暗闇
「ジェニファー。」
部屋に戻ろうとするジェニファーの背中に、ケビンが鋭く声をかける。その後ろで、ダニエルが小さく舌打ちをした。
ジェニファーが振り返る。ケビンは黙って、自分の部屋を親指で指差す。ケビンかダニエル、二人のうちどちらかが接触してくることは、おそらくジェニファーにも読めていただろう。頷き、入り口の看板を立てると、先に歩き出したケビンに続いて、暗い通路へと消えていった。
二人の姿が闇に溶けると、アンドリューが口を開いた。
「先を越されましたね。」
ダニエルは小さく鼻で笑う。わずかに息が酒臭い。
「関係ねぇさ。ジェニファーとの交渉は、ケビンの後でも遅くはない。場合によっちゃ、都合がいいくらいだ。」
そう言ってにやりと笑ったダニエルの顔は、赤橙色の炎に照らされ、不気味な凄みを帯びていた。
「だが、まずはお前だな、アンドリュー。酒でも飲みながら、部屋でゆっくり話そうぜ。」
アンドリューは、小さな微笑みをダニエルに返すと、そのまま自分の部屋へと歩き出した。
ダニエルは残ったウォッカを飲み干し、空いたボトルを投げ捨てた。ボトルは綺麗な放物線を描き、暴力的な音とともに、地面に当たって砕け散る。破片にろうそくの光が反射し、鋭く、美しい光を放つ。
時刻は0時過ぎ。夜の闇は、刻一刻と深まっていた。
ケビンは部屋に入ると、地面にどかっと腰を下ろした。ジェニファーはちらりとそちらに目をやると、空いた椅子に座った。
「たばこを吸ってもいい?」
ジェニファーが尋ねると、ケビンは短く「あぁ」と答えた。
ケビンはたばこを吸わない。自分に、特定の、わかりやすいにおいが付くことを嫌うらしい。ジェニファーは、ポケットからタバコとライターを取り出し、火をつけた。
一瞬部屋に煙が充満するが、断続的に吹き込む風が吹き飛ばした。
「アンドリューとは、何を話した。」
単刀直入に、ケビンが切り込む。
視線は下を向いているが、声に一切迷いはない。頭の中では、着実に自分が勝つための算段をつけているはずだ。
ジェニファーは一瞬逡巡した。アンドリューとの契約内容を、この男に話すべきか。
自分を上回る計画により、出し抜かれ全てが水泡に帰す。ジェニファーが最もそれを恐れている相手は、ケビンだった。
彼に情報を与えたら、一見為すすべない状況から、自分には思いもよらない一手を繰り出すかもしれない。長年ケビンの元で仕事をこなし、その手腕を見てきただけに、ジェニファーはそう感じていた。
ちらりとケビンを一瞥する。視線は下に落としたまま、こちらの言葉を待っていた。
今、この状況でこの男に何ができる?
現在、ケビン以外の全員が最低50枚を獲得できると見込んでいる。この状況でケビンが二人を味方につけるには、最低102枚の金貨が必要だ。単純に考えて、それはできない。
アンドリューの一番の狙いはやはり、ケビンの動きを封じることだったのかもしれない。
「生存者が、私とアンドリューのみになった時、アンドリューが50枚以上獲得できるとき、及びその時のみ、アンドリューは私の提案に賛成する。そんな契約を結んだわ。」
ケビンは顔を上げた。その目がわずかに、驚いたように見開かれている。
が、再び地面に視線を戻し、何事か考え始めた。ジェニファーは黙って、その様子を見つめていた。
ジェニファーの中では、一つの筋書きができていた。
それは、今ここでケビンにアンドリューとの契約を語ることにより、自分は51枚の金貨を獲得する、というものだ。
ケビンはこの契約内容を聞いて、ジェニファー、アンドリューを買収するには、最低でも51枚必要だと理解するだろう。そしてその場合ダニエルの票を、49枚以下で手に入れなければならない。一見それは不可能に思えるが、すべてがかみ合った時、可能性が生まれる。
アンドリューは、おそらくダニエルにこの契約内容は話さない。50枚、などという破格の契約を予測していないダニエルは、今一番油断しているはずだ。それならば、あえてこちらの情報を渡さずにいれば、ケビンが処刑されたとき、出足を鈍らせることができる。
ということは、ジェニファーがダニエルに話さなければ、ダニエルはこの契約を知る由はないのだ。そこでケビンが例えば、「アンドリューとジェニファーは、ダニエルの契約には賛同せず、二人で金貨を山分けする契約を結んだ」などと話せば、ダニエルの票を金貨0枚で得ることだって不可能ではない。
ケビンは気づいているだろうか。そう思った時、ケビンが口を開いた。
「その契約を持ち掛けたのは、アンドリューか。」
ジェニファーにとっては、やや予想外の問いである。
「ええ、そうよ。私だってこんな破格な契約を結べるとは思っていなかった。」
「そうか。」
それだけいうと、再びケビンは考え込む。地面の一点をじっと見つめるその瞳には、自分とは違う未来が映っているのではないか。ジェニファーはなんとなく、そう感じた。
アンドリューの部屋では、ダニエルが、先ほどジェニファーが座ったのと同じ岩に腰かけていた。手に持ったグラスには、ジントニックがなみなみ注がれている。
「ジェニファーとは、どんな契約を結んだんだ。」
グラスをあおりながらダニエルが尋ねる。
アンドリューは、ジントニックのボトルに手を伸ばした。深いブルーのハンカチを取り出し、ボトル表面の水滴をふき取る。
「どうして、僕と彼女が何らかの契約を結んだと思うのですか。」
そう言ってアンドリューは、自分のグラスにも少量注いだ。
ダニエルはふんっ、と鼻を鳴らした。
「何もしなければ金貨をほぼ獲得できない状況で、あの子ずるい女が指をくわえてるはずがないだろ。くだらないこと聞くんじゃねぇ。」
アンドリューは、持参した保冷バッグから氷を取り出し、いくつかグラスに入れた。
「そうですね。」
そう呟き、からからとグラスを小さく揺らす。
「彼女の命は保証した、とだけ言っておきましょうか。」
ダニエルは、ちらりとアンドリューを見た。その瞳の奥で、ろうそくの炎が揺れている。
「なぜ俺に隠す。」
アンドリューは、小さくグラスを傾けた。
「別に。なんとなく話したくないだけですよ。それに、わざわざ僕が話さなくても、ジェニファーに聞けばわかることでしょう。」
そう、ジェニファーからしたら、自分の票の値を上げられるだけ上げたいと考えるだろう。ということは、ここでアンドリューがジェニファーとの契約内容を隠しても、ダニエルが直接ジェニファーに聞けば、アンドリューが提示した金額を明かし、それ以上をダニエルに要求してくるはずなのだ。
だからこそ、ここでアンドリューが言わない意味が分からない。その違和感を心にとどめず受け流すほど、ダニエルは楽観的ではなかった。
しばらくダニエルが考え込んでいると、アンドリューが口を開いた。
「ケビンとジェニファーは、何を話しているのでしょう。」
ただなんとなく、頭に浮かんだことを口にした。そんな口調だった。
「さあな。ケビンはジェニファーを買収したところで、あと一人分の票が必要だからな。そこのプランを立てるため、今はとりあえず情報収集ってとこじゃないか。」
ふと、思いついてダニエルは尋ねた。
「お前、ケビンの提案に賛成する気はあるか。」
アンドリューは少し考え、言葉を選びながら、答えた。
「提案の内容によりますが、基本的に、僕の見込める利益以上の提案がなされることはないでしょう。だから今のところ、賛成する気はありません。」
「そうか。」
そう言って、ダニエルはグラスを手に取った。体内にアルコールを入れるが、思考は酩酊するどころか、より一層研ぎ澄まされていた。
アンドリューとジェニファーの契約内容も、ケビンの動きも、いまだ闇に包まれている。何の情報もなくこの夜の駆け引きに臨むのは、いわば目隠しで戦場に赴くに等しく、確実に勝ち目はないどころか、自分の命すら危うくなる。
いま必要なのは情報だ。アンドリューに話す気がない以上、これ以上ここにいても、得られるものは何もない。そう判断し、ダニエル一気にグラスを干して、立ち上がった。
「じゃあな。ごちそうさん。」
ダニエルはそのまま部屋を出ていく。アンドリューは黙って、その後ろ姿を見つめいた。
ふと、ダニエルが振り返った。
「うまい酒は、ストレートで飲むもんだぜ。」
そう言ってにやりと笑う。アンドリューも小さく、笑い返した。
「味の変化を楽しみたいんですよ。あなたには、わからないでしょうがね。」
ダニエルはそれ以上何も言わない。黙って片手をあげ、そのまま暗い通路へ姿を消した。
ジェニファーが帰った後、ケビンは一人、部屋でコーヒーを啜っていた。
ジェニファーとはあの後、特に何の契約もせずに別れたらしい。ケビンは頭の中で、彼女から得た情報を整理していた。濃い琥珀色に抽出されたコーヒーは、絶えずケビンの体内にカフェインを送り、彼の脳を活性化させる。
(ジェニファーのあの発言には、ある程度信憑性がある。彼女に、あの内容の嘘をつくメリットはないからだ。)
ケビンは考える。ろうそくの炎が、風で危うげに揺れている。
(となると、あいつはダニエルにも同じ内容を話すか。
いや、その可能性はおそらく低い。ダニエルに話した場合、俺が死んだあと金貨をダニエルとアンドリューで山分けするなどの契約を結ばれる危険がある。アンドリューも同じだろう。必要がないのにダニエルに、わざわざ情報を与えることはない。
ダニエルには隠し、俺には話した。ということはジェニファーはおそらく、俺がダニエルを出し抜き、ジェニファーを51枚以上で買収することを期待したのだろう。だが、そうやすやすと出し抜けるほど、ダニエルは甘くない。)
ビュウ、と鋭い音が響いた。
吹き込んだ風で、ろうそくが大きく揺れたかと思うと、ちぎれるようにふっと消えた。
唯一の光源を失った部屋は、完全に闇の中に沈んだ。手元のコーヒーカップの位置すら、把握することはできない。
ケビンはマッチを探そうとしたが、少し考え、やめた。
仕事柄、暗闇には慣れている。ケビンは腕を組み、再び思考に没頭した。
(ダニエルは、どう動くだろうか。
確実に自分の命を保証するなら、『一回目の投票で俺が死んだら、俺の提案、そしてアンドリューとの契約でジェニファーが得られる金額を上回る提案を行い、ジェニファーは必ずそれに賛成する。』という契約もあり得る。この契約なら確実にジェニファーの票を獲れるし、あいつはまだアンドリューとジェニファーの契約を知らないから、これである程度の枚数を獲得できると考えるだろう。
もしダニエルとジェニファーがこの契約を結ぶのなら、俺には一つ、確実に生き残る方法がある。)
徐々に網膜がわずかな光を感知し、暗闇の中に物の輪郭が浮かんできた。
ケビンはコーヒーカップを手に取る。香り高い液体を少しだけ口に含んだ時、ずっと引っかかっていた一つの疑問が、改めて意識に浮上してきた。
(そもそも、アンドリューはなぜ、ジェニファーとあんな契約を結んだ?)
ジェニファーによると、アンドリューから提案された契約である。考えると同時に、ケビンはいくつかの理由に思い当たる。だが彼の意識に生じたわだかまりは、そのどれにも彼を納得させなかった。
(あいつが、金貨50枚で満足するたまか?)
ケビンは考える。暗闇の中、ただ一人で。
夜に沈んだ洞窟の中で、それぞれが暗い洞窟の中、手探りでもがき続けている。自分は今どこにいるのか、ほかの三人がどこに行こうとしているのか。求め、考え続けているが、全体像を見つめることはかなわない。周りを見ても、暗く深い闇が広がっているだけである。
第一回目の投票まで、残り時間は半分を切っていた。




