の車のトランクには、昔鳴らした金属バットが眠っている。
こんなものを再び使う日が来るなんて、武者震いが止まらない。
俺達は必ず復讐出来る。
失敗なんてする訳無い。
途中で力尽きるはずがない。
「そこの車、停まりなさい!病院に帰りなさい!」
背後から鳴り響くサイレン。病院からの通報が警察を動かしていた。だが、大介は未だ余裕綽々と言った様子である。
「ファーストホームの裏口への道は狭い2車線だ。先回りはさせねえ」
意気揚々と裏口への道に入り込む大介。この時点では、俺達の車を追い掛けるパトカーは1台だけのはずだった。
「……!?くっ……!」
突如として急ブレーキでステアリングを切る大介。
パトカーの追跡コースからは合流の道が無いはずの道路に、もう1台のパトカーが乱入し、俺達の車は前後から挟まれる。
「……どういう事だ!?」
2台のパトカーに挟まれて身動きの取れない俺達は、ファーストホームの裏口前の中庭に、既に複数のパトカーと警察官が集合している現実を目の当たりにした。
「……おかしい!病院や新聞社からの通報があったとしても、こんな短時間で集まるはずがない!」
「そこの車、停まりなさい!本日、ファーストホーム社は防犯訓練を行っている。君達はやがて包囲されるだろう、大人しく車から降りなさい」
目の前の事態を把握出来ない俺達に、警察は残酷な一言を叩き付ける。
病院のベッドから出られない、人目を忍んでコカインを持ってくる、そんな人間に企業の防犯訓練のスケジュールなど把握出来ない。
「すみません、兄貴、ここまで来て……」
予期せぬ事態に大介は希望を失い、がっくりとうなだれる。
だが、俺にはそんな絶望感は生まれなかった。コカインで頭が半分やられて、それでいて身体は異様な元気を取り戻している。
「俺は諦めねえぞ、大介。警察だって、自分の命が惜しくなればファーストホームなんて守らないだろ。トランクにバット、あるんだろ?何人でも相手してやる」
俺はこの時、自分が何を言っていたのかは理解していない。ただ、俺の言葉に唖然とする大介を横目に、俺は黙々と心の準備を整えていた。
「車から降りて、ボンネットに手を着きなさい」
俺はパトカーからの警告を無視してトランクを開け、埃まみれの金属バットを取り出し、腰の入らない腑抜けたスウィングで素振りを繰り返す。
対面するパトカーの中にいる警官の顔色が青ざめていくのは確認出来たが、そんな事は別にどうでもいい。
先に行くには2台のパトカーと警官を破壊しなければならないのだ。
「どけよ!どけ!」
車のガラスの上からの攻撃である事をいい事に、俺は容赦なく警官の顔面の位置に金属バットを打ち込む。
ひび割れるガラス、声にならない悲鳴を上げる警官。
一心不乱に、脇見も振らずにガラスを叩き続け、やがて警官が恐怖の余りシートの下に潜った時、俺は迷いなくサイドガラスを叩き割ろうとしていた。
「やめなさい!逮捕するぞ。やめなさい!」
今度は反対側のパトカーがうるさいので、俺はそちらのパトカーに顔を出し、再びガラスを金属バットで叩き割ろうと一心不乱に攻撃を続ける。
全く同じような光景、同じような反応、やがて警官はシートの下に潜り込み、同じ様にサイドガラスを叩き割ろうと試みる。
「兄貴、危ない!轢かれちまう!」
エンジンをかけて金属バットから逃れようとしていたパトカーのタイヤを、大介はすかさず2ヶ所拳銃で撃ち込み、完全に走れなくなったパトカーのガラスへとどめとばかりの攻撃を続ける俺。
フロントガラスは半分以上破壊され、恐怖にうち震える警官の声がはっきりと聞こえる様になってきた。
「兄貴!前のパトカーが逃げます!」
身の危険を感じたパトカーは去り、残されたパトカーには恐怖で縮み上がった警官と殆どガラス片と化した窓が残っているだけであった。
「おい、相棒は逃げたよ。弱虫だな。俺なんて、末期ガンを押して金属バット振ってんだよ!」
最早警官は泣き叫ぶだけだったが、防犯訓練の為に集まった警官とパトカーは、誰ひとりとして仲間の救助には来ない。
「お前は……見捨てられたんだ……そらっ!」
ガシャアアアァン……
遂に金属バットはパトカーのガラス全てを粉砕し、俺は冷や汗と涙で顔面をくしゃくしゃにした警官と対面する。
「おい、お前死にたくないだろ。パトカーの無線で叫べよ。社長、出て来て下さい、5分以内に出て来て下さいってな」
この時の俺は、決して笑ってはいなかった。
ニヤニヤしながら人殺しなんて出来ない。
そんなのは、殺人鬼が異常だと信じたい愚か者の妄想だ。
人殺しは、いつでもどこでも誰でも一生懸命なんだ。
「社長、5分以内に出てきて下さい!お願いします!」
藁にもすがる思いで社長を呼び出す警官を、俺は笑う事は出来なかった。ただ、可哀想だと思った。
俺の事を頭がおかしい奴だと言うだろう。その通りだ。許してくれとは言わない。
だが、お前らは止めようとしないから、俺には続ける権利がある。そう信じていた。
「社長!」
俺は警官の悲痛な叫びをスマホで撮影し、5分以内に社長が現れない事の証拠を揃えようとしていた。
世間一般から見れば、間違いなく悪いのは俺だ。
だが、日照新聞が真実を報道した後、俺の死体からスマホの映像が発見されれば、何かが変わると信じたい。
ここまで深入りさせてしまった大介は、もうまともな人生は送れないだろう。本当にすまないと思っている。
「5分経ったな。やっぱり顔を出さないか。おい、無線を貸せ」
猶予の5分が過ぎ、風前の灯となった自らの命に絶望する警官はシートの下から顔を上げる事は無く、俺はやむを得ず自ら無線で他の警官に声を掛ける。
「ちょっと聞いてくれ!俺はここの社長に嵌められて会社と命を失った。だが、警官に恨みは無い。俺を逮捕しに来いよ。俺は末期ガンだ。ドラッグをキメて辛うじて立っているだけなんだ。俺は弱い。しかし、社長も警察も、誰も責任を取ろうとしない。時に都合の良い悪党を祭り上げ、時に都合の良い英雄が現れるのを待っている。その英雄に立候補してみろよ!」
結局俺は、奴等に地獄を見せてやる事は出来なかった。
良心に負けた訳じゃないし、死ぬのが恐くなった訳でもない。
ただ、急にどうでも良くなってしまった。俺がもし、警官として働いていたら、こいつらと同じ事をしただけなのだ。
パアアアァン……
背後で鳴り響く銃声、それとともに、遠ざかる意識、激痛。
俺は……パトカーの警官に撃たれた。
熱い様な、涼しい様な、そんな大量出血の温度を身体中に感じる。
コカインをキメまくっていたから、激痛はすぐに収まった。というか、ガンの痛みの方が痛い。
大介が、俺に駆け寄るのが分かる。
怒りに燃えたその目で、警官に銃を撃ち込む。
もういい、止めろ。4発も撃ち込むな。
もういい……。
俺のポケットからこぼれたコカインを、大介がキメている。
止めろ、お前には必要ない。
これ以上、何をするんだ……。
「うあああああ!うあああああ!ふおおおおお!」
俺の最後の意識と、大介の姿が遠ざかる。
金属バットを振りかざして。
金属バットを振りかざして。
金属バットを……。