第四回 イカルド・セーラー(3)
紫色と黄土色の奇抜なイカ、イカルド。
彼は、自身と由紀の出会いの話が終わると、飲み会の愚痴を言い始めた。
「聞いてほしいっすよ!」
「もちろん」
「先週末、所属している部で駅前の、カラオケ喫茶『篤実』に行ったんっす! そしたら……」
由紀は当たり前のように聞いているが、僕からしてみれば、それは不思議な光景でしかない。人間がイカの着ぐるみを着たかのような姿の生き物が、普通の女性に普通の話をしているのだから、不思議以外の何物でもないではないか。
……そもそも、カラオケ喫茶『篤実』なんて僕は知らない。
「そうしたら?」
「俺の直属の部下がいきなり納豆トロピカルティーを頼んだんっす!」
何だろう、納豆トロピカルティー。
「そのせいで俺は先輩から『イカルドのとこは昔から教育がなってないよなー』なんて言われて、笑い物にされてしまったんっす!」
イカルドは、テーブルを強く叩き、座っていた椅子から勢いよく立ち上がる。笑い物にされたことが、よほど悔しかったのだろう。
「それで、ストレス発散に歌いまくろうと思ったら、さっきの部下がまた邪魔してきて! あいつ、三曲も連続で入れやがるんっす! しかもしかも、『歌ってくだとぅあーい』などと言ってマイクを渡してきた時の曲が……」
そういえば、僕も昔、一度だけカラオケに行ったことがある。
確かあれは、高校二年の時だ。
クラス全員でカラオケに行くから来ないか? と誘われたので、僕は行った。
すると、女子しか来ていなくて。
一人だけ来た男子になってしまった僕は、あまりの気まずさに、途中で脱走してしまった。そのまま帰宅して特に何もなかったが、あれは今でもほろ苦い思い出だ。
「曲が! 『恋する乙女☆フォーティーガールズ』とかいう曲だったんっす!」
「へ、へぇ……。それで、歌えたの?」
「無理に決まってるっす! 知らない曲っすから!」
知らない曲を急に歌えと言われても困ってしまう。
それはよく分かる。
こんな調子で、イカルドの愚痴は続いた。
正直、ここまで長い時間になるとは思っていなかった。こんなにも長く他人の愚痴を聞く機会なんて、あまりない。
僕は途中で飽きた。
しかし、由紀は飽きていないのか、ずっと笑顔で聞いていた。慣れているから平気なのだろうか。
「いやぁー。今日は聞いてもらえて良かったっす!」
「またいつでも来て!」
「由紀ちゃん、ありがとうっす!」
帰っていく時、イカルドは笑顔になっていた。
……いや、もちろん、実際には表情はほとんどないわけだが。
イカルドが帰った後、由紀が話しかけてきた。
「どうだった? 岩山手くん」
「え」
「お悩み相談室のお仕事、どうだった?」
とにかく驚きました。
今の僕に言えることは、それしかない。
「次からは、岩山手くん一人での仕事もあるからねっ」
笑顔で軽やかに述べる由紀。
夏の空のように爽やかな彼女は、クールながらどこか少女的。野に咲く小さな花のように可憐だ。
だが、いきなり一人で仕事は、さすがに厳しくないだろうか。