ボーイ・ミーツ・アイスガール 4
十二月十二日 水曜日 晴れ時々雪
翌日、やっと電車が通常運行となり生徒会のメンバーも全員集合した。しかし、雨野の機嫌は相変わらずだった。霧矢をはじめとして、生徒会の男子にとって会長の機嫌が悪いということは生命保険の準備が必要ということを意味する。
「…それじゃあ、本日の生徒会活動……雲沢」
「何だ」
「今日はあんたが仕切りなさい」
「何で俺なんだ。自分の仕事くらいきちんとやれ」
生徒会室に屍が一つできた。しかし、ターミネーター雲沢こと副会長ならば、この程度の攻撃なら数分で復活する。
「じゃあ、西村。あんたが仕切りなさい」
面倒くさそうに、会計の西村龍太に進行を一任する。ちなみに彼は霧矢と同じく一年生で、霧矢のクラスメイトだ。
「今日は会報の原稿用紙を配りに行きます。部長、委員長のところに行ってください。そうだな、運動部がこの俺、西村と神田先輩と有島先輩。文化部を三条と上川。委員会を雲沢先輩と会長でお願いします」
全員がだるそうに生徒会室を出る。「文化部」と書かれた封筒を西村から受け取り、晴代と二人で校舎を歩く。晴代は昨日の一件以来どうも様子がおかしい。
「お前、何で今日はそんなにアクセサリーを身に着けてるんだ?」
「あたしの火を少しでも消すため…水の象徴たる…」
「オカルトに目覚めるのは感心しないな、ただでさえ腐りかけてきているってのに」
「腐ってなんかない! 確かに同人誌とか読んだりするのは好きだけど、カップリングとかやおいにはまだ興味ないから」
「はいはい、とりあえず、お前学校のみんなには、そういう趣味があることを隠してるんだろ。大声で言うと人に聞こえるぞ」
「四大が一つ、ウンディーネよ。わが求めに応じ……」
「やめんか」
ボケとツッコミを繰り返しながら、文化部の活動場所を回っていく。みんな霧矢たちが予想していたよりも理解が早く、予定よりも相当早く配ることができた。残り一部。
「最後はどこなんだ」
「……科学部よ」
「僕はパスさせてもらうぞ」
「そうはさせるかぁ!」
晴代は逃げようとする霧矢の襟首を掴んで無理やり理科室に連れて行く。
「無駄な抵抗はやめなさい! 文香! 生徒会よ!」
「はーなーせー! ミスマッドサイエンティストに会うのはごめんだ!」
扉を開けると、白衣を着て眼鏡をかけた女子が実験器具とにらめっこしている。霧矢も晴代も昔からよく知っている生徒だ。
木村文香。中学校からの知り合いで、晴代の友達でもある。それだけならよかったのだが、妙な方面の科学的知識が豊富で、得体の知れないものを作っては、こっそりと人に試すということを繰り返していた。霧矢も一度、実験台にされたことがある。
今年、霧矢たちが入学した時点では部員数が不足しており、休部状態だったのだが、彼女が入ったことで何とか廃部を免れたのだ。しかし、三年生が引退した今、現在、活動している化学部員は彼女だけである。
「ちょっと待て。もうすぐ、アレができる」
「アレ? 暗殺用の毒物か?」
「三条、貴様は私が暗殺者にでも見えるのか」
「暗殺者以外の何者でもないだろう。去年、お前から貰ったバレンタインデーのチョコレートを食って死にかけたことは、記憶にまだ新しいわ!」
「私特製の香料が入っていると、あの時にあらかじめ言い置いたはず。貴様はそれでもよいと言ったではないか」
バレンタインデーの放課後になって一つもチョコを貰えなかった残念な男に近づき、新作のチョコレートを作ったから食べてほしいと言う。無論、一つも貰えなかった男は自分が実験台にされているなど夢にも思わず、その女の子を女神のごとく崇め、試食する。
果物の香りの強い「それ」を食べると、世界が歪み、意識が遠のいていき、気が付いたら保健室のベッドの上だった。
「前にも言ったが、いくら特製だからと言って、実験室で作ったものを使うなんてどういう神経の持ち主だ! しかも酪酸とメタノールから作ったとか、明らかに危険すぎるだろう!」
「貴様は薬局の息子だろう。科学部員である私特製の香料というものが何を意味するか、理解していなかったわけではあるまい」
「うるせえ! 酪酸はまだしもメタノールを使うなんて、僕の目を潰すつもりだったのか!」
際限のない言い争いに、晴代がピリオドを打った。
「はいはい、それよりも、仕事が先でしょ」
封筒から原稿用紙を取り出し、晴代が説明を始める。霧矢は文香と関わり合いになりたくないので適当に理科室をうろついていた。
「……というわけで、原稿よろしく。何か質問は?」
「特にない。しかし、晴代。その身に着けたるアクセサリーは何なのだ」
「まあ……趣味よ。何となく身につけたくなったというか…」
いくら友達とはいえ、相手は科学部の部長だ。半雪女に気に入られるようにと、自分の火属性を抑えるために水の力を宿したアクセサリーを身に着けているなんて言えまい。それに霧矢があれだけ釘を刺したのだから、言うわけがない。
「ふむ……」
「用件が済んだのなら、さっさと行くぞ。僕はここに長居するのはごめんだ」
「待って、もう一つ」
「何だ」
「科学部って明日から何かする予定ある?」
「特にない」
「だったら、あたしたちの仕事を手伝ってくれない。駅前のクリスマスイベントの手伝い」
「構わないが、何故そのようなことを頼む」
「深刻な人手不足なのよ。この通りお願い!」
晴代は霧矢の口を塞いだ。霧矢はもがくがその言葉は伝わらない。
「了解した。では、明日の放課後、駅前で会おう」
理科室を出ると、霧矢は晴代に不満をぶつける。
「おい、助っ人を頼むにしても何でよりによって木村なんだ! あいつ、何をするかわからないぞ!」
「大丈夫、あたしが見張ってるから」
そういう問題ではない。そもそも見張らなければならないという時点でアウトだ。彼女の異常な行動は同じ中学校出身者なら全員が知っている。ドライアイスで炸裂弾を作ったり、スプレー缶を改造して火炎放射器を作ったりするなど、危険な行動は枚挙にいとまがない。彼女ならクリスマスツリーに発火装置を仕掛けたりすることくらいやりかねないだろう。
「ただ今戻りました」
「お疲れ様」
程よく暖房の効いた生徒会室で、全員が疲れた表情でお茶を飲んでいた。霧矢もポットからお湯を急須に注ぎ、二人分のお茶を入れた。
「西村君、今日の仕事はこれで終わりなの?」
「まだ全部終わったわけじゃないが、イベント組はこれ以上しなくてもいいって会長がさ」
「そうなんですか? 会長」
「これ以上は大人数でやってもあんまり意味ない。だから、三条、晴代ちゃん、西村、啓子はもう帰ってもいいわよ」
「会長は帰らないんですか?」
「私が帰ったら誰が指揮をとるのよ。会長の仕事くらいきちんとやるわよ」
「おいおい雨野、俺がさっき言った台詞覚えてますか?」
生徒会室に爆音がこだましたかと思うと、副会長、雲沢誠也の血だまりが床にできていた。しかし、恐れおののいたのは一年生だけで、二年生は気にすることもなく、お茶を飲んでいる。
「じゃ…じゃあ、俺たちはお先に失礼しますね……」
霧矢たちは、電車の都合で早抜けしなければならない西村と副会長、有島恵子の二人と一緒に下校することになった。
コートを着込み、外に出る。降雪がないとはいえ、昨日より冷え込んでいる今日は、スカートの女の子にとって厳しい一日となっただろう。
「しかし、上川が生徒会の助っ人になってくれるとは、ありがたい。総務は三条だけで、俺も心もとなかったんだ」
「本当は、入る気なんてなかったんだけどねえ。霧矢の代理で一日って約束だったけど、雨野先輩に十二月の間でいいからってしつこく頼まれて、しかも目の前で雲沢先輩がやられるのを見て断る気なんて起きないわよ」
「昨日も雲沢先輩はやられたのか…」
「ええ、でもあの光景は二人とも見慣れてるんでしょ」
二人とも暗い顔でうなずいた。そして二人とも雨野の攻撃を見慣れているどころか、食らい慣れているのである。
「寒いことこの上ないですし、あんまり歩きたくないですね」
「有島先輩は寒さに弱いんですか?」
「私は冬より夏の方が好きなんです。将来は沖縄にでも住みたいなって思っていますよ」
「確かに、ここみたいな川端康成の小説の舞台よりは住みやすいでしょうね。僕としても沖縄には結構憧れてますよ」
「でも、あたしは最近この地がとっても好きになりましたよ」
「上川、お前ずっと寒いのは嫌だって言ってたのに、どうしたんだ」
「実はね、昨日とっても素敵な女の子と出会えて…」
「おいこの百合女ァ! 貴様、秘密をばらされたいのか?」
霧矢にできる最大限の怖い顔で晴代を睨みつける。昨日、霜華のことは誰にも言わないと約束したはずだ。
「あたしは同性にそういう興味はない! そういう意味で言ったんじゃない!」
「どちらにしても、あの件は秘密だ。いいな」
「でも、西村君と有島先輩になら話してもいいんじゃないの?」
西村も有島も興味のありそうな顔をしている。しかし、この二人が秘密を守るという確証はない。学校中に広まってしまえば、霧矢の平穏が台無しになる。
「……ダメだ。僕たちが話していいことじゃない。それは霜華が決めることだ。僕たちに勝手に自分の正体をばらされていい気分になるとは思えない」
「霜華? 名前か、それ?」
西村が食いつくのを見て、霧矢はしまったと内心で思った。
「西村、この話は頼むから忘れてくれ。僕としてもこれは伏せておきたい」
「会長に拷問させると言ったら?」
意地の悪い顔で霧矢に笑いかけてきた。しかし、霧矢は動じなかった。
「僕じゃ会長の拷問には耐えられないだろうけど、僕はきっとお前に失望するだろうな。生徒会会計、西村龍太」
霧矢は思い切り相手を見下す視線を西村に向けた。西村はたじろいだ様子で冗談だと言って逃げたが、有島は何となく憂いを含んだ眼差しを霧矢に向けていた。
「ねえ、三条君。まさか、犯罪に巻き込まれているとかではないですよね」
「それはないです。安心してください、有島先輩」
「そうですか……」
有島は雨野と正反対の性格で、慈悲と善意の塊と言ってもいい。悪魔の会長、天使の副会長と雲沢は称している。相手が下級生であっても相手を立てる話し方をするため、校内での人気も非常に高い。
「私でよかったら、遠慮なく相談してくださいね。今日の三条君は、今までなかった妙な感じがしているんですよ」
「妙な感じ?」
「ええ…」
何か言いたそうだったが、それは西村によって遮られた。
「先輩は下り電車ですよね。時間的に急いだ方がいいんじゃないですか?」
「そうですね。ちょっと、急がないといけません。すみません、本当はもう少しお話ししたかったのですが、ここでさよならみたいですね」
時計を覗き込むと有島は慌ただしく、頭を下げた。
三人ともさよならを言うと、有島は駅の方へ向かって駆け出して行った。都会と違って田舎では一本電車を逃すと二時間近く待たなければならないケースもざらにある。走り去るのを見届けながら、三人はゆっくりと歩いていく。
「じゃ、お二人さん。ここで」
駅で西村とも別れる。霧矢はいつも通り嫌味を言い、西村も同じように言い返す。二人の独特のあいさつのようなものだ。
駅前の広場には大きなモミの木が運び込まれていた。
「あの木を見ると、いよいよクリスマスだって感じがするよねえ」
「クリスマスつったって、この商店街もすたれてきてるし、もうあんまり意味なんてないのかもしれないけどな」
「何で、霧矢はそんな暗いことを言うのかなあ。あたしは結構好きだよ、クリスマス」
「そりゃ、クリスマス自体が嫌いなやつはあんまりいないだろうさ。でもわざわざこんなデカいモミの木を運び込んでまでイベントをやる必要なんてあるのかとは思うぞ」
ぶつくさ文句を言う霧矢を晴代がなだめるという、会報配りとは逆の構図で薬局の前まで来ると、晴代は店の中を覗き込んだ。
「やっぱり、霜華ちゃんが店番してるんだね」
「単なる居候じゃうちも困る。住み込みのバイトだ。まあ、家事の手伝いもしてくれてるけど」
「はあ、いいなあ。霧矢のとこのクリスマスは楽しくなりそうだねえ」
「今年は、親父が帰ってこれない分、人数的にはプラマイゼロだ。まあ霜華のゴタゴタが片付けば無事マイナス一で迎えられるんだが…」
単身赴任中の父親は今年のクリスマスは学会の都合で帰ってこれないらしい。正月までには戻れるらしいが、それも数日だけで、またすぐ旅立つらしい。
「薬学の先生は大変だねえ…ところで、おじさんに霜華ちゃんのことどう説明するの?」
唐突な質問に霧矢は固まってしまう。母親は天然だからそのまま信じたが、大学の教員である父親に雪女の話をしても信じてくれるとは思いがたい。しかし、霜華の力を見たら見たで大騒ぎすることも間違いないだろう。
「……どう説明しようか…?」
「…おじさんが帰ってくるのって、大晦日と正月二日だけなんでしょ。その間、あたしのところで預かってもいいけど…」
「火の魔力で寝正月になるのがオチだろう。それにお前の家の人にどう説明するつもりだ」
「うちに友達を泊めた回数なんて、両手じゃ足りないわよ。正月に泊めたことも結構あるし、そこのところは大丈夫。それに魔力のほうも三日くらいなら大丈夫じゃないの?」
「それは僕にじゃなくて、霜華に直接聞くべきだ」
「まあ、そうよね。でも昨日知り合ったばかりだし、それを聞くのはもっと仲を深めた後にした方がいいと思うから。今日はここでさよなら」
「そうだな。じゃ、また明日」
お互い手を振ると、霧矢は店に入る。
「ただいま」
「おかえりなさ~い。ご飯が先? お風呂が先? それとも……? 霧君、何かな~、その目は?」
霧矢は痛い人を見るような視線で霜華を見つめている。ネタの古さに呆れていたというのもあるのだが、よく恥じらいもせずそんなことが言えるものだと半分感心していた。
「お前、やっぱり精神安定剤飲むか? レジの右手の棚の赤い瓶の薬だ」
「何で霧君はそういつも私を異常者みたいに扱うのよ~」
「異常者だなんてそこまでひどい扱いはした覚えはない。頭のねじが外れた気の毒なお姫様くらいの感じで接してるさ」
相手を煙に巻くと、マフラーを外し、カバンを奥に放り出した。接客用のソファーに乱暴に座ると、霜華がお茶を盆に載せて持ってきたので、口をつける。
「そうそう、理津子さんが明日から商店街のクリスマスツリー飾りつけの手伝いに行ってきなさいって言ってた。力仕事が多い上に、毎年、浦高の人が手伝うとはいえ、人手不足気味だから若い子に手伝ってもらった方がいいからって」
その言葉を聞いた途端、霧矢はむせてしまう。しばらく咳き込むと、霧矢は顔を赤くしながら、猛反発した。
「……別にお前は行かなくてもいい」
「何でよう」
「行かなくていいものはいいんだ。僕たちだけで何とかなる!」
「そんな~」
その時、店の電話が鳴った。霜華が受話器を取り上げた。
「はい、復調園調剤薬局です! え、あ、はい。それについては、もう、理津子さんから指示を受けてますよう。あ、それはありがとうございます。わかりました…では明日の、午後三時半に駅前広場に行けばいいんですね? え、じゃあ晴代も一緒なんだね…」
その言葉を聞いた途端、霧矢は霜華から受話器を奪い取った。
「もしもし、貴様、晴代か! また妙なことに霜華を巻き込むつもりだな!」
「別に、霜華ちゃんだって雨野先輩や西村君とか有島先輩みたいなこっちの世界での知り合いくらい作ったっていいじゃない。それに、おばさんからも手伝うように言われてたんでしょ」
「それとこれとは別問題だ! 西村と有島先輩はともかく、会長なんかに会わせてみろ! こいつ数日間はトラウマで動けなくなるぞ!」
受話器越しに叫んでいるものの、相手の顔が見えないので、霧矢の凄みが通用しない。
「ねえ、霧君は私のこと気遣ってくれてるわけ?」
わざとらしく目をキラキラさせながら、霜華は霧矢の袖を引っ張ってきた。乱暴に振り払って霧矢は続ける。
「とりあえず、会長も地元三人と電車組二人でギリギリ間に合ったと言ってた。お前も木村を応援に頼んだわけだし、六人もいれば霜華は必要ない!」
啖呵を切ると、霜華は相手をバカにするような声で、霧矢にとって衝撃の事実を突きつけてきた。
「霧矢、あんた、携帯のメール、確認してないの?」
「はあ?」
受話器をいったん置き、脱ぎ捨てたコートのポケットを漁る。携帯電話を取り出すと、新着メールが一件あった。雨野からつい数分前に送られてきたもののようだ。霧矢と晴代の二件に同時送信されている。
――三条と晴代ちゃんへ。去年はほんとギリギリで商店街の人に迷惑かけちゃったから、今年は早めに終わらせたいの。だから、明日までに二人ほど助っ人確保しといてね。うちの生徒かどうかは問わないよ。そして、もしできなかったら三条に責任をとってもらうから。
最後の一文を読み終わると、力が抜け携帯電話を取り落とした。
「もしもし、霧矢? メール読んだ?」
「ああ、読みましたとも……」
「ちょ…どうしたのよ、そんなにショックを受けるようなこと?」
霧矢の声が余りにも沈んでいたのか、晴代は驚いている。
「死ぬか、助っ人もう一名確保か、選べと…」
「だから手っ取り早く、霜華ちゃんに手伝ってもらおうと思ったんだけど…霧矢、明日の放課後までにもう一人確保できそう?」
そんな面倒なことに応じてくれそうな暇な知り合いは霧矢にはいない。必然的に霜華を連れて行かなければ死刑になるということだ。
「…じゃあ、明日…霜華を…連れて行けば…いいんだな…?」
「うん! じゃ、また明日」
受話器を戻すと、霧矢は力なくカウンターの椅子に座り込んだ。死んだ目つきで雨野に返信メールを送り、助っ人二名を確保できたことを知らせた。
「……霜華、明日三時半。駅前広場」
「オッケー! ばっちこ~いだよ」
時計が七回鳴り、霜華は店のカーテンを閉めた。霧矢も家に上がり込むんだ。
「いいか、お前が魔族のハーフ、半雪女だってことを軽々しくみんなにばらすんじゃないぞ! 特に雨野会長と科学部の木村には絶対に内緒だぞ!」
霜華はうなずいたが、霧矢の不安は消えなかった。晴代が不用意なことを口走ったせいで、西村と有島には霜華には秘密があるということがばれている。有島はともかく、好奇心の強い西村なら、霜華に秘密を問いただしてくるかもしれない。
イヤホンで音が漏れないようにして霧矢のほこりのかぶっていたゲームをしている霜華を横目で見ながら、霧矢は西村へどう説明するか考え続けていた。
「それじゃ、おやすみ~」
十一時ほどになって、霧矢の部屋から霜華が出ていく。しかし、人間の適応力というのも大したものだ。霜華が家に来てから三日ほどが経ったが、もう家に霜華がいるということが当たり前のように感じられる。それは決して悪いことではないのだが、霧矢としてはどこいまいましい感覚もしていた。
十二月十三日 木曜日 曇り
「駅まで歩くの?」
「残念ながら、松原先生は送れないそうだ…」
放課後になって、生徒会のクリスマス組五人&マッドサイエンティスト一名は穏やかだった午前とはがらりと変わって猛烈な寒風が吹き荒れている外を眺めていた。悪天候のため、生徒会の顧問の松原が駅まで送ってくれる予定だったのだが、急用で出張になってしまった。
「仕方がありません。他のみんなも歩いていますし、私たちも我慢しましょう」
有島は大して気にすることもせず、歩きはじめる。防寒具を着ているとはいえ、平然としている様子を見ると霧矢としては尊敬せずにはいられない。
駅の方向に対して追い風とはいえ、この寒さは身に応える。雨野、有島、文香は平気そうだが、他は寒さで震えている。一昨日から新たな積雪はないため、路面の雪は凍りついてシャーベット状になっていた。歩くたびに固い音がする。
駅に着くころには三人の体力が限界になっていた。部活動に加入していない、早帰りの他の生徒も駅まで歩いていたが彼らも辛そうだった。しかし、霧矢たちはこの寒い中作業をしなければならないのだ。
「おっ! 霧君だ!」
この寒い中、ブラウス一枚とスカート姿で平然としている半雪女が手を振っている。
「あの子が三条の助っ人ね?」
「はい…不本意ですが、あいつ以外に適当な人材を見つけるのは不可能でした。ですが、あいつの素性については詮索しないようにお願いします」
「この気温であの服装でいられるとは、彼女はいったい何者なんだ?」
西村がもっともな疑問を口にするが、霧矢は無視した。
「初めまして、私は霧君の薬局に住み込みで働いている北原霜華といいます。皆さんよろしくお願いしま~す」
「……おい、三条。こんなに可愛い女の子が住み込みのバイトだと……?」
羨望と憤怒の入り混じった形相で西村が霧矢を睨みつけている。霧矢は彼を華麗にスルーして、生徒会メンバーの紹介に移った。
「で、こっちのうだつの上がらない短髪が西村龍太。晴代は省略。この眼鏡女が木村文香、科学部の部長で晴代の友達だ。この三人は僕と同じ学年だ」
「おい、俺だけ自己紹介の扱いひどくないか?」
「黙れ、このダメ男が」
「何だと! このヘタレ!」
「テメエだけには言われたくない! この色ボケ!」
しばらく二人の際限のない罵り合いが続いていたが、雨野が二人の背後で殺気を漂わせるとピタリと止んだ。
三人とも霜華と握手するが、西村は霜華の可愛さで違う世界に旅立っている。
「そして、この二人が二年生で会長の雨野光里、副会長の有島恵子」
雨野はめったに見せないにこやかスマイルを輝かせる。しかし、有島は霜華を警戒の眼差しで見ている。霜華も有島を妙な目つきで見ていた。
全員が二人に注目する。
「上川さんが昨日話していたのは、彼女なんですか?」
「え…あ、はい」
有島はしばらく逡巡していたが、何かを思い立ったように歩き出した。
「…すみません、光里ちゃん。先に始めてください。霜華さん、三条君と上川さんをお借りします。ああ、大丈夫です。すぐに戻りますから」
「啓子……?」
何も言わずに有島は三人を人気のない広場の裏に連れて行った。
雨野はポケットの中から道具を取り出す。
(…まさか、いや、そんなことが…)