第1話 転生者アキヒロ(1)
「あいつなのか?」
冒険者風の男が、肩に止まっている鳥に話し掛ける。おそらく鷹だろうか、威厳のある雰囲気と炎のように滑らかな紅い羽根を持つ特徴的な鳥だった。
「そうだ、殲滅者よ。ヤツこそ我らの、そして世界の敵である異物だ」
紅い鷹は鷹揚な口ぶりで言う。
殲滅者と呼ばれた青年の視線の先、町の広場には円を描くように人垣が出来ていた。そして、その人垣の中心にこそ彼らの言う敵がいた。
異物と呼ばれたその人物は少年だった。すらっとした風貌と短く整った黒髪、見ようによっては美少年とも評せるだろう。世界の敵、という言葉にはいたく不釣り合いに感じた。彼の長閑そうな雰囲気がそれを助長しているのだろうか。
「お集まりの皆様、お待たせしましたー!」
少年の横に控えていた少女が、よく通る大きな声で群衆の注目を引きつける。小顔の可愛らしい少女だった。引き締まった体が彼女の溌剌さを形容しているようでもあった。
「今からここにいるイケメン君が、皆様があっと驚く奇跡を起こしてみせますー!」
彼女の発破に色めき立つ見物客。その反応にいたく満足気な少女は少年に目配せをする。
ショーの始まりを意味するのだろう、少年は気恥ずかしさを感じつつも、なにやら両手を天に掲げた。自然と、観衆の視線もその少年の両手の延長線上をなぞる。と、
少年の掲げた手の先、何もない虚空に小さな水の球が出現する。そして、それは見る見るうちに大きくなり、あっという間に見物に来た人々を飲み込むのではないかと思うくらい大きくなっていった。
パンッ!
大きくなりすぎた水の球は小さな炸裂音を立てて弾けた。そして、弾けた水は観客たちの頭上から滝のように落ちていった。
周りは阿鼻叫喚の嵐となった。びしょびしょに濡れた観客たちが口々に悲鳴や非難の声を上げる。
「あ、あれ? ちょっとやりすぎちゃったかな?」
この騒動の張本人の少年は、まるで悪怯れもなく言い放つ。
「加減しなさいよバカッ! って、キャー!」
相棒の失態に文句を付けようとしたが、自分の惨状に気付き悲鳴をあげる少女。彼女の服は水に濡れ、張り付いた衣服が必要以上に少女の魅力的なボディラインを露わにしている。観衆の中にはその姿に喜びの声をあげる者もいる。
悲鳴、非難、あと助平な歓声、辺りは騒然となった。しかし、その騒動の坩堝の中にも、いたく冷静に物事を分析する声がちらほら見受けられた。「あの少年、呪文詠唱や魔法陣を使用せずに…」とか「これほどの規模の魔術を発現させられるなんて…」など、識者たちの呟きが聞こえた。
「殲滅者よ、貴様もしかと見ただろう。これが異物が行使する魔術、我らは異属性魔術と呼んでいる」
濡れ鼠ならぬ濡れ鷹になりつつも、荘厳な物言いを崩さすに言う紅き鷹。羽根が水で萎れ、貧相な見た目になりながらもそういう物言いをすることに殲滅者は滑稽さを感じた。
「異属性って、ただの水魔術だろ? 威力は凄まじいみたいだが」
「愚か者。ヤツは一切呪文の詠唱を行わなかったろう。これが如何に異常なことか貴様は分からぬのか?」
「知るかよ」
「そもそも魔術とは契約なのだ。炎を司る我と、その他5つの属性を司る5体のドラゴンたちによりこの世界は管理されている。
魔術は、我らドラゴンたちに呪文、または魔法陣によって、どのような神秘を発現させたいか、用途と規模を宣誓する。その宣誓に我らが同意した時、属性の力を以って神秘を発現する。その後、発現した魔術分の代価、人間の持つマナと呼ばれる生命エネルギーの事だが、を消費してもらう。
しかし、異物は呪文の詠唱を行わなかった。我らの管理を経由せずに属性の神秘を行使したのだ。さらには代価も支払われない。消費された神秘は補填されず、発現した属性の力は失われたままだ。
これでは世界を保つ属性のバランスが崩れてしまう。世界のバランスが崩れれば、天災やモンスターの大量発生、出生率の低下などを引き起こし、最悪世界そのものが滅ぶ」
「だから、ヤツを殺せってか?」
「その通りだ殲滅者よ。これは世界を破滅から救うための戦いだ。心してかかれよ」
偉そうに、と殲滅者は心の中で愚痴る。
「世界を救うとか、んなこたぁどうでもいい。俺は、俺の為にヤツを殺すだけだ」
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「やぁ少年少女、ちょっといいかい?」
未だ混迷極まる広場の渦中、例の異物と呼ばれる少年とその連れ合いの少女に殲滅者は声をかける。
「アンタ、誰?」
少女の方が胡乱げな視線を隠そうともせずに言った。たしかに、小汚い格好の見ず知らずの冒険者が話しかけてきたら、そういう態度を取るのも致し方ないだろう。おまけに肩には紅い鷹まで留まっている。見るからに怪しい。
「そこのアンタ、凄いな。呪文詠唱も行わずにあれだけの水魔術を使えるなんて、感動した。是非俺を仲間にしてくれないか?」
異物と呼ばれた少年の手を握り熱く語る。当の少年は、どう反応していいか困っている様子だった。
「ちょっとストップストップ、そういうのはね、マネージャーのアタシを通してもらえるかしら?」
「君は?」
「アタシはミレニア、そしてこっちの頼りなさそうなのはアキヒロよ」
「アキヒロ…?」随分変わった名前だ。
「変な名前でしょ。まぁ、変わってるのは名前だけじゃないけど。呪文詠唱もなしに魔術を使ったり、おまけに世間のジョーシキに疎いし、変にお人好しな上に軟弱だし、それから…」
次から次へと、アキヒロへの文句が口をついて出る。しかし、その言い方に嫌味や皮肉などは感じられず、むしろ信頼の上の軽口に感じられた。
バリエーション豊かに非難されているアキヒロ本人も、それを嫌がっている素ぶりは見受けられない。彼女らがどうやって知り合ったのかは定かではないが、お互いのことを信頼しているのが察せられる。
「ところでさ」ミレニアが殲滅者を指さして言う。「アンタの名前は?」
「名前? 殲め・・・あー、えーっと、…ハンスだ」
「ハンス? 曙光の勇者と同じ名前なのね」
「そ、そうだな。俺の世代はあの勇者に肖って名前を付けられることが多いんだ。曰く、勇者のような逞しい男に成長して欲しいって願をかけて」
ハンスというのは殲滅者が咄嗟に繕った偽名だ。その後の説明も口から出まかせではあったが、少女は彼の名前の由来などにはそれほど興味はないようでそれ以上追及はされなかった。
「君らがこんな広場で先ほどのパフォーマンスをしたのは、自分らの実力を披露したかったからだよな?
その目的を推察するに、パーティーの仲間探しか、ギルド協会からの高額クエストの勧誘待ちってとこか」
「そうね、アンタの言う通りアタシたちは頼りになる仲間を探してるわ。けど、アタシたちには選ぶ権利があるわ。アンタ、見るからに怪しそうだし、実力のほどが知れないわ。
アンタがアタシたちの実力を認めたように、アンタもアタシたちに自分の実力を披露してみなさいよ」
お前の実力は認めたわけではないんだが、と思ったがわざわざ口には出さなかった。実力を証明しろという彼女の言い分は尤もだ。
「剣術には多少自信がある。少年、もし良ければ実力を証明するために手合わせ願えないか?」
そう言って殲滅者は腰に差していたロングソードを抜く。そして身構えて、挑発するように少年に向けて剣先を揺らめかせる。
少年も腰に剣を携えている。実力のほどは知らないが、少なくとも心得はあるだろう。異物の剣術の実力も知れる、自分の能力の売りにもなる、咄嗟に考えた方法だが悪くはない。
戦いの気配を察してか、殲滅者の肩に止まっていた紅い鷹が空へ羽搏く。それは、まるで戦いの合図のように見えた。
「どうだい、少年? 魔術はともかく、剣術の方はからっきしかい?」
「え、え~っと・・・」
「ふふん。アイツ、アンタの剣の腕前が分からないのよ。アタシが許すわ、やっつけちゃいなっ」
ミレニアの物言いに癪に障るところはあるが、自分の思い通りの展開になっていることは殲滅者にとって喜ばしいことだった。
アキヒロは、ミレニアから離れるように歩き出す。が、少しして立ち止まった後は剣を抜くでも身構えるでもなく、ただ棒立ちしているだけだった。
「構えないのか?」
臨戦態勢をまるで取ろうとしないアキヒロに苛立ちを覚える。立ち合いへのやる気がないのか、それとも隙だらけのその状態でも戦えると驕っているのか。
「えと、大丈夫だと思います。もう始めちゃっても」
殲滅者の予想はどうやら後者だった。その状態でまともに剣を受けられるものか。
殲滅者が大きく踏み込む。
ここで殺してしまえば全てが終わる。殲滅者の頭にその考えが過った時には、既に彼にとってこれは手合わせではなくなった。アキヒロを殺す、振り下ろしたその剣筋は躊躇も手加減もなかった。
胴を薙いだ! 殲滅者の手には刃が柔らかい肉に食い込む感触がある・・・はずだった。しかし、実際に感じたのは鋼同士が衝突した重い感触だった。
いつの間にかアキヒロは剣を抜き、殲滅者の重い一撃を軽く受けていた。殲滅者が剣を通して感じる力強さとは裏腹に、当のアキヒロは先ほどから全く変わらない腑抜けた表情のままだった。殺意を放たれ、殺意を受けた者がするとは思えない真剣さを欠いた表情に不気味なほどの違和感を覚える。
殲滅者の戸惑いなど他所にアキヒロの腕が、いや剣を握ったその腕だけが真剣勝負に応じているかのように感じるが、その腕が攻撃に転じる。受けた刃を流すように弾き、殲滅者に向けて容赦のない突きを繰り出す。
身をよじり躱す殲滅者、その反動を利用して再び薙ぐように刃を走らせる。これも弾かれたッ。視界の端に煌めく剣先が見えたので、反射的に上体を反らす。目の前を、さきほど自分の頭があった空間を鋭い閃光が横切る。
息つく暇のない攻防だったが、それもここまでだった。無理やり上体を反らした反動で、殲滅者はそのまま背中から地面に倒れた。鼻先に剣先が突き付けられる。その剣の先には、やはりというかなんというかこれだけの攻防を披露したとは思えない間の抜けた顔があった。
「僕の勝ち、でいいですよね?」
「お見事、凄いね・・・」
殲滅者とアキヒロの立ち合いに、先ほどから周りを囲っていたギャラリーが沸き立つ。彼らには緊張感のあるショーだったに違いない。いや、殲滅者以外の人間にとってはショーだったのだ。当事者であるはずのアキヒロがなぜああも平然としているのか理解に苦しむ。
「アキヒロ相手に多少は粘ったみたいだけど、ちょっと実力不足って感じね~」
「いや、ちょっと待ってくれ。実はもう一つ特技というか是非披露したいものがあってだな・・・」
彼が視線を忙しなく巡らせる。上空を飛ぶ、あの鷹をその視界に捉えた。
「おい、クソ鳥! ちょっと降りてこい」
その言葉に反応してか、紅い鷹が殲滅者の元へと降りてくる。主人の言葉に反応して行動するとは、よく躾けられているものだと感心したが、殲滅者の頭に留まった際、2,3回その鋭い嘴で頭を小突く様を見せられると、先ほどの感想に疑いを覚えてしまう。
「実は、俺もそっちの少年と同じような魔術が使える。としたら、どうかな?」
殲滅者の予想だにしない発言に「え?」と言いそうな顔をして2人ともこちらを凝視する。
紅い鷹も、殲滅者の言葉に驚くように、短く鳴き声を上げた。先ほどから、この鷹は人間のようなリアクションをする。
「じゃあ、そうだな…あそこにいるオッサン、ちょうどいいな」
殲滅者の視線を追うように2人も視線を動かす。広場の外れ、なにかの露店だろうか、中年男性が商いをしていた。頭部の髪はほとんど禿げ上がり、頭頂部にちょこんと残っている以外は、見事に肌色が占めていた。まるで蝋燭の灯のような髪の毛は儚さを感じずにはいられない。
「今から、あのオッサンの髪の毛の先に、火をつけようと思いますっ。いいですねぇ?」
まるで誰かに言い含めるような口調で言う殲滅者。その調子に疑問を抱きつつも、これから起ることに好奇心を刺激される一同。なにやら憮然とした表情になる鷹。
「ほれっ!」
殲滅者が指を鳴らす、と。
蝋燭の灯のようだと喩えたさきほどの男性の髪の毛から、ボッと火が上がる。本当に蝋燭のように燃えてしまった。
呪文詠唱もなしに起きた神秘に、アキヒロとミレニアは驚く。露店の周りはたちまちパニックになる。おじさんはあっちへこっちへ逃げ惑い、客を突き飛ばすは他の露店の商品を弾き飛ばすはてんてこ舞いだ。その喜劇的騒動が殲滅者には妙に愉快に見えた。口の端が自然と釣り上がる。
「殲滅者よ、このような茶番に我が力を利用するのはこれが最後だぞ」
耳元で脅すような口調の声がして、殲滅者は一瞬ハッとする。その声の主が、自分の頭に留まる鷹であり、そして火を司るドラゴンの化身であり、目の前の神秘を起こした張本人であることを殲滅者は理解する。
「だがこれで異物どもに興味を持ってもらえる。仲間になれば暗殺する機会も増えるわけなんだし、目的遂行のために協力は惜しむなよドラゴンさん?」
殲滅者の軽口には応えず、ふん、と短く嘆息する。
未だ唖然としているアキヒロとミレニアを見やり、殲滅者は言った。
「どうだ、これで仲間にしてもらえるかな?」
「べ、別に呪文詠唱なしに魔術が使えるからってアンタを仲間にしなきゃいけない理由には…て、アキヒロ?」
アキヒロがミレニアの啖呵を遮る。さきほどまでの弛緩した表情より、多少締りが出た表情だった。殲滅者の実力に興味津々といった様子だ。
「せっかくだから仲間になって貰おうよ。僕以外にこんなことできる人初めて見たし、やっぱり若い僕ら2人だけより年長者の人がいた方がいいと思うんだ」
アキヒロの説得にミレニアは反対しなかった。しかし、理解はしても納得はしていないらしく、殲滅者に向けて敵愾心を込めた視線を送るのはやめない。
「では交渉成立ということで。これからよろしく、アキヒロ君。ミレニアちゃん」
殲滅者はアキヒロ、ミレニアと順に握手をする。もっとも、ミレニアは握手に応じなかったが。気に入らない相手への愛想の無さは猫を彷彿とさせる。
さぁ、冒険の旅へ。と一向が広場を後にしようとした時、彼らの行く手を黒い影が遮った。それは、黒いフードを目深に被り、全身を黒いローブで包んだ女性だった。
「あのっ、私も…お仲間に加えて頂けませんか?」
目深に被ったフードの奥から、不安そうな深緑の瞳が殲滅者たちを眺める。
3人のうち1番最初にリアクションを取ったのはミレニアだった。
「なんか怪しい人ね・・・。そこのハンスって人もそうだけど、うちはこういう人種に好かれるのかしら?」
ほっとけよ。口には出さないが殲滅者は心の中で愚痴った。
「で、あんたは何ができるわけ? まさかアンタもアキヒロ達みたい呪文詠唱なしで魔術が使えるの?」
「い、いえ、そういうことは出来ませんが、私こう見えて回復魔術や補助魔術に長けております。1パーティに1人くらいは、そういう役がいた方が何かと…便利ですよ?」
「はぁ、じゃあちょっと実践してみてくれる? それから判断するから」
「えっと・・・じゃあ怪我をした人とか・・・いません・・・か?」
誰も名乗り出なかった。事実、誰も治療してもらうほどの怪我を負ってない。殲滅者がアキヒロとの立ち合いで少し体を擦ったり、紅い鷹に頭を小突かれたくらいだ。
誰も何も言わないしローブの彼女も自主的に場を先導しない。居心地の悪い沈黙が続き、ローブの少女は不安げに視線を泳がす。
「ふ、ふぇ~ん・・・・」
「じゃあ、不採用で。またのお越しを~」
「ま、待ってくださ~い、仲間に入れて~」
「ちょっと、引っ張らないでよ!」
ミレニアがそそくさとローブの彼女の脇を過ぎ去ろうとしたが、あっさり捕まり泣き落としに入られた。
殲滅者は逡巡していた。いきなり現れたこの女性のパーティ参加に賛同するべきかどうか。自分の目的遂行に利するのか、または障害になるのか。
結局はそのどちらとも判断できないので見に回ることにした。何より、ミレニアへの印象が悪い自分が、彼女の意に添わぬ行動をすることは慎むべきだと思った。
まだ悶着するかと殲滅者は予想したが、意外にあっさりと決着を迎えた。アキヒロの助言が入った。
「せっかくだから仲間にしてあげたらいいんじゃないかな」
「でも、この人見るからに怪しいし…」
怪しい、と指さされた当人は困惑した表情を浮かべるばかりだった。
「アンタ、まさかこの人が美人だからパーティに加えようなんて下心で言ってるんじゃないわよね?」
「そ、そんなことないよっ!ほらっ、補助要員は重要じゃない、パーティの安定性のためにも、ね」
明らかに動揺が見て取れる。藪から棒とも思った非難だったが、どうやら図星のようだ。好色そうな外見には見えなかったが、思ったより女好きなのかもしれない。コイツを殺す上でこの情報は役にたつかもしれない。
ミレニアは明らかに不満気味だったが、それ以上反対する素振りは見せなかった。アキヒロに対しては意見が分かれても従おうとするのは、よほど惚れ込んでいるのだろうか。
「じゃあ決定だな。この女性をパーティに入れるってことで。俺の名はハンス、よろしく」
これ以上問答を重ねたくない。殲滅者は機先を制すため、女性に自己紹介をする。
「よ、よろしくお願いします。私はモルティナ、旅の魔術師です」
フードの奥から覗く瞳は、未だ怯えを孕んでいた。しかし、握手した手から感じるのは、なにか決意めいた力強さがあった。その決意の出所を殲滅者はまだ見出せてはいないが、彼にとっては瑣末な事だろうとあまり気にも留めなかった。
さて、これで異物に近づくことができた。これからどうするかじっくり考えねばならない。