『料理で一番大事なものは愛情』、なんて嘘
貴美が千周ランニングをクリアしたあと、今日の授業の復習を行った。
本当は先に一日の復習を済ませるのだが、貴美が先に走り出したので順番が入れ替わったのだ。
魔法演習の課題である記憶操作の復習も少し手こずったが、リパが親身に、貴美がわかりやすく教えてくれたおかげで、アンタレス先生のエロい手伝いなしでも、何とか無事成功した。
魔法理論、基礎鍛錬、魔法演習、全ての科目について俺は成績が悪い。
魔法理論については、そもそも俺は暗記が嫌いなので苦手。
俺の魔力量が少ないため思うように魔法を使いこなせないので、残り二科目はもっと成績が悪い。
魔力量自体を測る科目である基礎鍛錬の小テストについては、半月くらいたった今でも常に最下位をキープし続けている。二桁の点数が恋しいです……。
そして、いよいよ俺のランニングが始まる。
「それじゃあ、先人、準備はいいかなー」
「愚問だな、リパ。俺は常に万全だぜ」
「うん、頼もしい返事だね」
「黒姫もそこで見ているがいい。進化し続ける俺をな! ──はっ」
また口走ってしまった。そんな臭い台詞を聞いて、貴美が愉しそうに笑っている。
俺は恥ずかしくなり、あたふたしながらスタートラインの白線に立つ。
「スタート!」
リパの大声が運動場に響く。
──だが、俺は一歩も足を踏み出さない。
「先人、どうして走らないの!?」
この特訓は動かなければ始まらない。リパが驚くのも当然。
「誰が走ると言った! そんな固定観念、俺はぶち破る!」
渾身の魔力を今、全て解き放つ!
「果報は寝て待て!」
気づいてしまえば、簡単なことだった。
チビリパが持っているボードに千の数字が刻まれたとき、この課題はクリアしたことになるのだ。
だったら、ボードに千の数字が書き込まれれば、この課題は終了。
「ふっ、ちょろいもんだぜ」
俺は勝利の余韻に少し浸ったあと、ボードを斜め上から覗き込んだ。
「……何……だと……!」
ボードに記された数字は0が一つのみ。なぜだ、なぜ何も起こらない!?
「走って課題を達成するんじゃなくて、課題を設定したリパを操作し達成したことにする。うん、目のつけどころは悪くなかったとは思うよ」
リパが感心したように首を大きく振る。
「でも、夢魔の精神に干渉するにはまだまだ力が足りなかったね」
リパはウインクをし余裕の表情を浮かべた。反対に、俺は苦虫を噛み潰したような表情に変わる。
「貴様は精神魔法が苦手だろう。ついさっきも記憶操作の魔法に四苦八苦してたではないか。そんなことも分からぬとはな。ひょっとしたら、わらわ以外からも精神魔法をかけられているのか?」
俺は完全にタネのバレた手品師となってしまった。客に赤っ恥をかかされ、何も反論できない。
「それじゃあ改めて、スタート!」
気持ちの整理をする間もなく、スタートの号令がかけられる。
くそっ、どうする。まだ、何にも案なんてねーよ。
いつもみたいに、とりあえず走るか? いや、ダメだ。いつもみたいに、魔力が尽きて幻魔界から強制退場させられるのがオチだ。
俺たちは何の対価も払わずに幻魔界に現界できるのではない。微量の魔力を無意識のうちに消費することで、現界できているのだ。そのため、魔法を行使したり、体力や精神力を消耗したりすることで大量の魔力が消費されると、現界できなくなってしまうのだ。
どうする、どうする、どうする、どうする……。
「どうした、貴様の力はそんなものか? そんなことでは、百万年経ってもわらわを追い越すことはできんぞ」
貴美が発破をかける。
ちくしょう、自分だけこの課題をクリアしたからって、高みの見物かよ。
いや、待てよ。貴美はクリアできたんだ。その方法を使えば、俺だってクリアできる!
「暗黒四十八手の真の継承者である俺をなめるなよ。俺の禁断の秘技、刮目せよ! 完全なる模倣犯!」
必殺技名を叫び、足に魔力を集中させ、イメージを練る。
貴美は音速で走ることで五千周をわずか一時間四十分で完走したのだ。千周だと二十分で終わる。これくらいなら、魔力切れは起こさないはずだ。
「そ、その魔法は……」
貴美が引きっつた顔でつぶやく。自分の魔法をパクられて悔しいのだろう。だが、仕方あるまい。いつの時代も進歩は模倣から始まるのだ。
「そこで指をくわえて、俺の勇姿を目に焼き付けておくがいい!」
鳥よりも風よりも何よりも、疾く疾く駆けるイメージ。俺は走る、誰よりも疾く!
イメージを確定させ、足に込められた魔力を爆発させる。
その瞬間、周りの景色がものすごい勢いで後ろに跳んでゆく。
これが、音速の世界!
次の瞬間、前方に強烈な衝撃。俺の体は天高く吹っ飛ばされ、そのまま落下した。
耐え難い痛みに声を上げることさえかなわない。
薄れゆく意識の中、前方に栄稜学園の校舎の白い壁が映った。
あ……そうか。コーナーを曲がれずに猛スピードで壁に激突したんだな。っていうか、あんな速度でどうやって曲がれっていうんだよ。
やっぱ俺じゃ無理じゃねえかよ……。くそぅ。
──俺の意識は暗転した。
気がつくと、俺は横になっていた。
見えるのは、俺の部屋の見慣れた天井。感じるのは、朝の少しひんやりとした空気。
どうやら幻魔界から現実界に戻されたようだ。
痛みはない。体も問題なく動く。
即死級のダメージを受けたはずなのに、現実界の体は傷一つなくピンピンしている。
昨日の特別授業が嘘のよう。現実感がまるでない。まあ実際、夢の世界で起きたことなので現実ではないのだが。
魔法を使っても、無理なものは無理だったか……。
そんなもんだよな、現実って。
時計の針は六時半を指していた。今日は五月三日、つまり祝日。そのため学校はなかったのだが、習慣からなのか、二度寝する気がしない。
俺はベッドから体を起こすと、顔を洗いに洗面所へ向かった。
この日は何の約束もなかったので、やりっぱなしで放置していたエロゲを消化することにした。
幻魔界のことは考えなかった。
夜の十九時。いつものようにヒカリが夕食を持ってやってきた。
「今日のおかずは何でしょう?」
「今日のオカズか……。『飼育白書』と『ナースコールは突然に』の二本だな」
「すご~い、おいしそ~って、そっちのオカズじゃないし! 目の前に並んでいるものに決まってるじゃない」
「正解が『玉虫ヒカリ』だったら、ぶっ飛ばすからな」
テーブルに配膳された食事を確認する。
具沢山のピラフに、新鮮な生野菜のサラダ、一口サイズのかわいいオムレツ、そしてメインディッシュには熱々のシチュー。シチューに白菜が入っていること以外は特段変わったところはない。
実はお菓子でしたとか食品サンプルでしたとかいうオチはさすがにないだろう。
こんな分かりきったことを聞くなんて、ヒカリのやつ一体何のつもりだ。まさか本当に、俺のオカズがヒカリとかいう寒いジョークを言い出すんじゃないだろうな。
「ピラフにサラダ、オムレツ、シチューだな」
「惜しいけど~、不正解。今までの私だったら正解だったんだけどなぁ~」
「意味が分からん。ヒントをよこせ」
「それじゃ~大ヒント。早速シチューを食べてみてよ」
ヒカリに促されて、シチューからいただくことにする。
スプーンを口の手前まで持ってきた時に鼻へ抜けたのは、ほんの少し甘くて柔らかな香り。コクのある温められた牛乳の香りではない。
心地よい違和感を鼻で愉しみながら、そのままスプーンを口に運ぶ。
通常のシチューよりもさらっとした口当たりで、さっぱりとしながらも深い出汁の味。通常のシチューよりも優しくあっさりとした風味の和風シチューだ。
「どう……だった……?」
ヒカリはツインテールをいじりながら、上目遣いで俺の顔を覗き込む。
「うまい」
俺の言葉を聞いたヒカリの顔が明るく華やいだ。
「お母さんたちにも好評だったから、先人にも喜んでもらえるとは思ったけど。ああ~、やっぱり緊張した~」
ヒカリがほっと胸を撫で下ろす。
「それで、今日のシチューは何でしょう~?」
「和風出汁をベースにしたシチューといったところか。だけど、それだけじゃないんだろうな。牛乳って感じがしなかった。口当たりもシチューよりさらっとしていたな」
考えても思いつかなかったので、早々に降参してヒカリから正解を教えてもらうことにした。
「正解は、和風豆乳シチューでした~」
「豆乳か~。それは分からなかったな。モグモグ……」
口いっぱいにシチューの具材を頬張っていたので、言葉にならない。
「『玉虫ヒカリ』って答えても、正解にしたよ~」
俺が食事をしている間ずっと、ヒカリはスマホをいじろうともせず、テーブルに頬杖をつき嬉しそうに俺を見ていたのだった。
俺好みの味付けだったということもあり、俺はシチューを二回もおかわりした。
俺はうまい料理に機嫌が良かったのか、何の気なしにヒカリに質問を投げかけた。
「しかし、よくこんな料理を思いつくなー」
ヒカリは今日みたいに創作料理を作ってくることがある。料理部の部長だけあって、どの料理も実にうまい。
「それは愛する先人が私の料理を食べてくれるからだよ……」
顔を赤らめながら、ヒカリがツインテールをいじる。
「そんなキモイ答えはどうでもいい」
「ひどっ!」
俺の容赦ないツッコミに、ヒカリはツインテールを指から離す。
「やっぱ、普通のやつとは才能が違うな……」
そう言って、俺は天井を見上げた。
「ねえ、先人」
「何だ?」
「新しいメニューを考えるときに一番大事なことって何だと思う?」
「才能か?」
「残念でした、不正解~。正解は想像力と創造力です」
「おいちょっと待て。想像力と創造力って、才能のカテゴリーに含まれるんじゃないか」
「才能だって言う人もいるかもしれないけど、私は違うと思うな」
「そうなのか」
「例えば、今日のオムレツを作るのに塩をたくさん入れすぎたらどうなると思う?」
「そんなもの塩辛くて食えなくなるだろ」
「そうだね、それが正解。プレーンオムレツは卵の味を大切にしたいから塩は少量で十分。この例は極論かもしれないけど、料理っていうのは、どんな材料、味付け、調理法を選択するかで、味が大きく変わってくるんだよ。それを一つ一つ想像し、無限にある選択肢を組み合わせて、おいしいって思えるように調理する。──これが想像力。想像力を働かせないと、料理は雑になっておいしくなくなるのよ」
確かにそうなのかもしれない。
ヒカリが料理を作ってきてくれなかったときに、仕方なく自分でカレーを作ったことがあった。その時はネットに落ちていたレシピを自己流でアレンジしたのだが、めんどくさくなり、いい加減な調理をした。結果、できたカレーはとても食えたものじゃなかった。
「それに、想像力を働かせるには色々な料理の味や材料、味付け、調理法についての知識も必要だから、何もしないで身につくものじゃないよ」
「じゃあ、創造力のほうはどうなんだ?」
創造力というのは、芸術家などの人種が好んで使う言葉だ。俺のような一般人には縁がない。これこそ才能なんじゃないか。
「創造力っていうのは、さっきの話の選択肢の組み合わせ方のことだよ。今日のシチューを作ろうと思ったきっかけは、昨日のお吸い物の出汁がちょっと余ってたから使いきろうと思ったことだよ」
吸い物の出汁だと。確かに昨日の献立に吸い物はあったが、どうやってシチューに行き着くんだ。俺にはさっぱり分からない。
「で、冷蔵庫を見たら古くなったレンコンがあったの」
レンコンだと!? そんなもの今日のシチューには入ってなかったはずだ。
思いがけない具材の登場に、頭の中で?マークが飛び回る。
「ん~、先人パニクってるって顔してるわね。ここで問題です。この後レンコンはどうなったでしょうか?」
今日は質問が多い。クイズ番組の回答者にでもなった気分だ。しかし一回しか正解していない。これじゃあ、賞金をねだることは無理そうだ。
「知るかよ」
「レンコンはすりおろされました~。レンコンはね、すりおろすと、とろみが出るの。出汁とレンコンでとろろ汁にしてもよかったんだけど、二日連続で和の汁物もちょっとねー、って思ったの」
出汁とレンコンでとろろ汁以外のメニューを作ろうという発想が普通は出てこない。
俺なら二日連続、吸い物だ。レンコンはきんぴらかな……。
「そこで、洋食を作ろうと思ったのよ! 和のテイストを活かせる汁物ってことで、前から作ってみたかった豆乳シチューに挑戦したの。シチューならとろみも活かせるし、おいしくできるかな~って思ったのよ」
「……す、すげえ発想の転換だな。出汁にレンコンに豆乳、全部和の食材じゃねえか」
「和の食材なら塩麹と白味噌も使ってるよ。これが創・造・力」
呆然としている俺を見て、ドヤ顔で答えるヒカリ。
「料理の知識と技術をベースにして想像力を働かせて、そこから新しい料理を創造するの。だから、大切なのは才能じゃない、普段の努力なんだよ」
「それでも、失敗なしで新作料理を成功させるお前は、やっぱ才能あるよ」
俺が溜息をつくと、ヒカリがおかしそうに笑って否定した。
「失敗がないわけないじゃない。この間のクッキーだって失敗したんだし。失敗作は恥ずかしいから、先人には食べさせないだけだよ」
ヒカリとは長い付き合いがある。小学校の頃から勉強も運動もできた。もちろん料理は言うには及ばない。
ヒカリは俺と違って才能があるやつだと、ずっと思っていた。正直羨ましかった。
だが、それは大きな思い違いだったんだ。
「魔法使いみたいに何でも作れる才能なんて、私にはないからね。精進あるのみだよ」
違うな、ヒカリ。
魔法って、お前が思ってるほど万能なんかじゃない。制約とか複雑な理論とか魔力の運用法とか魔力量とか色々あるんだよ。
何でもできる力、そんな都合のよいものなんてあるわけない。
「大事なのは、想像力と創造力。そして、失敗してもチャレンジすること! それさえあれば、おいしい料理なんて絶対できるんだから!」
絶対できる……。
ヒカリの強い言葉を聞いた時、暗い霧に覆われた視界が急に明るく開けた気がした。
アンタレス先生は言っていた。魔法の精度を上げるには、より具体的な強いイメージを練り上げよと。
スレーバ先生は言っていた。魔法は単発で使用するものではなく、複数の魔法を組み合わせて構築せよと。
つまり、魔法も想像力と創造力が大事だということなんじゃないか。
「偉そうに言っちゃったけど、これって全部お母さんの……」
「ヒカリ!」
ヒカリの話を遮り、俺はヒカリの手を強く握った。
「いいヒントになったぜ、サンキュー」
「元気になって良かった……」
ヒカリはほっとした様子で優しく微笑み返した。
ん? 俺ってそんなに元気がなさそうだったか? 今日は休日をエンジョイしていたと思うんだが。まあ、いっか。
「今日の飯もうまかったぜ、ごちそーさん!」
ヒカリの手を離し、階段を駆け上がり急いで自室に戻る。
想像力と創造力を働かせて、リパの課題に再チャレンジだ!




