トローチ
雪と深雪は生まれた頃からの付き合いで、幼馴染だった。
母親同士が親友で、同じ産婦人科で一日違いで雪のほうが早く生まれた。深雪は難産で帝王切開の末に生まれた。名前が似ているのは、母親たちの示し合せではなく本当に偶然だった。何物にも染まらず白く清らかに。母親たちがそう願いを掛けたかどうかは解らない。ただ、二人が生まれたのは真っ白い雪が舞い降りる日だった。
物心ついてから深雪はずっと雪のあとをついて歩いた。
ふわり、白い塊が自分の後ろにいることを、雪は喜んでいた。
いつまでもこのままなら良いなと思いながら、追いついた深雪の髪を撫でたり、頬を触ったりした。
無垢な新雪の時間が、そう長くは続かないだろうことを、雪は子供ながらに気付いていた。
柱時計の音が鳴る。
ぼおん、ぼおん、と。
小学校、中学校、高校。
時はどんどん過ぎて、雪も深雪も成長する。
深雪は雪から見て不思議な程、純粋だった。時に踏み荒らされることのない新雪を未だに保つ少女を、雪は遠い存在のように感じた。いずれ淡雪のように儚く融けてしまうのではないかと、そんな恐れさえ抱いた。無邪気な幼馴染を、雪は大事にした。大事にする一方で、穢れない新雪を踏み荒らしたい衝動にも駆られてひっそりと苦悩した。
せっちゃん、と呼んでくる少女が、いつまでも自分を慕ってくれるとは限らないのだ。
兄を想うようなその慕情はいずれ儚く消え、自分だけが深雪への想いを持て余したまま取り残される。そんな想像に怯えた。
柱時計の音が鳴る。
ぼおん、ぼおん、と。
上靴の底で歌うリノリウム。高い、低い、声たちの喧噪。
コンクリートの壁。グラウンドの砂埃。
いずれは全てが明日になり過去になる。
高校三年の冬は厳冬だった。
雪は冬生まれの為か寒さには強く、深雪は冬生まれにしては寒さに弱く、よく風邪をひいた。深雪が風邪をひくたびに、雪は深雪を喪うのではあるまいかと、過ぎた恐れに囚われた。深雪の母親に頼まれ、深雪の看病をしている雪に、深雪はよく甘えた。参考書を読んでいる雪に、何かお話して、咽喉が痛い、苦しい、と訴えた。雪は根気強く深雪の甘えに付き合った。深雪は雪に怯えや恐怖をもたらす存在であると同時に、どこまでも愛しい少女だった。
せっちゃん、トローチ舐めたい。
そうせがんだ深雪に、雪はトローチを箱から出して一個、押し出した。
それから。
自分の口に含んだそれを、深雪の唇に押し付け、割り入れた。
深雪の唇は熱による乾燥の為かかさついて、熱かった。深雪はトローチを舐めずにごくりと呑み込んだ。深雪の見開いた目が雪を見る。雪も深雪を見つめ返す。深雪は唇を、大切な物の一部のようにきゅ、と引き結ぶと、熱の為か別の理由の為か潤んだ瞳で雪を見続けた。まるで一度、目を離したら雪が消えてしまうとでも言わんばかりに。
柱時計の音が鳴る。
ぼおん、ぼおん、と。
雪の手から参考書が落ちた。彼は罪びとのように深く項垂れた。
ああ。
ああ。僕は新雪を穢してしまう。
深雪のパジャマの貝ボタンは、雪を肯定するようにするりするりと外れていった。
色の白い深雪はほんのり色づいていた。誘うようで、それが辛くて、でも止められなくて、雪は泣きそうな思いで深雪を生まれたての処女雪とした。今から自分が奪うそれ。深雪の瞳は未だ潤んで、且つあどけなく雪の行為を見ている。彼女が寒くないように、雪は自らも深雪のベッドに上がった。
出し抜けに深雪が言う。
せっちゃん、トローチが舐めたいの。
誘うような甘い声音を、深雪はいつ覚えたのだろう。雪はトローチをまた口に含むと、深雪の珊瑚みたいに色づいたそれに宛がった。そのまま、撹拌するように、深雪の口の中のトローチを自分の舌で転がり回す。深雪の舌と舌が何度も触れ合った。雪はわざと絡ませさえした。
深雪の肌の、至るところにそっと触れて回る。雪の舌にも、トローチの味が染みついていた。医療品の筈なのに、どこか蠱惑的で退廃的に感じるのはなぜだろう。
深雪は時々、小さく声を上げた。少し掠れた高い声は、雪を止めるばかりか煽る一方だった。
優しくしてやりたい。
そう思うのに、深雪の顔が苦痛か快楽かに歪むのを見て、雪はいよいよ疼く想いを助長させた。
小さな桜貝のような爪に口づける。舐めて、口に含むと、深雪が子供のような笑い声を上げた。
そんな風に無防備に。
攫われてしまって良いというのか。
トローチの味が消えない内にこの、新雪に跡をつけてしまおう。
僕の罪はトローチの味。