大切な人への想い 8
十二月二十日 木曜日 雪時々晴れ
「それで、一応考えてはみたが、本気で貴様はやる気なのか?」
「ああ。ここまでバカにされて黙ってられるか。お前だって、親友が狙われてるんだぞ」
放課後の理科室には、無事な一年生、三人が集合していた。
霧矢は昨日、リリアンからの電話の内容をすべて文香に話した。文香は霧矢の意図をくみ取り、明日、理科室に来るようにと言い残して、電話を切った。
「それでよう。三条、お前、どうやって立ち向かう気だ。相手は魔族なんだろ」
「……できれば、戦いたくはない。向こうが仕掛けてこなきゃ戦う気もない」
西村は霧矢から一応何があったのかは聞いている。しかし、霧矢は有島には自分が話すまでは黙っているようにと釘を刺していた。
「これを貴様に渡しておこう。昨日作ったものだ。ただ、私としては使ってほしくはない」
「何だそれ、スプレー缶か?」
西村が怪訝な表情で空き缶くらいの大きさの筒を見つめる。特に何の変哲もないそれは、何の役に立つのかもはっきりしなかった。
「窮地に陥ったらそれを使え。簡単な催涙ガスと煙幕を組み合わせたものだ。しかし、簡単といっても効き目は十分だ。たとえ相手が魔族だったとしても、数分は動けなくなるだろう。その隙に貴様は逃げるか、奇襲をかけるとよい」
霧矢は礼を言うと、缶をポケットにしまった。文香は優しい表情を浮かべた。
「三条。私は貴様のことは嫌いではない。そういうたまには熱くなれるところがな」
「よせよ。ミスマッドサイエンティスト。僕だってこんなのはガラじゃない。でもな、霜華も晴代も僕にとっては大事なんだよ。そう思える存在なんだ。だからな、あいつらの平穏を害するような奴は放っちゃ置けねえんだ」
二人とも感心した声を上げて、霧矢を見た。霧矢は気恥ずかしくなり、後ろを向いた。
「じゃあ、昨日も連絡した通り、木村。お前ならあいつらからもノーマークのはずだ。明日、霜華と晴代を頼む」
「任せろ。そして、三条。貴様も負けるんじゃないぞ」
「ああ。木村、西村。大丈夫だ。何とかしてみせるから」
「おっと。俺も戦うぜ。お前一人だけいい格好なんかさせるわけにはいかねえぞ」
西村が後ろから霧矢に肩を回す。霧矢は振り払った。
「お前な、何寝ぼけたことを言ってるんだ。僕は誰かを巻き込みたくないから戦うんだ。その対象にはお前も含まれてるんだよ」
昨日、西村の価値など大したことはないと言ったことを棚に上げて霧矢は啖呵を切った
「おうおう、嬉しいことを言ってくれるもんだ。だがな、久しく喧嘩もしてねえ。体がなまっちまってしょうがない。こんなに熱くなれる展開をみすみす逃すほど馬鹿なことはねえぞ」
挑戦的な笑みを浮かべて、西村は霧矢の肩をつかんだ。
「ふざけんな。だったら、僕が戦う意味がなくなるわ」
「だったら、俺が代わりに戦ってやろうか。腑抜けたテメエの代わりにな」
際限なく言い争っていたが、いい加減に呆れた文香が近寄った。
「「ギャアァァァァァ!」」
霧矢と西村の頭に濃硫酸を垂らした。焼けるような感覚を覚えた二人は流しにものすごい勢いで駆け寄り、髪についた劇薬を洗い流した。
「全く、せっかく良い雰囲気であったのを、貴様らのつまらん喧嘩が台無しにしてしまったぞ」
文香がため息をつく。実験器具を片付け、白衣を脱ぐと、椅子に腰かけた。
「少なくとも、西村にとっても、晴代や霜華は大切な存在なのだろう。三条、足手まといにならなければ連れて行ってやればよいと私は思うが」
濡れた髪をタオルで拭きながら霧矢は西村を見た。
「いいだろう。覚悟があるなら、僕は止めない。ただ、死んでから文句は言うなよ。いいな?」
「理科室で『死んでから文句を言うな』というのはナンセンスだな。別にそんなことはない」
西村も髪を拭きながら、霧矢の問いの答えを返してきた。
「ちなみに、ケガしてもうちの薬は有料だからな。金は持ってこい」
「ケチな奴だ。お前らしいと言えばお前らしいが」
二人とも苦笑いする。放課後の理科室に笑い声が響いた。
「ところで、あれから会長とは連絡が取れたのか?」
文香が曇った表情で尋ねた。残念ながらその答えはノーだった。何度も電話してみても着信が拒否されている。公衆電話もダメだった。メールを送ってみてもなしのつぶてだ。
だが、雨野とリリアンが共謀しているわけではないようだ。それは確信できた。傷ついた二人を交渉の道具に使い、協力する気のない霧矢を無理やり従わせるなど、雨野が了承するはずがない。彼女は己の手だけを血で汚し、他の誰をも巻き込まないと決めているからだ。
もう残りは三十時間を切っている。雨野は何をしているのだろうか。
彼女の願いは叶わない。もはや、霧矢にはそれがわかっていた。理由も根拠もないが、それは運命づけられているような気がした。だから、必然的にリリアンは魔族の力を求めて、確実に霧矢たちを襲ってくる。
彼女の力は未知数だ。実際に力を使うのを見たわけではないが、あの人を食ったような態度は弱い者にはできない。相当な使い手であることは雰囲気でわかる。
それに対して、こちらは何の異能も持たない男子高校生二名だ。多少の武装はするが、ほとんど丸腰に近い。勝てる見込みがあるかといえば、聞かないでくれとなる。
(……何と無様なことか。息巻いていたとはいえ、冷静になればこのざまか)
それでも、戦ってみせると決めたのだ。エゴを一時的に置き去りにすると。少しは熱くなってみせるのだと。そう決めたのだ。
「西村。お前はこの戦いに何を望む。僕と組んで戦うことに何を求める?」
「決まってんだろ。女の子たちを守ってみせるのが、漢気、いや騎士道ってもんだからだ! 他に理由なんていらねえよ!」
「相変わらず、暑苦しい男だ。僕が少し熱くなったんだから、お前は少しクールになれ。そうすればお互いちょうどいいってもんだ」