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シスターハート・ラプソディー

2019/06/01 漢字表記を微修正したです。

2018/01/27 誤字を修正しました。

■■■ シスターハート・ラプソディー ■■■


 メリーベル家の食堂は少々広い。豪華で贅沢な造りと言う訳では全くない。かつて大所帯で利用されていたものが、大所帯でなくなっただけのだだ広さである。酒蔵(ワイナリー)の企画部長はここをお食事処としてお客様に利用して頂く計画を練っているとかいないとか。


 がらんとした食堂を春の柔らかな朝日が包む。その日差しの下、家人が朝食を摂っていた。黒いライ麦パンを手元でむしり、何も付けずそのまま噛り付いているのは、メリーベル家長女リュアラ・メリーベル。その小さな口に入るだけパンの欠片を詰め込み、目を閉じたまま黙々と噛み締めている。お世辞にもあまり上品とは言えないお召し上がり方である。

 日曜に作り置きしたライ麦パンなど木曜の朝にもなるとなかなかの硬度に達し、通常そのままで食す事はない。お伽噺の巨人が常食する岩石を咀嚼している様を想像して、彼女の左隣に座る人物が堪らず声を掛けた。


「─何かあったのかね?リュアラ、」

「~いいえ何も。」


 あると言っているようなものだ、言葉を口に出し掛けて危うく留める。メリーベル家現当主【マシュー・メリーベル】は内心冷や汗をかいていた。筆を引いたような眉にインディゴブルーの瞳はたれ目。鷲鼻の下に髭を蓄え、チャコールグレーの髪をきっちりパーマでキメている。背は長女より気持ち高いくらいだが、身体つきは筋肉質なプチダンディーさんだ。


(う~む。まあアレか、女性にはツキモノって事も)


「違います。」

「★?っうむ、そうかね……」


 心の中をあっさり見抜かれた。次期当主のこの人智を超えた察しの力さえあれば酒蔵の将来は安泰だ、マシューはそう確信する。彼は見た目通りに頼りがいがあるものの、実は典型的な恐妻家で、愛妻に似て来たリュアラに畏怖の念を抱きつつある今日この頃だった。

 彼は畏怖の対象が時折ちらちらと正面を垣間見ている事に気付く。その視線の先には、難しい面持ちで野菜スープの器から執拗にひよこ豆だけをすくい上げている人物が居た。当家次女ミーシャ・メリーベルである。


 彼女はスプーンに出来上がった小山を睨むと決死の表情で自らの口へ押し込み、猛る蒸気機関の如く咀嚼し一気に呑み込んだ。苦手な食べ物の一味であるひよこ豆を下した、暫し安堵の息を漏らすと視線に気付いたのかミーシャが顔を上げる。正面では目を閉じて岩石を咀嚼する巨人が居るだけだった。


「何?」

「いいえ何も。」

「─何かの健康法?」

「~違います。」


 得体の知れぬ気まずさに耐え兼ねて、マシューは場を和ませる話題は無いかとあれこれ考えを巡らす。ああ話題話題───そうだ、


「初登校から今日でもう四日目だな☆。そろそろ学園生活に慣れて来たかね、ジェズは?」


 噛み砕く音が一際ザクリと響いて静寂が訪れる。空気は張り詰めていた。やーちまったいオイイイェェェ、悲しき慟哭が男親の胸中に木霊する。胸中の事なので、野太い声は娘達の耳に聞こえない。ミーシャは親指で立てたスプーンの首を前後に揺らした。


「少しずつね。クラスの中では皆と上手く付き合えてると思うよ。授業中は緊張しちゃって、あたしがずっと教えてあげてないと参っちゃうみたいだけど。」

「…ほ、ほう。そうか、そうだな。彼が来た頃は与えた部屋に寝泊まりさせるのも一苦労だったしなあ。」

「大丈夫。あたしが見てるから。」

「うむ、よろしくな。」


 一呼吸おいてリュアラはスープを口にした。手元のパンはスープと共にいただくつもりのようだ。これが普通の食べ方である。当主は浅い溜め息と共に自分の口からエクトプラズムまでダダ漏れしているのではと錯覚する。生きた心地を仕事の話で取り戻そうと考えた。


「今日から週末までテーブルターニングへ行って来る。また留守を頼むよ。」

「?商工会のコンペティションパーティーは金曜午後からではありませんか?」


 リュアラが漸く普通の口を利いてくれたよオオォォ、この親父は心の浮き沈みが激しい。


「…ウホンっ。実は昨日母さんから手紙が来ててな、一緒に連れて行けだとさ。」

「まあ珍しい。こちらへはお寄りになるのですか?」

「いや、こちらから迎えに行って帰りはそのまま送ってしまうよ。」

「そうですか。それでは今日明日ここへは、」

「またお義父さんに来てもらう。」

「分かりました。」


 彼女らの母は、酒蔵とは全く関係ない別の仕事のため遠方で暮らしている。この地域において家事全般を担うのは女性が一般的なのだが、当家は夫人が不在のため、家事の大半を家政婦に頼っていた。因みに、彼女らはメリーベル家ではなく酒蔵の従業員として雇われている。

 そんな話をしていると食堂の外から何やら慌ただしい気配が近付いて来た。程なくして開け放しの出入口から現れたそれは、ベレー帽にスーツ姿をしたひょろ長い男だった。


「やあやあ、お早う!」

「叔父様、お早うございます。」


「お早うニコラス。お義父さんは連れて来てくれたかな?」

「あぁ、もう販売ホールへ入ってしまったよ。」

「いくら何でも早過ぎだ×。お前朝食はどうした?」

「まださ。ああ、お構いなく。僕は白いバンズのホットドッグが食べたいんだ。」

「街へ着くのは昼過ぎになるぞ?」

「それが旨いドッグにありつくための最高のコンディションなのさっ。さあ、兄さん早く!」

「急かすな、コーヒーくらい飲ませてくれ。」

「街に行くんだ、どうせなら今話題の圧力焙煎を頂こうじゃないか。さあさあ!

─それじゃリュアラちゃん、ミーシャちゃん、行って来るね。」


「いってらっしゃいませ。」「車気を付けてねー。」


 コーヒーカップを置く隙も与えず当主を引っ張り出して行ったひょろ長は【ニコラス・メリーベル】。マシューの実弟であり、酒蔵の企画部長と営業・経理を兼任する、ひょろっとした外見からは想像し難いエネルギッシュな働き者だ。チャームポイントはモミアゲ、只今嫁さん募集中。酒蔵メリーベルは代々家族経営であり、兄弟姉妹二人三脚を伝統としている。メリーベル姉妹にとっては当り前の事だった。


「ごちそうさまー。」

「ご馳走様でした。─ミーシャ、お爺様にご挨拶してから行きましょう。」

「分かってますー。あたしその前にジェズ呼んで来るね、」

「───」


 リュアラのティーカップを受け皿へ置く音が微かにブレる。自席を立つミーシャは口元を拭ったナプキンをテーブルへ放り、さっさと勝手口から出て行ってしまった。妹の後ろ姿を横目で見つめる。将来二人三脚で酒蔵を切り盛りして行かなくてはいけないと言うのに、ここ三日の間で姉妹は何処かギクシャクしていた。


 要因はもちろん彼だ。


「────────────っ?」

「──眠いの?ジェズ、」

「ぃえ、いえ。大丈夫です…」


 通勤通学でそれなりに混雑する汽車の中、四人席を三人で陣取る。汽車の進行方向側窓際にリュアラ、その対面にミーシャ、その隣の通路側にジェズが座る。リュアラの隣、ジェズの対面の席に他の乗客は滅多な事で座って来ない。理由はお察しだ。

 農作業のためジェズは朝が早く身体もよく動かす。ごつごつした汽車の揺れでも一汗かいた身には心地良く、彼は汽車がいくらも走らぬ内に船を漕ぎ始めた。時折り意識を取り戻し目などを擦るが、瞼の重さは如何ともし難い様子。休んでいてもいいのにとリュアラは思う。一声掛けようと読んでいた小説を閉じ置くと、妹がすかさず口を出して来た。リュアラの予想通りだった。

 ミーシャは読んでいる参考書から目を離しもしない。


「寝てていいよジェズ。着いたら起こしてあげる。」

「──ぇ、でも」

「いいから。」

「─ぁぁ、はい。それでは…お言葉に甘えて───」


 頭を垂れる。もう眠ってしまった。勝手の違う異境の地でやらねばならぬ事、覚えねばならぬ事は日に日に増える。疲れも無理ない頑張って、そんな事をしみじみ想いながらリュアラは手元の小説に目を戻した。


 読み進める内、視界の余白に傾むきつつあるジェズの姿が入り込み、リュアラはさりげなく目線を上に起こす。とうとう彼はミーシャへもたれ掛かってしまった。彼女は彼を脇目に見ただけで、肩を貸したままお構いなしに参考書を読み続ける。こなれた雰囲気。

 やがて汽車がカーブへ差し掛かり、ジェズの傾斜が徐々に深まるとミーシャの眉間に皺が寄り出した。二度目のカーブには湿っぽい鼻息が忍べて、三度目のカーブで彼女はいい加減キレた。両腕でジェズの身体を押し返す。彼はそんなに重たいのか、妹があまりに非力なのか。


「~もおぉおぉおっ。」

「───ぇぶっ…ぁ?すみません、お嬢様。」

「おーもーいっ×。寝てていいから、ちゃんと座んなさい。」

「ごめんなさい、寝心地が良くて─」

「★#~~もう、あたしはあんたの枕じゃ」

「─────────」

「な…─ぁぁ↓。」


 妹は自分の言い付けをきちんと守っているように見える。しかしリュアラはそこに違和感のようなものを抱いていた。「主として責務を果たしています」と切り取ったものを見せられている、そんな気がしてならない。情報を選ばれて渡されている印象を受けるのだ。使用人との間に仕切りが設けられたかのよう、妹がそうする理由をリュアラは考えあぐねる。


(学生としては、確かにジェズはミーシャの付き人だけど…彼は酒蔵の従業員だし、別にミーシャの専属と言う訳じゃない。私だって主なんだもの。─そもそも彼を雇い入れたのは私が初めなんだし、私は姉なんだし…)


 降車後の登校の人混みの中、学園の門を越えた辺りでウィルが現れた。メリーベル勢とは三日ぶりの顔合わせだ。


「やあ、リュアラさん。」

「★あらウィル先輩、お早うございます…」

「お早う。それにミーシャ君と…ジェズ君も。」


「あ…ウィル先輩、お早うございます。」「→お早うございます。」


「ハハハ、そう構えないでくれよ。前回のような事はしない、済まなかった。」


 開口一発彼は前回の謝罪として三人に頭を下げた。悶々としていたリュアラは突然の展開に肝を抜かれる。またもや注目を集め要らぬ噂など立てられるのではと焦るが、和解の雰囲気に少し安心した。


「★お顔をお上げくださいっ。─私もきつく言い過ぎたと反省しております、申し訳ありません。」

「いやあ、いいんだ、本当に気にしないで。─ジェズ君、君の事は取り敢えず保留だ。勉強頑張っているそうじゃないか。学園生活に早く慣れるといいな、」


「─はい、ありがとうございます。」


「ところでリュアラさん、ちょっと日が開いてしまったが…今日の放課後に時間を貰えないだろうか?」

「え?」

「研修の間、結構な日にちを留守にしてたからね。この辺の最近の事情とか、君から話が聞けたらなあと思ってるんだ。」

「お仕事に関係するお話でしょうか?」

「いや×、あくまで僕の興味だよ。そんなに時間は取らせないつもりだ。─いいかな?」

「───────────────」

「……、」

「──────??」

「?…何だい?」


 姉の頭がゼンマイ仕掛けの人形のようにミーシャへ向く。鳩が豆鉄砲な顔をしていた。

 妹は目をしばたく。え、あたし?


「何?」

「ぇ…え★?いや、だって…あのっ??」

「~何よう、」

「だって…ほら、ウィル先輩………お話………」

「あぁ、うん、いってらっしゃい。」

「ぇぇえ…★えええっ?!」


 いつもならミーシャの華麗なインターセプトが決まるタイミング、それが無い。一体如何なる心積もりか、大好きなはずの先輩の前なのに妹はいよいよおかしくなったとリュアラは大いに取り乱す。ミーシャは驚くほど素っ気なかった。


「行くよジェズ。─それじゃ、あたし達こっちだから。」

「×ぇえと…あの、ミーシャ………さん?」


「それじゃリュアラさん、僕もここで。放課後迎えに行くから!」

「ぇ…ぃや、ぁあの、ウィル先ぱ………───え?」


 登校する学生らがリュアラを避けて流れて行く。

 自らの置かれた状況を正しく再認識するまでに彼女はそれから数分を要した。




☆☆☆


「あの若造なら真っ先に来たぞ。」


 カルテを見ながら男はぶっきらぼうに答える。保険医【ユウキ・ジュウモンジ】と言った。


 とにかく黒い男で、首元から僅かに覗けるシャツ以外は全身黒づくめ。春夏秋冬、朝昼晩、屋外屋内問わずして真っ黒なコートを羽織っている。端々は至るところ逆向けたように毛羽立ち、その様はまるで空を裂いて現れた闇のよう。面相は更に強烈で、光沢の無い長い黒髪に顔の右半分が覆われており、覆われていない方は額から眼孔を跨いで顎にまで抉られたような傷跡が一筋走っている。逆立ちしても医者には到底見えない。

 一体どんな生涯を送ればこんな姿になるんだろう、この男と顔を合わせる度ミーシャは疑問に思う。


「……」

「何だ?」

「いえ、何でも。」


 放課後、ミーシャはジェズを連れて保健室へ訪れていた。保険医は新学期早々定員オーバーになった保健室を漸く片付けたと思いきや、その翌日に警察へ任意同行を求められ、昨夕まで警察署で軟禁を食らっていたのだ。屋上事件の関係者から事情が漏れたのだろう。ミーシャは保険医が帰って来ると聞いて今日の放課後の予定を開けていたのだ。


 ジェズと二人して保険医の自席の前に立っていたが、話が長くなるのは必至。ミーシャは腰掛けられそうな場所を探し出す。適当な椅子も無いのでベッドに腰掛けたところ物陰から声が上がった。


「ベッドは具合の悪い人用です。」

「わあ。──え?子供?」

「えーえー子供ですとも。看護婦ですけど子供ですとも。」


 ベッドのカーテンの向こうから現れたのはナース姿の子供であった。ハッカ飴のように透き通る白く長い髪を左右に分けて後ろで結っている。大きく黒い瞳、申し訳程度の眉と鼻に口。どんなに贔屓目で見ても小学生高学年がいい所。保険医が紹介してくれる。


「助手の【トキミ】だ。齢の事は気にするな、意味がない。

─トキミ、椅子を持って来てやれ。」

「プー。」


 トキミはあからさまに膨れ面を見せてちまちまと準備室へと入って行った。

 何だ何だ、妙な拍子で我に返ったミーシャは話を続ける。


「ぇえと、若造ってウィル先輩ですか?」

「名は知らん。警察に研修へ行ってた奴だ。面倒臭い言葉でガタガタ訊いて来るので一喝して追い出したら、翌朝には警察が来た。」

「↓ウィル先輩ですね。それで、警察では結局どんな事があったんですか?」

「事件現場の状況を訊かれた。あの場に居た奴らの言っていた言葉をそのまま並べてやった。生徒の怪我については微塵も訊かれなかったな、魔法警察などと名前負けもいい所だ。」


【魔法警察】とは、近年増えつつある狂信・呪術に因む異常性の高い犯罪を取り扱う専門の部署「フー・セクション」を指す俗称である。実態は警察内部ですら明らかにされていないが、その存在は世間に対し抑止力として広く知られされている変わった組織だ。

 また、当組織の隊員は標準装備として「拳銃」が貸与されていた。本邦周辺の文明国においても銃の小型化は難しく、銃器と言えば猟銃のような長身の物が一般的である。抜群の携行性は命中精度とトレードオフにあり、まかりなりにもそれを使いこなす彼らはオカルト掛かっている、との洒落もあって「魔法」という言葉を宛がわれたらしい。


 世の中チチンプイプイピキピキドカーンとなるような造りにはなっていない。

 この世界の住人達は魔法を正しく理解し正しく活用している。


「どういう事ですか?」

「被害者の怪我は加害者のやり口、素性が分かる。小僧共は金物を使われた程度しか分からんが、娘らは薬物を使われていた。」

「薬?」

「昔は麻酔にも使用された代物だ。原料はこの近辺で採れなくもない。常習性があり調合・投与に神経を使う。」

「★犯人は医者?」

「薬毒に通じた『本物』と言う事だ。」


「本物の───医者。」

「医者かは知らん。」


 ジェズの応答に保険医は少しだけ渋い顔をする。そうこうしていると準備室のドアが開いて、二枚併行に立てられた大きな板が現れた。おもむろに進入して来るそれらは、トキミが両脇に一生懸命抱える物で、保険医の自席の近くに辿り着くと床へ敷き並べられた。

 ミーシャとジェズは見た事の無い物、保険医は更に顔をしかめる。


「何故畳だ。」

「椅子がお出掛けしてるみたいです。ちゃんと座布団とちゃぶ台も持って来ますよ。

─あーそこのお二人、ここには靴を脱いで上がって下さいね。」


「僕お手伝いします。」

「おや、いい心掛けです。」


 畳や座布団が保健室にどうしてはさておき、ジュウモンジとトキミも本邦の人間ではない。東方の遥か彼方、南北に聳える険しい山脈を越えると、そこには広大な砂漠が広がっている。これより以遠に住まう黄色い肌の人々は独自の文化を築き上げていた。彼らは本邦周辺において「地色の人」を意味する【サルファラス】と呼ばれている。ヴィリジアンとは少し異なり、物珍しさから気味悪がられがちな存在なのだ。


 ちゃぶ台が用意されミーシャとジェズは座布団を勧められる。どう座ればいいか躊躇している二人の横から保険医はさっさと座り込み、ちゃぶ台を見渡した。


「茶が欲しいな。」

「ププー。」


 あーはいはいと踵を返したトキミの背中に追って声が掛けられる。


「羊羹があったろう。」

「プププーっ。」

「厚めにな。」

「↑プースカッ!」


「─怒ってますよ、」

「あいつは時々ああなんだ。」


 原因は先生でいつもの事なんでしょ、人として大丈夫なのかな、ミーシャは心許無くなって来た。


「…で、その犯人、危険人物を学園側はどうするんでしょう?」

「観察処分扱いだ。箝口令が敷かれている。被害に遭った生徒らも釘が刺さった。」

「事件は闇の中…」

「公になって発生する事態の方が、公にならなくて発生する事態より、都合の悪さが大きい。それだけの事だ。」

「都合の悪さ?」

「問題のヴィリジアンは一人、学園に通うヴィリジアンは全ての学部・全学年合わせても二人だけ。徒党を組んでの悪巧みなど高が知れる。」

「ジェズはそんな事しませんっ。」

「絹色社会に言え。厄介事は問題が二人に限らぬ場合だ。」

「え?だってヴィリジアンは二人しか…

─────────────────────シルキッシュに仲間が?!」

「憶測の域を出ん。仮にそれが事実で相当数が露見した際、そいつらによって何がどの程度もたらされるかは誰も分からん。」

「そんな事言ったらキリが無いんじゃ、」

「これはまだマシな問題だ。」

「~何処がマシですかっ、」


 トキミが帰って来てちゃぶ台にお茶と茶菓子が人数分揃う。ミーシャとジェズは見た事の無い物、保険医は手元の羊羹を暫し見入って納得したように頷く。竹製の菓子楊枝を羊羹へぶっきらぼうに刺し、いざ口へ運ぼうとした所で保険医の手が止まった。食べ方が判らず保険医を注視していたメリーベル勢は、彼が助手の手元を注目している事に気付く。

 助手も視線に気が付いたらしい。彼女の手元の羊羹は他と比べ2倍の厚みがあった。


「隣の家の芝は青く見えるものです。」


 あっけらかん。小さな口へ難儀しながら羊羹を押し込み、澄まし顔で文字通りに頬張る。追って羊羹を口にした保険医の表情は少し寂しげに見えた。ミーシャとジェズも真似して一口に頬張る。口の中いっぱい、まったり甘い、お茶を飲む、熱い苦い、いい香り、とってもおいしい。う~ふ、和む~…


「じゃなくてっ、マシってどう言う事ですか!?」

「──問題の生徒、」


「ギギシと名乗っていました。」


「身元はダウジングロッドの小さな建設業者だ。この類いの業種は、国の旧体制において奴隷だった者達がそのまま労働者として多く雇われている。事情はお前達もよく知る所だろう。」

「─少しは。」

「業者は学園都市開発にも参画する地元企業で、評判は悪くない。但し、【港湾運営機構】の傘下にある。」

「港を取り仕切っている─あそこですか?」

「国際化というお題目でこの学園とは創立前より関係がある。聞こえはいいが、かつては奴隷商人と普通に取引をしていた所だ。よもやと思うが、此度の裏にこれらの事情が噛んでいるとすれば厄介だ。」

「流石に考え過ぎなんじゃ、」

「ならいいが。」


 保険医と助手がお茶を啜る。ミーシャとジェズも真似するがどうにも上手く行かない。


「差し当たりあの生徒には関わるな。身辺を調べるなどせぬ事だ。」

「大人しく黙って過ごせって事ですか?」

「初動が魔法警察だ、内偵に出るだろう。」

「★ウィル先輩?!」

「学生に任せるはずがない。内偵のカモフラージュにはなるな。」


 ジェズが両目を眉間に寄せる。


「??ぇえと…」

「まだ見習いのウィル先輩が調べものをしてるぞ、って周りの人達には見せておいて、本職の人達の調べものが邪魔されないようにするって事。」

「邪魔したい人達を、油断させるって事ですか。」

「そんなとこね。

───うん、分かった。先生お話ありがと、それとお茶ごちそうさま。」


「うむ。─ジェズ、」

「?はい。」

「メリーベルにもしもの時は、お前が護れ。」

「大丈夫です。ありがとうございました。」


 いつもと変わらぬ表情。ジェズは畳から靴を履くのにまごつくミーシャの手を取る。失礼しましたと二人が退出するのを見届けた保険医は、腹に一言ありげな助手の澄まし顔が目に付いた。


「何だ?」

「『ならいいが』だなんてサラりと。聞いてて上顎の裏が痒くなります。」

「自らの身の際を弁えているのだ。」

「洒落のおつもりなら薄ら寒い。そうでなければ薄気味悪いです。」

「何だ、何が不満だ、」

「此度の件で興に乗っておいでのお館様が嫌です。悪巫山戯が過ぎます、趣味が悪い。」

「彼らは一波乱巻き起こす。私はそれが見たい。」

「そこは判りますそこはいいです。それに味付けするような行為の事を申し上げてます。」

「──腹が減ったか。」

「↑おなかが減って怒っている訳じゃありませんっ。」

「うむ。甘味堂のあんみつでも食えば腹も立つまい。」

「?!さっき羊羹食べたばかりですよねっ?」

「薄かったのだ。」

「★っ~~は、はーはーほーほー。フーン、へーぇえ。言う、そーゆー事言う。なるほどなるほどそーですかそーですか。分かりました、アハー…」




「?」

「どうしたのジェズ、」

「保健室の方から必殺技を連続で叩き込まれたみたいな破壊音が聞こえたような。」

「気のせいよ。」

「そうですね。」


 ミーシャとジェズは学園敷地内の庭園を散策していた。特に目的があった訳ではなく、帰りの汽車が来るまでに少し時間があっただけの事である。保険室を後にしてからミーシャは言葉数が少なく、考え事をしている様子にジェズは話し掛けるのを戸惑う。意気消沈する。


(僕のせい…だな。僕が居なければ、屋上での騒動は無かったろうし。警察沙汰になる事も無かったはず。~いや、それでも僕は一人で何とかしないと。)


「ぁ、」

「どうしたんですか?」


 ミーシャお嬢様が何かを見付けた。ジェズは主の視線の先を追う。200m程先、丘の茂みの向こうに大学のテラスが見える。お嬢様は外の席の一角を注視していた。


 ウィルとリュアラが座っていた。ウィルが身振り手振りで何か熱心に語り掛けている。リュアラはティーカップを片手に時折笑顔を見せていた。打ち解けた雰囲気。ミーシャは握りこぶしで胸を抑える。口を噤み、表情を更に曇らせた。

 まさか降り出したりはしないよね、ジェズは傍らで狼狽する。ミーシャは自分がウィルを好いているとジェズに公言しており、彼は主の気持ちを知っていた。好きの度合までは分からぬが、分かった所で彼にはどうしようもない。


「ミーシャお嬢様、その…申し訳ありません。」

「何が?」

「えと、僕のせいでミーシャお嬢様が…あの人とお話する機会をふいにしてしまって。」

「別に、あんたのせいじゃないよ。」

「でも、ミーシャお嬢様はあの人の事が」

「お黙り。─いいんだってば。今日は何となく気が向かなかったの。」

「?気が向かない──」

「今日のウィル先輩、何かいつもと感じが違ってたもん。いつものように見えるけど、見えない所が何かギラついているって言うか…何か分かるもん、そう言うの。」

「先生の言われていた『ないてい』でしょうか?」

「あの話聞いた後だから思うけど、多分そう。お姉様に損な役回りをさせちゃった事になるかな。」

「楽しそうですけど…」

「そりゃ丸っ切り仕事の話ばかりじゃないでしょ×。でもイヤな事は訊かれてるよ、多分。」

「───申し訳ありません。」

「あーもう、ホイホイ簡単に謝るんじゃない!かえって軽く見えるのよ、それ。」

「★ご、ごめんなさい!」

「あー↓─はぁ、もういいわ。今日はあたしの気が向かなかった、それでいいの。それに…」

「それに?」

「あたしじゃお姉様にかなわないもん。」

「─────────」

「~はいはい、この話はもうおしまい!ジェズっ、肩車!」

「★ぇは?肩車??」

「悪いと思ってるなら罰をあげる。駅まで肩車なさい☆、あんたの鞄はあたしが持ってあげるから。」

「×ぇええ、そんな」

「お黙りっ、早く早く!」




「やあ、あれはミーシャ君とジェズ君じゃないか?」

「え?」


 テラス側の二人がミーシャとジェズの存在に気付いた。どういう経緯かジェズがミーシャを肩車して行く後ろ姿が見える。ジェズは困り顔だが、肩に乗るミーシャはご満悦の様子。あっちを指さし向かわせる、こっちを指さし向かわせる。ジェズが堪らないと言った顔で頭上のミーシャに何か訴える、応える彼女は悪戯っぽく怒って見せている。会話の内容が頭に浮かぶようだった。


「ふふ、仲がいいね。何故あの二人をくっつけたんだい?」

「くっつけたなんて──二人は同い年なんです。付き人制度は高等学部までですから、あの子と居た方が長く通わせられますので。」

「入学は彼が初めてなんだって?酒蔵にはヴィリジアンがもっと居るんだろう?」

「学園が出来たのはつい最近ですから。父の代に変わってから彼らに今まで就学年齢に達した未成年は居ませんでしたし。」

「従業員らは古くから酒蔵に根差す者。彼は酒蔵に久しく無かった外部からの新参者…か。」

「そうですね。私達は創業当時より人種の分け隔てなく、皆が皆あの地で一緒に生きてきました。─家族なんです。」

「ふぅうん。いずれ結婚なんて事はあるのかな?」


 少し間があった。リュアラは笑顔のまま絵画の如く微動だにしなかった。


「───リュアラさん?」

「はい?」

「ああ、ぇえと、いずれ結婚なんて」

「誰が?」

「え?いや、だから、──ミーシャ君はジェズ君とのけ」

「そのお話は何処から出て来たのですか?」

「ぇ…あれ?あの」

「←そのお話は何処から出て来たのですかっ?」

「いやぁ、あの~~~彼らは…☆っそう、後ろ姿!彼らの後ろ姿さっ!」

「後ろ───姿?」

「そ、そうとも!ご覧よ彼らの背中を。仲良し二人と言うか、彼らのあれは既に往年の夫婦のそれに見えるじゃないか?はっはっは!!」

(しまった適当にも程がある×、往年の夫婦が肩車なんかするかっ!)


「そう…ですか──────」

「───リュアラさん?」


 取り乱し席を立ったリュアラはミーシャとジェズの後ろ姿をただ見詰める。それから言葉を発する事はなかった。遠ざかって行く彼らの背中に初めて疎外感を自覚し、酷く困惑する。


 こんなはずじゃない。そんな感情が心の何処かで沸々としていた。




☆☆☆


 土曜の朝、リュアラの話を聞いた家政婦が販売ホールへの道筋を急いでいた。腕っ節の強そうな体躯をゴシック調のメイド服で決めている、栗色の長めなおさげが凛々しい【カルヤ・ハロル】、酒蔵の肝っ玉母さんである。因みにアラフォー独身。故に本人の前で肝っ玉母さんと口を滑らせた場合、漏れなくギロチンチョップからベアーハグのコンボを戴け、マットに沈められる運命を賜るので注意が必要だ。

 そんな彼女は訪れたホールで足を滑らせそうになった。一昨日より引き続き朝早くから老人がそこに控えていたのだ。


「フォスター様!」

「おぉ婦長、お早う。」


 幾ばくかの白髪を残す禿頭に逆V字の白髭と丸眼鏡がトレードマーク、細身で小柄なその老人は【パトリック・フォスター】、メリーベル姉妹の母方の祖父である。普段はメリーベル家より10kmほど離れた掘っ立て小屋に暮らしているが、当主が不在の折は彼の代わりを務める気のいい爺さんだ。

 カルヤが婦長と呼ばれたのは、複数雇われている家政婦を彼女が取り仕切っているからである。酒蔵における彼女の発言力はそれなりに高い。腕力と比べるといささか地味だが。


「まさか本当に居らっしゃったとは×。リュアラお嬢様から聞きましたけど、土曜はお嬢様が店番をするはずだってのに!」

「まあまあ、孫娘の願いとあればどうって事はない。この季節、ろくに客なんざ来やせんし、退屈だが楽なもんさね。」

「そうは参りませんっ。お嬢様は同業の方々や御贔屓様方に次期後継者としてお披露目もされたんです!ケジメは大事と私が旦那様にお叱りを受けてしまいます。」

「内緒にしよう。」

「そうも参りません、」

「儂に免じて頼むよ。」

「困るんです。」

「儂が責任を持つから。」

「↓───フォスター様にお願いします。私は何も聞いてないし何も見ませんでしたっ。」

「フォフォフォ☆。」

「ふぉふぉふぉじゃあないですよっ×、本当お願いしますね。」

「ふンむ。─しかしリュアラも急にどうしたものかのう。」


 爺様は上目で髭を弄ぶ。家政婦長は片手で目を覆う、リアルに頭が痛かった。


「いつもの堅い感じと打って変わって、今日はなあんか突っ走ってる感じがあります。大丈夫かいなお嬢様~~」

「ふンふン。いい、いい♪。一皮剥けたかの。」

「剥けたかどうかは判りませんが、私ゃ奥様を見ているようでこの先何だか怖いですよ。」

「フォフォフォ、あれは儂が育てた☆。」


 家政婦長が心の中で燃え上がるファイティング・スピリットを懸命に鎮めている一方、話を受けたジェズはやや途方に暮れていた。いいのかなあと言った表情で屋敷の廊下を歩いていると、帳簿を抱えたミーシャに出くわす。


「あれ?ジェズ、」

「お早うございます、ミーシャお嬢様。」

「おはよ。あんた今日は朝からブドウ畑の敷き藁の片付けじゃなかったっけ?」

「はい。ついさっきまでやってたんですけど」

「あれ地味にイノシシ除けの効果もあるんだからね?さっさとやらなきゃ。」

「イノ…?──でも、そろそろお庭の手入れを始めなきゃ、僕だとお昼過ぎに終わらないなと思って。」

「庭?うちの?それは家政婦さんがちゃんとやってくれるって。今日はカルヤさんよ。」

「婦長さんはリュアラお嬢様のお菓子作りのお手伝いだそうです。」

「★は?何それ、そんなの聞いてないし。」

「ほら、昨晩のお話。ご学友が勉強会に来られるって、」

「それは聞いた。午後のホールの番もあたしが…あれ?『手間を取るのに時間が欲しい』って言ってたの、あたしのそれだけじゃないって事?!」

「そうですね。」

「何それ!?もー何急に勝手な事やっちゃってるのよ、信じられない!何考えてるんだか、」

「それが分からないので僕らはとりあえずお言い付けの通りにするしか。」

「ちょこざいな、小さい時からあーいう所あるのよね~。─いい?これからはお姉様が変な事を言い出したら話半分くらいに聞いときなさい、分かった?」

「分かりました。あはは…」


 休日の土曜、リュアラは酒蔵の人々を巻き込み勉強会なるものを催すらしい。学生であっても休日なれば彼女らはれっきとした従業員であり、職務を遂行しなくてはならぬのが酒蔵メリーベルの規則である。それの分からぬはずはないリュアラがそれを曲げたと言う春の珍事に、今日の屋敷は何やら落ち着きを欠いていた。


 そうこうするうち日が南中に差し掛かる。予定していた仕事を順調に片付けたミーシャは販売ホールへ足を向けた。ミーシャは専ら事務方で、いつもは叔父の手伝いをしているのだが、最近では会計周りの業務も手掛けるようになっていた。その事情もあって、叔父不在で分からない事がある時は祖父に相談を持ち掛けているのだ。ついでと言っては何だが今日も少し教えてもらおう、そんな事を考えていた。


「お爺様ー。あのー───あれ、お客様?」


 春先に珍しく販売ホールに3名の客が居た。いずれも若い女性で近場へ出掛ける類いのラフな服装をしている。ソファーに腰掛けていた客がミーシャの姿に気付いて立ち上がり、陳列棚を見て回っていた客らも気付くと一同は礼をした。


「「こんにちは。」」

「★はうっ…い、いらっしゃいませ!どうぞゆっくりご覧ください!」


「ミーシャ、」

「お爺様?」

「この娘さんらはリュアラのお客だそうだ。」

「ぅえ?!」


 思わず上ずった声を上げってしまった。プライベートの用件なのに家でなく店へ客人を通してどうしたい?ミーシャはシリアスな表情で祖父の姿を横目に捉えた。


「←どうしてあたしの姉はこういう事をするのかっ、」

「姉に訊いとくれ。」


 間髪入れずドアベルの音が聞こえて来る。客が来たと慌ててミーシャは姿勢を正した。ドアが閉まり、外の光が遮られ人影は屋内の光に馴染み姿を露わす。若い女性だが今度の客は幾分お洒落な恰好だった。

 ボリュームのあるブロンドの長髪、目立つデコ、ゲジゲジ眉毛の下の瞳はミントブルー。少し鼻ペチャ、大きめの口、そしてやっぱり目立つデコ。デコ以外はメリーベル姉妹に何処となく雰囲気の似ている見てくれのこの人物、ミーシャは見覚えがあった。


「★×デコマヨ!?」

「~聞こえたよメリーベル妹っ。」


 ミーシャを指差すデコマヨは、かつて酒蔵メリーベルより袂を分かった同業社「メディスン・ビバレッジ」の現社長令嬢【マイユネーツェ・メディスン】である。メリーベル家の遠縁に当たるが、両家は親戚付き合いなどろくに無く、彼女らは同業種の会合などで顔を合わせる度に何かと張り合う仲だった。因みにデコマヨのマヨは本来の徒名「マヨネーズ」のマヨである。


「うちに来るなんて予定入ってなかったし、何で急に───って、まさか…」

「予定してました。メリーベル姉は何処?」

「やっぱり↓。あんたプラプラの学生じゃないよね?─何でお姉様はこいつを…」

「相変わらず不遜だこと。私は彼女らとは部活動で交流があるの。さておきメリーベル姉よ、客ももてなさずこんな処へ案内するなんて。」

「案内?誰だろ。」

「庭師の子。見慣れない雰囲気の男の子ね、新しく雇ったの?」

「男の子って、」

(ジェズか。~これもお姉様の言い付けね、)


「お待たせしました皆さん。」

「★あーーっ!?」


 ミーシャと爺様が居るホールのカウンターの奥、従業員専用の出入口からリュアラがいつもの体で現れる。ちゃっかりそんな所に居たのかと妹は声を上げた。

 丁寧に挨拶をする友人達とは対照的にデコマヨの態度は横柄だった。


「で?メリーベル姉、こんな所でどういうつもり?」

「ごめんなさい、家の方が散らかっていたもので片付けをしていたの。ここなら退屈しないでしょう?」

「私は退屈。」

「そう?品揃えや陳列に興味は無くて?」

「うちはお酒でなく清涼飲料が主力だからね、展開手法は異なるの。」

「あらそう。それでは部屋へご案内しましょう。」

「~ちょっと、人の話をちゃんと」

「ジェズ、」


 リュアラの後ろからジェズが現れ、ミーシャの眉間に皺が寄る。彼は普段の作業着ではなく御付の使用人としての正装をしていたのだ。社交場でもなくては着させない代物である。

 彼は手荷物を預かると申し出るも、友人達は小さいから大丈夫と辞退した。プラプラの生徒なら今週の一件で彼の事は知っている、触らぬナニにホニャララである。一方で立場の異なるデコマヨの反応は当然異なった。彼女もヴィリジアンの労働者を少なからず抱える家の者であり、彼らの存在に抵抗はない。しかし彼女は彼らをいささか見下していた。手提げ鞄をジェズへ差し出す。


「いいでしょう。お願いしようかしら。」

「お預かりします。」

「─良く躾けられているわね。」

「─恐れ入ります。」


 ミーシャがムッとする。一同はリュアラの案内で屋敷へ導かれて行った。

 デコマヨの態度が気に入らぬのは毎度の事だが、今回の姉の行動を承服しかねるミーシャは祖父への質問もそこそこに悶々とし始めた。暇を持て余す爺様はそれに付き合ってやる。


「そう膨れんでもいいだろう、」

「いくない。何考えてんだか解んない。ああ言う事やりたいからこう言う事やりますってハッキリ言うべきだと思うんだけど、あたし変かなっ?」

「部分部分ではハッキリ言っとったと思うが。」

「切り張りした情報を渡して、本当にやりたい事を隠されてるような気がする!何であたしが隠されなきゃなんないなのよ、あたし妹だよっ?都合悪いの??」

「お前達姉妹はこれから家を背負っていかねばならんからの、姉妹で隠し事は良くないな。」

「そうよ!隠し事は良くなっ─────────」

「何だ、どうした?」

「~いいえ何も。」


 歯に何か挟まったような顔をするミーシャに爺様は一つの考え方を示した。


「まあ、リュアラにも思う所があるんだろう。ひょっとしたらジェズの心証を良くしようとしとるのかも知れんなぁ。」

「え?」

「メディスンとこの娘はさしずめ『格付け出来る御意見番』と言った役どころだな。他の友達とも同い年だし、あの娘の評価なら賛同も得易かろうて。」

「ぇ…それじゃお姉様はジェズの事を想って作戦を立てていたって事?ここまで周到に??」

「ひいては酒蔵の皆の事を考えて、じゃないかの。」

「↑そんなのっ、あたしだって考えてる!だからあたしはっ─────────」

「何だ、どうした?」

「~~いいえ何もス…」


 怖いジェズの事を隠してます、安心してと自ら努めて振舞ってます、ミーシャはぐうの音も出ない。もしや勘付かれて意趣返しを被っているのでは、そんな疑念すら抱き始める。変な所で自分達が姉妹である事を痛感していた。


 ミーシャが頭を抱えていると不意に男の声が掛かった。祖父ともども来客に気が付かつかず、二人は慌てふためく。客は被っていたハンチング帽を手に取り笑顔で近付いて来た。


「お取込み中の所すみません。こちら酒蔵メリーベルでよろしかったでしょうか。」

「はい、酒蔵メリーベルはこちらです。ようこそお出でくださいました。」

「ああ、個人的にいつもお世話になってますよ。うちのカミさんも好みでして。─それはさておき、次女のミーシャ・メリーベルさんと、お爺さんのパトリック・フォスターさんで?」

「?─はい、そうです。」

「二三お伺いしたい事があるんですが、少し…お話よろしいですか?」


「失礼ですが、どのようなお話ですかな?」

「ああ、申し遅れました。私こういう者で。」


 爺様の訝しむ気配を察知したのか、客はトレンチコートの裏側から名刺を取り出した。手渡された爺様の左右の眉が段違いになる。脇から覗き込んだミーシャは客人の肩書を確認して戦慄した。


(「フー・セクション」!?魔法警察がうちにまで?!)




 デコマヨが目頭を押さえる。客間の一室で彼女らは自国史の暗部に触れていた。


「歴史の学習はどの学校も事情が一緒のようですね。意図的に曖昧にされた勃興以前の内容を読んでいると目眩がします×。」

「私は教科書の内容の相違を面白いと思いました。出版社ごとに傾向があって、どんな事情があったのかを考えると楽しくて☆。」

「なかなか通な方ね↓。私にはこの辺りの大人の事情というものがどうにも悍ましくって、乗り物酔いをしたような気分になりますわ…」


「少し休憩しましょうか。」


 リュアラが手元の鈴を鳴らすと、少しの間をおきサービスワゴンを押してジェズが入室して来た。ティータイムのようである。頭を使う仕事はからっきしの彼だが、身体を使う仕事は得手としており、こと給仕のオペレーションに関しては自分でも自信を持っていた。それらのスキルをリュアラの前で披露できる事は彼にとってこの上ない喜びなのだ。腕が鳴る。


 そして何より、それを友人らに見て貰う事こそが今回のリュアラの最大の目的だったのだ。


(ふふ、ふふふふふ☆、見てる見てる♪。)


 陶器の触れ合う音がする。お湯の注がれる音がする。静かであった。ジェズの所作に淀みは無い。作法のプロなら指摘も出ようが、凡人の目には優雅に映り何ら文句のつけようはない。友人らが惚けたような眼差しをジェズにさり気なく向けているのを察して、リュアラは涼しい顔をしつつも内心悦に浸っていた。


(ふふふ、いいでしょう?ジェズは土臭い汗臭い力仕事もこなせば、車の運転やお茶みたいな人前でする仕事だって難無くこなせるのよ?そして衣裳さえばっちり決めてあげれば、ちゃあんと恰好良く見えるんだから♪。─この子は私の言い付けで仕事をしているの。私のために仕事をしているのよ?全部、全部私のために##)


 つま先から頭の上にまで痺れるような感覚が駆け巡る。背筋は微かに打ち震え、熱を帯びた腰の辺りが浮ついて仕方ない。生まれて初めて味わう身体の芯が疼くような快感に、リュアラは何故か背徳めいた禁断の愉悦を体験した気分になっていた。


 瞳を閉じ、お茶を小奇麗に堪能していたデコマヨがジェズに言葉を掛ける。


「芳ばしいほろ苦さを強調したカカオのバターケーキ、このお茶との相性はとてもいいわね。─お前、中々のものよ。」

「お褒めの言葉ありがとうございます。ですが、ケーキはリュアラお嬢様が焼かれた物で、お茶の葉もお嬢様が選ばれた物なんです。僕は何もしていません。」

「お茶がとても柔らかい。いい仕事をしてるわ。」

「恐れ入ります。」

「それなら、─こっちの山葡萄の飴煮はお前じゃなくて?」

「それもリュアラお嬢様です。僕は力仕事が主でして、お料理はまだオムレツくらいしか出来ないんです。」

「ふぅうん…。卵料理は火加減が命、──中々やるじゃない。」


 #いやあ、それ程でも~、とリュアラが恥ずかしがる。ジェズが褒められる度に机の下で両足をパタつかせ、悶える身を持て余していた。友人らはそんな招待主の奇行に気付かない。


「そんな、とんでもない。」

「私の名はマイユネーツェ・メディスン。お前の名は?」

「ジェズとお呼び下さい。」

「気に入ったわ。ジェズ、今日からうちの工場(こうば)に来なさい。」


 #いやあ、そんな困っちゃ


「★↑はぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっ!?」

「~うるさいよメリーベル姉っ。」

「いやっ、ぁあぁあぁあ貴女いきなり何を言ってらっしゃるの??ジェズは酒蔵メリーベルの従業員ですっ!」

「なら買い取るわ。おいくら?」

「↑人を物のようにお金に掛けないで!ここでは従業員は家族なんです!家族はお金でとっかえひっかえなんてしないんです!!」


 ジェズはかつて身体を金で売買されそうになった身、リュアラが親身で声を荒げる姿を見て彼は目頭が熱くなる。この人に尽くしたい、その気持ちが一層強くなる。

 喧嘩腰の両者を宥めようと友人の一人が割って入って来た。


「まあまあ、マヨネーズさん。」

「~マイユネーツェとお呼び下さってどーぞっ??」

「×ごめんなさい!私、滑舌が悪くて。─あの、ジェズ君って、既にミーシャさんの付き人をやってるんですよ。」

「付き人?──あの子のマネジメントでもしてるの?あの子の専用って事かしら??」


「★↑専用って!何ですか!専用ってっ!?!?」

「~向こう岸に居る訳じゃないんだから声量を絞って下さる?×それと、訊いているのは私の方なんだけど?」

「専用………専用って、何よそれ。ジェズがあの子だけのものだって言う事?…それって…」

「──ちょいと、メリーベル姉、もしもし?──────??」

「否っ!断んんじて否っ!!」

「★×わあ!吃驚したっ→。」


 リュアラは屹立し片腕の握りこぶしを猛々しく天へ突き上げた。亡国の煽動政治家を彷彿とさせる力強い笑顔は分かり易い程に危険人物のそれだった。


「↑私だって主で!ジェズは私も付き人で!私だって専用もあるでしょうっ@☆!」


 静まり返る室内。酒蔵の跡取りがシラフでご乱心である。こういう場合どうしよう。

 使用人を含むその他が唖然とする中、部屋の扉がひとりでに開いた。何かが室内へ入って来たのだが、それは人の姿をしていなかった。子犬ほどの大きさの何かがわらわら、このややこしい時に何だ何だ、ジェズは慌てて駆け寄った。


「わわわ、何だお前達?何処から入って来た?」

「──☆ウリ坊!ウリ坊じゃない、」

「リュアラお嬢様?──お知り合いだったんですか、」

「←どうして私が野生どーぶつとお知り合いなのかっ、」


 闖入して来たウリ坊の集団に気が紛れたのかリュアラは正気を取り戻した。友人達は可愛いなどと持て囃し、とりあえずその場が和みジェズは一安心である。野生の匂いに親和性があるのか、6匹のウリ坊はジェズの足元に群がった。リュアラや客人達がその周りを取り囲む。


「こいつらウリボーって言うんですね、僕初めて見ました。」

「ウリ坊って言うのは子供の時の可愛い呼び方で、本当はイノシシと言う動物なのよ。」

「あ、これがイノシシなんだ。イノシシの子供ですか、人懐っこいなあ。」

「普通は人間を警戒するはずだけど、何でこんな所に─」

「子供だけで何してるんでしょうね☆、」

「「えっ?」」


 和やかな空気が一瞬にして凍り付く。ジェズを除く全員の顔から血の気が引いていた。彼には何が起きているか解らない。一同の顔色を窺っていると自分の名を連呼する声が遠くから近付いて来るのに気付く。扉が再び開いて飛び込んで来たのはミーシャだった。


「ジェズ居た!★ひいいいいいいいいいいいいいっっ!×」

「★?どうしたんですかミーシャお嬢様、─あ、そうだ見て下さい。ウリボーですよ、可愛いですね。」

「ぁあぁあぁあぁああんた!それ全部外へ持ってって早く!」

「え?どうし」

「いいから!×訳は後で話すから早くしてええええええっ!!」


 もういきなりどうしたんだろう、ジェズはウリ坊の捕獲に乗り出す。彼らは小さく小回りが利き、あちこち逃げ回りちっとも大人しくしてくれない。活き良く足元を疾駆するウリ坊達にお嬢様方は翻弄されっ放しで歩く事もままならない。漸く掴まえ脇に抱えてもウリ坊達はじたばた元気である。遊んでいるつもりなのかも知れない。

 こんなに可愛いのにとジェズが興じているうち再び部屋の扉が開いた。


 今度は巨影がそこにあった。ジェズは思わず腕の中のウリ坊を落としてしまう。


「~~お、ふ…」

「───」

「お嬢様…あれ、説明が要らないくらい大きいですね、」

「そうね。」

「人の言葉で…威厳のある声でののしられそうです。」

「そうね。」

「どちら様ですか?」

「あれはイノシシの……言わば、全力お母さん──その究極形態よ。」

「~ああ、あれがイノシシの。そうですか、全力…お母さん。なるほど究極かあ…」


 繁殖期の成獣が子供だけで行動させる訳がない。現れたのは建屋に迷い込んだ我が子らを探しに来たと思しき母イノシシである。ジェズはこれ程大きな四足歩行の動物を見た事がない。扉が開く大きさいっぱいいっぱい、大人が三人乗っても時速100kmぶっちぎりで走りそうな巨躯である。多分その憶測は当たっていた。

 次の瞬間、彼は見積もりに近しい速度をもって巨影の体当たりをくらう。後ろの窓ガラスを割り屋敷の外へまっしぐら、部屋が1階だったのは幸いだった。


 メリーベル姉妹が同時に彼の名を叫んだ。イノシシは首をもたげ姉妹の方へ向きを変える。我が子を護るためである。やる気である。優雅な午後の昼下がりにこの異常事態、どうしてこうなった。姉妹は互いに抱き合いその場にへたり込んでしまう。振動と共に迫る影、獣の荒々しい鼻息が怯える二人へ報復の決意を告げた。


「「ジェズーーーーーーーーーーーーっ!!」」


「お嬢様ああああああああああああっ!!」


 衝撃音に屋敷全体が震えた。巻き起こる突風で部屋の娘らは倒れ込む。一様に瞳を固く閉ざしていたが、その身に異常の無い事が判ると素早く上体を起こした。


「「☆ジェっ…──」」


 メリーベル姉妹は彼の名を呼び掛けて声を淀める。猪突猛進の前に立ち塞がっていたのは、ジェズではなく家政婦長カルヤだった。向けられた牙に掴み掛かり、全身で押し留めている。彼女らの肉の緊張、血の躍動、骨の軋轢が聞こえて来そうな気迫のぶつかり合いは、さながら怪獣大戦争。誰得の問いも虚しい一大スペクタクル、一体何が起こっているのやら。


「こんんんんの燻製の材料があぁあぁあぁあぁあっ、↑ウチのお嬢に牙を向けるとは!ぃいい度胸だよおおおおおおおおおっ!!」


 獣は頭を左右へ振るうがカルヤの剛腕はそれを許さない。蹄が床を抉ろうともカルヤのヒールは怯まない。しかし徐々に、着実に人間側は劣勢へ追いやられつつあった。この圧倒的な体格差は現実的にもビジュアル的にも如何ともし難く、現状維持が精一杯で娘らに避難を呼び掛ける隙も無い。カルヤの心は挫けそうになる。絶体絶命の言葉が彼女の脳裏に浮かび歯を食いしばった。


 絶望の真っ只中、或るものが視界に映り込み彼女の眼光に鋭さが戻る。

 対戦相手の後ろにちらりと見えたそれは、数匹のウリ坊の姿だった。


「★っ!~~~───ふ、☆ふふふはは!そうかいそうかい、お前母親だったのかい……仕方ないから燻製は勘弁してやるよ~。だけど………~~~オトコ捕まえて子供をたんと授かったからって、いい気になるんじゃないよおおおっ!」


 因縁じゃん、ツッコミはリュアラの友人らの提供でお送りされた。


「~哂ったな?獣の分際で、今私を見て哂ったなお前??獣に出来て、人間様の癖にオトコの一人も出来ないのかと哂ったろう?ぁあああん?!~私の!この惨めな有り様を見て!お前は嘲笑ったなあああああああああああっ!!」


 いつももいざも頼もしいが被害妄想も逞しい。家政婦長はコンプレックス臨界を怒髪天。


「独身っ!舐ぁあめんなああああああああああああああああっ!!」


 やや腰を落としたカルヤを押し潰そうとイノシシは身体を弓なりにする。誘い通り、カルヤは背中から床へ倒れ込み、勢いそのまま獣の頭を引き込んで、片足でイノシシの腹のど真ん中を蹴り上げた。柔道の巴投げのような格好で巨体は壊れた窓の外へ放り出される。一呼吸おいて重厚な衝撃音と共に若い男の悲鳴が聞こえて来た。


 ジェズがイノシシの下敷きになるのは予定調和と言うものだ。




☆☆☆


 散らかっていた客間は漸く片付けられた。日はとっぷり暮れている。家政婦長様お疲れ様、使用人君ご苦労様。疲れました疲れました。


 イノシシ親子が無事に山の方へ帰って行くと、リュアラの友人達も各々帰って行った。学習内容はさておき楽しかったと好評で、警察沙汰と言うジェズのネガティブなイメージも払拭が叶った。但し「仕事の出来る恰好良い少年」であっても「荒事は苦手な優男」と言った印象であり、リュアラはちょっぴり不満に思っている。評価したデコマヨのせいだ。イノシシの下で目を回していたジェズを見た彼女は興が削がれたのだそうな。あんまりである。


 雑巾掛けが終わりバケツへ雑巾を浸ける。頭巾を脱いでリュアラは長い溜め息をついた。


「ミーシャ、あの親子は一体何処から入って来たの?」

「販売ホールの入口。ウリ坊がお客…に纏わりついて、あたふたしてる内にあのデカいのが。何こいつと気が付いた時にはお客がドカーンと。」

「★お客様が?!お怪我は?病院へは?!」

「すり傷と打撲。それと腰を痛めたらしくて、念のためお爺様が車で病院に連れてった。」

「×あぁ、困ったわね。何でイノシシが迷い込んで来るかしら…」


 野生動物が人の居場所に迷い込む事は珍しくないものの頻度は多くない。イノシシは姉妹にとって初めての経験である。ブドウ畑の敷き藁の片付けが終わっていたらホールへの闖入は避けられたかも知れない、ミーシャはそんな事を思ったりもする。しかし所詮は確立の問題であるとの結論に彼女は諦観を抱いた。今日は単にアンラッキーだったのだ。


「…そのお客、魔法警察だったよ。」

「警察?」

「屋上事件の絡みで調べ回っているみたい。従業員の細かい事をあれこれ質問されて、お爺様珍しく怒ってた。」

「そう…だったの…」


 本来ならリュアラが質問責めに遭ったはずである。


「そこへドカーンと来たから胸がスッとしたって、お爺様。」

「お爺様↓。」

「カルヤさんが近くに居て良かったね。」

「そうね。」

「──────」

(カルヤさんの事は正直忘れてたわ。─本当はジェズがまた『あの』凄い力でイノシシをぶっ飛ばして、護ってくれるんじゃないかって…期待もあったんだけどねー。)


 自分だけが知る秘密、こんな事を考えるのは自分だけ。姉からそっぽを向きながらそう思っていた矢先、ミーシャの脳裏に何かが閃いた。


(あれ?ひょっとしてお姉様、あたしと同じ事考えてたりした?ジェズの事呼んでたもんね。……実は?あたしが知らないだけで?怖いジェズの事を前から知ってたり?して??)


 疑い出すとキリが無い。暫く泳いでいた目は姉の顔へ焦点が合う。


「~お姉様、」

「何?」

「お姉様、まさか…」

「まさか──何?」

「まさか…ジェズの事っ、」

「ジェズ?」

「ジェズの事、──何処まで知ってるの?」

「?何処までって──────★!」


 いつになく真剣なミーシャの眼差しを見てリュアラは或る直感に衝撃を受けた。姉妹は互いを見詰め心理戦に突入する。


(ジェズの何処までって、彼に対する理解の度合いを言ってるのかしら?この子は自分の方がジェズの事を私よりも深く理解していると言うの?私が皆にジェズの事を自慢したいのなんかお見通し、理解の及ばない私に主人顔をするなと言いたいの?!~~~)

(★まずっ!こんな事言ったらあたしが隠し事してるって自白してるようなものじゃない×!語るに落ちるとは正にこの事っ~~何もかもお見通しって事?お姉様!見透かされての今日の勉強会なら合点が行くか…お姉様はあたしの隠し事する姿勢を牽制した、って事ね。)

(待って。主人顔?ジェズの占有権を主張している?権利の主張──まさかこの子、ジェズの事が好きで!私もジェズが好きだと疑ってるのかしら?!何処までって、何処まで「関係が進んだのか」って事を訊いているの#?何て事を訊くのこの子はーっ#!)

(待った。牽制?それって隠している事は判ってても、結局あたしが何処までジェズを知っているかは知らないって事じゃない??つまり、あたしがボロを出すのを誘ってるんだ!小説で読んだ事ある「ブラフ」ってやつじゃない?!何て恐ろしい姉っ!)


 二人は目前の対戦相手が、実は鏡に映った自分自身である事に気付いていない。


「…何処までってそんな、真剣に考え過ぎよ。まぁ…手を取ったり?身体に触れるくらいならあるけれど#、」

「身体!?…ふ、ふーん。ジェズの『あの』身体…見た事あるんだ。へぇぇええ……」

「見た事?見る事くらいあるでしょう?でもね、私達はそんな関係じゃないのよ?」

「私達は?…き、器用ねえ。お姉様は知ってて、ジェズは知らないって事?」

「私??~私だって今知ったばかりなんだから、ジェズは知らないでしょう?」

「今?!~あたし何言った?!…あっ、あたし何か変な事言ったの?!」

「変って、ずっと変よ?」

「★×!!~~~何よ!知ってて謀ったのねっ×!」

「謀った?」

「謀った!」

「「★!?~~~──────………何が??」」


 話が噛み合ってない事に漸く気付き、お互い気まずい雰囲気になる。脇を締め胸の前辺りでバタバタさせていた両拳はおもむろに弛緩し、やや前傾になった上半身と合わせ幽霊のような格好になった。不用意に話し掛けると自分から変な事を口走りそうで、二人とも渋い顔を赤くさせて口を噤んでしまう。


((~言いたい事、訊きたい事はあるけれど、今はこのまま触れないで───))


 同じ結論に至った事を互いが阿吽の呼吸で感じ取り、嗚呼やっぱり姉妹だわーと何だか居た堪れなくなる。何も無かった事にしたい、その場を誤魔化したくて仕方がない。


 外の片付けをしていたジェズと家政婦長が帰って来て姉妹は漸く緊張状態を脱した。二人の他愛ない会話に息をつく。


「ボタンナベ?」

「東方の料理だってさ。イノシシの肉を野菜なんかと一緒に鍋で煮込むらしいが、肉をボタンって花に見立てて盛り付けるんだと。」

「ボタンが分からない。」

「東方の花らしい。私も知らないねえ。」

「そんな形にするなんて、ボタンっておいしいんでしょうね、」

「そうさねえ。」


「…ジェズ、あなた身体は大丈夫なの?」

「リュアラお嬢様☆。あのくらいなら僕へっちゃらですよ、」


 普通の人間なら普通に天へ召されている。家政婦長は表情を曇らせた。


「明日にはブドウ畑の敷き藁を全部片すんだよっ。あいつら藁も食べるから、それに惹き付けて出来るだけこっちへ来ないようにするんだ。いいねっ?」

「×はい、申し訳ありません↓。」

「お嬢様達もお身体に痛い所など無いですか?私ゃ肝を潰しましたよもう×、」


 姉妹が苦笑いしていると廊下から騒々しい空気が近付いて来る。帰宅した先代メリーベル兄弟だ。親父は半ベソで錯乱気味、叔父貴は余裕の笑みを見せていた。


「★おお!リュアラ×!ミーシャ×!二人とも無事か!?心配したぞおおっ!×」「ほうら、僕の言ってた通り大丈夫だったろ?兄さん、」


 家政婦長が褒められたりジェズが叱られたり帰って早々騒々しい。そこへ今度は祖父が帰って来た。こちらの方は飄々としていた。


「何だ随分騒がしいのう。─おお、二人とも大丈夫そうだの。さすが儂の孫娘達だ♪。

─あぁ婿殿婿殿、後でちょいと酒を融通してくれんかの?こちらの瑕疵うんぬんはさて置き、不躾な客だが見舞いをせにゃあならん。」


 客間は大人数でやいのやいの。賑やかな人々に取り囲まれて、姉妹は互いに気を張る事が馬鹿馬鹿しくなって来る。先程の気まずさもすっかり紛れてしまい、周りにつられて思わず笑みがこぼれた。

 周りから叱られて少ししょげていたジェズだが、彼にはお嬢様達の笑顔が無条件に嬉しい。この笑顔が見られるなら頑張れる、そう思った瞬間彼は或る事に気が付いた。


(…そうか、きっとそれは僕だけじゃないんだ。周囲の人達も、お嬢様達お二人に笑顔でいてほしいんだ。どうしてそう感じるのかは解からない、けど…なんだろ、とても素敵な事のように思う。お嬢様から読ませてもらった小説にも書いてあったような気がする。


これが「家族」…なのかな?

これが「幸せ」って…ものなのかな?


どっちも僕にはよく解らないけど───

─────────────────────お嬢様達にはかなわないや。)

「リュアラお嬢様、ミーシャお嬢様。お二人一緒だと…凄いんですね。」


 二人はジェズの言葉を聞いて互いの顔を見合わせる。

 彼は少しだけ眉を情けなくしていた。


「色んな人がいっぱい味方についてます。」


 姉妹の中で今回の騒動は彼が発端だが、周りに居る様々な人々と様々な事を経て、結局は彼がきっかけで仲直りに至っている。そんな彼も自身が言う「味方」なのだと思うとちょっぴり可笑しくて、姉妹はまた笑顔を見せた。


「「ジェズもね。」」


 ジェズはメリーベル姉妹をとても羨ましく思っていた。

 この家族の兄弟姉妹は代々こうなのだ。

 だから百年も栄え、これからも栄えるのだと。


 自分が姉妹の味方に数えられた事は、上の空だった。







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