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オレの為に死ね!  作者: ハンスシュミット
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第3話 転生者アキヒロ(3)

バンダースナッチの群れとの戦闘から数刻、西の山々に太陽が隠れ夜の緞帳が下りようとする頃、山間の小さな町にたどり着いた。


交易商たちとは一旦別れ、殲滅者たち一向は宿屋を探した。


ほどなく、小さいながら、しっかりとした宿屋を発見した。


一階は酒場となっており冒険者や町の住人たちで賑わっていた。建物の奥にはフロントがあり、さらにその奥に階段が設けられ、2階は宿泊客用の個室が何部屋かある作りとなっていた。


殲滅者たちは、昼間の戦闘の祝杯と今後について、食事を交えつつ酒場で話し合っていた。


「交易商のおじいさんはこのまま王都まで護衛してほしいってさ。アキヒロの魔術もさることながら、ハンスの剣術やモルティナさんのサポートもいたく気に入ってくれたみたい。


 モンスターだろうが山賊だろうがどんと来い!って言ってたわ。戦うのはアタシ達だっていうのにねぇ」


「王都まではあとどれくらいかかるんだ?」


卓上に並べられた料理の中から、何かの骨付き肉を掴み取り、その大きな肉にむしゃぶりつきながら殲滅者は尋ねた。


歯で噛みしめた時、甘い肉汁が口中に広がる。肉を食うと、昼間の戦闘で失った体力を補填しているような気になる。しかし、背中の痛みはあれから一向に引く気配はなかった。


「あと4日か5日って言ってたわ。途中、他にも街や村に寄るみたい」


そうか、と気のない返事をする。尋ねてきたのはお前だろうに、と言いたげな視線をミレニアは送ってくるが文句は言わなかった。


彼女も昼間の戦闘でひどく疲れたのだろう、目の前に盛られた料理の数々を咀嚼することに口を使いたがっていた。


モルティナはバスケットから取り出したパンを小さく千切り、サンタマリアに与えていた。


アキヒロは殲滅者と同じく、骨付き肉にかぶりつくのに夢中になっていた。


「あ、そうそう。部屋は2部屋取っておいたから。アタシとモルティナさん、アキヒロとハンスでそれぞれ使うことにしたからね」


「おいおい、勝手に決めるなよ」


「なによ。もしかしてアンタ、モルティナさんと一緒の部屋が良かったとか?」


ミレニアの軽口につい反応し、殲滅者はモルティナを見てしまう。その視線は、真正面からモルティナの視線とぶつかった。


先に顔を伏せたのはモルティナだった。フードに隠れて半分以上顔が見えないというのに、その顔が紅潮しているのがわかる。


「べ、別にそういう意図で言ったわけじゃ…。2人部屋じゃなくて1人部屋を取ればいいじゃねーか」


「あいにく、この宿は2人部屋以上しかないの。まさか2人部屋を4つ取れって? その金アンタが出してくれるの?」


むむむ、と殲滅者は口をつぐむ。見ると、アキヒロも苦笑いというか愛想笑いというか、場を保たせることしか考えていないような表情を作っていた。


それから一行は、昼間の戦闘を称えあったり、小粋な冗談を交えつつ、テーブルに並べられた料理の数々を胃袋に押し込めていった。


テーブルの上が綺麗に片付く頃には夜も更けており、昼間の戦闘の疲れもたたって、食欲の次に睡眠欲を満たしたくなってきた。


誰が言うでもなく会食は終わりを告げ、各自部屋に引き上げようとしていた。


殲滅者が個室に入ろうとした時、モルティナが殲滅者を呼び止めた。


「あの、ハンスさん。ちょっと…いいですか?」


どうした?と彼女を促すが、モルティナはなかなか次の言葉を言わなかった。なにかしらの感情が彼女の言葉を堰き止め、流出させないようにしているように見えた。


「昼間のこと、改めてお礼を言いたくて…」


しばらく待って、モルティナはやっと感情の一部を吐露できた。


「ハンスさんに庇っていただかなければ、私は今頃この場にはいなかったと思います」


そう言って、彼女は殲滅者の顔を真正面から覗くように顔を上げる。


彼女の特徴的な瞳が艶やかに濡れている。それは、とても彼女を魅力的に見せていた。


「ありがとう…ございます」


とても自然で、柔らかな笑顔だった。殲滅者は、自分の心になにか名前を付けられない感情が湧きおこるのを感じた。


「お、おう…」


自分でも情けないほど動揺した声が出た、と殲滅者は思った。


「その、なんだ。昼間の事は気にするな。別にたいしたことをしたわけじゃない。それよりも…」


そう言って、殲滅者はモルティナの顔に寄せるように右手を差し出す。


「お前はホントはそうやって吃音なく喋れるんだよな。けど、最初に会った時やモンスターが出るまでの馬車の中では、あえて喋るのが下手なように見せかけた。


 そして、常にそのフードを目深に被って、なにかを隠すようにしている。お前は一体なにを隠している?」


それは、しばし殲滅者の気を揉む疑問だった。彼女がなにかを隠しているのか、なぜ隠しているのか。


彼女の秘密を知りたい。それはただの野次馬根性なのか、異物を殲滅する者として不確定要素を排除したい警戒心がさせるのか、それとも、彼女をもっと知りたいという欲求がさせるのか。


なにかに突き動かされるように、殲滅者の手は彼女のフードに近づく。そして、それに手をかけようとした時。


バシンッ!


非常に乾いた音と痛みから、殲滅者は自分の手が強い力で叩かれたのを理解した。


誰が叩いた。考えるまでもない、モルティナだ。


自らを害そうとする者の手を弾いたモルティナは、その手の主に対して、怒りと、嫌悪を込めた双眸を向けた。


さきほどまで自分に向けられていた視線とのあまりの違いに、殲滅者は激しく動揺した。


モルティナは一言も告げず、殲滅者の脇を通り抜けて自室へと帰ってしまった。


宿屋の廊下、痛む手と床の木目を交互に見比べながら、殲滅者は言いようのない喪失感を覚えた。



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□



「あ、ハンスさん。どこ行ってたんですか?」


部屋に帰るとアキヒロが呑気そうに出迎えた。殲滅者の胸中を知らぬ彼にその態度を非難される謂れはないが、アキヒロの調子に殲滅者はいささか苛立ちを覚える。


「別に」


「ベッド、どっちにします? 奥? それとも手前?」


どっちでもいいよ、とぶっきらぼうに答えつつ、殲滅者は手前のベッドに転がる。


アキヒロは何か言いたげな顔だったが、特に何も言わなかった。殲滅者の態度になにか妙なものを感じたのか、それとも人に文句を言える性格じゃないのか、どちらかは分からぬが。


仰向けに寝転がった殲滅者の視界には、さきほど廊下で見た床と同じ木目の天井があった。モルティナの態度、あの怒りのこもった瞳、いまだ痛む手の甲。


頭の中に考えが浮かんでは、シャボン玉のようにふわふわ中空を浮遊し、天井にぶつかり弾ける。またなにか浮かんでは弾けて、一向に考えがまとまらなかった。


明日どういう顔で彼女に会えばいいのか。その考えもまた、浮かんでは弾けた。


とりあえず、寝よう。逃げたかった、モルティナのあの目から。起きてたらあの目を思い出してしまう。


深い沼に沈んでいくような、殲滅者は自分の意識が闇に埋没するような感覚を感じた。が、その意識は無理やり引き上げられた。アキヒロによって。


「あの、ハンスさん、ハンスさん」


殲滅者の体を揺するアキヒロ。殲滅者の意識は、無理やりの覚醒を余儀なくされる。


「…なんだよ」


無頓着なアキヒロにもわかるように不機嫌さを露にする。その態度に鼻白むアキヒロだが、だからと言ってそのまま寝かせる気はない様子だった。


「あの、ちょっとお話いいですか?」


「なんだよ、話って?」


「いや、ここではちょっと…。外行きませんか? 誰もいないところで二人っきりで話したいんですよ」



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□



だいぶ歩いたろうか。町の光が随分儚げに見えるほど、町から離れた森の中をアキヒロと、それに連れられてハンスが歩いていた。


今宵は月明かりが眩しく、光源を持たずとも森の中を歩くのに苦労はしなかった。


町の外の、誰もいないところで二人っきりで話がしたい。そう言ってアキヒロはハンスを連れ出した。


アキヒロにはずっと気になっていることがあった。ハンスと初めて出会ったあの広場でのこと。呪文詠唱せずに自分の目の前で見せた魔術による顕現した事象。なぜ彼はそんな芸当ができるのか。


そのことについてずっと問い質したいという欲求があった。しかし、その内容については彼以外の人間に聞かれたくはない。大人しそうなくせにやけに扇情的な体つきをしているモルティナはもとより、長年一緒にいるミレニアにさえも。


しかし、問い質したい事はあるがアキヒロはその答えをわざわざハンスから聞かなくてもいいかもしれないと思い始めていた。何故なら、彼がアキヒロに対して深く詮索せずにこうやって付いてきてくれることが、なによりそれを証明していると思っていた。


ここらへんでいいだろう。町からは大分離れた森の中、人の気配など当然ない。ここにはアキヒロとハンスの二人しかいない。


アキヒロは足を止め、ハンスに向き直る。


神妙な面持ちのハンスが、アキヒロの停止に合わせて、自らも歩を止める。


その時、アキヒロはハンスの肩に留まる鷹、サンタマリアがいることに今更気付いた。


しまった、と思ったが、すぐにその気持ちは霧散した。鳥がこれからの会話を聞いたところでどうなる。理解できるわけもないし、誰かに喧伝することもない。仔細ないじゃないか。


「話ってなんだ?」


ハンスが言った。彼も気になっている、その態度がアキヒロには殊更嬉しかった。


思わず声にならない小さな笑いが腹の中で湧く。郷愁、連帯感、安心感、いろいろな気持ちが混ざり、笑わずには居られなかった。


今この場なら本当の自分を見せてもいいんだ。それは放尿するような得も言われぬ解放感をアキヒロに与えた。


「ふふ、ふふふふふ」


「なんだよ、気持ち悪い笑い方しやがって」


「ハンスさん。いや、ハンス。どうして君は呪文詠唱もなしに魔術を使えるのぉ?」


今までのアキヒロからは想像できない気持ちの悪い喋り方に、ハンスは面食らった。


こういう喋り方をするのも10年以上ぶりである。窮屈なペルソナの下で余所行きの当たり障りのない口調をしてきたが、この場でそれは必要ない。なんの衒いもない素の自分の喋り方ができるのは爽快だった。


「どうしてって。そりゃお前、昼間モルティナに話したろ。なんか念じるだけで使えるんだよ、よくわからねぇけど」


その回答に、アキヒロはこそばゆさを覚えた。彼もきっと、本当のことを言いたいけど警戒しているのだろう。だから的外れなことを言っている、そう解釈した。


おそらくだが彼も、アキヒロの正体が何者なのかは薄々感づいているが、それを打ち明けるべきか迷っているのだろう。


ならば、自分から一歩踏み出すべきか。とアキヒロは考えた。


「わかったわかったよぉ、お互い変な腹の探り合いはやめよ。


率直に聞くけどさぁ、ハンスも異世界転生者なんだろ?」



「異世界…転生者?」


ハンス回答はどこか要領を得ない。もしかして、彼は異世界転生者ではないのか。アキヒロは少し不安を感じた。


「あ、もしかしてラノベとか読んだことない? ほら、現実世界で死んだらさ、チート能力手に入れて異世界で生まれ変わるってやつ。


呪文を唱えずに魔術使えるのって、どっからどう見ても異世界転生のチート能力だよね? ハンスも元別世界の人間だろ?」


そこまで説明すると、ようやっと合点がいったのか、ハンスは慌てて首肯し出す。


「そ、そうだ。その通りだよ。俺は異世界転生者だ。その…チートってやつのおかげで俺も魔術が使えるのさ」


なあんだ。自分の早とちりじゃなくてよかった、とほっと胸を撫で下ろす。


知らない世界に一人置き去りにされたような孤独感を感じ続ける毎日が勇み足を招き、異世界転生者でない者にこの話をしてしまったのではないか、と焦ってしまったではないか。


結局は杞憂だったが、今後はもっと注意したほうがいいかもしれない。ハンスや自分以外にもこの世界には現実世界から転生してきた人間はいるかもしれない。そのような人間とコンタクトを取る時は、早計に異世界転生者を名乗るのは得策ではないか。


「あ、焦らせないでよぉ。異世界転生者じゃないかと思ってビビっちゃったじゃん」


「すまん、いきなり言われたから反応できなかったんだ」


「まぁ異世界転生者同士だったって確認できたからいいけどさ。ところでさ、今後の事を話し合いたいんだけど…」


「今後の事って?」


「ぶっちゃけさぁ、女の子の配分をどうするかって話!」


「…はぁ?」


「ミレニアたんは僕のものだからね! ずっと小さい頃から目をつけてたんだ」


「ミ、ミレニア…たん?」


「そう、僕はずっと心の中で彼女の事をミレニアたんって呼んでたんだ。面と向かって彼女の前では言わないけど、妹みたいにカワイイ彼女にはピッタリの呼び方じゃあないぃ?」


「妹って。お前と年違わないだろ?」


「ああ、こっちの世界ではね。転生前の僕は39歳だったから、彼女がロリ子にしか見えないんだよねぇ」


「39歳…」


ハンスが年齢を聞いて絶句する。見た目とのギャップは深刻なようだ。


「モルティナちゃんも、最初はあのナイスバディを僕の自由にしたかったから仲間に入れてあげたけどぉ、君、あの子のこと好きだよね?」


「俺が、あいつを?」


「あれ、違うの? てっきり君は巨乳派だと思ってたよぉ~」


「別に…。そんなんじゃねぇよ」


「じゃあ、彼女も僕の好きにしちゃっていいのかな? 後で分け前よこせとか言わないでよ」


「勝手にしろ」


「じゃあさ、じゃあさ、それなら協力してよぉ。今度モンスターが襲ってきたときはさ、僕がモルティナちゃんを颯爽と助けてあげて、彼女のだいしゅきポイントをゲットするんだよぉ。


そうすれば女の子って単純だし、きっと僕に胸キュンして惚れちゃうと思うんだぁ。この甘いマスクに言い寄られたら、どんな女の子もイチコロだしねぇ。


左にミレニアたん、右にモルティナちゃん、ふはぁハーレム完成! ぶっひっひっひっひ~」


ハンスはアキヒロの醜悪さに顔を顰めた。なまじ見た目が美少年なため、内面と外見の齟齬がことさらアキヒロを不気味な存在に仕立てている。


好きにしろと、と吐き捨てるようにハンスは言った。


「じゃあ今後ともよろしくね。あ、くれぐれも僕らが異世界転生者だってことは他の人には内緒にしてね。知られると色々面倒だし」


ハンスは答えなかった。アキヒロは、それを同意と受け止めたので特に詮索はしなかった。


それどころか、アキヒロは明らかに舞い上がっていた。同じ境遇の異世界転生者と巡り会えたことと、これから確実に起こるであろうと思い込んでいる桃色の妄想で頭がいっぱいだったのだ。


じゃあもう帰ろうか、アキヒロがそう告げ、町の方に歩き出す。その歩調は軽やかで、とても嬉し気だった。


気が付けば、お月様も天頂に差し掛かろうとしていた。すっかり真夜中となり、辺りは静寂に包まれ、物音ひとつしなかった。風を切るような音を耳が拾うまでは。


ガイィンッ!


風切り音、その直後に鳴り響く静寂を突き破る甲高い金属音。


突然の大きな音にアキヒロはびっくりし、下卑た妄想から現実へと意識が引き戻された。音の出所を探った時、それが自分のせいだとすぐに気が付いた。


いつものように、自分が一切意識せずとも、何者かの凶刃を剣で受けていた。これもチート能力の賜物なのだ。あらゆる敵意を自動的に感知し、防御し、そしてその対象を排除する。魔術の他に持っているアキヒロの卑怯の一つだ。


自動的に受け止めた敵意の先、月明かりに怪しく煌めく刀身の先には、さきほど真の意味で理解しあえたはずの仲間、ハンスがいた。


ハンスが自分を殺そうと剣で襲い掛かってきた。にわかには信じがたいが、そう受け取るしかない現実があった。


またもや剣を握った右手が勝手に動く。受けた刃を弾き、ハンスの首を刎ねるよう剣を振るう。


その攻撃にとっさに反応したハンスは、軽やかに後方へ飛び退く。


「な、なんでぇ…?」


口を疑問がつく。なぜ彼は自分を殺そうとしたのか。それは言葉となって外に出た。


ハンスはすぐには答えなかった。感情を殺したような表情を浮かべ、こちらを睨みつける。そして、ゆっくりと口を開いた。


「俺の名前はハンスじゃない。俺は殲滅者、異物、いや異世界転生者を滅ぼす者だ」


ハンス、もとい殲滅者が地を蹴り、こちらとの距離を詰める。また斬りかかってくるつもりか? 不意打ちでも失敗したというのに。


アキヒロは殲滅者に手のひらを見せるように左手を開く。そしてイメージする。裏切者が無残に風の刃に切り刻まれる様を。


「ゲイルエッジ!」


そう力強く宣言すると、左手から神秘が放出される感覚が起きる。出力された神秘は、風の刃と化して殲滅者を襲う。


殲滅者は左足で大きく地面を蹴り、右に飛んだ。風の刃はそのまま誰もいない虚空を滑り、背後の木々をなぎ倒す。


「やっぱり、モルティナちゃんの事好きなのぉ!? 僕が彼女に手を出すのが許せないってこと?」


殲滅者は木々を盾にしながら、こちらを円の中心とするように周囲を走り回る。


「ライトニングジャベリンッ」


左手から槍となった閃光が放たれ、周囲の木々を吹き飛ばす。


殲滅者には被弾していない。今の一撃で土煙が盛大に舞い上がり、殲滅者の姿を見失ってしまった。


「わかった、それならモルティナちゃんは君がゲットすればいいよぉ。僕はミレニアたんだけで我慢するし!


あ、なんなら二人で彼女たちをシェアするってのはどう? 一粒で二度おいしいってやつぅ」


殲滅者は答えない。


「仲良くしようよ、同じ異世界転生者だろぉ。二人でこの世界を思い通りに、楽しくハッピーに生きようよぉ!」


「何か勘違いしてないか?」


闇の中から、殲滅者の声が響く。


「俺は異世界転生者じゃねーよ。さっきも言ったろ、お前を殺すために生きているんだ。お前を殺さなきゃ、生きていけないんだよ」


「なんだよ、それ…」


アキヒロは絶句する。


この世界にも自分を排斥しようとする存在がいることに絶望を感じた。


自分を否定したあの世界からやっと逃げられ、自分を肯定し、自分を賞賛してくれるこの世界にやっとたどり着いたというのに。


不意に、転生前の記憶が思い起こされる。


小さな部屋、うず高く積まれたゴミの山、パソコンに向かう太った自分、窓によって四角く切り取られた先に見える、自分を閉じ込めた広い世界。


言葉にならない、咆哮のような大声を上げる。


自制を失った魔術が、アキヒロの辺り一面に炸裂する。雷、水、風、火、あらゆる神秘を以てなりふり構わず敵を排除しようとする。


アキヒロの周囲は荒れ果て、土埃が舞う。


「僕を…僕を否定しようとするなぁ!」


未だ姿を見せぬ脅威に対し、あらんかぎりの声量で恫喝する。


「知るかよ」


土煙の中を切り裂き、なにかの影が躍り出た。そう、殲滅者だ。


白刃がアキヒロの首めがけて飛翔する。しかし。


ドスッ。


殲滅者の刃はアキヒロの首を捉えることはなかった。その代わり、アキヒロの剣は殲滅者の横っ腹に鈍い音を立てて突き刺さった。


よろめく殲滅者。致命傷を負いつつも、殲滅者は返す刀でアキヒロに斬りかかる。


しかし、その太刀筋には力がなく、アキヒロはなんなく後ろに躱した。


飛び退いたせいで、殲滅者の体を一望することができた。彼の横っ腹にはいまだに剣が深々と突き刺さり、どう見ても瀕死だった。


人間の肉を貫いた感触がいまだ左手に残っている。その感触にアキヒロは慄いた。モンスターを斬るのとは違う、人間の肉の感触。恐怖に声が上擦る。


「お、お前が悪いんだぞ。僕を殺そうとしたりしたから」


「…は、ははは」


殲滅者は口角を上げて笑っていた。激痛からか顔は脂汗まみれで、強がっているようにしか見えない。


「これで止め…さしたつもりか。俺の…炎魔術…でお前を消し炭に…してやるよ」


そう言って、殲滅者は左手をアキヒロに向けて掲げた。


それならば、とアキヒロも殲滅者に向ける。ただ、その時ふと気になることをアキヒロは発見した。殲滅者の腹に深々と突き刺さった剣から、一滴の出血もないことを。


訝しんだが、それ以上にアキヒロは興奮して他の事を考えられなくなっていた。人間を殺すということに。


「ブレイズストームッ!」


力強い言葉が空気を揺らすのと同時に、殲滅者の周りに炎の渦が巻き起こる。


その炎はあっという間に殲滅者を飲み込み、彼は火だるまとなった。


バチバチと音を立てて、殲滅者だったものは燃え上がっている。


初めて人間を殺した。人生を2度歩んできて、これが最初だ。


喪失感と共に、得も言われぬ黒い達成感が自分の内に湧き上がるのをアキヒロは実感していた。


アキヒロはその場を立ち去ろうとした。


ミレニアたちにこの事をなんと説明すればいいだろうか、と思案した。が、その思案を遮るものがあった。


声がした。それは事切れる寸前の殲滅者のものだった。


「オ………ネ」


何かを告げようと、必死になって喋っている。


「なんだって?」


「…レ………シ…」


アキヒロは気になって殲滅者に駆け寄る。彼の言葉は弱弱しく、近づかなくては聞き取れないほどだった。


「なんて言ったぉ?」


燃え上がる殲滅者の口に、できるだけ耳を寄せて聞き取ろうとした。その甲斐あってか内容を聞き取ることはできた。そしてそれが、愚かな行為であったことを同時に知る。


"オ レ の 為 に 死 ね !"


殲滅者の言葉と同時に、なにかの衝撃が体を走った。


喉から、熱いなにかがこみ上げるのが分かった。そして、それは口から大きな塊となって吐き出された。


血だった。自分がイメージするより黒く汚い血が、大量に口から飛び出した。


なんで?と言おうとしたが、声が出ない。代わりに、止めどなく血があふれ出す。たまらず喉を触った時、その原因がわかった。


燃え上がる殲滅者の左手から剣が生えていた。肉体に埋め込まれていたのだろう、その刃がアキヒロの喉を貫いていたのだ。


なんで?と再び疑問が浮かぶ。今度は出血の原因ではなく、なぜ自分がこのような目に遭わなければならないのか、という非難めいた疑問だった。


さんざん現実世界で惨めな思いをし、その辛酸を神様が嘆いてくれたから、自分は異世界に転生できたのではないのか。そして、こんな素晴らしいチート能力を得て、自分が失った本当の人生を、こっちの世界で謳歌するのではないのか。そう思っていたのに。


アキヒロは仰向けに倒れこむ。


霞む視界に、大きな月が映る。


この世界の満月は淡い青色をしているんだな、と虚ろな思考で考えていた。そういえば、現実世界の満月はどんな風だったのかなと思い出そうとするが、思い出せなかった。


あの狭い部屋に閉じこもって何十年、夜空の月を拝んだことなどもうずっと昔の事だった。


死ぬ前に月でも見とくべきだった。アキヒロの二度目の人生は、こうして幕を閉じた。



■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□



痛い! イタイ! いたい!


体中の痛覚が悲鳴を上げる。その多くの声に、脳がパンクしそうであった。


「異物を殺したようだな、大儀であった」


サンタマリアが殲滅者の傍に降り立つ。


人の苦労も知らずに鷹揚に言いやがる、というもなら毒付くところだが、今の殲滅者にそのような余裕はなかった。


「きちんと忠告した通りに、その腕に埋め込まれた剣、『覇剣』でやつに止めを刺したようだな」


言われて、殲滅者は自分の肉を貫くように突き出している左手の剣を見る。


アキヒロの血に濡れ、月明かりをたっぷりと浴びたその剣は、夜の闇の中でも不気味に光っていた。


サンタマリア、いや炎のドラゴンに初めて会った時に渡された剣。この剣は人の魂を世界の輪廻から逸脱させるためのものだと言われた。


曰く、この世界の魂は輪廻転生を繰り返すだとか。死ねば土に還り、幾年月を経てまた何かに生まれ変わる。


しかし、異世界転生者をその輪廻の輪に加えるわけにはいかないからこそ、この剣で殺せと命じられた。


おまけに、この剣は特殊な材質で出来ており、大気に触れるだけで崩壊すると言うではないか。


だからこそ、殲滅者の肉体に埋め込まれ、今宵の出番までずっと隠れ続けていた。


「剣の傷と魔術での攻撃により人体の損傷率が限界を超えたようだな。貴様の体が炎に還ろうとしているぞ」


「えらそーに言ってねぇでなんとかしろ!」


「落ち着け。まずはその腹に刺さった剣を抜け。でなければ修復もできない」


言われて殲滅者は自分の横っ腹に突き刺さったままの剣を引き抜く。剣が肉に触れるたびに、耐えようもない激痛が走る。


抜いた剣を乱暴に地面に叩きつける。その剣先には一滴の血も付着しておらず、殲滅者の傷跡からも一切の出血が見られない。


剣が抜けると幾分か痛みは引いた。しかし、刺し貫かれ空洞になった空間は、足りない何かを嘆くように痛みを発している。


殲滅者の体は未だ炎を上げ、燃え続けている。いや、正確に言えば彼の体が燃えているわけではない、彼は今炎そのものになっているのだ。


炎を司るドラゴンが生み出す超常、それは炎を人間の形に形成し、彷徨う魂の器とすることである。そう、殲滅者の体は人のものではなく、炎の化身なのだ。


サンタマリアが祈る。すると、倒れたアキヒロの亡骸が朧げな光を放ちだした。


その光は大地に、風に、空に還っていく。アキヒロが不当に所有していたマナが、解き放たれこの世界の正しい循環に戻っていったのだ。


続いて、殲滅者の体も光を放ち始める。


踊り狂っていた炎は徐々に勢いを弱め、紅蓮の炎が徐々に人の形に変わっていく。みるみるうちに、火柱でしかなかったものが、人体となっていった。


復元された左手を握りこむ。そして広げる。殲滅者は自分の体が元に戻ったことを実感した。


「は、はは。やったぜ」


「貴様、わざと刺し貫かれたな。剣さえ奪ってしまえば、自動的に防御できなくなると踏んで。そして奴を油断させるためにあえて炎魔術を使うよう誘導し、自らの体を燃やした」


「完璧だったろう? もっとも、あんなに痛いとは思わなかった。もうこりごりだ」


「そうだな。あのような無茶な戦い方をすれば、その身はいくつあっても足らん。次は復元する前に炎となって消滅するかもしれない」


「次って、次なんかねぇだろ。こうやってアキヒロは殺した。お前の言う世界のバランスどうたらも安泰ってことだろ。それより、元の体に戻したんなら次は記憶も元に戻せ。俺は一体何者で、どこから来たんだ?」


「なにか思い違いをしていないか?」


「あ?」


「我は貴様に全ての異物の抹殺を命じた。貴様に与えた名前の意味を考えろ。『滅し』『尽くす』『者』」


「おいおいおい、ちょっと待てよ。こんなやつがまだ他にもいるってのかよ! それを全部俺に殺させようってか?」


そこで、ふとあることに気付く殲滅者。自分の体を確認するように触る。


「気付いたか。貴様のその肉体はいまだ人間のそれではない。我の力により炎の神秘を以て再構築した仮初の器のままだ」


なんてこった。殲滅者は吐き捨てる。あれだけの苦労をしたというのに、あれほどの苦労をまたすることになるのか。


サンタマリアが何かを察知するように町の方角を向く。


「早くここを去れ。仲間の小娘たちが感づいてこちらに向かってきている」


サンタマリアが、燃える炎のような翼を広げ、夜の空へと飛翔する。


天頂に輝く青い月は濡れたように光り輝いていた。


疲労した体を引き摺り、その場から逃げる。


「まずは南西の方角だ。そちらから異物の気配を感じる」


上空からサンタマリアの声がする。その声に対して指摘するように殲滅者は呟いた。


「異物じゃねえよ、あいつは…あいつらは異世界転生者だ」


それが敵の本当の名前。

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