メリット・デメリット 3
十二月十五日 土曜日 晴れ時々雪
「おお、きりやよ、しんでしまうとはなさけない!」
聞き覚えのある声で霧矢は意識を取り戻した。しかしこの声は霜華ではない。重い体を起こして声の主の方を見ると、ショートヘアーのオタク少女がそこにいた。
「お前、何で僕の部屋にいる」
疑問には答えず、晴代は霧矢の部屋をうろついている。
「昔と結構変わってるね。机の位置はこっちじゃなかったっけ」
「もう一度聞くぞ。何で僕の部屋にいるんだ」
強い口調で切り返した霧矢に晴代は渋々といった感じで口を開いた。
「何でって……迎えに来たけど、いつまで経っても出てこなかったから。霜華ちゃんの機嫌は悪いし、何か怒らせるような事でもした?」
時計を見ると、九時二十分。集合時間の十分前だ。
「昨日いろいろあって……あいつ、まだ怒ってるのか?」
「え、いろいろ? もしかして霧矢、霜華ちゃんにあんなことや、こんなことを……」
「断言する。貴様の考えていることはすべて間違いである」
「文香みたいな喋り方しなくてもいいから。それよりも、さっさと行かないと、また雨野先輩の鉄拳制裁を食らうんじゃないの?」
力なく霧矢はうなずくと、無言で上着を着込み、部屋を出る。晴代の話では霜華は先に出てしまったらしい。
急ぎ足で駅まで歩く。今日の天気は作業をするにはあまりよくなく、粉雪がちらちらと舞っている。
「そういえば、今日はスキー場のオープンだったな」
商店街の外れにある小さなスキー場は、町の観光収入の大部分を占めている。今日はオープン日ということもあって、スキー板やボードを持った人が駅から歩いてきていた。
「明日、滑ってみる? 先輩たちも誘って」
「滑るのはいいかもしれないけど、板の手入れをろくにしてないし、それを今夜やる気はしない。滑るなら冬休みに入ってからだ」
家から徒歩十分程度のところにスキー場があるせいで、霧矢はスキーを小さいころから結構やりこんでいる。腕前もそれなりだ。しかし、腕前は昔から晴代の方がはるかに上で、地味にコンプレックスを抱えていたりもする。
駅に着くと、スキー観光客に紛れて、ツリーのもとに浦高生徒会のメンバーが集合していた。しかし、いつもより二人ほどメンバーが多い。
「来たな、二人とも……」
いつもは会報の編集をしている眼鏡をかけた青年と細目で無口な少女が佇んでいた。
「おはようございます。雲沢先輩、神田先輩」
雲沢は西村と二人、大きなあくびをする。その気の抜けた表情とやる気のなさから、雨野によって無理やり呼び出されたのだと霧矢にはすぐわかった。
霧矢は霜華と目が合ったが、昨日のことをまだ引きずっているらしく、霜華は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。様子を見る限りでは、霜華は霧矢が来るまで文香や有島といろいろ話していたようだ。
「それじゃ、全員揃ったし、始めるわよ」
雨野が号令をかけると、全員が作業に取り掛かる。相変わらず、霜華はこの寒い中薄着で平然としていて人目を引いていた。雲沢と神田が特に何も意識していないのを見ると、すでに雨野や有島が二人に霜華について話していると思われる。
「なあ、三条。お前運がいいよな」
脚立に乗り電飾を飾り付けながら、雲沢は隣で同じように脚立の上で飾り付けている霧矢に話しかける。
「先輩はもうあいつのこといろいろと聞いてるんでしょ」
「ああ、有島から聞いたし、北原自身も自己紹介できちんとハーフだと言った。俺も神田も最初はびっくりしたけどな」
電飾を木に巻きつけながら雲沢は続けた。
「お前にはもったいないぞ。あんないい子」
「……先輩、何か誤解してませんか? そういう関係じゃないんですけど」
モールや飾り玉を括り付けながら、霧矢は雲沢に反論する。霧矢にとっては、霜華は居候であって、それ以上もそれ以下でもない。
「そうなのか? 俺はてっきり…」
「晴代にも言いましたけど、完全な誤解ですよ。それ」
「両手に花とはうらやましいことだ」
軽くバカにする表情で、息を吐きながらやれやれといった口調で雲沢は首を振った。
「だから、違いますって。それに両手に花なんて言ったら、晴代に殺されますよ!」
「おーおー。ムキになっちゃって」
冷やかすような口調で霧矢をからかっている。
「正直、お前を見てるとうらやましいよ。女の子に囲まれて、しかもみんな優しいときてる」
「それは『隣の芝は青い』ですよ。それに晴代はああ見えてそれほど優しいわけじゃないですよ。会長ほどではないですけど、暴力的であることに変わりはないです。霜華だって、怒るといろいろ魔法攻撃を仕掛けてきますし」
「雨野よりましなら十分だ。あのゴリラときたらいつも俺を殴りやがって、殴ること以外に能がな…」
最後まで言い終わる前に、脚立が倒され雲沢は地面に落下した。
「誰がゴリラだって…? もう一度言ってみな……」
駅前に悲鳴がこだまする。貴重な戦力が一人減ったが、雨野としてはもともと雲沢のことを戦力として見ていなかったらしい。
昼ごろになって一通り飾り付けが終わり、霧矢は脚立から降りた。
「お疲れ様。三条、これでクリスマスの飾りつけは、ほぼ終了よ」
全員が拍手する。
「最後の仕事は、そうだね……霜華ちゃんにやってもらおうかな」
雨野はツリーのてっぺんに取り付ける星を霜華に手渡した
「わっかりました~ では最後の仕事行きますね~」
高いテンションで脚立に上がる。危なっかしい足取りだが、無事、頂点に星を取り付けることができた。
全員が歓声を上げ、もう一度拍手した。
「さてと、今日はこれでお開き。三条と、霜華ちゃんは昨日お願いした通り、いいかな?」
低姿勢な雨野を見て、学習しない浦高の副会長はからかうが、一瞬で屍にされた。
神田が死体と化した雲沢を軽々と片手で拾い上げ、会釈をすると無言で立ち去った。普段は非常に目立たない神田だが、雨野と同等の体力の持ち主であるようだ。
「どうしますか? 上川さんや木村さんも一緒に来ますか?」
「行きます! 交通費は用意してあります! 準備は万端です!」
「晴代から聞きました。私も行ってもよろしいだろうか」
霧矢としては遠ざけておきたい二人は、首を突っ込む気満々だった。ため息をついていると、後ろから何か呼びかけられる。
「おい、俺は置き去りですか?」
「目的地はあんたの家と逆方向よ。それに、あんた、交通費持ち合わせてるの?」
「…いくらくらいかかりますか」
「いろいろ考えると二千円は必要よ。あんたは大人しく帰りなさい」
西村は肩を落とし、みんなと一緒に駅の待合室に入った。
「はあ……お前の言ってたことは嘘じゃなかったけど、何か寂しいねえ…」
「どうせお前のことだ。一日中一緒にいられるとでも思ってたんだろう」
午前中、西村は霜華と一緒に作業していた。しかし、思いのほかはかどり、一日中かかると思われた作業は午前だけで終了してしまった。
昨日、西村を引きずり出すのに使ったのは、「来れば霜華と一緒に作業できる」というものだった。あっという間に食いつき、あっという間に釣れた。
上り電車の到着を知らせるアナウンスが鳴り、西村はとぼとぼとホームに向かった。
「西村、これでクリスマスツリー関係の仕事は終わりだからな。駅前商店街での手伝いとかはもうないからな」
霧矢がとどめの一撃を放つと、西村は電車の中で両手両膝を地についた。
「私は、現実世界でネットに出てくる記号みたいな体勢を取る人を初めて見たぞ」
「確かに、あたしもそれには同意」
電車のドアが閉まり、ゆっくりと西村を乗せた電車は霧矢たちの目的地の反対側に向けて走り出した。
西村を乗せた電車が見えなくなるのを見届けると、晴代が唐突に話し出した。
「ところで、霧矢が昨日いろいろあったとか言ってたけど、霜華ちゃんまさか霧矢に変なことされたんじゃないよね?」
いきなり変なことを言い始め、霧矢は固まってしまう。
「変なことはされてないけど、傷つくようなことは言われたよ」
霜華がわざとらしく悲しそうな目をすると、一同が霧矢を直視する。
「三条、あんた、女の子に対するデリカシーってもんはないわけ?」
「三条君、いくらなんでも…最低限の心構えは必要ですよ……」
「やはり、貴様は女の敵か」
「霧矢、昔からそうだったもんね…あたしにもいろいろ変なこと言ってきたことあるし…」
紅一点ならぬ黒一点の上、四面楚歌の状況で、霧矢は助けを求めるように霜華を見るが、当然の報い、といった表情で素知らぬ顔をしていた。
(やっぱり、金を貸してでも西村にはついてきてもらうべきだったか?)
結局、霧矢は五人から仲間外れにされ、違う車両に追いやられてしまった。隣の車両では女の子たちがガールズトークに花を咲かせているのが見えた。
土曜日で真っ昼間の地方在来線だけあって、乗客はあまりいない。好きな席に座れるのはよいのだが、到着までの時間、暇を持て余してしまう。本でも持ってくればよかったのだろうが、財布以外持ち合わせていなかった。
霧矢が孤独な時間を過ごしている一方で、霜華たちは魔族についての話をしていた。まわりに誰もいないため、話したところで奇異の目で見られることもない。
「昨日、霧矢ともいろいろ話したし、メールでも聞いたと思うけど、護君の昏睡の原因は魔族との契約の副作用じゃなくて、何らかの呪いを受けている可能性が高いと思う。特に契約者は魔法攻撃に対する耐性が常人より低いしね」
「どういう意味かご教授願いたい。大体は晴代から聞いたが、この件については初耳だ」
「あたしも、契約主が魔法攻撃に弱いって言うのは知らないなあ」
未契約の人間は、生成した魔力を周囲に放出している。しかし、決して無駄に放出しているわけではない。魔族と異なり、魔法攻撃に対する耐性が生来低い人間は、生成した魔力を放出することで、わずかではあるが防御用の障壁を作っている。しかし、魔族と契約してしまうと魔力の放出はストップし、その魔力は契約した魔族に回されるため、障壁の生成ができなくなる。そのため、魔法攻撃に対する耐性が低下し、呪いなどにかかりやすくなる。
「これが、人間にとって契約のデメリット。といっても日常生活で魔族に出会うことなんてめったにないし、しかも魔法攻撃を受けることはもっとないだろうから、さほどデメリットでもないかもしれないけど…」
「もしかして、あたしが水のアクセサリーをつけてるとダメってのは……」
「晴代は火の魔力で障壁を作ってる。水の魔力を持つ物体が近くにあり過ぎると、つまり、大量に身に着けたりすると、せっかくの障壁が打ち消されちゃうんだよ」
文香は熱心にノートにメモを取っている。科学部員の性と言うべきなのか、物事に関する理論的な話にはとても興味があるようだ。
「その点は理解した。では、人間が魔族と契約することによって得られるメリットは何か」
文香の問いに対して答えたのは、霜華ではなく有島だった。
「魔族と比べて人間にはメリットが少ないと思いますよ。ただ、一つあります。まあ、それをメリットと感じるかどうかは人それぞれですが…」
「ねえ、こういう話をするときは、霧矢も一緒の方がいいような気がするんだけど…」
晴代が口をはさんだが、霜華は昨日のことにまだ怒っていて、霧矢を呼ぶ気にはなれなかった。晴代としては、そこまですねることだろうかとも思っている。
「いいの。そのうち話しとくから」
「いや…でも…」
「いいの!」
(霜華ちゃん…一度怒ると、なかなか素直になれないんだね…でも、何となく可愛いかも…)
「それで、メリットと思われるものは何なのか」
文香が一言一句聞き漏らすまいと、メモを取る気満々の状態で質問する。
「実は、契約した人間は身体に何らかの変化が出ます。それが何かは人それぞれですが、私の母の場合、バリアーを張る術が使えるようになりました」
晴代が歓声を上げる。しかし、有島は曇った表情のままだ。
「実は、父は護君の昏睡の原因は、このせいではないかと思っているんですよ」
契約したことにより、護は何らかのスキルを手に入れた。しかし、そのスキルを暴走させ、その反動で倒れたのではないか、という仮説だ。
「なるほど、その発想は私にはなかった。確かにその説も一理あるかもね。ただ、何かそれも考え過ぎのような気もするけど」
「ですが、逆に呪いをかけられたとするならば、何の理由でだと思いますか? まだ中学生の子供にわざわざ呪いをかける必要が見当たらないのですが」
二人とも黙り込んでしまう。
どちらの指摘も的を得ていたからだ。
「まあ、着いてみればわかるわよ。それまではいくら考えても仕方ない」
雨野が強引に話題を終わらせた。
*
駅に着くと、霧矢は電車から一番に降りた。
(……暇なことこの上なかった…くそ、しかも寒い!)
寒いホームに立ち、女子五人が降りてくるのを待つのは結構きついものだった。こういう時に限ってのらくらと行動するのがお約束らしい。
ゆっくりと五人が出てくる。しかし、霧矢の呼びかけを無視して五人は急激にスピードを上げて、さっさと改札へ向かった。
「おいこら! 待ってくれ!」
あたふたと霧矢は五人を追いかけた。五人はこれ見よがしに早歩きを始める。しかも運の悪いことに、人ごみで五人と霧矢は分断されてしまう。
人の群れをかき分け、ロータリーに出ると、五人の姿は見えなかった。あたりをきょろきょろしていると、遠くから呼びかける声が聞こえてきた。
「霧矢、こっちだよ!」
晴代がバスから手を振っている。仕方なく、バス乗り場まで歩き始めたが、あと数メートルのところでバスは発車してしまった。
(……何だこりゃ……)
絶句している中、霧矢のポケットが振動した。晴代からメールが送られてきている。
――「少しは反省した?」って霜華ちゃんが言ってたよ。昨日来たんだし、距離的に歩いてでも行けるでしょ。
霜華は携帯を持っていないので借りたのだろう。そして、この狙ったようなバスの発車時刻はあらかじめ計画しておいたに違いない。この文面で霧矢は確信した。
「おのれ、半雪女! もういい! だったら勝手にしろ!」
頭にきて叫んでしまう。近くを歩いていた人は何事かと振り向いたが、霧矢のイライラはそんなことを気にする余裕も消し去っていた。
考えてみれば、雨野たちが必要としているのは霜華であって、霧矢がその場にいる必要はない。雪道を病院まで歩くのも面倒だった。
考えた末、駅ビルで時間を潰すことにした。霧矢の住むド田舎とは違って、この町はそれなりに店や設備が充実している。昼食をまだ食べていないので、駅ビル構内にあるファーストフード店に入った。
適当に選んだメニューを注文し、昼食を受け取って席に着いた。土曜日の昼時ということもあって、部活帰りの高校生などで店内は混んでいた。
(……あの程度で、そこまで怒るか? 普通)
昨日霜華に見せてもらったまま、返すのを忘れたマジックカードをいじりながら、ストローでジュースを吸い上げる。
昨日、霜華は、マジックカードは人間でも使えると言っていた。霧矢としても試してみたくないわけではなかったが、呪いにかかっていたり、ケガをしていたりするわけでもない。さらに回復以外のカードが何なのかは説明すら受けていない。うかつに使用したら何が発動するかわかったものではないので軽々しく扱えなかった。二種類のカードを見比べながら、ハンバーガーにかぶりついていると、二十代後半くらいの女性が近づいてきた。
「…相席してもいいですか? ここしか空いていないので」
「ええ、どうぞ」
霧矢の向かいに座ると、その女性はジュースを飲みながら霧矢に話しかけてきた。
「単刀直入に言うけど、何でマジックカードを持ってるのかしら?」
「!」
「あなたは契約主でもないのに、カードを持っているということは、知り合いに魔族がいるということよね」
霧矢は突如現れたこの女性の発言に、動揺を隠せなかった。
「その顔からして、図星のようね。お姉さんの話を聞いてくれるかしら?」
「………何が狙いです?」
「魔族の力が必要なのよ。具体的には魔族か契約主を集めてるの」
霧矢は女の右手に何かの力が集まっていくのを感じた。
(……ッ! まさか、ここでやる気か!)
人ごみの店内の中、霧矢は大急ぎで逃げ出した。
「ちょっと! 待ちなさい!」