ジョン・アルベルトのトンデモ取材手記~異聞録~
ごきげんよう、フリーライターのジョン・アルベルトだ。
今日はニッポン(※1)の地図から消された土地、ナンボク(※2)へ取材に行く。
消されたといっても物理的に消されたのではない。認知されない、あるいは積極的に無視されているのか、ニッポンのデータベースに登録されていないのである。
なぜそんな秘境の地へ私が赴けるのか…自分でも信じがたいのだが、事の始まりは夢の中で起きた。
私は髪の蒼い青年と出会い、ナンボクの存在を教えてもらったのだ。目が覚めた時にはただ夢を見ただけと普段通り朝食を作り始めたのだが、ゴボウを湯掻いている時に、灰汁と一緒に違和感をすくい上げてしまった。
夢で会った青年は過去出会ったどの人物とも似ておらず、どうも脳内から生まれたというよりは、外から来たという印象。異物感。
これにどうも我慢がならず、信用できる衛星から青年の教えてくれた場所を映してみると――― 確かに言われた通りの地形があったというわけだ。
そしてこの時点、電車でナンボクへ向かう私には当然、前知識など無い。私が見た夢がは本当にただの夢で、ネタを掴めず徒労に終わり、ぶらり独りの客旅になったとしても、それはそれで楽しかろう。
―にしても昼日中の電車内は空いていて快適だ。しかしまったくの無人ではない。ニッポンの正装もとい唯一の衣服、スーツ(※3)を着た人が座席で項垂れている。
この前ニッポンに訪れた時は警官とミスターシライくらいしか人の姿を見かけなかったし、今日だって空港からキノコノ山(※4)に入るまでは前回同様ゴボウだらけだった。それと比べると、私が向かっている所は富裕層の住む高級住宅街、あるいは治外法権を持つ土地なのかもしれない。これは期待していいんじゃないか? 私!
さて、目的の駅へ降り立つと同時に妙な閉塞感に見舞われる。これは地下鉄ではないのに、ホームが壁で覆われているのである。残念ながら此処から外の様子は見れない。
解放を求め階段を上ると改札の奥にみどりの窓口が見えた。青青とした看板の前には…蒼い髪の青年が立っている。
「まさか本当にいるとは…」
俄かには信じ難いという気持ちを口からこぼした後で、いやいや人違いかもしれないぞと自分に言いつける。
しかし青年は此方に手を振っている。私の後ろに人はいないから、間違いなく私に向けて振っている。その人好きのする顔に私の警戒心も薄れ、自然と彼の方へ足が動く。
「来てくれてありがとう。僕はイシダって言うんだ。君の道しるべになれたらいいな」
「フリーライターのジョン・アルベルトです。ア、アノ、あなたは夢の…?」
「そうだよ、少し驚かせてしまったかな? 大抵の人はね、僕が声をかけても此処まで足を運んでくれないんだ。どうせ夢だろうって」
「エッ? 他の人にも夢の中で会っているんですか? 私が選ばれし者とかそういうのは…」
「全然?」
自分の自惚れっぷりが恥ずかしさを通り越して憎くなった。そして何だ、コイツの思わせぶりな態度は!
憎しみが目の前の青年に飛び火しかけるが、そこは堪える。私は国の特色を見るフリーライターだ。世界の奇人変人ビックリ人間を取材するのが目的ではないのだから…be cool. And cool.
…いや、どんな理屈で夢に現れたのかだけは解明しなきゃ気持ち悪くないか!?
「じゃあ、行こうか」
「イヤイヤワタクシまだ頭の整理がついていないんですが? ミスターイシダ? あなたはどうして夢の中に? そもそもどうやって人の夢に介入したのです?」
「そんなことより急いで。日が高いうちに君は答えを得なければいけない」
私の疑問は一蹴された。些末事は捨て置けと言わんばかりに。
どうも彼の言動はミステリアスな点が多い。だからといって妄言というには言葉に力が宿っている。これは、こういうものとして一旦受け入れろ、と、私の勘が言っている。
―――読者の皆様には申し訳ないが、この件は後回しにさせていただく…いや、実を言うと最後まで分からなかったんだ。ところでニッポンの書記税を気にしている方も多いと思われるが、その点もご心配なく。この手記が誰かの手元にあるということは、そういうことなのである。私は今この瞬間にも、筆を取って手記に書き足すことができる―――(※5)
「まずは南側を見てごらん。大丈夫。こっちでは戦場カメラマンみたいなスキルは必要ないから」
ミスターイシダに促されるまま、前を歩く。前を…前を? 彼は案内人ではなかったか?
「僕は確かに君の案内人だけれど、君より先を歩くことはできないんだ」
アッハイ、これは自分の足で歩み、自分の目で見極めろと言っておられる。多分。
互いに母国語が異なるのだからもう少し素直で単純な言い回しを選んで欲しいものだが…彼の婉曲表現は筋金入りなのだろう。
さて、ナンボクの南部は我が祖国ほどには発展していないが、家族連れが多く子供たちの声は明るい。目を瞑れば平凡、平穏、平和に囲まれている気分になれるが、皆スーツを着用しているのを見ると、やはりここはニッポンなのだと思い知らされる。
「ニッポンには確か発音税や歩行税がありましたよね? ここの人達は富裕層なのですか?」
「ここはニッポンであってニッポンではないんだよ。ニッポンの衛星はこの地を捉えない。GPSによる管理からも外れるから歩行税もかからない。発音税もね。大体、声を出すのにお金を取られちゃったら、今頃僕は一文無しさ」
「でしょうね」
ミスターイシダは少し咳払いをして続ける。
「ま、まぁ、政府のお目溢しをもらってる地区なんだよ。…というより駅を隔てた北部が"ヤの付くアレ"の管轄だから、隣接している南部にも手が出せないといった方が正しいかな。あ、形の残らないものは大丈夫だけれど、書記税はここを出たらチェックされてしまうから気を付けて」
「ホウ、そうなんですか」
平和が必ずしも善なるものによって保たれているとは限らない。そういう世界の縮図がここ、ナンボクにはあるようだ。
より騒がしい方が気になって向かってみると、商業施設に繋がる階段の下ではフリーマーケットが開かれていた。いかにもなレジャーシートに一貫性のない品が広げられ、屋台からは美味しそうな香りが漂ってくる。しかしテキヤのようなオーラはない。闇市といった雰囲気もなく、本当にヤクザの町と隣り合わせなのか疑いたくなる。
食べ物の匂いにつられてハトやカラスの姿も散見できるが、お行儀が良いというか、紳士的な態度を取る野生動物が珍しかった。衣食足りて礼節を知るというやつなのだろう…。
「ふふ、平和だよねぇ。思わず顔がほころんでしまうよ。さて、南部はこのくらいにして次は北部へ向かおうか」
「そうですね。話しぶりから察するに、やはり北部は危険地帯なのでしょうか?」
「うん。とはいっても駅周辺は栄えているからすぐに危ないってわけじゃないけれど、気を引き締めて。あぁそうだ、これを見せた方がわかりやすいかな」
そう言ってミスターイシダは夜の衛星写真を取り出した。ナンボクの地を拡大した写真には、電灯やビルのものであろう光が映っているのだか、分布の仕方が不自然だった。北と南で電気消費量の差が一目瞭然であり、きれいな境界線を描いている。オヤ、この線上はまさに駅があるところではないか。
「そういえば駅のホームが壁に囲まれていましたよね。何か意味があるのですか?」
「昔々あるところに、『北と南に分かれやがれぇ!』と叫んだ悪魔がいて…」
こいつ真面目に話すつもりないな。まぁいい、この目で確かめればいいだけのことだ。
駅構内から北口に抜けると、なんとこちらには南部で見た商業施設よりも大きいビルが建っていた。JKやJS(※6)がフラペチーノを持って歩いている。
「あぁ、見てたら私も喉が渇いてきました。あ! アイスクリームのお店もあるのですね!」
1階に見える入口へ駆け下りようとするとイシダが慌てて止めに入ってきた。
「下りちゃダメだ! まず2階の入り口からビルに入って、内側から店に向かおう」
「ナゼです? みな普通に歩いていますが?」
「君はまだ専用の靴を持ってないだろう? このビルで買うよ。アイスクリームもね」
見た目では分からないが、ここの地面は特別な靴でないと歩けないらしい。私はミスターイシダに促されるまま、ビッタリサイズの靴を買った。彼曰く少しでも靴擦れが起きると命取りになるらしい。
買うものを買い、1階から外に出てアイスクリームを舐める。66種66色のフレーバーを一緒くたにした絵具色のそれは、世紀末の味がした。
「これでようやっと歩き回れるのですね。フリーライターとしては、あちらの路地裏なんかそそられます」
「行ってみるかい? この時間なら大丈夫かな。逢魔ヶ時にはまだ時間があるから」
わざわざ縁起の悪い表現を使うイシダはやや心配性が過ぎるのではと思う。これでも私は百戦錬磨のフリーライターだ。銃の八丁くらいなら口八丁で無力化できる。
「ここが裏路地の第一層だ。会社帰りのサラリーマンがうろつける限界だね」
「第一層? いったい何層まであるのですか?」
「人が歩けるのは三層までだ。それ以上はいけない。奥に行くほど体感時間が狂ってしまうから、時計、何よりも太陽の位置を常に見ておいた方がいい」
そんなバカなことが…と思いながらも一抹の不安から時計へ目を落とす。時刻は午後2時、慌てるような時間じゃない。
視界を上げると右手にラーメン屋が見えた。店内の席はそれなりに人で埋まっている。昼からやってるラーメン屋なんて健全の極みではないか?
「それはどうかな」
またイシダが意味深なことを言っている。ヤレヤレ、どこにもオカシイ所など…ん?
「営業時間が、やけに短いですね…正午から開店してたったの3時間?」
「お客さんが安全に来れて、安全に帰れる時間がこれなんだ。ここはもう第二層だからね」
いつの間に二層へ入ったのだろう。確かに裏路地へ入ったとたん大通りほどの賑わいはなくなった。それはわかる。しかし、第一層との差は今でもまったく感じられない。これではウッカリ越えてはいけない一線を越えてしまいそうで怖い。
「大丈夫。三層と四層の間には明らかな境界があるから。その狭間を見ていくかい?」
僅かに逡巡する。昨日今日(しかも初対面は夢の中)出会ったばかりの彼は本当に信用できるのだろうか? 邪なものこそ感じないが、常に只者ではない雰囲気を放っている。しかし、ニッポンの特異点ともいえる地を取材できていることと比べれば―――
「よろしくお願いします」
「いい返事だ。君ならそう言ってくれると信じてたよ」
ミスターイシダと共に日陰、日陰へと歩んでいく。途中、品の良さそうなバーの看板が見えて、私は緊張を紛らわすために変わったバーに入った時の話を始めた。
「そうそう、この間バーに行ったらですね、お釜バーだったんですよ」
「へぇ~、ここのもお釜バーなんだよ。珍しいよね」
「いやいやオカマじゃなくて本当にあの、お米を炊くお釜が座ってたんですよ!」
「うん、そのお釜バーだけど?」
ウッッッソやん! そんなホイホイあってたまるかよ!
「ちなみにこっちの、歯医者と同じビルに入ってるバーとどっちが一般向けだと思う?」
「すでに片方マトモじゃありませんよね!?」
しまった。語尾こそ敬語に持って行けたが完全にツッコミのノリを出してしまった。いやもう怖い。ヤダこの街、この人。早く帰りたい。
「さぁ、着いたよ。ここが三層と四層の境目だ」
「踏切ですか。なるほどコレは分かりやすいです…ね…」
踏切を境界線だと捉える以前に、向こう側の景色はどう見ても異界だった。赫い空にはオーロラが浮かび、アスファルト上には包丁の刺さった紫ゴボウが揺らめき、カラス達は並々ならぬ殺気を放ちながらゴボウを千切っては投げ、千切っては投げている。
異変は踏切自体にもある。こちら側の警報機はトラ柄に赤いランプの、ニッポンではお馴染みの配色なのだが、向こう側の物は紫と緑の縞模様にブラックライトが光っており、その上なぜか酷く錆びている。
「はは…狂気も過ぎると幻想郷のようです。いつからこのような事態になったのでしょう? 推測するに、あの警報機が錆びているのは、異界化する前に設置した踏切がいつからか手の出せない領域に浸食され、放置されているからだと思うのですが」
「その通り。ここは昔…」
ミスターイシダが語り始めようという時に、突如一匹のカラスがこちらを目掛けて飛んでくる。そして踏切を超えようという瞬間、空気が揺らいでいきなり電車が現れた。ガァァアアア! と悲鳴が轟く。
カラスの姿は見えなくなったが、あの電車内で蠢くアレ、蓮コラを施した円柱状の影は何なのだろう。あちらの方がカラスより万倍寒気を感じる。
「あ、あ、ジョンさん! 早く逃げよう!」
「ホワッツ!?」
「僕は…なんてミスを…!」
今までどこか飄々としていたイシダは血相を変え、元来た道を走るよう言う。
「イッイシダサン! 何が!」
「いいから前だけを見て!全速前進DA!」
アンタにそのセリフ合わねぇよ! と体力を節約するため胸の内で叫ぶ。
一回、一回、全力で地面を蹴って走る。と、ぐにゃり…。
「―――!」
人間の手が私の足を掴んでいた。しかしその手の持ち主はえらく寸胴で、本来顔があるはず頭部は穴だらけであった。
「うわあああぁぁぁ!!! 何! なん! だ!」
穴から黒い泥がジュバジュバと溢れ出て、足を飲み込んでいく。まずい! このままでは泥に沈んでしまう!
「掴まって!」
ミスターイシダが私の手を握り引き上げてくれた。そのまま、高く高く…。
「飛んでる…」
ホウキで空を飛んでいる。もう現地取材はやめてミスターイシダのビックリ芸をまとめた方が金になりそうである。というか飛べるならもっと早くそうしてくれない?
「予想よりも早く逢魔ヶ時が来てしまった。いいかい? 絶対に後ろを振り返ってはいけないよ」
「は…はい、それよりも! アイツらはいったい何なんですか!?」
「アレらは"ヤの付くアレ"だよ。ニッポン政府の介入を阻んでくれる土地守であり、厄災だ」
「ヤの付くって…ヤクザのことじゃなかったんですか?」
「誰もそんなこと言ってないよ。ここでヤの付くアレと言ったら、闇・レンコンのことだ」
闇・レンコン。闇、ヤミ、ヤの付くアレ。
ヤクザと勘違いした私が悪いのか。現実には在り得ないものをちゃんと説明しないイシダが悪いのか。
恐怖・混沌・怒りをまき散らしたくなるが、ホウキの操縦が狂ったら地獄へ真っ逆さまだ。耐えろ。耐えろ。
黒い泥の勢いは凄まじく、駅に繋がる歩道橋よりも下は完全に呑まれている。対して駅の向こう側、南部の景色は綺麗な夕焼けと行き交う人々、災害を知らぬ無垢の街並みが見える。そうか、駅のホームが壁で覆われていたのは泥の侵入を防ぐためだったのだ。
あの壁はどこまで続いているのだろう? この地へ来る時、車窓はどこで途絶えていただろうか?
壁に沿って視線を動かしていると、私の手に汗が滲んできた。手だけではない。手首が、腕が、黒い汗で滑っ――――――
「あーあ、振り返っちゃダメだと言ったのに」
ミスターイシダは真直ぐ前を見据えたまま、憂いた顔をして呟く。
「まぁ、次のジョン・アルベルトはきっと上手くやってくれるでしょう」
(※1)ニッポン:NeipONの訛り表現。下手に発音すると日本と勘違いされるかもしれない。
(※2)ナンボク:NeipONの検閲から逃れるため、土地名や所在地は記せない。駅を隔てて北部と南部に分かれており、2つをまとめて便宜上ナンボクと呼ぶことにした。
(※3)スーツ:スシ寿司SUSHIすしスツ食べたい♪でお馴染みのスーツではなく、NeipONの民族衣装である。新鮮なものは生臭くない。
(※4)キノコノ山:「里とは違うのだよ里とは」―その昔、一騎のyamasodachiが千のイカを屠ったという逸話がある。どこのシモ・ヘイヘだよ。ちなみにアルベルト氏は幸運:EXで無事に死の山を抜けた。
(※5)―――内:周囲と比べて真新しい筆跡である。微かにインクの香りが残っている。
(※6)JKやJS:常識的に考えてJavaScriptですよ。