大切な人への想い 6
十二月十九日 水曜日 雪時々曇り
「そうだった…んですか…」
「まあ、僕と霜華が契約してしまえば、もう会長の計画は事実上実行不可能です。あと二日で見つけ出せるとは思えません」
「しっかし、お前らも勇気あるよな。会長を闇討ちにしようだなんてさ」
「見事に返り討ちにされたがな。僕は無傷だったけど」
放課後の生徒会室にいるのは、有島と西村だけだった。会報の編集も終了し、冬休み前の生徒会の仕事は全部終了した。他のメンバーはさっさと帰ってしまった。
お茶を飲みながら、霧矢は完成した会報の原稿をめくる。
「それで、どうなったんだ?」
「霜華はともかく、晴代は全身打撲で体が動かせずに寝込んでるよ。まあ、うちの薬局の湿布がまいどありだったけど。雲沢さんならともかく、あんな攻撃一日じゃ治らん。だから、あれほど忠告しておいたと言うのに……」
「何でガールズがケガして男のお前が無傷なんだよ」
「言っただろ。僕は戦わなかったって」
「俺だったら身を挺してでも、女の子を守るぞ。ヘタレのお前とは違ってな!」
指を霧矢に突きつける。霧矢は西村の方を見ずに湯飲みを傾けた。
「そうは言うが、仮にお前があの場所に居合わせたとして、二人と一緒に戦ってみろ。間違いなく、今頃、お前は大学病院のICU送りにされて、点滴と全身麻酔だ。女の子だから手加減されたんだ。男だったら間違いなく半殺しにされてる」
うっと図星を突かれると、西村は霧矢の隣の椅子に腰を下ろした。急須を傾けて自分の湯飲みに緑色の液体を注いでいく。
「しかしよう。お前、考えを変えたのか?」
「何がだ」
西村はカバンから持参してきた菓子の袋を開けて、机の上にばらまいた。霧矢はサラダおかきの袋を自分の方に引き寄せた。
「いただきます」
「好きに食ってくれても構わんが、食うんだったら俺の質問に答えてくれ。その菓子を持ってきたのは俺だぞ」
「で、質問って何だ。霜華や晴代のスリーサイズとかか? 残念だが僕は知らん」
「…な、なぜ、お前は、俺の心が…読める…って違う! どうして、会長を止めようと思わなくなったのか、聞きたいんだよ!」
霧矢は湯飲みに残っているお茶を飲み干すと、急須を手元に引き寄せた。
「どうして…か。会長の気持ちもわからなくもないから、かな」
おかわりのお茶を注ぎ、おかきの個包装を破いて、霧矢は続けた。
「正直な話な、僕としてはどうでもよくなった。会長が僕たちを巻き込もうとしてるなら、それは困るから止めるけど、会長が一人でやる分には別に会長の自己責任だろって思ったのさ」
霧矢はボリボリとおかきを噛み砕く。黙ったまま西村はお茶に口をつけた。
「…それにしても、もし見つからなかったら、会長はどうする気なんだろうな」
「あの決意から見て、諦めたりなんかしないだろう。霜華を襲ってもおかしくはないと思う」
「…お前、あのゴリラ会長から彼女を守るという意志はあるのか?」
「ない」
霧矢は即答する。あまりの潔さに西村はため息をついた。
「契約しちまうのが一番手っ取り早くて安全だが、それをあいつは渋ってるんだよ。本当に、あいつは僕と契約したいのか、したくないのかはっきりしてほしいぜ」
「もう少し、男らしい一面を見せてやったらどうだ?」
西村は菓子を有島にすすめたが、有島はつまもうとしない。疲れと憂いの混ざった表情で霧矢を見た。霧矢も苦笑いで返して、先ほどの西村の質問に答えた。
「相手が会長じゃなかったら別にいいが、会長相手に肉弾戦を挑むほど、僕はバカじゃない」
大粒の雪が降りしきる外を眺めながら、霧矢は茶菓子を口に運ぶ。西村はゆっくりと立ち上がると、生徒会室にあるパソコンの電源を入れた。
「うちの生徒会あてにメールが来てるぞ。差出人は会長のパソコンのアドレスだ」
「何と…書いてあるんですか?」
「……生徒会のみんなへ、終業式のスピーチを私の代わりによろしく。ごめんなさいダメな会長で。追伸、恵子へ。晴代ちゃんとの契約おめでとう……だ、そうです」
西村が暗い声で読み上げると、有島は肩を落とす。
「…私は間違っていたとは思いませんが…光里ちゃんは私のことを恨んでいるでしょうね…」
涙が机に零れ落ちた。見ていられなくなったのか、西村が霧矢を生徒会室の外に連れ出した。
「なあ、精神安定剤とか抗鬱剤とか、何かいいものはお前の薬局にないのか?」
「……あることにはあるが、処方箋がないと無理だ。それに、そういうもので一時的に何とかしたところで根本的な解決にはならん。自分で何とかしようという思いが必要だ」
「じゃあ、薬でダメならどうすんだよ。このままじゃ先輩は潰れちまうぞ」
霧矢はため息をついた。どうしろと言われても、こればかりは霧矢にできることを超えてしまっている。一番の解決策は、雨野を説得して登校させることだが、もはやそれは無理だと証明されている。火の魔族を探し出して、護の呪いを解いてしまえば問題はすべて解決するが、それもほとんど実行不可能だ。属性が限定される分、確率的には雨野より五倍難しい。
雨野の計画を百パーセント不可能にするために、霜華と有島を契約させ、魔力分類器を破壊するというのが昨日の作戦だった。霧矢は前者には賛成だったが、後者には賛成できなかった。
いつのまにか、別に雨野が誰を殺そうと、霧矢にはどうでもいいことに感じられるようになっていた。その殺される誰かが自分の大切な人でなければ別に気にすることではない。中途半端なエゴイストはそう思うようになった。
しかし、霧矢と雨野の間の心の距離と、有島と雨野の間の心の距離ははるかに違う。二人は親友であり、お互いを必要としている仲だ。それは疑いがない。
「人の心とはわかりづらい。そうだとも、ああ、わかりづらい。だからめんどくさい」
廊下をうろつきながら霧矢はひとり言のようにつぶやいた。西村も同じようにうろつく。
「三条、お前はどうしてそんなに物事を軽く見る。面倒なことはやろうと思わない」
「それが人間ってもんだろう。お前だってそうじゃないのか?」
霧矢は生徒会室の扉を開ける。西村も軽く息を吐くと、霧矢に続いた。
それからはお茶を飲みながら下校時間まで三人で過ごしていた。有島は涙を浮かべ、霧矢と西村は見て見ぬふりを続けていた。雰囲気は非常に気まずかったが、途中で抜け出せるような空気でもなかったからだ。
「結局、俺たちは何もできない。寂しいもんだねえ」
「いつまで、たそがれてるつもりだ。僕たちにできることなんて何もないんだよ。あったとしたって、そういうものに限って実行不可能だったりするもんだ」
有島が電車で帰ってしまうと、霧矢と西村は駅のベンチに座って話し込んでいた。西村の乗る電車が来るまでまだ数十分の余裕がある。霧矢とは反対側のベンチに腰を下ろし、西村は腕の力を抜いていた。
「少なくとも、お前の中途半端なエゴイストという自己表現は的を射ていると俺は思う」
「そいつはどうも。だが、どうして的を射ていると思う?」
お互いの顔は見えないが、お互いに何を思いどんな表情を浮かべているかは容易に分かった。
「三条、お前、三か月前のことを覚えてるか?」
霧矢と西村は同じクラスで席も近い。入学して初めてできた中学校の違う友人だった。ただ、性格は似ておらず、反対と言ってもいい。どちらかというと熱くなりやすい西村とどちらかというと冷めている霧矢はお互いを補い合う友人だった。
何事にもアグレッシブな西村は、部活よりも先に生徒会に入った。しかし、面倒くさい仕事この上ない生徒会に一年の四月から入る物好きなどいないため、一年生は彼だけだった。そのまま、衣替えと共に新旧の役員は交代となり、旧役員の推薦もあって、一年生でありながら、生徒会会計というポストをゲットしてしまった。
しかし、今年はやる気のない連中の多い年で、体育祭の時は大パニックになった。その時に西村が霧矢に頼み込み、体育祭の期間限定という条件付きで霧矢は生徒会に入ったのだ。そして、雨野から予想以上の高評価を受け、命の危険を覚えた霧矢は正式にメンバーとなった。
そこまで考えて、霧矢は晴代も自分のたどった道を同じようにたどることになるのではないか、と考えた。そうだとすればご愁傷様である。せいぜい生徒会執行部として頑張ってくれ。
「お前の熱意に負けたおかげで、雨野会長とゆかいな仲間たちの一員にされたっけ」
「…お前は、基本的に自分の損得で動く。でもな、お前は決して純粋なエゴイストじゃない。純粋なエゴイストだったら、そう簡単に俺の提案に乗ったりなんかしないはずだ」
「僕はお前の頼みを最初は断ったぞ。それでもあんまりしつこく頼み込むから」
「でも、お前は最終的にはオーケーしてくれた。しつこく頼まれるのが嫌だったら、俺とは絶交しちまえばよかったのさ。お前は俺のことなんてそれほど重視してなかっただろ。生徒会で使う労力と俺の利用価値を比べたら、そんな答えなんて考えるまでもないはずだぜ」
霧矢は西村の言葉に薄ら笑いを浮かべた。軽い声で言葉を返した。
「確かにな。それは認めてやるよ。西村、僕にとってお前の価値なんて大したことはない」
「軽くひどいことを言ってくれるな。三条、お前はやっぱ冷酷なやつだ」
何を今更、と霧矢はつぶやいた。苦笑いして西村は続けた。
「でも、お前は俺と絶交はしなかった。こうやってダチとしての付き合いも続いてるし、生徒会も渋々だけど引き受けてくれて、仕事もきちんとやってくれたしな」
霧矢はあくびをする。鉛色の空を眺めながら、西村の話を聞き続ける。
「だから、お前は、中途半端なエゴイストだ。あくまで損得で動くが、その行動パターンに例外がいくつも存在する。だが、往々にしてその矛盾は物事を良い方向に導いてきた」
これは西村なりの褒め言葉だろう。
「はいはい。で、何が言いたいんだ?」
「お前は、別にエゴイストでもいいって言ってるんだ。今度もその矛盾で物事を良い方向に運んでくれよ」
「……ははは…まあ、頑張ってみるさ。お前も、その暑苦しさで冷たい世界を融かして見せろ」
二人で大笑いすると、電車の到着を知らせるアナウンスが鳴った。手を振ると、西村は改札口に消えていった。