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オレの為に死ね!  作者: ハンスシュミット
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第9話 転生者ケンジ(3)

海は"大陸喰い"の出現に怯えるかのように、その海面を激しく震わせる。その戦慄きは高波となり、大海原に比べてちっぽけな殲滅者たちを乗せた船を上へ下へ左へ右へと翻弄する。数秒ごとに入れ替わる天地に、殲滅者の平衡感覚は狂いっぱなしだ。


「"大陸喰い"を陸地まで誘導する。野郎ども、仕事にかかれ」


エイカーズの勇ましい号令は、千波万波を貫いて殲滅者たちの耳にまで到達する。


「私は野郎ではないが、どうすればいい?」


まるで天変地異の渦中とも表現すべき船上であっても、いつもの沈着ぶりを見せるロザーヌ。その落ち着きぶりは、彼女の堅牢な鎧が船に根を生やし、固定されているのではと疑うほどだ。そんな彼女とは対照的に、船体に叩きつける波に重心を崩され、ずぶ濡れの床に顔を擦り付ける憂き目に遭っている殲滅者。この状態でどうやって大海原を切り裂いて泳ぐ怪物を討伐すればいいというのだ。


「船倉に銛を用意した。それを使ってヤツの注意を引き付けるんだ」


「こんな不安定な場所で銛を投げろだと。もっとマシな作戦はないのか」


「だったら自分で考えるんだな。なんなら、ヤツにわざと食われて腹の中から攻撃するか?」


そう言ってエイカーズは弾ける波しぶきより豪快に笑って見せる。このクソジジイ、殲滅者の罵声は打ち付ける波にかき消え、エイカーズには届かなかった。


ふと、殲滅者はケンジの姿が見当たらないことに気付く。もしや、船から落ちて海の藻屑になったのか。だとしたら手間が省けてありがたいのだが。いや、そうも言ってられない。異世界転生者を覇剣で殺さなかったと知れば、あの傲岸なドラゴンが怒るだろう。


殲滅者の淡い期待は結局のところ杞憂であった。ケンジはエイカーズの言いつけ通り船倉へ行き、投擲用の銛を持ってきただけだった。


「はい、ハンスさんの分です。力を合わせてモンスターを倒しましょう!」


人のお節介を焼くのが心底嬉しいのか、ケンジはにこやかに銛を渡す。その銛を受け取る時、殲滅者は心が凪ぐのを覚え、ハッとする。その機微をケンジに悟られたくなかったのか、礼も言い終わらぬうちにケンジから視線を外し"大陸喰い"を見る。


その殲滅者の態度にケンジは特に気にする素振りはなく、今度はロザーヌに銛を渡していた。


さきほどのケンジに対する殲滅者の気持ちの変化は、殲滅者の心を波立たせる。異世界転生者を殺す、その冷徹な意思の湖面が揺らめくのを感じた。なぜあいつは今まで殺したアキヒロやマサフミのようにクズじゃない。その思いが、彼の決意を揺らし、それは波紋となって騒めく。


「これだけ揺れる船の上で銛を投げるのは、至難の業だな」


ロザーヌは、不安定な足場を押さえつけるように踏ん張ると、振りかぶり銛を投げる。しかし、弧を描き飛翔するそれは、"大陸喰い"には届かず、荒れた海へと飲み込まれる。


続いて、ケンジが同じように放る。彼の投擲姿勢はロザーヌほどの力強さは感じなかった。しかし、ケンジの手を離れた銛は、まるで流星のように一直線に飛んで行った。そのスピードは凄まじく、空気を裂き、海を割り、押し寄せる高波は穿たれた穴を塞ぐことなく海へと還るほどだ。その一撃は、"大陸喰い"より少し外れた海を大きく抉った。ここまで克明に彼の投擲の威力を説明したが、結局のところ"大陸喰い"には当たらなかった。


「あれ? 僕、外しちゃいました?」


ケンジの常套句なのか、いつものように照れくさそうに言う。


「ハンス、君も手伝うんだ。それとも船酔いでもしているのかい?」


再度銛を投げながら、ロザーヌは突っ立っている殲滅者を煽る。殲滅者は自らの手にした銛に視線を落とす。そして、頭を振り、自らの葛藤を頭の外に追い出した。頭を振った時、濡れた髪の毛から振り落ちた水滴が、自らの葛藤と重なったように感じた。


ロザーヌたちのように、殲滅者も振りかぶって銛を投げる。大した距離も飛ばず、銛は波間に消えていった。


ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!


何度目かのトライの末、ついにケンジの放った銛が"大陸喰い"の体に突き刺さる。まるで体から生えているのではないかというほど深くめり込んだ銛からは、とめどない鮮血が噴出し、海を赤く染め上げている。今まで潮流に任せ漂っていた銀色の巨体が、明確な意思をもってこちらに進路を変えた。


「"大陸喰い"がこっちに気付いたな。このまま陸まで逃げるぞ。面舵、ヨーソロー!」


言うが早いが、船も大きく船体を揺らしながら来た方向へと戻る。波を掻き分け、海を滑るように航行する船。その引き波に釣られるように、怒りを含む化け物の咆哮が追従する。


「おい、追いつかれそうだぞ。もっとスピードは出ないのか」


船と"大陸喰い"の距離がどんどん詰まる。殲滅者が慌ててエイカーズに忠告するが、いい返事は返ってこなかった。


「これでも限界の速度なんだ。文句があるならお前さんが手で漕ぐか」


そう言って問答する間にも、"大陸喰い"と船の距離は縮まる。


「ケンジ君、"大陸喰い"の手前を狙って銛を投げてくれないか」


ロザーヌの指示にケンジは要領を得ない反応を示す。


「手前、ですか。当てるんじゃなくて?」


「ああ、手前だよ。あれ以上深手を負わせるとヤツは逃げるかもしれない。確実に仕留めるためにも、ヤツを陸地まで誘導する必要がある」


合点、といった具合にケンジがうなずく。そして銛を取り出し、ロザーヌの指示通りに"大陸喰い"の手前の海面に銛を投げつける。すると。


強力な力で放られた銛が海面に着弾すると、その衝撃で爆発したかのように海水が爆ぜた。その爆風は、殲滅者たちの船を後押しするように急加速を与えた。対して、その衝撃を正面から受けた"大陸喰い"は、逆に減速を余儀なくされた。


ついさっきまで海だった部分は、水が吹き飛び空と変わらない空間となる。流体を掻き、押し流すことで海を泳いでいたモンスターは、突如何もない空間に放り出され、その制御を失う。


その時初めて、殲滅者たちは"大陸喰い"の素顔を見ることが出来た。海面から出していた銀色の滑る体表の先に、怒りに赤く燃える、身体に比べて小さな瞳と、海溝の入り口を思わせるほど広々と開かれた大きな口が見えた。あの大口なら、本当に大陸すら飲み込んでしまいそうだ。


虚空となった空間に、また水が満ちる。再び自身の周りが海となったことで"大陸喰い"は勢いよく泳ぎ始める。またもや、命懸けの鬼ごっこが始まる。


「ケンジ君。またあいつが迫ってきたら、さっきのやつをお見舞いしてくれるかい」


「はい、了解しました。僕にできることならなんでもお手伝いします」


未だ緊張する場面を脱したわけではないが、"大陸喰い"への対処法が確立されたことで、パーティーの中には精神的余裕が生まれていた。しかし、事態は刻一刻と変化する。"大陸喰い"はさらなる手立てを打ってきた。


"大陸喰い"が咆哮する。それは威嚇や怒りの発散のためのものではなかった。こちらに向かって、水流の刃が押し寄せてくる。それは、"大陸喰い"の泳ぐ速度よりも速く、こちらをすぐにでも捉えるほどだった。


「エイカーズ船長、避けるんだ。"大陸喰い"が水で出来たカッターのようなものを飛ばしてきた」


ロザーヌの忠告に瞬時に反応するエイカーズ。舵を切り、船体を横に流す。その直後、船より大きな水柱が、さきほど船のいた海を真っ二つに裂きながら滑って行った。あわや、開きにされるところだった。


息をつく暇もなく、またも"大陸喰い"が吠える。それは、さきほどの水流カッターが再度襲い掛かってくるという合図だ。またもや、こちらに向かって疾駆する水の刃が見えた。


「そう何度も避けられんぞ!」


エイカーズが悲鳴のように叫ぶ。水流の刃は、確実にこの船の進路と交差する軌道を取っている。もはやこれまでか、と諦観しかけた時、ケンジが船の縁にへと移動する。


何をするのかと見ていると、ケンジは何やら大きく息を吸い込んでいるようだった。もしや、呼吸で水流刃を吹き飛ばそうとでもいうのか。ろうそくの炎を吹き消すように。殲滅者は呆れたが、すぐに思い直した。こいつら異世界転生者に常識は通じない。それが、傍から見てどんなに馬鹿らしく荒唐無稽でも、こいつらはいつも実現させてしまう。


「すぅぅぅぅぅぅ…ふぅぅぅぅぅぅぅぅ!」


ため込んだ空気を一気に噴射し息を吹きかける。本来なら、その行為は無意味に終わるのだが、不当に得た魔術の恩恵は暴挙を奇跡に塗り替える。ケンジの呼気はただのそよ風に留まらず、海水は空へと逆巻き、荒れ狂う暴風へと変貌した。竜巻まで成長したそれは、"大陸喰い"が作り出した水の刃も、その圧倒的風量で空へと押し上げ、飛沫へと変えてしまった。こうして殲滅者たちはまたもケンジに助けられる。


「やりましたよ、ハンスさん。ロザーヌさん」


こちらを振り返り、満面の笑みでケンジは言った。その笑顔に釣られ、殲滅者の固く結ばれたへの字口も、いつしか柔和な弧を描いていた。


「やるじゃないか、ケンジ」


その賛辞が、自分の口から出たものだと知って殲滅者自身が驚いた。なぜ、これから殺す相手にこんな優しい言葉を吐いたのか。殲滅者は困惑した。


おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!


一難去ってまた一難とはこのことか。再度"大陸喰い"の咆哮が海を揺らす。いや、今度の表現は比喩ではない。"大陸喰い"は海面を揺らし、大きな波を作り出した。それは、船はおろか、あの聳え立つ星見台すら飲み込んでしまいそうなほど高く高くせりあがる。


「野郎ども、どこでもいいから船に掴まれ。振り落とされるぞ!」


エイカーズの声に反応し、殲滅者たちは各々船に捕まり体の安定を預ける。まるで隆起するように船の底の海面が押し上がり、船は波に乗る形で巻き込まれる。


海面に対し、ほぼ水平の状態で船に掴まる一同。振り落とされたら一巻の終わり、その恐怖が船を掴む殲滅者の手に力を込めさせる。が、散々波飛沫を浴びた船体は濡れており、掴む手から容赦なく摩擦を奪う。必死に船をつかんでいた手が虚空を掻いていることに気付いた時、殲滅者は自分が海面に向かって落ちていることを悟った。


「ハンス!」


ロザーヌがこちらに手を伸ばすが、その手が交わることはなかった。彼女と視線がかち合う時、妙に時間の経過が遅く感じたが、それも一瞬のことだった。殲滅者の視界に、猛スピードで迫る海面が映る。


「ハンスさん!」


ケンジが殲滅者を追って船から飛び出す。二人は、そのまま海面へと向かう。


「ハンス、ケンジ君!」


2人を憂うロザーヌの呼びかけは、荒れ狂う波間に飲まれて消えた。



□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



次に殲滅者が目を覚ましたのは、薄暗い洞窟のような場所だった。視界が悪く、閉所特有の淀んだ空気が心地悪い。おまけにその空気が湿り気と生臭さを兼ね備えているのだから、鬱陶しいことこの上ない。地面に押し当てられた頬が、自分の横たわる場所が湿っていることを伝える。


「ハンスさん、気が付きましたか?」


こちらを心配そうに覗き込むケンジの顔が視界に入る。なぜ自分たちはこんなところにいるのだろうか。先ほどまで大海原の真ん中で化け物退治をしていたというのに。そこで、自分の記憶が鮮明に蘇った。そうだ、船から振り落とされて海に落ちたはずじゃ。


「ここは…どこだ?」


辺りを見回しながら殲滅者はケンジに尋ねた。真っ暗というほどではないが、薄暗くて遠くの方はよく見えない。壁や天井が生々しい赤色をしていて、とても不気味だ。


「えっとですね、ここはですね…」


殲滅者の問いに、ケンジは何かを憚るように言い淀む。その煮え切らない態度に少々殲滅者の語気は荒くなる。


「おい、ここはどこだ」


観念したのか、ケンジは決心して言い放つ。その回答に、殲滅者はまた気絶したいと願うほどだった。


「ここは"大陸喰い"のお腹の中みたいです。僕ら、食べられちゃったんですよ!」


その答えが正解だというように、壁や床が震え、例のあの咆哮が聞こえる。



□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



「姉ちゃん、あの二人がどこ行ったか分かるか?」


慌てた様子でエイカーズはロザーヌに尋ねる。尋ねている間も、彼の視線は二人を捉えようと海面を浚うように忙しなく動く。ロザーヌもエイカーズと同じように二人の影を探すが、成果はない。元より、荒れた海に対し漂流した人間など木っ端ほどの大きさしかないのだ、見つけるなど絶望的である。


「こちらも見当たらない。ハンスが船から落ちたのをケンジ君が助けたのまでは見えたが、その後どうなったかまでは…」


ロザーヌが口惜しく呟く。こんな事態になったことをロザーヌは後悔した。”ケンジはどうなっても構わない。”しかし、ハンスをここで失うことは彼女にとって最大の誤算だった。


こんなことなら危険を冒してでも奥の手を使うべきだった。鉄面皮の裏側で、ロザーヌの悔恨はじくじくと心を蝕む。


"大陸喰い"がまた咆哮を上げる。彼ら二人の行方は気になるところだが、今はそのことに気を揉んでいる余裕はない。未だ彼女らを乗せた船は、巨大なモンスターに追われているのだから。



□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



「おい、やめとけ。大人しく座ってろよ」


ケンジが振りかぶって壁、もとい"大陸喰い"の腹を殴ろうとしたのを制する。ケンジは不満顔になるが、とりあえず拳を下す。


「でも、お腹の中から殴ればびっくりして僕らを吐き出すかもしれませんよ」


「だから止めろって言ってるんだ。こんな海の真ん中で吐き出されたらどうする? エイカーズたちが見つけてくれなきゃ遭難するだけだぞ」


尤も、そうなったとしてもお前はなんとかなりそうだけどな。と、言葉にはせず心の中で付け加える。なるほど、といったジェスチャーをして、ケンジは大人しく腰を下ろす。


「幸い、すぐに消化されるってこともないみたいだし、黙って待ってる方が得策だろう。ここで待っていれば、いずれ"大陸喰い"は浅瀬に引き込まれ身動きできなくなる。腹を殴ったり蹴ったりするのはそれからでも遅くないさ」


上手く計画が進行していれば、の話だが。


「分かりました。よーし、じゃあ"大陸喰い"が浅瀬についたらすぐに倒しちゃいましょうね。そうすればハンスさんはお金が貰えるし、マサヴェの街の人たちも不漁が解消されて、皆助かりますもんね」


相も変わらずケンジは誰かの役に立つことを考えている。モンスターの腹の中という危機的状況でも、自分の身の心配よりほかの人間の幸福を優先して考えている。


「ケンジ」


殲滅者はケンジに呼びかける。あることを言うべきかどうか逡巡したが、今決心がついた。


「さっきは助けてくれてありがとう。お前がいなければ、俺は海面に叩きつけられて無事ではいなかったろう」


いずれ殺すべき人間に対し礼を言うのは、奇妙な感覚だった。だが、元々憎くて異世界転生者を殺しているわけではない。先の二人が殺しても罪悪感が湧かないクズだっただけで、人の為に行動するケンジには人並みの敬意を払うべきだと判断したまでだ。


ハンスの謝辞に、ケンジは照れくさそうに答える。


「い、いえ。僕みたいな未熟者がお役に立てて光栄です。体だけは頑丈なんで、そういう仕事は任せてくださいね」


「退屈しのぎに効いてもいいか。なんでそんなに人の役に立ちたがるんだ」


ケンジは、ここではないどこか遠い場所を見つめるような目で虚空を眺める。その視線の先は、もしかしたら彼の転生前の人生かもしれない、と殲滅者は想像する。


「元々、僕はこんなに丈夫な体じゃなかったんです。生まれつき重い病気を患ってて、僕の世界はあの小さな白い部屋とベッドだけでした。僕はいつもその世界の外側に行くことを夢見ていましたけど、結局窓から眺めていることしかできなかったんです。その先には、僕と同じくらいの年の子供たちが元気に遊んでて、ああなんで僕はこっち側の世界にいるんだろうって気持ちがいっぱいで、毎日辛くて…」


ケンジの声は独白を続けるほど弱々しくなっていった。まるで、彼の語る病弱だった頃の彼に戻っているようだった。


「一人で生きることもできない僕を、それでもお父さんとお母さんは愛してくれました。そして病院の先生や看護師さんも、そんな僕の面倒を一所懸命に見てくれて。それからです。僕も元気になったら誰かの役に立ちたいって思うようになったのは。僕の為に尽くしてくれた大人の人たちみたいな人間になりたいって。だから、あの薬を飲みました」


「薬?」


「小さな瓶に入った銀色の薬です。望む自分になれるその薬を僕は飲んで、そしてこのとおり元気になりました。まるで生まれ変わったかのように」


そう言って元気よく力こぶを作って見せるケンジ。今の話で、殲滅者は朧気ながら異世界転生者の事を知ることが出来た。異世界転生者たちは、何か怪しい薬を飲むことでこっちの世界に転生したようだ。そして、その時自分が望む力を手に入れることができたんだと。アキヒロやマサフミのあの能力も、彼らの願望が具現化したものなのだと。


「まるで生まれ変わったんじゃなく、本当に生まれ変わったんじゃないのか?」


殲滅者の不意の発言に、ケンジは心底驚く。さきほどまで昔見た夢を懐かしむように語っていた顔は、今では得体の知れないものを見る恐怖の表情に、歪み変形していた。


「な、なにを言ってるんですかハンスさん?」


「お前は異世界転生者だ」


その言葉が決定的だった。ケンジの顔は蒼白になり、殲滅者を見つめる瞳は、不安定に揺れ動く。


「なんで、そんな言葉を知ってるんですか。あなたは何者なんですか?」


殲滅者は少し黙考した。ケンジに本当の事を話すべきかどうか。もしかしたら、人の為を第一に考える彼なら、自身が世界を破滅させる要因だと知れば潔く自決を選択してくれるかもしれない。殲滅者は、ケンジの人柄に事の成り行きを委ねる。彼に、異世界転生者の真実を話すことにした。


ケンジは、殲滅者の話を形だけは静かに聞いていた。しかし、動機は高まり、呼吸は荒れ、全身に脂汗をかく彼が平静でないのは誰の目にも明らかだった。そんな彼を不憫に思いつつ、殲滅者は話を続ける。ただ、異世界転生者たちの抹殺と引き換えに、自分の本当の体と記憶を取り戻せるという点だけはあえて伏せた。


「…というわけだ。"大陸喰い"という規格外のモンスターの発生も、お前たち異世界転生者のせいなんだ。これ以上世界が破滅に向かう前に、おとなしく俺の手にかかってくれないか?」


ケンジに反応はなかった。ずっと俯いたままだ。その憐れな姿に、殲滅者の良心は痛みを訴えていた。が、彼の心はそれを痛みだと認めようとはしなかった。


「僕のこの力があれば、きっと世界を破滅から救えるはずです」


深淵から響くような冷たい声が言った。それが、目の前のケンジから発せられたものだと、一瞬だが殲滅者は信じられなかった。


「そうです。僕のこの力があればどんなモンスターだって倒せます。きっと世界の破滅だってなんとかできますよ。だから、ハンスさん、一緒に世界を救いましょう! 僕なら救えるんです!」


冷たい声は、言い終わる頃には灼熱の怒声へと変貌していた。ケンジは立ち上がり、握りこぶしを固める。それは明らかな戦闘の意思の表れだ。


まぁ、こうなるよな。殲滅者はどこか俯瞰した気持ちで、ケンジの変貌を受け止めていた。いくら人情に篤いとはいえ、世界の為に死ねと言われて納得できる人間はいないだろう。だがこれでいい。世界の破滅を避けることを良しとしない利己的な人間を殺す。殲滅者はその免罪符が欲しかったのだ。お人好しのままのケンジを殺すことを、殲滅者は躊躇ったからだ。


自分こそ記憶と体の為に人を殺す癖に。誰かの良心が囁く。しかし、その声は殲滅者に届かなかった。もとい、そんな余裕はなくなっていた。


ケンジの放つ渾身の右ストレートが、殲滅者の頬を掠める。直撃こそ避けたが、凄まじい拳圧が大気を流動し、発生した風圧は殲滅者の体を紙きれのように吹き飛ばす。幸い、"大陸喰い"の天井が、彼を無限の彼方まで吹き飛ばされるのを防いだ。


「僕は、もうあの小さな世界に戻りたくない。この健康な体で、外の世界にずっといたいんだ!」


ケンジの怒りの眼が殲滅者を凝視する。その視線さえ、まるで膂力を得たかのように、物理的な痛みを与えてくる気さえする。


「自分の為に誰かを殺す。いいぜ、そういうシンプルなのがお互いいいよな。世界の為とか関係ねぇ。オレの為に殺してやる」


殲滅者はケンジへと走る。

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