大切な人への想い 5
今日も収穫はゼロだった。近隣の町をすべて回ったが、魔族は一人もいない。この調子だと、本当に不本意だが、腕力に訴えざるを得ないかもしれない。その対象が有島か霜華のどちらになるかはわからないが、そんな結末にはしたくない。
人生とは時に残酷だ。大切なものと大切なものを秤にかけて、どちらかを選ばなくてはならないときがある。そして、どちらを選んだとしても常に後悔が付きまとう。そういうものだ。
残りは、水、木、金の三日しかない。金は締め切りなので、実質的には二日半だ。金曜の終業式は生徒会長としてのスピーチがあるが、そんなことは秤にかけるまでもない。
(…恵子…ごめん。私は…親友に迷惑をかけてばっかりだ……いや、もう私のことなんて友達じゃない、とも思ってる?)
ホームに降り立つ。ゆっくりと終電が駅から出ていく。
街灯が薄暗く照らしている雪道をとぼとぼと歩く。真冬の夜の十二時前に外を歩いている物好きはどこにもいない。
いや、いた。
「……三条。あんた、私の家の前で何してるわけ?」
(ゲッ……! 隠れているのになぜバレた?)
雨野には確実に見えない場所に霧矢は隠れていたはずなのに、見破られてしまう。息を殺して知らぬふりをしていたが、見つけ出された。
「……か…会長…お久しぶりです。何でここに隠れてるってわかったんです?」
「そんなに歯をガチガチさせてれば、普通に聞こえるわよ。どれほどの間待ってたわけ?」
「は…八時から…ずっと……」
寒さで凍えながら、電柱に寄りかかっている霧矢を見て、雨野はため息をついた。よく凍死しなかったものだと半ば呆れるとともに、半ば感心した。
「それで、わざわざ私に何の用?」
「……そ…それでは、た…単刀直入に言います。か…会長の持っている魔力分類器を、ぼ…僕たちで、あ…預からせてもらいます」
電柱の下から立ち上がり、雨野から間合いを取りながら霧矢は言い放ったが、寒さで声が震えているため全く凄みがない。雨野は短く息を吐き、首を横に振った。
「そんなのに応じるとでも思っているの? 魔力分類器は私の計画に必須のものよ。あれがなかったら護を助けることができない」
霧矢は保温水筒のふたを開け、中に入っているブラックコーヒーをコップに注ぎ飲み下す。熱い液体のおかげで寒さが少し和らぎ、まともに話すことができるようになった。
「僕としては、会長が応じる気がないなら、別にそれはそれで構わないと思ってますよ。確かに浦高の会長が殺人者になるのは嫌ですけど、僕に実害があるわけじゃないし」
霧矢は視線を雨野に合わせずに、空になった水筒を振った。
「あれ、もうなくなっちゃったのか…もっと飲みたかったのに」
水筒をカバンにしまうと、霧矢は雨野を見た。
「ただ、僕はそれでよくても、あいつらはそうは思ってないみたいなんですよ。ですから、僕はケガ人が出る前に、あなたを説得したい。それでうちの薬品を使う羽目になるのは願い下げなんで。ですから、魔力分類器を渡してください。火の魔族を探すのなら協力しますから」
「嫌だと言ったら?」
「別に。僕は会長に対しては何もしません。返り討ちにされて大けがをするのはごめんですから。ただ、後ろには注意した方がいいですよ」
霧矢が言い終わると、雨野の後ろに霜華が現れた。雨野は振り返る。
「こんばんは。霜華ちゃん。私と契約してくれる気になった?」
「いいえ。会長さん。それよりも、誰かいい相手を見つけられた?」
銀色の月の光に照らし出された霜華の黒髪がなびき、より一層雪女らしく見えた。妖艶な微笑みを浮かべ、霜華は雨野と対峙した。
「……魔力分類器を渡してください。雨野先輩!」
霜華と挟み撃ちにする形で、晴代が姿を現した。
「これはこれは。こんばんは。晴代ちゃん。私の邪魔をしに来たってわけ?」
「ええ。ですが、先輩の邪魔ならもうすでにした後です」
「へえ。何をしたのかしら?」
晴代はスチール缶を取り出し、右手で握った。缶が赤く光り、どろどろの銑鉄となって地面にしたたり落ちた。雪の上に落ち、ジュワッという音を立てて光を失う。
霧矢は雨野が奥歯を噛む音がここまで聞こえた気がした。
「あたしが先に有島先輩と契約しました。これでもう有島先輩は先輩と契約できない!」
悔しそうな表情を浮かべ、雨野は晴代を睨みつける。高確率で使うことになる保険が潰されたのだ。雨野の計画は事実上頓挫してしまったことになる。残る知り合いは霜華だけだ。
「……三条、あんたは霜華ちゃんと契約したの?」
「さあ、それはどうでしょう。ご自分で調べたらどうです。その魔力分類器で」
雨野は不敵な笑みを浮かべる。
「どうせ、私が取り出した途端、奪うか、破壊する気でしょ。それくらいの予測はつくわよ」
「さすがは会長。我らが生徒会のリーダー、雨野光里はそうでなくては」
「お褒めの言葉ありがとう。私の信頼できる部下、三条霧矢」
その言葉が宣戦布告だった。霜華と晴代が雨野に向かって走り出す。霧矢は腕組みして雨野家のブロック塀に寄りかかって観戦していた。
霜華が数個の氷の礫を雨野に向かって飛ばした、が、雨野はすべてかわしきった。その隙に晴代が雨野のカバンをつかみ取ろうとするが、それも器用にかわした。二人の攻撃を見切って大きく飛び上がり、ブロック塀の上に立つ。
「私を甘く見てもらっても困るわよ。二人とも」
霜華の攻撃は遠距離でも届く反面、見切られると容易にかわされてしまう。逆に、晴代の能力は直接触れていないと効果がないが、いったん触れてしまえば相手が普通の人間であるなら一撃で倒せる。もっとも、これは殺し合いではないので晴代も加減して火傷を負うくらいの威力にとどめるだろう。
「先輩! できれば誰もあたしたちはケガ人を出したくありません! お願いですから魔力分類器をこちらによこしてください!」
雨野は二人を無視して、霧矢の脇に降り立った。
「三条。あんたはどうして戦おうとしないわけ?」
「季節外れですが『飛んで火に入る夏の虫』って言葉をよく知ってるからですよ。僕がここにいるのは、万が一この三人の誰かがケガをしたときの救護のためです」
片目を瞑って、霧矢はいつの間にか自動販売機で買ってきたコーヒーを飲みながら、面倒くさそうに答えた。雨野はため息をつく。
「この二人も、あんたと同じくらいの理解度があるとよかったんだけどねえ」
「言い訳を言わせてもらうとしたら、僕は一応二人に警告しました。でも、二人ともやると言って聞き入れようとしませんでしたから。残念ながら」
霧矢も雨野と一緒にため息をつく。空き缶をゴミ箱に向かって放り投げた。
「この直接戦闘に関してだけ言えば、僕の立場は中立です。できれば、僕を攻撃しないでください、とだけ言っておきます」
霧矢はそう言うと、雨野から距離をとる。雨野は二人に向かって身構える。
「二人に忠告よ。痛い思いをしたくなかったら潔く退きなさい。殺しはしないけど、金曜日まで動けなくなるくらいのダメージは受けると思った方がいいわよ」
晴代と霜華も身構えた。両者とも退く気配は微塵も感じられない。霧矢はうなだれた。
「そうですか、ならば、私たちも会長さんを金曜日まで動けないようにするまで。そうすれば、魔力分類器を奪わなくても、すべて解決ですよ!」
霜華が氷の剣を握ると、思い切り飛び上がる。空中で一回転し、雨野に斬りかかった。雨野は余裕の笑みを浮かべながら、左手で霜華の柄を握る手を殴りつけ、右手で正拳を打ち込む。霜華は剣を取り落とし、雨野の前方に倒れ伏した。次の瞬間、背後から晴代が近寄り、雨野のカバンを燃やそうとするが、雨野の裏拳が当たり、弾き飛ばされる。五メートルほど後方に吹き飛ばされ、鈍い音とともに仰向けに地面に叩きつけられた。
「がはっ!」
晴代はそのままノックアウトされた。霜華の方を見てみると、意識はあるようだった。しかしものすごい痛みを感じているのを見て取ることができた。
霧矢は、二対一をものともしない雨野の腕に、改めて舌を巻いていた。
「どう? 力の差がわかった? それでも向かってくるのならこっちもギアをもう一段階上げるけどどうする?」
霧矢は雨野の脇に立った。
「もう十分だ。会長が喧嘩の達人だってことはこれでわかっただろ。これ以上戦っても、ケガが増えるだけだ。帰るぞ」
「霧君は…会長さんが、殺人者になっても…いいって言うの?」
霜華が痛みをこらえながら、絞り出すような声で訴えかけた。霧矢は白い息を吐き答えた。
「お前こそ。『覚悟があるなら止めはしない』と言ったのは誰だ?」
霜華は黙ってしまう。霧矢は続けた。
「確かに、会長には人殺しにはなってほしくない。でもな、会長だってそれくらいはわかってると思うぞ。僕は会長が無理やりお前と契約しようとしたなら止めるが、他の魔族とお互い合意の上で契約するのなら、もはやそれは会長の勝手というやつだ。そう思う。僕たちがそれに関してどうこう言うのは、余計なおせっかいとしか言いようがない」
霧矢が霜華と晴代を助け起こすと、雨野はあくびをする。
「そろそろ、私は明日に備えて寝たいんだけど、もうお休みを言っていい?」
「ええ。日付も変わりましたし、こっちこそ乱暴な真似をしてすみませんでした」
雨野は家の鍵を開けると、霧矢の方を向いて微笑んだ。
「三条。私はあんたみたいな理解ある後輩を持てて幸せだよ」
「会長。もし、あなたが霜華と無理やり契約しようとした時は、僕はあなたを止めます。誰と契約しようと勝手ですが、脅迫を用いた場合は別です。それだけはきちんと言っておきます」
雨野はこちらを見ずにうなずくと、ドアを閉めた。