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夢の始まりを告げる紙

 魔王候補生意志調査用紙と書かれたプリントをクリアファイルから取り出した。

 頬をつねり、夢かどうか確認する。はっきりと痛みを感じた。夢ではないようだ。


 青色のクリアファイルには学校で配られたプリントを入れているのだが、どう考えてもこれは学校で配られたものではない。

 きっと漫研の誰かがいたずらで入れたに違いない。──何の根拠もなかったが、そう思い込もうとした。


 馬鹿馬鹿しいいたずらだが、こういう遊びは嫌いじゃない。

 それに、魔王と勇者どちらになるかと聞かれたら、ヤリたい放題できる魔王がいい。

 筆箱からシャーペンを取り出し、プリントに目を通す。



 貴方は厳正な審査の結果、魔王となる資質を有していると判明いたしました。

 この魔王候補生意志調査用紙を提出していただければ、書類審査の結果次第で、魔王候補生になることができます。


 約一年間の選定期間を経て、魔王候補生の中から一名、魔王を選定いたします。


 魔王とは、夢の世界である幻魔界を支配し、数多の夢を管理する権能を有する、全知全能の存在です。


 貴方が魔王及び魔王候補生になることで被る不利益は一切ございません。



 …………夢の世界か。

 そういえば、夢の始まりの紙が送られるとか、お姉さんも言っていたような。

 その後に何か大事なことを話していたような気がするが、よく思い出せない。


 ……いや、これは現実なんだ。昨日の夢とは何の関係もない。現実を見ろ。

 ただのジョークなんだから、こんなもんノリで書いちまえ。



 質問──魔王候補生になる意志はありますか。

 俺の答え──幻魔王に俺はなる!


 質問──志望動機を教えてください。

 俺の答え──現実が面倒くさかったから。特に勉強とか。


 質問──自己PRをしてください。

 俺の答え──ある意味、想像力が豊か。


 質問──その他、記入することがあれば記入してください。

 俺の答え──準備期間が一年というのは長すぎる。面倒だ。もっと短くしてくれ。



 すべての記入を終えて時計を見る。一時八分。そろそろ教室に戻るか。


「おい先人。何やってんだ?」


 突然背後から声がしたので、慌ててプリントをクリアファイルに戻し、それを鞄の中に押しこんだ。


のぼるか……。驚かすなよ」


 声の主は山本昇やまもとのぼる。漫研の部長で、俺の悪友だ。

 ちなみに俺は副部長だ。といっても、名目的な役職なので何の仕事もしていない。


「漫研部室ですることといえば、漫画を読むこと以外何かあるのか?」


「うちの漫研の活動は漫画を描くことだ。トーン貼るくらい手伝え」


 昇は何かを探すように部室を見回すと、戸棚の上に置いてあった日本史の教科書を手に取った。

 そういえば昨日、昇は他の漫研部員たちと一緒に、日本史の人物を萌えキャラにして遊んでいた。

 昇の描いた徳川吉宗は萌えたな。見てる俺のほうが暴れん坊将軍になりそうだった。


「こいつを探してたんだよ。日本史の田川は怖いからな。……ってこんな時間かよ! 急げ!」


 そう言い終わらないうちに、昇は一目散に走り出した。日本史選択じゃないとはいえ、遅刻するのもまずいので、俺も教室に戻った。






「有崎、有崎」


 後ろの席から呼ぶ声がして目が覚める。俺はいつの間にか眠っていたらしい。

 まあ、無理もない。一日勉学に励み疲労もピークに達する六時間目だ。春の陽気に誘われて眠ってしまっても、誰も文句は言うまい。


「進路調査用紙を前に回してくれ」


 後ろの男子生徒からプリントの束を手渡された。

 進路調査用紙……? もう六時間目終わったのか。まだ眠いな……。

 寝ぼけていたので、青色のクリアファイルに挟んでいたプリントを、中身も確認せずに提出してしまった。






 翌日の朝のHR。教室に担任が入ってきても、いつもなら教室の喧騒はなかなか収まることはない。しかし、この日は担任が入ってくるなり、みな押し黙ってしまった。

 担任の上森は、どこにでもいる五十そこらの地味な男性教師である。普段は真面目で穏やかな印象なのだが、今日は青筋を立て目尻を吊り上げ烈火のごとく怒っていた。


 日直が上森の剣幕に押され、小声で起立・礼・着席の号令をかけた。

 あー、完全に日直がびびっちゃったよ。どうせ、問題児が何か揉め事を起こしただけなんだろうから、俺たちみたいな善良な生徒には関係ないだろうに。などと、安心しきっていたところ、


「有崎! 立ちなさい!」


 不意に大声で名前が呼ばれたので、反射的に立ち上がった。


「はい。何でしょう!?」


「有崎、お前、進路について本気で考えたのか!」


「書いた通りですけど」


「魔王になるだと! ふざけるのもいい加減にしろ!」


 上森の言葉を聞いて、教室中が爆笑の渦に包まれる。


 し、しまった……。魔王のプリントも同じファイルに挟んでいたんだった。そういや、中身を確認した記憶がない。うかつだった……。あんなもの書かなきゃよかった……。


 羞恥と後悔で身悶えしそうだったが、すぐに冷静さを取り戻す。


「あー、すいませんねー。部活の資料を間違って提出してしまいましたー。本物の進路調査用紙を提出しますんで」


 頭を掻きながら教卓に近づき、上森に本物を手渡した。

 上森は本物を奪うように受け取ると、持っていた魔王調査用紙を丸めて俺に向かって投げ捨てる。


「こんなものを提出するなんて不真面目な証拠だ! さっさと戻れ!」


 丸められたプリントをキャッチすると、俺は何も言わず席に戻った。






 一時間目終了後の休み時間。俺はクラスの友人たちにとり囲まれていた。

 いや~、人気者は辛いわ~。一挙手一投足が注目されるからな~。ほんと囲み取材は大変だわ~。

 でも、その中に野郎しかいないのはマジで辛い……。


「先人、お前何やってんだよー。魔王になるとかアニメの見過ぎだろ」


「さっきのは俺流の風刺だ、風刺。あの用紙で、今の受験制度に対する問題点を提起してみた」


 勿論、嘘だ。

 他のやつらも俺のほら話を心底信じたりはしないだろうが、これくらいの失敗は話のネタに昇華してくれる。


 くしゃくしゃの魔王候補生意志調査用紙を広げて見せた。


「……お前らしい回答だな、先人」


「一言で言うと、受験するのが面倒いってことだろ」


 クラスメイトの指摘に頷いた。


「そういうことだ。本気で魔王になりたいなんて思うわけないだろ」


「先人が中二病を発症したかと思って心配したし」


 横にいた昇が言う。昇は俺のクラスメイトだ。


「発症するわけねーだろ。そんな面倒くせーこと考える気にもならねえ。それより、この紙を俺のファイルに入れたの、お前だろ?」


「いや、違うけど」


 漫研で進路調査用紙のことを知っている部員は俺と昇しかいないから、昇だと思っていたんだが、どうやら違ったみたいだ。後で他の部員にも聞くとするか。



「ちょっと道を空けてもらえませんか」


 むさ苦しいざわめきの中、天使のように甘く透き通った声がして、俺は顔を上げた。

 俺の周りを取り囲んでいた男どもも、蜘蛛の子を散らすように一斉に俺から離れた。

 俺の席に向かって、数人の女生徒たちが悠然と近づいて来る。


 その中でひときわ目立つのは、グループの先頭に立ち中央を往く、黒髪ロングの女生徒だ。

 日本人形のような、腰まである艶やかで長い黒髪。雪のように白い肌。優雅な雰囲気を醸し出す表情。まるで、どこかの国の麗しい姫君のようだ。


 その美しさに思わず見とれていると、女生徒たちは俺の机の前で歩みを止めた。


「もしかして、俺なんかに何か用でもあるんですか……? 西園寺さん」



 西園寺貴美さいおんじきみ。栄稜学園の生徒でこの名前を知らないものはいないだろう。栄稜学園の理事長の孫娘であり、日本最大の財閥である西園寺財閥のお嬢様だ。

 そのうえ、容姿端麗、頭脳明晰、品行方正。

 栄稜学園全生徒の憧れの的だ。まさに、ギャルゲのお嬢様キャラをそのまま三次元化したような人物である。


 勿論、俺に接点なんてない。っていうかあるわけない。話すらしたことない。

 強いて挙げるならクラスメイトってことくらいだ。

 取り巻きの女生徒たちでさえも、俺とは次元の違う大金持ちだ。俺なんかじゃ、取り巻きの取り巻きにさえもなれないだろう。



 西園寺は俺の言葉を聞くと、目を少し細めにっこりと笑顔を向けた。


 うぅっ、ただの愛想笑いなのに、すげー可愛い。お嬢様属性高すぎだぜ、この人。


「朝のHRで間違って提出した紙を見せていただけますか」


 何でそんな落書きに興味を示すんだ? まあ、クラス中に醜態を晒した後なので別に構わないか。


 西園寺にしわくちゃのプリントを手渡すと、西園寺は軽く礼を言い、食い入るようにプリントを見つめる。取り巻きの女生徒たちが、それを覗き込み、


「ふふふ……、何の遊びかしら? 確かに想像力が豊かですわね」

「魔王になりたいというのも本音じゃなくて」

「やっぱり庶民の考えることなんて分かりませんわね」


 思い思いに悪態をつく。

 何しに来たんだ、こいつら。まったく、人が楽しく喋っていたって言うのに空気読んでくれよ。


 西園寺たちがプリントを見ている間、何となく周りを見回すと、昇がこめかみを引きつらせ何か言いたそうにしているのが見えた。肩をすくめるジェスチャーで、気にするなというメッセージを昇に伝える。

 権力を持っているこいつらに、逆らっても良いことなんてない。言いたいやつには言わせっ放しにしておくのが、一番楽だ。

 でも、その気持ちは嬉しかったよ、昇。部室の鍵を職員室に返却する役ぐらい、たまには引き受けてやるか。



 取り巻きたちと違い、西園寺は馬鹿にする素振りも見せずにプリントを凝視していたが、読み終えると俺に軽く一礼をして、プリントを机にそっと置いた。

 それから、西園寺は少し眉をひそめて、


「一体、貴女たちに何の権利があって、有崎さんを虚仮にできるのですか」


 好き放題に悪口を言い続けていた取り巻きどもをたしなめた。

 まさか叱責されるなんて思ってもいなかったのだろう。取り巻きどもは顔色を変えてうろたえだす。だが、彼女たちのしどろもどろの弁明にも取り合わず、西園寺は話を続けた。


「確かに、魔王になりたいというのは非常識なことかもしれません。ですが、私はそれを馬鹿にすることはできないと思います」


 そんな馬鹿な、と思わずつっこみたくなったが、西園寺の顔は真剣そのものだ。


「昔、空を飛びたいなどという妄言を口にすれば、皆に笑われたでしょう。でも、空を飛びたいという空想を諦められなかった変人は、とうとう飛行機を発明し、自らの夢を叶えました。古来より人類は創造力と夢を叶える行動力を糧に、進歩し続けてきたのです」


 とうとうと語る西園寺。窓から射す春の光によってスポットライトのように照らされた彼女は、まるでステージの上の主演女優のようだ。


「──有崎さんについては、魔王になるという奇想天外な発想からは創造力を、臆面もなく現実離れした夢を書き記すところからは行動力を感じました。有崎さんのような人こそ何か大きな事を成し遂げることができると、私は思っています」


 取り巻きも、俺の友人たちも、そして当の俺でさえも、あまりに壮大な人物評に口を開けて聞くことしかできなかった。


 俺をレオナルド・ダ・ビンチやライト兄弟みたいな偉人と一緒にされても困るぞ。魔王になりたいと妄言を吐く中二の将来なんて、せいぜいラノベ作家が関の山だ。アニメ化できれば奇跡だろう。

 そもそも俺は行動力というものを、からっきし持ち合わせていない。面倒なことはしない主義なのだ。ラノベを書こうと思い立っても、たった三行で放り出す自信がある。


「いや……、朝のHRで言った通り冗談で書いた内容だから……」


 俺が最後まで言い終わらないうちに、取り巻きどもが西園寺に見え透いたおべっかを並べ立てる。


「さすが、西園寺様! 素晴らしい見識ですわ」

「やっぱり、上に立つお方は、浅慮なわたくしたちとは見据えているものが違いますわ」


 ……馬鹿らしい。これ以上「人と違うアタクシって素晴らしいですわ」ごっこに付き合ってられるかっつーの。こいつらは無視だ。

 机の中から漫画を取り出して読み始めようとした、その時、


「ごめんなさい、今夜ゆっくりお話ししましょう」


 西園寺が俺の耳元で囁いた。他の人に聞こえないように低く抑えたトーンのせいなのか、その内容のせいなのか、なんだか色っぽく感じられる。西園寺との距離が近いので、お嬢様の良い匂いがすることも原因だろう。


 二時間目の訪れを告げるチャイムが鳴ると、西園寺は長くて煌めく髪を優雅に掻き揚げ、自分の席に戻っていった。


 俺はその後ろ姿をぼうっと見送ることしかできなかった。






 RINEラインを起動させ「友達追加」の画面を呼び出すが、「知り合いかな?」の表示はない。次にEメールを確認する。勿論、新規メッセージは届いていない。

 この動作を一体何度繰り返しただろうか。現在、深夜二時二十三分。西園寺からの連絡はいっこうに来ない。


「今夜ゆっくり話がしたいんじゃなかったのかよ!」


 スマホを放り出しベッドに倒れ込んだ。夜中だというのに、俺は思わず叫んでしまっていた。


 俺のイライラは頂点に達している! げきオコスティックファイナリアリティぷんぷんドリームなのだ!!!

 日課のエロゲのプレイも絶ち、マイスティックも握ることなく、今日一日を悶々とした気分で過ごしてきたんだぞ! 健全な青少年のドリームを踏みにじりやがって、あのお嬢様め!

 そんなことを考えていると余計に腹が立ってきた。今の俺なら、もう一段階進化できそうだ。



 ──……まあ、冷静になって考えると、電話番号もアドレスも住所も知らない以上、連絡をとるなんて無理だよな。西園寺財閥の力で何とかなるかもって思っていたけど、それはそれで恐ろしい話だし。


 所詮、俺はただの一般人だ。ギャルゲの主人公のように女の子にもてまくるという展開なんてないな。俺だって、あいつらのように冴えない男だと思うんだけどなあ。ゲームやアニメと違って現実は甘くないってか。世知辛い世の中だ。


 ──寝るか。



 洗面所に行くためにベッドから立ち上がった時、照明からパソコンまで部屋中の電気が消えた。

 くそっ、こんな時間に停電かよ。早く寝とけばよかった。

 足元を見ると、スマホの電源も切れていた。おかしい、いくら電池の減りが早いスマホだといっても残量はまだ十分あったはずだ。


 すると、少し離れた所が激しく光り出した。その光に目が眩み、思わず目を閉じる。

 何だ!? 何が起こったんだ!?


 しばらくして、おそるおそる目を開けると、部屋は元に戻っていた。

 ──ただ、光っていた場所に一人の小柄な金髪の少女が立っていたのを除いて。


 呆然としている俺を尻目に、少女は屈託のない笑みを浮かべ挨拶する。


「私はリパルシャントと申します。魔王候補生の有崎先人様をお世話することになりました。これから一年間よろしくお願いしますね」


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