7.手紙
お気に入りありがとうございます!
ロジエは開いた扉の前で泣き出してしまいそうだった。
確かに自分は正直者ではないし、そんなに真面目でもない。
しかし、そこそこな人生を送っているつもりだった。
自分がいったい何をした。
目の前の飴色の軍神にそう聞きたかった。
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騎士見習いであるロジエの朝は早い。
下積み中であるから当たり前なのだが、訓練も雑用も容赦なく日々ロジエの体力を削る。
昼間は訓練で忙しいので、自然と朝が早くなる。
この日は訓練は午後からで、午前中はずっと仕事を片づけていた。
「よ、ロジエ。今から昼か?」
同じ騎士見習いが声をかけて来る。
「あぁ、やっと終わったんだ。早く訓練したいな。」
「お前、ほんと机の前に座ってるの嫌いだよな。」
ロジエは騎士見習いになるまで机仕事があるという事を知らなかった。
剣を振ることだけに集中していればそれでいいのだと思っていた。
だから、騎士団に入団して机仕事の説明をされたときは本気で古里に帰ろうか迷ったほどだ。
「まぁ、お前頭悪いもんな。」
「……入団試験に筆記問題がない方が悪い。」
ロジエは文字がほとんど読めない。
文字なんて必要のない農村の出身であるロジエは入団してから必死で文字を書くことから覚えた。
「……筆記と言えばよ、見習いからの昇進には筆記試験があるみたいだぜ?」
「え、嘘。」
「嘘ついてどうすんだよ。噂ではな、ディノーバ・アルバート閣下がさ、最低教養を見習い時代に身に着けさせてから正式な騎士にしようって考えてるんだとさ。」
ロジエはアルバートを思い出す。
見習いになってすぐの訓練で兄のディノーバ将軍にぶっ飛ばされ、そのすぐ後に机仕事の説明を受けた時、弟のディノーバ・アルバート閣下に文字をかけないことを言ったら、丁寧かつ、厳しく教えられた記憶がある。
「あー……この国で文字読めない者は多いっていっちゃったからなー。」
学校なんて金持ちしか行けないし、だからこそ、村で文字の読める者は評価が高かった。
「え?何。お前、そんなこと言ったのか?」
「あぁ……なんか考え込んでたからな、現実はこういうもんですって。」
「ま、確かに面倒にはなったけど……。いいんじゃないか?タダで文字の読み書きができるようになるのは純粋に嬉しいし。」
「な。」
王都出身ではあるものの、下町で育った同僚もほとんど文字の読み書きができない。
「眉間にすごいしわ寄せて聞かれたぜ。『君は本を読めないのか?』って。」
「そりゃあ……読士だな。」
読士は本などに書かれている文字を読み上げる職業の一つで、村や町の広場を巡業している。
吟遊詩人が兼職していることもあるが、読士に本を読んでもらいたい人は多い。
だから、本は読めないロジエでも、国内に流行している恋愛小説や冒険小説や、論文の内容さえ知っている。
「それがな、読士知らなかったらしくって、職業として成立してることに驚いてた。」
「はぁー、読士知らないのか。……まぁ、必要ないか。」
名門のディノーバ家で読士が必要になることはまずない。
「そういやさ、閣下といえば、聞いたかディノーバ閣下の噂話。」
突然の話の転換にロジエは頭がついていかないが、どうやら噂話がしたいらしい。
この同僚は他人の噂とか、色恋が大の好物だ。
「?どっちだ?」
「兄のライザック閣下の方。……隊長から聞いた話なんだけどさ、好きな女ができたらしいぜ。」
「隊長に酒飲ますなよ。あの人、顔には出ねえけど下戸なんだから……あれ?でもディノーバ閣下の兄弟って……。」
ロジエは記憶の断片から二人の事を思い出す。
「そ。陛下の公認された愛人。」
「その閣下が?女に?」
閣下は男色じゃないのか?という顔をすると、同僚は嬉しそうに、
「だから面白いんじゃねえか!」
と満面の笑みを浮かべる。
「……まぁ、痛い目見ない程度にしろよ?」
ロジエはこの同僚が何度か人の色恋に首を突っ込み、大変なことになったことを知っているので、余計にこの男が懲りずにまた首を突っ込まないか心配である。
「わーってるって!」
その返事を疑わしげな目で見ながら食堂の入口をくぐった。
「そういやさ、王妃になる予定のお姫様って。」
「あぁ。……どうかしたのか?」
「なんか、不敬罪で斬られたとか、斬られてないとか。」
「……それ、どっちになったかで大きく変わるぞ。」
顔を見たことはないし、あったこともない。
婚約披露で顔を拝見した騎士も決して多くはいないが、運よく顔を見た騎士曰く、
『洗練された美人。』
らしい。
その王女が不敬罪で斬られた、ということになると。
「斬ったんなら……陛下が命じたんだよなぁ?」
「さあ?そこまではわかんねえけど。」
まぁ、その場にはいただろうな。と続ける同僚はテーブルに頬杖をつく。
「なんかあったのかねぇ。」
「その話、本当かい?」
ロジエが振り返ると、庭師の男が立っていた。
栗色の髪を後ろでばねている。
白いシャツを着ていおり、その下の肌は小麦色に焼けて、職業のためか、手はお世辞にも綺麗とは言えない。
食堂は騎士団だけが使用する場所ではないにしろ、騎士以外に話しかけられたのは初めてだ。
「……さあな。噂だから。」
それだけ答えると、庭師はにっこりと笑い、礼を告げる。
「そうか。……いや、こんな話同僚とはし辛くてね。あぁ、そうだ。」
同僚は何かを思い出したようで胸ポケットに入っている封筒を取り出した。
「これ、後宮のミラって侍女に渡してもらえるかな?」
受け取り差出人を確かめる。
裏には名前は書かれていないが、花の絵が描かれている。
「表は、……蔦?」
蔦が四隅に巻きついている。
「私もなんなのか分からないんだ。庭に居た侍女から渡してくれと頼まれて。」
それなら自分で渡せばいいのにね?と笑っていう庭師に封筒を差し戻す。
「……あんたが渡さないのか。」
「私は後宮に入れる身分じゃないし、それになんか怖いんだよね、それ。」
だからよろしくとロジエが差し出す手紙を受け取らず、庭師は去って行った。
「なんかやばいもんだったらなぁ?」
向かいの同僚が少し笑っているのはロジエの気のせいではない。
……面白がってやがる……。
同僚を睨みながらも、言っていることが間違いではないことも確かだ。
「中身、見るか。」
申し訳ないとも思ったが、封がされていないので見ても平気だろう。
そうこじつけて中身を取り出す。
『……より、……へ……が…………。』
二人がかりでここまで読めた。
「……もっと勉強しないとな。」
「な。」
文字の読み書きは一通り学んだ。
今は苦手な机仕事でもそれなりに書類を見る機会だってある。
それなのに、手紙をすべて読めない事にロジエ自身、失望した気持ちになる。
がっくり肩を落としながら封筒に便箋を戻した。
「じゃあ、行くか。」
「お、届けるのか?」
「ばーか。内容も分かんねえのになんでそのまま渡すんだよ。」
食器を片づけ食堂を出ると、後宮へ向かう。
「じゃ、どうするんだよ。」
「アルバート閣下なら見せてもいいんじゃないか?」
「?なんで隊長じゃないんだ?」
「……お前、家族からの手紙はどこからもらう?」
「宿舎に郵便屋が届けに来たのをもらう。」
ロジエは頷くと次の質問をする。
「それは隊長は?」
「……知ってるな。」
正確には、宿舎で一度隊長が隊の手紙を一手に引き受け、そこから配られていく。
不審なものはその場で本人に確認させる事もある。
「じゃあ、侍女の場合は?」
ロジエは自分よりも侍女達と交流が多い同僚を見る。
「確か、女官長が。」
「そう、だから侍女の不審なことだったら女官長の方がいいんだけど・・・。」
「けど……なんだよ。」
「ミラって侍女は……アルバート閣下から聞いた話の侍女と同じ人なら、さっきの話にも出てた王女の侍女なんだよ。アイルファードから来たな。」
ロジエは文字をアルバートに教わったのをきっかけになぜかアルバートとよく話すようになった。
何を言われるのかと初めは畏縮していたが、いざ話し始めると、故郷の事を聞かせてほしいとかそんなことばかりだった。
最近話に上るのがアルティアライン王女で、その話はロジエにとっておとぎ話にも等しかった。
王女の話なんて読士の読む物語の中でしか知らなかったから。
「アイルファードの王女殿下は国賓だから、多分侍女のことは女官長でもまだ把握しきれてないと思う。ま、俺が相談しやすいのがアルバート閣下って事も大きいけどな。」
ニヤリと笑って同僚の方を振り向くと話の相手である彼は隣にはいなかった。
「あ、先行っててくれ。」
同僚は嬉しそうに廊下ですれ違った侍女の手を握っている。
「……わかった。」
心底呆れながらも良くあることだからと諦める。
それにしても、これだけ侍女のみならず女性に手を出す同僚に、ロジエは文句を言いたかった。
ミラという名の侍女を、なんで知らない、と。
「午後の練習には間に合えよ!」
もう遠くなってしまった同僚の声に片手を挙げて応えた。
*************
「アルバート閣下、ロジエです。……あれ?いない。」
扉のノブをひねっても開かないという事は不在という事になる。
「あれ、ロジエだ。」
アルバートのところに行き始めてから顔なじみになった後宮の従卒に出会う。
「あぁ、閣下に用があるんだけど、知らないか?」
「閣下なら今アルティアライン殿下の部屋に向かわれたよ。」
アルティアライン殿下の部屋……。
その王女の部屋の前でロジエは右往左往していた。
……部屋には入っちゃいけないだろうし。
かといって待っていられるほど時間があるわけではないし、しかもこの手紙は自分が持ってていいものかどうか。
迷っていると、触ってもいないのに突然扉が開いた。
*************
「ご用件をお伺いいたします。」
ソファに身を沈めたアルティアラインの髪からは少しずつ雫が滴り落ちる。
「……その、すまなかった。私は、貴女を傷つけた……。」
そういうとファガースは頭を垂れる。
「……この際なので、言いたいことは言わせていただきます。……陛下、国主が簡単に頭を下げてはなりません。すこしは不遜におなり下さいませ。顔を上げてください。でないと、」
ファガースが顔をあげるまで待つと、アルティアラインはにっこり笑う。
「私も謝れませんわ。」
不思議そうにファガースがアルティアラインを見るので続ける。。
「陛下に初めてお会いしましたとき、お仕えするのが義務だと申し上げたのを覚えておいでですか。……それを撤回させてくださいな。陛下にお仕えするのは私の望みであり、権利ですわ。」
そう言うとアルティアラインも頭を垂れた。
「陛下にお仕えしようと決めたのは私。後宮にいらっしゃる男性方と仲良くすると言ったのも私です。それなのに、陛下のお言葉に腹を立てるのはお門違いでした。申し訳ありません。」
「顔を上げてくれないか。……アルティアライン。」
「……貴女、ではなく名前で呼んでくださいましたね。」
ファガースがアルティアラインの肩に手を置くと彼女は朗らかに笑う。
「こ、これからは貴女を名前で呼びたい。……いいだろうか。」
アルティアラインが頷くと、ファガースも嬉しそうに頷く。
「…………それと、話したいことがある。」
「?なんでしょうか。」
「私の、その、噂についてだ。私は……、」
その時だった。
扉が開いた。
そちらへ視線を向けたアルティアラインの目に入った人物は、
目を見開いた青年だった。
*************
「!ロジエ、君がどうしてここへ?いや、それより何も言わずに王女の部屋の扉を開けるなんて失礼だろう。」
「いえ、あの……俺、じゃなかった、私は……。」
アルバートに弁解をしようとすると、目の前に大男が立ちはだかる。
「……てめぇ、……なにしてんだ?」
何故か機嫌が悪く、眉間に皺を寄せたライザックに今にも胸倉を掴まれそうだった。
「……将軍、落ち着いてください。……?……あなた、何か持ってる?」
ライザックを止めようと、小柄な侍女がライザックの陰から姿を現した。
彼女はロジエの方をみて怪訝な顔をしている。
「……あ、はい。ミラという侍女にお手紙が。」
「私に?」
小柄な女性が近づいてくる。
ミラの名前に反応した女性がライザックを無理やり自分よりも背後にやると、ライザックはおとなしく彼女の後ろに立ったが、いまだにロジエを不機嫌そうに見おろしている。
「貴方が……?失礼しました、……でも、俺文字が読めなくて。」
「……不審な手紙だと思ったのね……いいの、あなたは悪くないわ。」
扉をなでると、ミラは部屋に入っていった。
「あぁ。あなたも入って……ええっと?」
「あ、ロジエです。」
「そう、ロジエ。いらっしゃいな。ポネー、悪いんだけどロジエにお茶淹れてあげて。」
封筒から便箋を取り出しながら、ミラはアルティアラインの隣に立った。
改めてみると、なんなんだ、この部屋。
俺みたいな見習いじゃあ逆立ちしても御尊顔を拝見できないような人達が目の前に居る。
国王陛下に……未来の王妃陛下。
どうしよう。俺、なんかとんでもないことに巻き込まれたのかも……。
「ロジエ、といったわね。」
栗色の髪を持った王女に話しかけられる。
「……これ、誰からもらったの?」
「あ、庭師です。庭師は、侍女から預かったって言ってました。」
「侍女、……いえ、庭師の特徴は?」
「……や、特に。あー、えっと、栗色の……あ、王女様より濃いぐらいの髪を、後ろで束ねて……あとは、普通の……眼は……どうだったかな。」
髪を色を話すと、アルティアラインとミラは顔を見合わせる。
「ミラ、なんて書いてあった?」
『牡丹より蔦へ 鷹が巣に帰った菊と共に逢われたし』
ミラが呟くと、今度は二人でため息をつく。
「帰ってこられたのね。……あ、ポネー窓を開けといて。」
「この前は西にって言ってましたから……どこでしょうね。」
「南に行ってたよ。」
「「「「!」」」」
突然の訪問者に男六人は目を見開く。
……こいつ、いつから?
ポネーが開けたばかりの窓に腰掛けていたのは、
ロジエに手紙を預けた庭師だった。
男色王の話の登場人物には大体本名というか、長い名前があります。
最初っから全部本名込みで出てるのは、ファガース陛下だけですね。