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黄金色の朝  作者: とある貝
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思惑

大部屋には、固まった表情を張り付けたファーザーが一人、身じろぎもせずに直立していた。

小さなランプ一つによって照らし出されたその空間は、輪郭を失いおぼろげに浮かんでいる。それぞれの小部屋に伸びる四本の通路にはすでに光は届いておらず、ただ暗闇があるだけであった。その入り口には、立て看板が無造作に倒れている。

ジェニファーはしばらくそれを見つめ、ゆっくりと起こした。[contracting]とだけ書かれたその看板を残し、静かに闇の中を進んでいった。


アンドリューの部屋へ入ると、テーブルにはジントニックのボトルと、グラスが二つ置かれていた。ジェニファーの姿を確認すると、アンドリューは空いたグラスを手に取った。

「ちょっと待って。」

アンドリューの動作が止まる。部屋には椅子は一つしかないため、手ごろな岩を見つけジェニファーはそこへ腰を下ろした。

「あなたと同じグラスで、同じ酒をいただくわ。睡眠薬なんかが入っていないとも限らないもの。」

言われてアンドリューは小さく笑い、元々自分が使っていたグラスに手を伸ばした。先に自分が一口飲み、それをジェニファーに差し出す。ろうそくの炎に照らされたカクテルグラスは、魅惑的な輝きを放っていた。

ジェニファーはそれを少しだけ口に含み、テーブルに置いた。

「早速本題に入りましょう。」

アンドリューの様子を窺うが、話し出す気配はない。テーブルの上で手を組み、静かにジェニファーを見つめている。

ジェニファーは続けた。

「あなたは実質、私の命を握っている。その優位を利用してあなたが私を買収しようとするのは当然でしょうけれど、私は今ならあなたと契約しなくても生き残れるのよ。ケビンもダニエルも、喉から手が出るほど私の票を欲しがっているもの。」

放っておいても、ケビンはほぼ確実に、ジェニファーの票を得るための交渉に来る。

下手に出る気はなかった。半端な額で、あなたの契約に応じる気はない。ジェニファーの目はそう言っていた。

アンドリューはじっとジェニファーを見ていたが、やがてわずかに口元をゆるめた。

「話が早くて助かりますね。」

互いに状況はわかっていた。

一瞬、沈黙が走る。二人の視線が交錯した。

「何枚出す気?」

「50枚。」

ー即答だった。

ジェニファーは息をのんだ。ポケットを探る。煙草とライターを取り出し、火をつけた。

「…本気なの?」

「もちろん。」

アンドリューは、まっすぐにジェニファーを見据えている。その眼には隙のない光が宿っていた。

ジェニファーは一度、大きく煙を吐き出した。

「条件は?」

アンドリューは黙って、契約用紙とペンを取り出し、そこに数行走り書きしてジェニファーに渡した。

差し出された条文を見て、ジェニファーは目を見張った。


ー生存者がアンドリュー、ジェニファーのみとなった時、アンドリューの獲得枚数が50枚以上となるとき、及びその時のみ、アンドリューはジェニファーの案に賛成する。-


「…これだけ?」

問いかける視線は、明らかにいぶかしがっていた。

「そうですが。」

「話がうますぎるわ。」

アンドリューをにらみつけ、一息に言った。

「わたしを殺せば100枚手に入れられるあなたが、この契約を結ぶメリットはない。そりゃ私にとっては破格の条件だけど、あなたはただ獲得できる金貨が半分になるのよ。」

アンドリューは動じない。ろうそくの炎がかすかに揺れた。

「何か企んでるとしか思えないわ。」

ジェニファーにとっては、願ってもいない提案だった。確実に命の補償がなされるうえ、残り二人になった時点で50枚の金貨が確約される。しかも条文はこれだけだから、万が一他の誰かが50枚以上の提案をしてきたら、それに賛成してもよい。ジェニファーにとってはほとんど50枚以上の金貨が確定する契約だが、アンドリューにしてみれば、残り二人になった時に50枚しか獲得できなくなる契約である。

ジェニファーの利点は大きいが、アンドリューにメリットはない。罠だと疑うのも当然であった。

アンドリューは、ゆっくりとジントニックをあおり、グラスを置いた。

「今夜採用されているこのシステムにおいて、一番不利なのは誰だと思いますか。」

質問の答えにはなっていない。だが、ジェニファーは少し思案し、こう答えた。

「一概には言えないわね。でも、あたしは結構不利な立場にいると思うけど。」

アンドリューは微笑した。元来美形な男だったが、ろうそくに映し出されたその表情はさらに美しく、そして薄い硝子のような危うさがあった。

「考え方によりますね。しかし、僕はケビンだと思っています。彼にはほかの三人と比べて、圧倒的なハンデがある。」

このルールにおいて、発案者は過半数の票を得なければいけない。ということは、最初に提案するケビンだけ、三人分の票を獲得する必要がある。ジェニファーも、それは十分に承知していた。

「僕は今夜の一番のポイントは、いかに自分以外の票を獲得するかだと思っています。そのために使える金貨の限度額は、あなたとダニエルの場合、自分の利益も見込んで50枚です。対してケビンは、自分も利益を得たいと思うのなら、33枚しか出せません。仮に自分の利益を捨てて生き残ることに徹しても、二人分の票を獲得しなければいけない彼がひとりに払えるのは、やはり50枚が限度。それ以上はどうやっても出せません。」

いつの間にか、天井には一匹の蝙蝠がぶら下がっていて、二人のやり取りを見つめていた。

「ということは、僕がここであなたと50枚の契約を結んだ時点で、ケビンの生き残りはほとんど不可能になります。そして僕とあなたとダニエルの三人になったら、あとは妥協点の探り合いですが、そうなれば僕はほぼ確実に、50枚近い金貨を得られるでしょう。」

アンドリューは、まっすぐにジェニファーの目を見つめ、言った。

「僕が100枚の金貨を得るのは、一見可能に見えて不可能に近い。僕がそれを目指せばあなたは、ダニエルの提案にほぼ確実に賛同するからです。だから僕は、確実に50枚を獲りにいく。そのために、この契約を結ぶのです。」


洞窟の中は、いつの間にか肌寒くなっている。そろそろ日付が変わる頃だろう。

アンドリューの目的はわかった。彼の言っていることは理にかなっているし、この状況で100枚ではなく50枚を獲りにいくというのも、確かに賢い選択だろう。

そしてもう一つ、アンドリューにはおそらく狙いがある。

それは、この夜の駆け引きの主導権を握ることだ。今夜最も警戒するべきことの一つは、自分のプランの上をいく相手の計画に出し抜かれることである。それを防ぐためには、ほかの三人の行動を予測する必要がある。だが、各々の利害が対立しているこの状況で、それぞれの行動、作戦、契約を読みきるのはほとんど不可能に等しい。それならば最初に、提示できる最大額での契約を結び、ほかの三人が取れる行動パターンを一気に狭めてしまおう、ということだろう。

それでもジェニファーには、一抹の不安が拭えなかった。100枚獲得できる可能性のある男が、こうもあっさりとそれを棒にふるだろうか?その疑問がずっと、ジェニファーの意識の片隅に引っかかっていた。

だが、とりあえずジェニファーにとって、この契約を結ぶデメリットはない。そう考えた時、腹が決まった。

「わかったわ。」

契約書を受け取り、署名する。二人の名前がサイン欄に並んだ。

「これをファーザーに提出すれば、契約成立ね。」

アンドリューはもう一度契約書をチェックし、頷いた。

「では、行きましょう。」

二人は同時に立ち上がった。

アンドリューが部屋を出ていく。ジェニファーは残ったジントニックを飲み干し、その後に続いた。

二人の様子を、天井にぶら下がった蝙蝠が一匹、ただじっと見つめていた。


「まさかジェニファーが最初に、アンドリューと接触するとはな。」

大部屋にダニエルの声が反響する。床に無造作に座ったダニエルは、壁に寄りかかり、ウォッカの瓶を揺らしていた。

隣に立ったケビンは、黙って腕を組んでいる。

「俺はてっきり、あんたが最初にジェニファーと交渉するもんだと思ってたけど。キャプテン、ジェニファーに振られちゃった?」

ダニエルの顔には、わずかに笑みさえ浮かんでいる。表情を変えずに、ケビンは言った。

「余裕そうだな。」

「まぁ、あんたと違って有利な立場にいるからな。」

ダニエルはすらすらと語った。

「おそらくアンドリューは、金貨数枚でジェニファーを買収しようとするだろ?そして、あんたも同じことを狙っている。

あんたはジェニファーの他にアンドリューの票も必要だから、ジェニファー一人に金貨をつぎ込むことはできない。この状況、はなから条件的に不利なあんたが、俺やアンドリューを差し置いてジェニファーを買収するのはほぼ不可能だ。そうなると、俺とアンドリューのどちらが多くジェニファーに金貨を出せるかだが、俺は何も馬鹿正直にジェニファーだけを狙うことないんだ。あんたが処刑されたあと、ジェニファーが値段を釣り上げてくるようなら、アンドリューと組めばいい。」

言い終わると、ダニエルはウォッカを大きくあおった。すでに瓶はほとんど空になっているが、酔っている気配は微塵もない。

「まぁ、アンドリューの提案額に、10枚くらい上乗せしてやりゃジェニファーは買収できるだろ。俺は、あんたとアンドリューの動きを見て、その上で上手く立ち回れば金貨を獲得できるのさ。票を得るのがほぼ絶望的なあんたと違ってな。」

洞窟の外では、風の音が強くなっている。この時間帯、潮が満ちるにつれ海は、昼間の優しい顔を捨て、凶暴さを増していく。

ふと、ダニエルは真顔になった。

「あんたにゃ世話になったよ。だが、今夜笑うのはあんたじゃなくて俺だ。あんたには死んでもらう。」

二人の影がゆらゆらと揺れている。

ケビンは、まっすぐ正面を見据えたまま、静かに言った。

「甘く見られたもんだな。」

洞窟に吹き込んだ海風が、ゴウ、とうねり声をあげた。ランプの灯が大きく揺らめく。

「この夜は、お前の思うほどやわじゃない。」

カタン、と看板を動かす音がした。

暗い通路から、アンドリュー、そしてジェニファーが出てきた。アンドリューの手には、契約書が握られている。

二人は一言も話さず、黙って歩く。ファーザーに契約書を提出すると、ファーザーはそれを詳しくチェックしたのち、鞄にしまった。

契約書が受理され、今夜の絶対的なルールが一つ追加される。それを確認した瞬間、ケビンとダニエルは同時に動き出していた。

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