タイトルかわるかもしrないdす。、
鼻筋が凍りつきそうな程に冷たく、静寂を孕んだ闇の空間に紛れ男は白いコンクリートの壁を乗り越える。冷え切った壁は茶色いコートの上からでも僅かに温度を感じる。
そして男は音を全く出さずに壁を乗り越えると、履いていた青いニューバランスの靴を片方ずつゆっくりと脱いで、壁の前に、まるで何かを暗示させているかのように並べて置いた。履いていた靴下も脱ぎ、ニューバランスの靴の中に丸めて入れる。
男は素足になった。
ザラザラとした冬の土の感触は、緊張で暖かくなっていた足裏を心地よく刺激し、男は射精したときのような快感を覚える。夜空を見上げ、息を吐き出し、吐いた息から白い煙が出たことを自分が生きている最後の証拠として見つめる。しかしそれはすぐに消え、嗚呼自分ももうすぐ消えるのだと考える。
まだ死にたくない。
そう思う自分がまだいる事を、男は情けなく思う。
このまま逃げてしまおうか。
安楽な方法に。
しかし、そんな事を考えれば考えるほど、彼女のあの言葉が蘇る。
ーー君は私の事はわからないよ。
あの時の彼女の表情には、表情がなかった。まるで、死んでしまった人間がそのまま蘇ったかのような、魂の抜けた顔面をしていた。
頬は青白く光り、目の下には腐ったチーズのような色のクマが出来ており、唇もまた腐ったトマトのような色をしていた。その姿の彼女はまるで生きた人間とは思えなかった。
いや…。
と、男は勘ぐる。
もしかしたら、あの時彼女はすでに死んでいたのかも知れない。
もう既に誰かに殺されていたのかも知れない。
すると、男は突然頭を抑え始めた。
「ああああああああああああああ!!!!」
まるで鈍器で殴られたかのような激痛が走り、男は声を抑えられず、泣き喚いた。
血を吐くような身震いするよな叫び声が、丑三つ時の真夜中にあちこちに響き渡る。確実に家主は目を覚まし、その近所の住民もまた目を覚ますだろうが、それでも容赦無く痛みは続く。
そして身体中からドロドロの汗が溢れ、体内の水分が減り意識が朦朧としてくる。
このままでは脱水症状で死んでしまうと思い、無我夢中に「水」と叫ぶ。この時男は、鈍痛のような痛みは消え去っており、ただただ身の危険を解決すべく必死であった。
口内が乾き切り、息をするのも苦しくなり喘ぎ声しか出せなくなり、目玉が飛び出そうな程に前に出る。やがてそこから血飛沫が出て、男は倒れた。そして倒れた衝撃で、肋骨を折り胃液が口から飛び出る。「あぁ」と声に出るも、それを最後に男の声帯は壊れた。唇からどす黒い血が流れ、その血が男の体を濡らす。突如急激な寒さが体を襲い、男の体を小刻みに揺らしながら血は跳ねている。
男は死にかけていた。
血の温度も感じなくなり、外界の音、匂い、味を感じなくなっている。
景色がだんだんと黒くなる。
ゆっくりと。
まるで舞台幕がだんだんとしまっていくように。
その時だった。
途切れかけた意識の中で男は確かにその姿を見た。
血にまみれた男を上から眺める大柄な男。
男が殺すつもりだった人物。
しかし男は何も出来ず、視力が急激に下がった目で、ぼんやりと眺める。もし体がいう事を聞けば、今すぐにでも襲いかかっていた事だろう。
長い間、復讐のために生きてきた。
何年も、何十年もの間。
そしてその復讐の相手が今目の前にいるのに、何も出来ない。
男はつくづく自分を情けなく思い、笑いたくなったがその気力もない。
意識も最早ほぼ切れており、男は死を待つのみだった。早く、死んで、楽になりたい。これはずっと思っていた事だった。しかし、男の中にある何かが自殺を止めていたのだった。だが憎しみだけがエネルギーであったこの苦渋の日々ももう終わるのだ。
やがて男はゆっくりと目を閉じようとする。
その瞬間。
男は確かに見た。
いや、見てしまったというべきだろう。
なぜ見てしまったのか。
もし、死の世界があるのだとしたら、男は復讐相手のこの表情を二度と忘れる事はないだろう。そして、もう一度憎しみの塊としての苦渋の日々が訪れるのだ。
復讐相手の男の表情は、口が避けるほどの笑みを浮かべていた。
その日は、夜であるのに月が消えていた。