ボーイ・ミーツ・アイスガール 3
十二月十一日 火曜日 雪のち晴れ
翌日、体温は三十七度一分。非常に微妙だったが、会長に死刑にされるかもしれないということを考えると登校せざるを得ない。病み上がりでふらついているが制服に着替え、カバンに教科書類をしまった。窓の外を見ると、昨日より雪は穏やかになっているが、積雪は昨日より増している。
「おはよー、霧君。今日は学校行くんでしょ」
「……本当は今日もまだ休んでたいけど……行かないと会長に殺される…」
「浦高の会長ってそんなに恐ろしい人なの?」
「…生徒会の内部の人間しか知らないけどな。普通の生徒はあんな人だなんて思いもしなかっただろうさ」
霧矢は陰鬱な顔で会長の話をしながら朝食を食べ始めた。昨日一日の欠席でどれほどの制裁を受けるはめになるのか……
「……じゃあ、店は任せるから、よろしく頼む……もしかしたら、僕はもう帰ってこれないかもしれないけど……」
「霧君ってボケキャラじゃないよね、どっちかっていうとツッコミだし」
「……浦高の会長を怒らせる=死亡フラグなんだよ…」
「浦高ってどこにあるの?」
「駅裏の橋を渡ったところの南側。ここから歩いて二十分くらいだ、だが、間違ってもついてきたり、潜入したりするなよ!」
きつく釘を刺すと、霧矢は玄関にかけてあるコートを着込み、家を出る。寒さが身にしみる。駅の自由通路を通ると、やはり、除雪のため上下線ともに終日運休と掲示板に書かれている。今日も生徒会メンバーで動けるのは、霧矢を含めて四人だけだろう。
白銀の世界を一歩一歩歩きながら、学校を目指す。ここ数日の大雪のせいで雪壁の高さは一メートルを超えていた。
*
学校に着くと、霧矢は約束を果たすために隣の一年三組の教室に向かう。大雪のせいで生徒はいつもの半分くらいしかいなかった。
「おはよう、霧矢」
「ほれ、きのうの報酬だ。これでいいだろ。で、何か変わりはなかったか?」
「特に何もなかった。先輩に言われた通り、書類の整理をしてそれで終わり。ただ……」
「ただ…?」
「しばらく、人手不足だから手伝ってほしいって言われて、期間限定だけど、無理やり書類にサインさせられちゃって、生徒会執行部のメンバーにさせられちゃった」
困ったような顔を浮かべている。晴代は部活動に所属していないため、断る理由もない。店の手伝いがあるという理由も、実際に彼女が手伝っているのは手が空いている時だけなので使えなかった。
「お気の毒様。お互い執行部メンバーとして頑張っていこうぜ」
踵を返して歩き去ろうとすると後ろから肩をつかまれる。振り返ってみると、晴代が鬼のような形相を浮かべて霧矢を睨みつけている。
「…あんたのせいで…面倒事に巻き込まれたっていうのに……こんなポテトチップス一袋と、お気の毒様…ってどういう意味よ…返してよ、あたしの余暇を返してぇぇぇ!」
「さて、逃げるか」
霧矢に向かって飛びかかってくる。猛ダッシュで霧矢は教室から逃げ出した。
放課後になり、身構えながら生徒会室の扉の前に立つ。開けるや否や、猛スピードで黒板消しが霧矢の顔面に命中した。白い粉にまみれてピンク色の鼻血が流れる。
苛立った顔の県立浦沼高校の会長、雨野光里が座っていた。
「ゴルァ、三条! あんた、昨日はよくも休んでくれたわね……覚悟しなさい!」
「すみません…でも、ちゃんと代理を派遣したじゃないですか…」
「それとこれとは別問題! いいこと、執行部のメンバーは一人でも欠けると予定が大幅に狂うの。ただでさえこの大雪で他のメンバーが来られない今、近場のあんただけが頼りだっていうのに、そのあんたが休んだりしたらどれほど迷惑がかかるかわからないの!」
「すみません…」
「本当は、タダじゃ済まさないつもりだったけど、晴代ちゃんに免じて、今日のところは勘弁してあげるわ、感謝しなさい」
生徒会室にある流し台で顔を洗い、顔にこびりついた鼻血とチョークの粉を落とす。しかし霧矢としては、あの会長がこの程度で許してくれるとは予想外だった。晴代にはもっと感謝しないといけない。
ティッシュを鼻に詰め、椅子に座ると、晴代が入ってくる。
「いらっしゃい、晴代ちゃん、待ってたわ」
晴代が霧矢を睨みつける。
「とりあえず、始めるぞ。上川も座ってくれ」
今日学校に来ている五人が全員集まったのを確認すると、副会長が仕事の説明を始める。今日のメンバーは、会長の雨野光里、副会長男子の雲沢誠也、書記の神田恵、そして総務、つまりは下っ端の三条霧矢と上川晴代だけだった。副会長女子と会計は大雪による電車の運休のため来ていない。
とりあえず、懸案事項はクリスマスに行われる町内のイベントの手伝いだ。駅前に毎年飾るクリスマスツリーの設置やボランティアの募集などを行わなくてはならない。他にも生徒会の会報の編集など仕事は山ほどある。
「役割の分担をするわ。クリスマスイベントと会報の編集、好きな方を選びなさい」
考えている間、会長は公欠組にメールを送っている。晴代は面倒事に巻き込まれた恨みを目で霧矢に訴えかけていた。
「じゃあ、クリスマスイベントの人」
活動場所が帰り道なのでちょうどよいと思ったのか、霧矢と晴代両方が手を挙げた。しかし、他のメンバーは会長を除き、メール組も含めて全員が会報の編集を選んだ。
つまり、三人だけでクリスマスイベントの手伝いをしなければならないのだ。
「雨野先輩とあたしと霧矢だけじゃ人手不足ですよ。他に誰か協力してもらえないんですか?」
「でも、この三人以外の家は駅と真逆の方向だし、会報も会報で結構面倒だしこれくらい人員を割いても問題はないと思うのよね。クリスマスイベントの手伝いは面倒だけど誰にだってできる仕事だから、むしろ手伝ってくれそうな人を新たに探した方がいいわ」
そんな暇人がいたら苦労しない。この近年まれにみる大寒波が襲来しているこの時期にわざわざ駅前で雪をかぶりながら、クリスマスツリーの飾りつけをするような人がいたら、お目にかかりたいものだ。
「まあ、去年も本当にギリギリだったけど、一応間に合ったし、今年も大丈夫でしょ。後、電車組二人も電車が来るまでは付き合うってメールを返してきた。去年と同じ、地元三人に電車組二人。それに、二人とも商店街の人だし、遅くまでかかってもそれほど問題はないはずよね。そういうことで、オーケーしてくれるかな、三条君と晴代ちゃん」
会長のこの妙に優しい笑顔の前に、ノーと言えば、その次の瞬間、三途の川をうろつくはめになる。答えなど選んでいる余地はなかった。
「じゃあ、本日はこれまで。クリスマスイベントの仕事は木曜日から始まるから、二人はそれまでは会報の手伝いをしてちょうだい。もし、それで会報が早く終わったらそっちの応援に回す余裕もできるかもしれないわ」
「霧矢、あたしに何か言うことは?」
雪道用の赤い街灯に照らされながら帰り道を二人で歩く。ここしばらく降り続いていた雪は降りやんでいた。
「とりあえず、謝罪とお礼を。それと、コンビニで肉まんを買ってやる」
「あんまんがいい。それと、この程度じゃ無理。割に合わない」
「……今月の僕の予算が限界。来週小遣いもらったらお礼するから、それまで待ってくれ」
財布を開けると、五百円玉一枚と一円玉が数枚しかない。昼食は弁当を持参しているので問題ないが、もうほとんど余裕はない。後一週間を五百円強で乗り切る必要がある。
「昨日、雨野先輩の本性を見たよ」
「だろうな。あのゴリラ会長に雲沢先輩はどれくらいやられたんだ、昨日」
「雨野先輩に文句を言ったせいで、ヘッドロック三発、スープレックス二回、それとバックブリーカー」
「……お前のおかげで命拾いした。黒板消しクリーンヒットで済んだんだから。感謝するぜ」
「だったら、行動で示しなさい」
「残念ながら、それをするだけの金がない」
ため息をつくと、思い出したように霧矢に話を振ってくる。
「ところで、一昨日の女の子って何だったの?」
霧矢は不意の質問に一瞬立ち止まってしまう。自分の命を考えるあまり、霜華のことを完全に忘れていた。しかし、水の魔族のハーフ、半雪女などと説明したら間違いなく問題が生じる。
「……うちの住み込みのアルバイト」
霧矢としても認めたくはなかったが、いろいろと面倒なことになるよりはましだ。苦し紛れの説明だが嘘はついていない。
「アルバイトを雇うほど、薬局って儲かってるんだ」
「……多分」
疑いの眼差しで霧矢の顔を直視する。霧矢は目をそらした。
「…ほ、ほら…コンビニに着いたから、あんまん買ってやるよ。ここで待ってろ」
「寒いから、あたしも店に入るわ。あんまんをおごってもらいながら、話をじっくりと聞かせてもらうからね」
買うふりをしてトンズラしようとする霧矢の作戦は見破られていた。
「……ごめん。黙秘権を使わせてもらう」
「これは証人喚問です。あなたには包括的な証言義務があります。虚偽の発言や正当な理由なくして証言を拒否したら、罪に問われることになります」
「だったら、記憶にございません」
鳩尾に拳が打ち込まれた。その場に霧矢はうずくまる。
「つい先ほど、日本は拷問禁止条約を破棄しました。さあ、答えてもらうわよ。昨日のあの子はいったい何なのかしら…」
「あんまんをもう一つ買ってやる。だから、勘弁してくれ」
「隠そうとするところがそもそも怪しい。本当に薬局のアルバイトなの、って、ちょっと!」
答えずにコンビニの中に逃げ込む。さすがにいくら晴代でも店の中で堂々と拷問をすることはできないはずだ。
「店に逃げ込むなんて卑怯よ」
「拷問狂が何を言うか」
「拷問狂じゃありません。腕力を用いてでも知りたいだけです」
「……僕の知り合いの女子ってどうしてこうみな揃って暴力的なんだろう」
「雨野先輩よりはましでしょ」
当然である。雨野より暴力的な人間などそういるものか。
会計を済ませて店から出る。出たくなかったが、いつまでもここにいるわけにもいかない。
「ほら、あんまん二つだ。これでもう何も聞くなよ!」
「……そこまでして、言わないって言うのなら、あたしにも考えがあるわ」
不穏なオーラが周囲に放たれている。
「暴力反対!」
顔中に汗をかきながら、霧矢は後ずさりする。晴代は拳を構えている。その時、霧矢は声をかけられた。
「霧君、何してるの?」
聞き覚えのある声がした方を振り向くと、スーパーの買い物袋を持った和服の半雪女がそこにいた。霧矢は赤信号を無視して駅の方に突っ走っていった。
駅の自由通路を走り抜け、商店街側の広場で立ち止まる。息切れしながら、後ろを振り返り、晴代が追いかけてくる気配がないのを確かめた。深呼吸しながら霧矢は安堵する。しかし、その安堵感は長持ちしなかった。
携帯の着信音が鳴り響く。液晶には「上川晴代」とある。着信拒否しようとも考えたが、そんなことをしようものなら、明日が霧矢の命日となる。恐る恐る通話ボタンを押す。
「……もしもし」
「…きぃりぃやぁ…あんた、何で黙ってたのよ…」
「な…何を? 何のことを言ってるんだ? ははは…」
「霜華ちゃんが居候の魔族のハーフ、しかも雪女だって、どうして黙ってたのかって聞いてんだ! ゴルァ!」
「会長のまねをしなくてもいいから…」
おそらく、霧矢が走り去った後、霜華から直接話を聞いたのだろう。霜華も隠すことなく正体を明かした上で、自分が半雪女であることを証明したはずだ。
これは、霧矢以外は知らない事実だが、ああ見えて晴代は漫画やライトノベル好きで、ファンタジーとかに目がない、軽度から中度のオタク少女だ。半雪女が自分のすぐ近くにいるなどというのは願ってもないことだろう。
「……うらやましい…うらやましすぎる! 何で霧矢の家なのよー。あたしのところに来てくれれば大歓迎だったのにぃ~」
「お前な、本気で言ってるのか?」
「氷の力を操る少女なんて、まさにファンタジーじゃない、あたし、もう……」
これ以上話すのもバカらしいので霧矢の方から電話を切った。
肩を落として近くのベンチに座り込む。やはり問題が生じてしまった。しかし、腰を下ろしてから数分と経たないうちに、あの二人組が駅から出てきた。晴代は泣き顔になっていて、霜華はどこか困り顔だ。晴代が霧矢の顔を見ると、食ってかかってきた。
「霧矢! 何であんたが水で、あたしが、火なのよ……!」
「はあ?」
「霜華ちゃんに霧矢のところじゃなくて、うちに来ないって言ったら、属性的に無理だって言われちゃった…」
意味がわからないので霜華に説明してもらうことにした。
長くなるらしいので、三人で駅の待合室に入る。
どの世界においても、魔力を有する個体はそれぞれ先天的な属性別に分けることができる。すなわち、火、水、土、風、光、闇の六つのことで、火と水、土と風、光と闇はお互いに対となっている。そして、霧矢は水、晴代は火の属性を持っているらしい。
霧矢たちが暮らしているこの世界では、魔族は自分で自身の生命の維持に必要な魔力を生成できない。故に、長時間こちらの世界にはいられないのだ。魔力の強大さにもよるが、強い魔力の持ち主でも三日ほどで魔力切れを起こして死に至る。弱いものなど一日持てば長い方らしい。
しかし、そこで霧矢に疑問が生じた。霜華はこちらの世界に来てからもう三日以上経っているはず。しかし死に至るどころか、衰弱する様子さえない。それを霜華に指摘すると、魔族がこの世界で生きていく方法が一つだけあると答えた。
「ここで、二人に質問。肉体的に人間が魔族より優れている点は何でしょうか」
二人とも首を傾げる。魔族は基本的に異能の力を持っているため、人間よりも強いはず。人間が優れている点など思いつかなかった。
「答えは、自分で魔力を生成できるのに、生命の維持に魔力を一切必要としない、ということだよ」
人間は魔力を生成しても生命の維持には不要であるため、魔力は周囲に放出される。しかし、魔族としてはその漫然と放出される魔力を拾っているだけでは足りない。そこで、人間と魔族が契約することによって、不要な全魔力を直接魔族に流し込むようにすればよい。水を受けるのに霧吹きからパイプに変えるようなものだ。そして、その魔力の属性がお互い一致すれば不一致よりも魔力の燃費は良くなり、逆に対属性であれば、燃費は非常に悪くなるどころかマイナスに作用する。
「でも、待てよ。僕とお前って契約してるのか?」
「私の場合、無理して契約しなくても大丈夫なの」
ハーフである霜華の場合、日常生活に必要な魔力くらいならば自力で生成できるらしい。つまり、理論上は半永久的にこちらの世界にいられるのだ。ただし力を使ったりして向こうと同じように過ごすには少し足りないので、霧矢から放出される微弱な水の魔力で補っているとのことだった。属性が同じでもともと不足分も大したことはないので契約してまで魔力を得る必要もない。
「じゃあ、もしお前が晴代と契約したら…」
「ハーフだから死にはしないと思うけど、間違いなく衰弱する。契約しなくてもあまりにも長時間一緒にいれば体調を崩す可能性がある」
横目で晴代の方を見ると、「これが属性の差なのね…」と涙ぐんでいる。
「属性って誰にでもあるのか?」
「うん、あらゆる生命体や魔力を有する霊体は六つのうちどれか一つを必ず持っているの。血液型みたいなものだよ。両親の片方のどちらか一つが遺伝する」
「へえ、じゃあ、母さんも水なのか?」
「理津子さんは風。だから、霧君のお父さんが水」
「……あたしは…火…だから、お父さんかお母さんのどちらかも火……」
「そんな、落ち込まなくても……もしこの世界に水以外の魔族が来たら、晴代だって契約できるんだよ。だから…そんな風にすねなくても」
「はあ、誰か水以外の人来てくれないかなあ……できれば、火で」
「とりあえず、このことは他言無用だぞ。半雪女がこの町にいるなんて知れたら、いろいろと騒ぎになる」
「ええ~。こんなことめったにないのに」
「いいから誰にも言うな。もしばらしたら、お前のオタク趣味をみんなに全部ばらす。あと、会長に頼んでお前を正式な執行部メンバーに無理やり昇格させる」
そこまで、脅してやっと納得したのか、渋々誰にも話さないと約束した。