木霊の川流れ①
この話の登場人物
黒木神也 (くろきしんや)
怪異専門の探偵。暇な時は浮気の調査も引き受ける。
謎の流木 (なぞのりゅうぼく)
謎の流木。
人には時として、どうしようもなく無駄な行為であるとわかっていながらも、延々とそれを行わなくてはいけないという状況に遭遇することがある。
この話の主人公、黒木神也は今まさにそんな状況に陥っていた。
神也は長い黒髪と鋭い目つきが特徴的な青年で、白いロングカーディガンにTシャツ+ジーンズというラフな格好をしていた(いつもは10数cm程の大きさの銀で出来た古びた鍵を首から下げているのだが、今は邪魔らしくズボンのポケットに入れている)。
今神也がいるのは、自宅であるアパートから少し離れた場所を流れている大きな川の辺だ。川は先日の雨で若干水量が増しているがそこそこ穏やかに流れており、土手を上がった歩道をジョギング中の男性や自転車に乗った子供が通り過ぎていく、比較的よくある休日の午後の風景の中にいた。
だが神也の表情は午後の青空ほど晴れ渡ってはいなかった。むしろ曇っている。
例えるなら、少し量の多い洗濯物を外に干し終え、さて一息つくかとコーヒーを淹れた辺りで雨が降り始め、大急ぎで洗濯物を取り込み室内へ干し終え、ぬるくなったコーヒーに口を付けつつふと外を見ると雨上がりの青空が雲間から覗いていた時のような、なんともやるせない感情を含んだ表情をしていた。
曇った表情のまま神也は足元を見ながら少し歩くと、足元に落ちていた石を一つ拾い上げた。それはどこの河原にも落ちている何の変哲も無いやや丸みを帯びた普通の石で、水切りはできなそうだが投げれば遠くへ飛びそうな石だった。
実際、その石はよく飛んだ。
石は拾い上げられてから3秒後には神也に投擲され、綺麗な放物線を描きながら対岸へと向かっていた。正確には対岸近くの、投擲場所からぴったり16m離れた位置に浮かんでいる一本の流木へと向かっていた。石はコンッと小気味良い音を立てて流木に命中すると、川底へと消えた。
「60…」
神也が小さく呟いた。それはほぼ無意識のうちに出た呟きだが、最初の頃はしっかりと意識しながら呟いていた。少なくとも1から40くらいまでの間は。ちなみにこの60という数字は流木が小気味良い音を出した回数、そしてその流木の周りに沈んでいる、何の変哲も無いやや丸みを帯びた丸い石の数と一致している。
「…60」
神也が川底へ沈める61個目の石を選んでいると、どこからか神也の呟きを繰り返す声がした。だが実際は繰り返しているわけではなく、声の主も神也と同じく数えているだけであった。ただし、こちらは投げた石の数ではなく飛んできた石の数だが。
「…誰だ?」
神也は顔を上げると周囲を見渡した後、対岸へと視線を移した。自分の聞き間違えでなければ声がしたのは対岸からのはずだが、対岸には誰も見当たらなかった。神也は赤いセルフレームのスクエア型眼鏡を掛けているが、視力を矯正する必要がないため度は入っていない(ただし伊達眼鏡ではない)。むしろ視力はかなり良い方だ。どれくらい良いかと言うと、電車の座席に座ったまま向かい側に座った相手が読んでいる新聞のテレビ欄をチェック出来るくらいのレベルだ。更に言うと神也は、そこそこの観察眼と動体視力も持ち合わせている。しかしそれでも、声の主を見つけることは出来なかった。
「誰かいるのか?」
神也は対岸へ呼びかけた。だがやはり対岸には誰もいない。
しかし返事は返ってきた。
「“誰か”というより“何か”の方が近いかもしれません」
神也の呟きを繰り返した声と同じ声が、先程よりやや大きめの音量で対岸から聞こえた。男性とも女性ともつかないが高い声だった。
「そこにいるのは誰…いや、何だ?」
「何だと思いますか?えっと、その前にわたくし、何に見えております?」
「何って…。俺に見えるのは目の前の川と、河原と土手と、その上の建物と…。あと散々石を投げつけまくった流木だが」「それです、多分」
対岸の声が遮った。
「…それ?」
「えっと、それです、流木。その流木がわたくしです、多分。どうも初めまして」
「あ、あぁ。初めまして。いや、その前に謝罪が先か…。すまん」神也は頭を下げた。「60回程石を投げつけた。ただの流木かと思っていたんだ、悪かった」
「いえ、わたくしは大丈夫です」流木のように見えるものが言った。「しかし貴方、ただの流木に60回も正確に石を投げつけていたのですか?わたくしてっきり、何かとんでもない見た目になっていて石を投げつけられているものかと…」
「あー…」神也はばつが悪そうに言った。「その事に関してはちょっとした事情があってだな…。話したいので悪いがこっちへ来てくれないか?」
神也が手招くと、流木のように見えるものは少しだけ浮き沈みしてから言った。
「大変申し訳ありませんが、わたくしは今ここから動くことが少々困難な状況で…。いえ、移動ができないわけではないのですが、ここに止まらなくてはいけない理由がございまして…。そちらから来てはいただけないでしょうか?」
申し訳なさそうな声色で話しながら、流木のように見えるものは浮き沈みを繰り返した。
神也は「あぁ、わかった」と短く返すと、流木のように見えるものの元へ行くために河原を歩き始めた。
後書きに何を書けばいいのか分からないので、とりあえずあと2~3回くらいでこの話は終わると書いておきます。多分。