第6話 転生者マサフミ(3)
村長の家に帰ってきたマサフミはソファに寝そべりながら考え事をしていた。自分がこの異世界に転生したこと、これまでこの異世界を歩いてきたこと、そしてこれからどのようにこの異世界を生きていくのか、などを。
この異世界に転生する前の自分にとって何一つ希望の持てなかったあの世界において、自分の知識や頭脳が客観的な評価をするのであれば人並以下であることを随分思い知らされた。自分以外の人間がバカ、アホ、マヌケになればいい。そう夜空に流れるお星さまが山々に消える前に心の中で願ったことは1000回を超えたに違いない。この世界に転生できたのは、その切なる願いを気まぐれで気前の良い(もしかしたらイケメンかも!?)神様が叶えてくれたのだとマサフミは勝手に解釈していた。
自分よりはるかに劣る知能を持った人間たちしかいない世界はマサフミの願い通りではあった。しかし、この世界に対して抱く感情はキラキラする優越感よりもイライラする苛立ちの方が勝っていた。
今回の熊同様、今まで幾度となくモンスターが村を襲撃したことはあった。その都度自分が完璧かつ華麗で非の打ちどころのないスーパークールな作戦を提示しても、村人の知能の低さではそれを柔軟かつ的確に熟すことができない。結果、犠牲が出る。
尤も、有能な指揮官であるマサフミがいなければ犠牲者の数はもっと悲惨なことになっているのは疑いようもない。しかし、村人たちの不手際で戦果に傷が付いているのも確か。ゲームで言うところのランクS取れたのがランクAに格下げされるみたいなものだ。無能な部下のために指揮官まで無能の誹りを受けるのは屈辱以外の何物でもない。
だがそれも今日までだ。マサフミは今日初めて会った冒険者の男を思い浮かべる。名をセンメツシャー(随分変な名前だな?)と言ったか。彼の力と自分の頭脳があれば、もうモンスターの被害に悩まされることもない。いや、それだけではなく…。
マサフミは常々考えていた。いっそこの世界を支配するべきではないか、と。
この世界には王都と呼ばれるものが存在しているのは知っていた。であれば、中世ヨーロッパのような中央集権的な政治体制が整っているはず。どうせ政を取り仕切っているのはここの村人たちとさして変わらぬボンクラだろう。無能が民を支配するより、少しでも有能である自分が治めたほうが国にとって有益だ。
王都へ行き、そしてこの国を自分の物にしてやろう。マサフミは決意を固める。
こう思うように至ったのは、センメツシャーという強大な力を目の当たりにしたせいであろう。
ふと、マサフミはセンメツシャーが未だ帰らぬことに疑問を持った。まさか、あの少女に返り討ちにあったのではないか。いや、そんなバカな。でもあいつも頭悪そうだったしな。もしくは村の外れまで追いかけ、自分が仕掛けた万能の罠のどれかに引っ掛かったのではないか。
誰かに様子を見に行かせよう。そう思い村長を呼びつけようとした時、村長の家のドアが力強く開いた。
「ただいまー!」
まるで子供のように元気よく叫びながら、センメツシャーが帰ってきた。センメツシャーには目立った外傷はなかった。ここから導き出される答えは、彼は無事だということだ。もっとも、こちらの死角になっている場所に傷を負っている場合は、その限りではない。まぁ元気にしているし、おそらく大丈夫だろう。検証完了。
「あの女はどうした?」
「んーとね、空飛んでった」
「はぁ?」
おそらく何か勘違いをしているのだろうとマサフミは断じた。いくら戦う力はあってもやはり頭は悪いようだ。
「まぁいいさ。それより準備しろ。この国をイノベーションしにいくぞ」
「いのべーしょんー!」
言葉の意味はまるで理解していないようだが、センメツシャーは上機嫌に合いの手を入れる。
マサフミと殲滅者が慌ただしく王都へ向かう準備をしていると、またしても村人の危急を告げる叫びが聞こえた。
「モンスターが出たぞー!」
その言葉にマサフミはドキリとする。まさか同じ日に二度もモンスターが来襲するとは。一体どれだけ低い確率なのだ。きっと今日の水瓶座の運勢は最悪に違いない。
そもそも、モンスターを村に近づけないために村の周りにはいっぱい罠を仕掛けているはずだ。なぜ機能していないのか。きっと自分の考案した罠を村人たちが上手に作れなかったに違いない。
無能共が。バカアホマヌケ。マサフミは心の中で毒づく。有能な人間の足を引っ張ることしか能がない奴らめ。
いっそのことモンスターなど無視して村を脱出するべきか。自分の才覚はこんなところで浪費するべきではない、どうせこの村は村人自身の要領の悪さで滅びるのだし、自分がその滅びを少し遅らせても意味などないではないか。
マサフミが逡巡している間に村人が村長の家に駆け付けた。
「マサフミ様ー! モンスターでたー!」
さすがにここで逃げるのは体裁が悪い。マサフミは渋々ながらも、その助けに応じることにした。
「慌てるな村人B。で、状況はどうか?」
「じょーきょーって?」
マサフミは地団太を踏んだ。
村人と益体のない問答をしつつ、マサフミとセンメツシャーはモンスターの現れた場所へと到着する。
そこは、ちょうど村の中央にある広場であった。村の慣例行事などを取り行えるよう広いスペースが確保されている広場であり、モンスターはその広場をまるで陣取るように構えていた。
鋭い嘴、威嚇するようにギョロつく猛禽類特有の細い瞳、そして全身がまるでボーボー燃えているような赤々とした羽根で覆われている鷲型のモンスターだった。翼は、広げればそこらの家屋など包み込んでしまえそうなほど大きく、さきほど撃退した熊型モンスターよりも大きかった。その巨大さと全身から発せられる威圧感は、思わず尻込みしてしまうほどだ。
「クソ鳥ー!」
このアホには恐怖心がないのか、殲滅者が大型の猛禽類を指さして罵る。その罵声に反応するように、鷲型モンスターがこちらを威嚇するように鳴いた。
「マサフミ様ー! どうしたらいいですー?」
村人は村人で呑気に聞いてくる。こいつらはいいよなラクで、とマサフミは思う。
目の前の問題は全て村の英雄様が解決してくれると頼り切るのだから。頭脳労働は貴様らが考えているよりずっと大変なんだぞ、と文句の一つでも言ってやりたいが、どうせ村人はまともに反応しちゃくれまい。諦観しつつも、モンスターをどう撃退するかマサフミは必死に考える。
大型の猛禽類を退治する方法など自分の頭の知識の引き出しをいくら引っ掻き回しても何も出てこない。そもそも、そんな知識は異世界転生前のあの世界では必要ないわけだし持っていても仕方がない。持ってる知識など、せいぜい鷹と鷲の違いが大きさだけというくらいだ。
カラスやスズメの撃退方法でも利くだろうか。同じ鳥類だし有効かもしれない。まぁ、モノは試しだろう。
マサフミは村人に大きな布とその布に模様を描く塗料を持ってくるよう指示を出す。その間も、鷲のモンスターはこちらを凝視するだけで目立った行動は起こしてこない。そのまま動くなよ、あ、今ちょっと動いた。いや、もう動くなよ。
ほどなくして、マサフミが言いつけた物は用意された。そしてマサフミは村人が持ってきた布に大きな丸をいくつも重ねるように描く。あっという間に、よく田んぼなどで見かける鳥除けの目玉風船が出来上がった。
「さぁ村人たちよ、この布を持ってあの鷲を追い立てろ。鳥は目玉模様の物を異常に恐れる。きっと、この模様を見ればあのデカブツも逃げ帰ること間違いなしだ! 作戦名は…そう、ビッグアイ作戦だ!」
「おおー!」「すげー!」「頭いいー!」
パチパチパチ、拍手が巻き起こる。
村人たちが目玉の落書きをした布を持ち、モンスターに接近する。おそらく逃げるはずだ、とマサフミは思っていたが残念ながら現実はマサフミの妄想のとおりにはいかなかった。
鷲型のモンスターはその大きな翼をめいいっぱいに広げ、その翼で空中を仰ぐ。両翼に揉まれた空気が対流を作り、大きなつむじ風となって村人を勢いよく吹き飛ばした。
「クアァァァ!」
モンスターの一鳴きが空気を震わせる。細い瞳孔が怒りを込めてこちらを睨む。ゆっくりとだが、鷲のモンスターは体を揺らしながらマサフミに近づいてくる。
「セ、センメツシャー!」
「おう!」
「あのモンスターを倒してこい!」
「せんじゅつぷらんはー?」
「ええい、なんでもいい! デルタだ、デルタ!」
「デルター!」
意気揚々、センメツシャーは鷲のモンスターに襲い掛かる。が。
鷲のモンスターは先ほどと同じく、翼で風を起こす。その風は、斬りかかろうとしたセンメツシャーの体勢を大きく崩した。そして、崩れた姿勢の殲滅者を鷲の趾が襲い掛かる。
ゴリッ!
できれば一生聞きたくないような鈍い嫌な音がした。殲滅者は吹き飛ばされ、マサフミの近くに転がった。
「うわぁ…」
マサフミはセンメツシャーの傷を見て顔を顰めた。ナイフのように鋭い趾は、殲滅者の両足を骨が見えるほど抉っていたのだ。ズタズタにされた血管や神経、筋肉まで丸見えなもんだから、マサフミは気持ち悪くてゲロゲロしてしまいそうだった。
その足ではこれ以上の戦闘は無理に思えた。マサフミの心に絶望感が津波のように押し寄せる。頼みの綱のセンメツシャーが戦闘不能になった今、一体誰があのモンスターを倒せるのだ?
「で、でるたー…」
センメツシャーが懸命に立ち上がろうとするが、その深手ではとても無理だった。バランスを崩し、その場に倒れ込む。
逃げるべきだ。マサフミは思った。このモンスターにはどうやっても太刀打ちできない。
元々、村人に大した義理はない。命を賭してまで戦う意味なんてないのだ。それに、自分はこんなところで果てる器ではない。村人には気の毒だが、自分は逃げ、そしてこの国を統治したほうが長期的な目で見てずっと有益なのだ。そう、村人たちは無駄死にではないのだ!
マサフミは心の中で、色々と言い訳を考え自分を正当化するのに必死だった。その間にも、モンスターは目玉模様の布を持った村人たちを吹き飛ばしたり、畑や家をその鋭い趾や嘴で荒らして回っている。ちょうどいいことに、村人たちが囮となってモンスターの注意を引き付けている。逃げるなら今がチャンスだ。
「で、でるたー…」
センメツシャーは未だ往生際悪く、立ち上がろうともがいている。
マサフミは、センメツシャーもこの場に捨ておくべきか、一緒に連れて逃げるべきか少しの間逡巡する。そして、マサフミは決断した。
「おいセンメツシャー、お前はもう戦わなくていい。俺と一緒に逃げるんだ」
マサフミはセンメツシャーを抱え起こした。マサフミは、センメツシャーの力を捨てるのが惜しいと判断したのだ。
「う~、モンスターは?」
「そんなの放っておけ。俺達にはそんなことよりやらねばならないことがあるんだ。いいか、村人を見捨てるわけじゃないぞ。これはリスクヘッジの観点からディシジョンした戦略的撤退なのだ!」
「てったいー!」
言うが早いが、マサフミはセンメツシャーを担いで村を飛び出した。マサフミ達の逃げる様を視界に捉えた鷲のモンスターは、まるで人間のように口角を上げて嘴を笑みの形に歪めていた。
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センメツシャーを担いで走るマサフミは、もうそろそろ村の境界を越えるところにまで差し掛かっていた。
今日は散々な一日だった。二度もモンスターに村を襲われるわ、モンスターに追い立てられて敗走しなければならないわ、やっぱり村人はグズで役立たずだわ。しかし、嘆くばかりでもない。マサフミの背中に乗っかる重み、未だに『デルタデルタ』うるさい男。この男に出会えたことは何よりも僥倖だった。この男さえいれば、自分は王にさえ成れる。そう思うと、気持ちは幾分か晴れる。
まずはこの男の治療をしなければならない。両足をひどく損傷してしまっている、近くの村まで持てばいいが。
ふと、マサフミは前方に不審なものが置かれているのに気付く。
なにやら意味深な模様が描かれた鉄の板、この村に初めて訪れた時に見た不思議なモニュメントだ。マサフミは、そのモニュメントを一種のおまじないの一種だと判断していた。モンスターの襲来が多いこの村においてモンスターを除け付けないための気休め、護符やパワーストーンのように、霊的とかいう曖昧な根拠のみに頼った科学的根拠も実績もないガラクタだと思っていた。そのような迷信を信奉する村人にほとほと呆れたものだ。自分の命令でそのようなオカルトグッズは全て撤去させ、代わりに前にいた世界でも使われた獣用のトラップをいくつか考案し、配置させたのだ。
でもおかしいぞ、とマサフミは訝った。あの鉄板は全て撤去したはずなのに、なぜあのように配置されているのだ。疑問はあったが、マサフミにとってはそれどころではなかった。大事な相棒(便利な駒)の負傷を治さんと一刻を争っているのだ。それにあの役に立たない鉄板が置き直されているからといって何か問題があろうか?
マサフミは等間隔で置かれた鉄の板の間を通り抜けようとした。しかし、その瞬間、マサフミにとって予想だにしない事態が起きた。なんと、無用の長物だと思われてた鉄の板が自動的にこちらを向いたではないか。
「え?」
驚いたのも束の間、マサフミの視界を炎が覆い尽くした。
「うがあぁぁぁぁぁ!」
全身を炎に包まれたマサフミは、その場でのた打ち回る。鋭い痛みが、熱が、恐怖が、全身の皮膚を食い破り、肉を焼き、神経を滅ぼす。生きながらにして地獄を味わう、という表現が適切だろう。
押し寄せる激痛の嵐の中、マサフミの思考はある思いに支配されていた。俺は、また死ぬのか?
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薄暗い洞穴を抜け蒼天を見上げた時のように、自分の思考が一瞬のうちに晴れやかになるのを殲滅者は感じた。そして、澄んだ思考回路で即座に状況を確認する。
魔方陣の描かれた鉄板の罠、燃え盛るマサフミの体、損傷している自分の両足、自身の計画通りに事が進んだことを確認した。ならば、あとはケジメをつけるのみ。殲滅者は、そのまま這いずりながらマサフミに近寄る。
「よぉマサフミ。今すぐラクにしてやるよ」
未だ耐えがたい苦痛にもだえ苦しむマサフミを見下ろしながら、殲滅者は左手に力を籠める。
ふと、少女の姿が思い起こされる。両親を殺されたことに悲哀しながら、不毛なる大地を耕し続ける少女の姿が。この男を殺すことの目的を再認識する。炎を司るドラゴンが宣う世界の為ではなく、自分の為、そしてあの少女の為に。
「オレと! そして、エイザの為に死ね!」
殲滅者の意思に反応し、彼の左手から刀身が勢いよく飛び出す。それは、マサフミの喉を貫通し、地面にまで到達した。身を焼く炎の苦しみに暴れていたマサフミの手が足が、まるで大地へと還るようにぐったりと力無く投げ出された。また一人、この世界の有害なるものを断ち切った瞬間である。
「くぅ、いってぇ」
削り取られた自分の足を見ながら殲滅者は悶える。歩けないように攻撃しろとは言ったがここまでひどい傷を負わろとは言ってないぞ、と殲滅者は奴の姿を思い浮かべながら心の中で文句を言った。
噂をすればというか、村の方向から大きな影がこちらに飛んでくる。その影は殲滅者の近くに降り立った。鋭い嘴、威嚇するようにギョロつく猛禽類特有の細い瞳、そして全身がまるで燃えているような赤々とした羽根で覆われている鷲型のモンスター、そう、さきほど村を襲ったモンスターである。
「下手くそ。誰がこんな深手を負わせろなんて言った」
殲滅者がモンスターに悪態を付く。モンスターは意にも介さず、もはや黒焦げになってしまった異世界転生者の死体を見て満足そうにしていた。
「いっそのこと切り落としてやった方が良かったか。未練がましく腿に引っ付いているより、その方が見栄えが良かろう」
モンスターは、殲滅者が聞き慣れた声でそう返した。この世の炎の属性を制御するいけ好かないドラゴンの声だ。見る見るうちに、大型の猛禽類のシルエットは縮小していき、あっという間に少女の姿へと変貌した。
「貴様の画策した茶番もなかなか趣があるよの。モンスターの撃退が不可能だと判断すれば、奴は村を捨てて逃げると踏んだ。しかも、貴様という頼りになる力は未練がましく持っていこうとすると踏んで、ここに魔方陣の罠を仕掛けておく。実に皮肉なものだ。自分が惜しんで担いできたその男こそ、この罠を起動させるトリガーになるとはな」
マリアは実に愉快そうに笑った。
全ては殲滅者の計画通りとなった。モンスターに扮したマリアに自分の足を損傷させ自力で歩行できないようにすれば、マサフミが自分を担いで村を脱出するだろうと予想した。奴は英雄を気取ることはあっても、尊い犠牲になろうという意思はない。旗色が悪くなれば逃げだそうとするのはソード・ベアの一件でも分かっていた。おまけに、マサフミは殲滅者の力量を高く買っていた。今後の用心棒代わりに殲滅者も連れて行こうとするのも予想通りだった。
あとは、村から逃げたマサフミをいかにして嵌めるかだった。それも、エイザの村で見た魔方陣の罠が解決してくれた。魔方陣の罠が人間以外の生物が近づくのを条件に発動することは知っていた。だったら、自分自身を標的とし、自分を担いでいるマサフミに魔方陣の炎が当たるようにすればいい。遺棄されていた魔方陣罠をきちんと設置し、エイザに教えられたとおりにマナを注げば、あとは御覧の有様。俺を狙った魔方陣の炎はマサフミに当たり、奴は炎上するって寸法だ。
「余韻に浸るのは構わないが、そろそろ俺の体を直してくれないか?」
未だ立つことすらできぬ足を見せながら殲滅者は言った。損壊した両足は出血こそないものの、失った肉を嘆き激痛を発している。
「ふん、言われんでも分かっておる」
マリアが瞳を閉じて何やら祈る。すると、アキヒロの時と同じように、マサフミだった肉体に光が宿ったかと思えば、その光の塊が周囲に散っていった。その散った光の一部は殲滅者の足に宿ると、見る見るうちに削ぎ落された肉が戻り、足はすっかり治ってしまった。
恐る恐る立ち上がり、再生された足の感触を確かめる殲滅者。傷みもなく、大地を踏みしめる足はしっかりと感触を伝えていた。
ようやく、殲滅者の顔にも笑みが零れる。強敵を屠った満足感と、そして自分の記憶と肉体を取り戻す目標が前進した喜び、そして…。
殲滅者は歩きだした。その背中に、マリアは声をかける。
「次の異世界転生者がいるのはこちらの方角だぞ」
マリアは、殲滅者の歩く方向とは逆の方角を指さしながら言う。
「ちょっと寄るところがあるんだよ」
そう言って、殲滅者はさっさと行ってしまった。わがままな旅の連れの背中を見ながら、マリアは嘆息する。
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ハンスと名乗る冒険者と別れてから随分時間が経ったとエイザは思った。あの二人は無事だろうか。心配していたが、それ以上の事を自分ができないことも知っていた。マサフミの魔術の恐ろしさを実感しているエイザには、彼のいる村に近づく勇気が出なかった。父と母が、彼の粗雑な戦術によりモンスターの犠牲になったことが、エイザの心には深い傷となって残っていた。何よりも許しがたいのは両親が死ぬその瞬間、自分が阿呆のように呆けて傍観するしかできなかったことだった。
畑に鍬を突き刺し、手前に引く。耕した後は肥料と種子を撒いて水をやる。幾度となく繰り返した工程だが、その行いが実を結んだことは文字通りなかった。何も生えず、何も実らない不毛な大地を耕す無為さに、心が折れることなどしょっちゅうである。それでも、とエイザは歯を食いしばり畑を耕す。
父と母が愛したこの土地を捨てるのは彼らへの裏切りに感じたし、エイザ自身もその愛着に縋らなくては生きる気力が湧かないのだ。墓標代わりに立てた二本の木の棒が目に入る。両親が見守ってくれているように感じるそれは、エイザの励ましとなった。
「頑張ってるな」
畑を耕すことに精を出していたエイザの背中に投げかける声があった。今一番聞きたかったその声に、エイザは慌てて振り返る。
「ハンスお兄ちゃん!」
振り返るとそこには、あのハンスと名乗る冒険者が立っていた。粗野な顔立ちが、今は多少柔らかく崩れていた。
「大丈夫だった、ですか?」
「このとおり、ピンピンしてるぞ」
ハンスは全身を見せるようにして言った。ほーらどこも怪我なんてないぞ、と言うかのようなポーズだった。
エイザはほっと胸を撫で下ろす。勢いとはいえ仇討ちをお願いしてしまったことに引け目を感じていたのだ。
「ハンスお兄ちゃん、それで…」
エイザはあることを聞こうとしたが躊躇った。ハンスがここに戻ってきた理由は分かっていた。だからこそ、彼の口から直接事の顛末を聞きたかったが、それは憚られるような気がしたのだ。
エイザが葛藤しているのを見かね、ハンスが静かに語る。
「証として首級でも持ち帰るべきだったかな。と言っても、小さな女の子には刺激が強いよな」
「それって」
「殺してきた。マサフミを」
予想通りの答えだったが、エイザはそのことに感嘆も喜びもなかった。憎いあの男は死んだ、けど愛しい人たちは戻っては来ない。不毛な大地を耕すのに似た空虚な達成感だけがそこにはあった。
「エイザ、君は他の人と一緒に新しい村で暮らしたほうがいい」
「な、なんで、ですか?」
「ここの畑をいくら耕したって芽は出ない。モンスターにだっていつ襲われるか分からない。そんなところに一人でいるのは危険だ」
「でも、ここはパパとママの…私の思い出の…」
「エイザ」
エイザは殲滅者の説得に頭をふって拒否する。彼女自身、ここにいることに意味などないと自覚はしているが、それを認めたくはなかった。認めてしまったら、本当の意味で両親が死んでしまう、そう思っていた。
ふと、視線を落としたエイザの瞳にあるものが映った。それは、とても小さな芽だった。その芽は儚くも土を押し上げ、地上の光をいっぱい浴びようと懸命に背を伸ばしているようだった。逞しく生きようとする幼い芽に自分自身を重ねて涙を浮かべるエイザ。
「ハンスお兄ちゃん、芽が、芽が出た、です!」
嬉しくて思わず叫ぶエイザ。ハンスも、その奇跡に驚いていた。
「異世界転生者が死んだことで、やつが抱えていたマナの一部がこの地にも還ったのだろう」
いつの間にやら、ハンスの後ろに来ていたマリアが説明した。異世界転生者の意味は分からなかったが、エイザはとても喜んだ。
「奴らを全て殺せば、この土地の作物も蘇るのか?」
「天秤を傾けている存在が消えれば、均衡が取れるのは道理だろう。そうすれば、死んだ大地も元に戻るさ」
ハンスは思案気に、ようやく芽吹いた命とそれを喜ぶエイザを見る。異世界転生者を殺す理由がもう一つできたようだ。
「エイザ」
ハンスは、懸命に生きる幼き命に敬意を込めながら誓いを立てる。
「待っててくれ。この畑にたっぷりの作物が実るように俺がなんとかしてくるからよ。あいつらを、異世界転生者を全て滅ぼすことで」