大切な人への想い 3
「おい、もうやめにしようぜ。寒くて死にそうだ」
星はますます輝きを増す午後九時。まわりの住宅街から明かりが漏れているが、雨野家の窓はすべて真っ暗のままだ。
「霧矢。あんた、それでも雪国生まれの男の子? こんなに分厚い防寒対策してもまだ寒いってわけ?」
「関係あるか! スキーのナイターの時間だってそろそろ終わりだぞ。しかも路面は凍結してアイスバーンになってるし! こんな寒けりゃ防寒対策なんて意味をなさん!」
晴代は寒そうにしているが割と平気そうだ。そして、霜華は完全に雪女の本領を発揮し、薄手の着物一枚で家の前を平然とうろうろしている。カイロを何枚も体に張り付けた上に、セーターを二重に着込んで、スキーウェアの上下まで着て防寒をしているのは霧矢だけだった。もっとも、雲沢なら五分と持たずにノックアウトするだろうが。
夕食を食べてすぐに張り込みを始めたが、雨野が現れる気配はなかった。霧矢はこれで何本目になるかわからないが、雨野の家のすぐ近くにある自動販売機で買った暖かい缶コーヒーをあおった。熱い液体が胃の中から全身を温める。ゆっくりと白い息を吐き出した。
「なあ、説得するって言っても、どうやってあの会長を説き伏せるつもりだ。あの覚悟じゃきっと、無理だと思うぞ。だから、さっさと帰って…」
「ヘタレたことを言うんじゃないわよ。あんたは雨野先輩が、いくら正義の名の下だとしても殺人者になってもいいって言うの?」
「それとこれとは別問題だ。確かに、僕も会長にはそんなことをしてほしくはない。ただな、説得できなきゃ、意味ないだろ。その時はどうするんだって聞いてるんだ」
「…説得してみせるよ!」
「無理だろうな。会長の決意は固い。有島先輩に拳を打ち込んだ上に、霜華まで連れ出そうとしたんだぞ。そんな会長が一言や二言の『殺人はよくない』とか『そんなことをして護が喜ぶとでも』なんて薄っぺらな言葉で揺らぐとでも思っているのか?」
霧矢の冷静な指摘に、晴代は黙ってしまう。沈黙が住宅街を支配した。
「……じゃあ、霧矢はどうすればいいと思ってるのさ。『帰る』っていうのは、なしだよ。それ以外で何か、先輩を思いとどまらせる方法はある?」
「知るか。『帰る』が封じられた時点で僕は答えるべき選択肢をなくしてる」
面倒くさそうに答えると、霧矢は雨野家のブロック塀に寄りかかった。スキー場のナイターの光が夜の街を照らしている。
二人とは距離をとって、家のまわりをうろうろしていた霜華が近づいてきた。
「ねえ、二人とも、会長さんを止める方法を思いついたんだけど……」
「とりあえず、聞くだけ聞いておこうか」
霜華が小声で話すと、霧矢は即刻拒絶の意志を示した。
「確かにその方法は一番確実な方法かもしれん。しかしな、そんな乱暴なことを実行に移してみろ。あの会長のことだ、本気で僕らを潰しにかかってくるぞ。そして、その作戦が成功したとしても、間違いなく霜華、お前は無理やりにも契約を迫られるし、お前がダメなら本気で有島先輩に迫ってくるだろう。どんな手を用いてでもな」
「あたしは霜華ちゃんの作戦に賛成よ。乱暴だけど確実。それに雨野先輩を直接傷つけるわけじゃないし、結構いい作戦だと思うけど」
「もし、成功したとして、霜華や有島先輩を会長からどう守るつもりだ。会長は魔族を倒すくらいは朝飯前だってことはお前らも知ってるだろう」
晴代が小声でその方法を述べた。即答できるような内容ではなかったので、霧矢はここではその回答を保留し、晴代に新たな提案をした。
「その答えは今すぐ出せない。だから、とりあえず今日のところは帰ろう。有島先輩と相談した上で決めよう」
晴代は霧矢がただ帰りたいだけではないのかと、不満そうだったが、今すぐに決められないことであることも確かだった。渋々ではあったが、今日のところは引き揚げるということに同意した。
「じゃあ、また明日学校で。その時に有島先輩に」
「ああ。僕も僕なりの答えを出してみる」
手を振ると、二人は家の中に入った。霜華は無言だった。霧矢も答えを出すことができず、黙ったままだった。
*
(やっぱり、そうそう簡単に見つかるものじゃないわね…)
駅の改札口で万華鏡のような筒を持ち、終電の時間まで雨野は利用客を眺めていた。しかし、通り過ぎる人間はどれも、何かしらの魔力を放出していた。
魔力分類器を手に入れてこれほど役に立ったと思ったことはない。今までは、道行く人を眺めて「あの人はこんな属性をもっているのか。ふーん」くらいにしか使い道がなかった。しかし、今では雨野の目的を達成するための最大のツールとなっている。しかし、これも有島から貰ったものであるということを考えると、少し心に引っ掛かるものがあったのも確かだった。
終電の中で、雨野は筒を目に当てながら、列車のすべての車両を回った。乗っている人は変わった行動をする女の子を奇異の眼差しで見ていたが、もはや今の雨野には何の意味もなさない。魔族を見つけ出し、何が何でも契約する。ただそれだけが今の彼女を動かしている。
駅に停まるごとに新たに乗り込んでくる乗客はすべてチェックする。しかし、雨野の思いは天に届かない。あっという間に駅についてしまった。
肩を落として、雨野は電車から降りる。駅員、売店の売り子を全員チェックするが、それもまた単なる人間。ゆっくりとした足取りで駅舎から外に出る。もう日付も変わりかけており、スキーのナイター灯も消えて、商店街は薄暗くなっていた。
おととい、完成させたツリーの電飾が人一人いない駅前広場を照らしている。有島や霧矢と作業してからわずかしか経っていないと言うのに、もうかなりの月日が経ったような気がした。
雨野としても、有島が協力してくれないのは、初めから大体予測はついていた。霜華も霧矢と契約する意志があり、その意志は強固なものだとわかっていた。
雨野は、ゲートはこの町の近くにあるということしか知らない。分類器を使えばゲートを見ることは可能だろうが、魔族の助けがなければただの人間は向こうの世界へは行けない。人は少ないがゲートに近いこの町と、近場で一番人の多い病院のある町を重点的に探すのが良策だろう。
デッドラインまであまり時間はない。金曜日までに絶対に契約しなければならない。強力な火の魔族に出会えれば人を殺めずに済むが、そんな淡い期待はしない。いや、魔族に出会うこと自体が淡い期待なのかもしれない。でも、それだけは諦めたくない。
ある日、気が付いたら、護は突然意識を失っていた。どうしてなのかもわからず、ただ嘆いていた。穏やかな日常はその日を境に色褪せていった。両親は不和になり、お互いを避けるように二人とも家を空けがちになった。たまに帰ってきては、生活費を置いて行くだけだ。
行き場のないイライラを解消するために何でもやった。空手、柔道、剣道を練習し、夜の街に繰り出して町をうろついている不良を叩きのめしたりもした。しかし、気分は少しも晴れなかった。暗い気持ちが表情にも出ていたのか、かつての友人も自分を避けるようになっていった。気が付いたら、一人ぼっち。友達は誰一人として寄り付かず、ただ学校と誰もいない家を往復するだけ。暇さえあれば、護の見舞いに通う。そんな生活だった。そして、知り合いが多く進学した隣町の高校ではなく、中学校のすぐそばにあるあまり人気のない高校に進学した。
そこで出会ったのが……
(私は愚かかもしれない……それでも、私はこの道を選ぶ。護を助けてみせる!)
ポケットから定期券を取り出す。これがいらなくなる時が来るとそう信じたい。いや、そうさせてみせる。
護が倒れたから家族が壊れた。ならば、護が快方に向かったら……
魔力分類器を握りしめ、雨野は歩き出した。