ボーイ・ミーツ・アイスガール 1
時が凍りついたかと思われた、が、フリーズしたのは霧矢だけだった。母親は目を輝かせてうっとりとした表情になっている。
「父親は普通の人間なんですけど、母親が水の魔族で氷使い、まあ、わかりやすく言ってしまえば、雪女なんです」
「へえ、だからそんな色白で可愛いし、着物で過ごしているのね~」
「数日前まで姉妹二人一緒に暮らしてたんですけど、その……喧嘩しちゃって…引っ込みがつかなくなって…」
しばらく経って、三条霧矢の脳は再起動を終え、エラーチェックも終了した。
この二人の会話を聞いて思ったことはただ一つだった。
結論、二人とも電波か底抜けのアホだと。異論は認めない。認めてたまるものか!
「あら、どこか行くの?」
もうたくさんだ。霧矢が、夕食までの時間は本屋にでも行って時間を潰してこよう、と考えるのにさほど時間はかからなかった。壁に掛けてあるコートを羽織り、ガラガラと扉を開けて出ていく。
もう少しするとスキー場がオープンし、夜でもナイターの照明でとても明るくなるのだが、今は雪明りだけで暗かった。寂れた駅前の商店街を抜け、駅裏にある書店を目指す。過疎化の進んだこの地域だが、それなりに大きな駅があるのが特徴だ。駅の自由通路を抜け、表に出る。信号が青に変わるのを待っていると、首に冷たいものが当たるのを感じ飛び上がってしまう。
「霧君! 私もついて行っていい?」
振り返ってみると、薄着の和服女が最上級の微笑を浮かべて立っていた。
「……寒くないのか、そんな格好で」
「大丈夫。これでも半分は雪女だから、常人よりも寒さに強いのです。そのかわり暑さには弱いだよね。しくしく夏はつらいよう」
自称半雪女は妙なテンションで電波をまき散らしている。書店に行くつもりだったが、気分が萎えてしまった。霧矢は方向を変える。
「ちょっと、霧君、どこに行くの~」
しばらく霧矢は行くあてもなく街をうろうろしていたが、いくら無視しても霜華は応えることなくついてくる。寒風の吹きつける中、体力も限界に近づいてきた。腕時計を見てみるともう七時近くになっている。
「腹減った~」
気の抜けた声で弱音を口に出してしまう。
「そうそう、理津子さんからお金預かってる。二人で晩ごはん食べてきてって言ってた。それと私に着替えを買ってきなさいって」
あのバカ母……よりによって、そんなことをさせる気か。
「衣料品店はその右の店だ。お前だけで行ってこい。僕は外で待って…」
最後まで言い終わる前にくしゃみをする。体も冷え切っている。体が大事かプライド(?)が大事か。それが問題だ。
「すいません。この子の服ください」
霧矢の選択は前者だった。情けない。しかし暖房の効いた店内は冷え切った体にとても優しかった。奥から店のおばさんが出てくる。
「はいはい、おや薬局の霧矢君じゃないかい…て、かわいい子だねえ。」
しかし、考えてみれば女の子の服の買い物でここにいるのはまずいような気がする。上着やズボンならまだしも、下着うんぬんになったら男である霧矢はここにいられまい。
「……おい、お前何を買う気なんだ。」
「とりあえず、お風呂入りたいから、下着の替えは必須でしょ。それから…」
ガラガラ、ピシャリという音を立てて、その場から男はいなくなった。先ほどの自問自答は無意味だった。だったら最初から外で待ってると決めておけばよかったと霧矢は後悔するとともに、母親からうつされたウィルスが寒さで活発化していくのをはっきりと感じた。
二十分ほど待つと、霜華が手提げ袋を持って店から出てきた。何やら随分と満足した表情だ。対照的に霧矢の唇は紫色になり、顔は強張っていた。
二人で商店街を歩きながら、夕食をとる店を探す。途中にある喫茶店を通りかかると霜華がここに入りたいと言ってきた。
「ここは、嫌だ。知り合いがいる」
「ええ~。私はこの店が何となく気に入ったな~」
「ダメだ。他を当たろう」
「ええ~」
数分ほど言い争ったが、結局霧矢が折れた。寒い中これ以上外にいるのは限界だったため仕方がなかったのだ。
「いらっしゃいませ…って霧矢じゃん。それにその和服の子…もしかして…」
「晴代、お前の考えは間違っている。僕たちは客だ。さっさと通せ」
喫茶・毘沙門天は二人以外に客がいなかった。古くからの知り合いで、同学年のウエイトレスが空いている席に案内した。
「僕たちの高校ってバイト禁止じゃなかったっけ」
「お互いさまよ。ていうか、自分の家業の手伝いして問題でもあるわけ。あんただっていつも薬屋の店番をしてるでしょうに。それより注文は?」
「ホットコーヒー、ピラフ」
「アイスティー、オムライス、デザートにアイスクリーム」
「この寒い中アイスティー、アイスクリームかよ」
「だ、か、ら、私は寒さには強いの。真冬の南極でもきっと大丈夫だから」
もはや呆れて何も言う気にはなれなかった。この半雪女こと北原霜華は何者なのか。ショートヘアーの似非ウエイトレス(幼馴染)がオーダーを取り、厨房の方へ歩き去ると、霜華は店においてある女性誌を読みはじめた。和服を着ていることを除けば、普通の女の子そのものだ。雪女とは信じがたい。
「…お前さ、本当に雪女なわけ?」
「半分はね。もう半分はれっきとした人間だよ」
「証拠とかあるのか?」
「ちょっと、そのコーヒー借りるね」
半分ほどコーヒーが残っているカップを、手を伸ばして引き寄せる。
「……で、証拠が見たいんでしょ」
「ああ、僕を納得させることができたら、お前が雪女だって認めてやる。」
「…『半』雪女! これでどう? 純血の氷の魔族、まあ、簡単に言うなら本物の雪女より力は劣るけど、これくらいなら楽勝よ」
カップを受け取って中を覗いてみると、先ほどまで湯気の立ち上っていたホットコーヒーが凍りついていた。
「……嘘…だ…ろ…」
「嘘じゃありませ~ん。これで信じてくれたかな?」
「……まだ、もっとはっきりとした証拠がないと信じられない!」
まだまだ信じようとしない相手に、うーん、とテーブルの上を見回す。何かいい実験台がないか探しているようだ。
お冷を少しテーブルの上に垂らした。表面張力で少し盛り上がった水に二人の顔が映っている。
「種も仕掛けもありません。調べたかったらご自由に」
水を指で触ってみるが、やはり何の変哲もない水だった。
「よ~く、見てて」
優しく息を吹きかける。とても冷たい空気の流れを霧矢は感じだ。次の瞬間、さっきまでの水は固体となっていた。手で触れてみてもそれは紛れもなく氷だった。
「…これでも満足できないなら、今度は霧君に直接……」
ニヤリと笑って、息を吸い込む。
「わかった! わかった! 信じる! だから僕を狙うのだけは勘弁してくれ!」
昔話のように氷漬けにされるのはごめんだった。
「……で、何でこんな雪女がこんな人里をうろうろしてるんだ」
「だから、『半』雪女だって言ってるでしょ!」
「随分と『半』にこだわるんだな」
「私だって半分は人間なんだし、化け物扱いされるのは嫌だよう」
「雪女としての生活と人間としての生活どっちが長いんだ?」
「ここ数年は人間に近い生活をしてるよ。町で買い物に出かけたりもするし」
「暑さに弱いとか言ってたけど、お前さっき風呂に入るって言ってたよな。そんなことしたら自殺行為じゃないのか」
「一応説明のために、半雪女だって言ったけど、正確に言うと水の魔族のハーフで氷の術の使い手。おとぎ話に出てくるような妖怪の雪女とはいろいろ違うから。お風呂だって普通に入れるし、暖房の効いた部屋でも平気。ただ、気温が三十度を超えると個人的な体力の問題できつい」
「ありがとうございました!」
会計を済ませ、店を出る。街灯の明かりが白い道路を照らしている。どうも母親の風邪をうつされたようだ。悪寒がする。
「……さっさと帰るぞ。宿題も終わったことだし、久々にゲームでもしたい」
「私は強いよ~」
「何か言ったか? 今日は一人用ゲームをするつもりなんだが」
ぶ~、とむくれてまた子供のように手をバタバタさせる。その子供らしさは一部の人間を除いてはイライラしかもたらさない。霧矢もその一部の人間ではないため、こめかみに筋が浮き上がってくるのを自分ではっきりと感じることができた。
「…お前、いくつなんだ」
「女の子に年齢を尋ねるなんて野暮だよ」
「うるせえ! さっさと答えろ! さもないと…」
「パーティゲームか格闘ゲームみたいな二人以上で遊べるゲームを一緒にやらせてくれるなら、答えてもいいよ」
この女はつかみどころがなく、どう扱ったらよいのか、さっぱりわからなかった。ただ一つ言えることは、三条霧矢にはアスピリンが必要になるだろうということだ。
「……好きにしろ。で、お前いくつなんだ」
「見た目で判断すると、きっと意外に思うよ。実は十八歳」
ずっこけて顔から新雪のまだ柔らかい雪壁に突っ込んでしまう。ありえない。精神年齢も外見年齢も明らかに下のはずなのに…
「そんなにビックリすることかなあ。まあ、仕方ないか」
「どう見ても十四、五にしか見えなかったんだが…」
霧矢は霜華に体をつかまれて雪壁に埋まった頭部を引きずり出された。
「霧君は何歳なの?」
「十六歳、高校一年生だ! だが、外見も精神年齢もお前より上のはずだ!」
顔を真っ赤にしながら、叫ぶようにして歳を公開した。
「年下の男の子か……私的にはストライクゾーンだよ~ ぎゅっ!」
変なノリで腕に抱き付いてくる。即座に乱暴に振り払った。霧矢としては年上に興味がないわけではないが、彼女はいろいろな意味で明らかに年下だ。
悪寒が走り、くしゃみをする。どうやらさっさと帰らないと、明日学校に行けなくなるかもしれない。早足でさっさと家に戻ることにした。
「ただいま。葛根湯どこにあったっけ?」
「あら、霧矢も風邪引いたの?」
「誰かさんのをうつされたみたいだよ。くそ…」
悪態をつきながら、霧矢は甘ったるく苦い褐色の液体の瓶をあおった。
(明日は学校なのに困ったな…)
「ほうほう、何を飲んでいるのですかね」
「うるさい、半雪女は風邪薬なんて飲んだことすらないだろ」
「風邪引くなんて、これだから人間は。私なんて引いたことはないわよ」
「雪女がどうこう言う前に、バカだからだろう」
むくれると、首筋に息を吹きかけてきた。推定マイナス十度の空気を受け、震え上がる。
「風邪が悪化するわ! とりあえず、もうゲームはキャンセルだ! 僕はもう暖かくしてさっさと寝る!」
「えー。年教えてあげたのに。約束が違うよう」
「風邪で明日学校に行けなくなったらどうするんだ! この時期の生徒会の仕事は忙しいんだよ! ただでさえ人手不足なのに、僕が欠けたらさらに大変なことになるわ!」
しばらく、ブーブーと不満を言っていたが、結局、霧矢のゲームを貸すことでこの場をおさめた。
「おやすみ~」
夜十一時になって、やっとゲームをしていた霜華は霧矢の部屋から出て行った。今日一日は奇想天外としか言いようがなかった。半雪女などという未知の生物と出会ってしまっただけでなく、それが自分の家の居候になってしまった。
(ああ、僕の平穏はどうなってしまうのか…)