6.侮辱
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振り返ると、銀の絹糸が揺れていた。
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「陛下?」
「……少し話をしないか。」
書庫に本を返した後のことだった。
鍵を閉め、借りた鍵を返そうと歩き出すと、後ろに控えていた護衛の騎士が立ち止まるので、アルティアラインも振り返る。
「はい、陛下。鍵を返してまいります。少しお待ちください。」
もう一度ファガースとは反対側に歩き出そうとすると、呼び止められる。
「私も行こう。」
「陛下もですか?」
鍵を返しに行くだけの事に同行するということにアルティアラインは疑問を隠し切れなかったが、連れ立っていくことにした。
「……今日は、いつも共にしている侍女は一緒ではないのか。」
「えぇ、そんな四六時中一緒というわけにはまいりません。私の世話以外にも彼女たちには仕事がありますから。」
アルティアラインの隣に立つと、ファガースは背が高いのだとわかる。
ライザックやノーランドが長身なのであまり意識していなかったが、ファガースも十分高い。
アルティアライン自身が女性の中でも背の高い部類に入るので、それよりも頭が一個分ほど抜き出ているファガースも長身と言っていい。
しかし、最近よくライザックと行動を共にしているためか、少しファガースが男性として背が低いのではないかと錯覚を起こしてしまう。
「……あなたは、何も言わないのだな。」
歩いているとぽつりと呟くようにファガースがアルティアラインに向かって問いかけた。
「……逆に、私は陛下に何を、言えばいいのでしょうか。」
アルティアラインのその問いにファガースは小さな声で答えた。
「祖国を離れ、隣国に嫁ぐこととなったその日のうちに結婚相手には愛せないと言われ、後宮には私の愛人……。前に来たどこかの令嬢は半日ももたず帰った。なのになぜあなたはこうも楽しそうなのだ?」
アルティアラインを見るファガースは本気で分からない。という顔をしている。
「……愛せないといったのは陛下なのに、私が出て行かないことについては不思議なのですか?」
立場上は妻でも愛せないと、その日の内に言っておいて?
「いや……女性というものは……その。」
「自分をないがしろにされて黙っていないと?」
「……。」
沈黙は肯定と受け取る。
アルティアラインは少し歩くスピードを緩めた。
ファガースも同じように緩める。
「……陛下。」
なんだ、という風にアルティアラインを見るので続ける。
「国家間の結婚に希望を抱いて嫁いでくる王女が何人いると思いますか?その女性たちは何を期待するのでしょうね?富?権力?それとも……夫の愛ですか?確かに政略結婚だからという理由ですべての女性が投げやりに嫁ぐとは思えません。結婚後でも愛を育みたいと望む女性は居るはずです。御子を授かることでまた新しい何かを目標とする女性もいると思います。私は……。」
そこまで一気にまくしたててから、息を吸う。
「私は、結婚は契約の一つだと考えています。……陛下は、契約に愛が必要だと思われますか?」
形のいい眉を寄せて考え込み始めたファガースは歩みを止めた。アルティアラインも隣に立ち止まる。
「……陛下。愛せないと言った女性に対してなぜ何の不満も抱かないのか、という質問はあまりにも失礼かと。それと……。」
もう一度ファガースを見る。先程より小さくなったのではないかと思えてしまうほどに、ファガースの纏う雰囲気は変わってしまっていた。
しかし、アルティアラインは構わず続ける。
「そんなことを気にするのであれば、そもそも結婚など考えられませんように。……決められたのは陛下ですわ。噂を認め、妻となる女性を愛せない。言い切られましたよね?どうしても愛せない私と、愛無き結婚をされると決められたのは陛下。……今の陛下のお言葉は……私に対する侮辱ですわ。」
結婚には愛はいらない。そう思っていたけど。
これはもう、愛云々ではないと思う。
「……失礼します。大変申し訳ありませんが、ご用件は明日、お伺いします。……この件以外のことで、まだ、あるのでしたら。」
ドレスの裾を持ち、淑女の挨拶をすると、アルティアラインは早足で立ち去る。
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山積みの書類を抱えてアルバートが廊下を歩くと、ぎりぎり見える書類の隙間から騎士が三人ほど直立で立っているのが見えた。
「……?」
ここは見回りをしていても警護に立つ位置ではなく、部屋もない。
「どうしたんですか?ここに……。」
近づき、騎士に話しかけようとすると、騎士の向こう側にも人がいたことに気がつく。
「……陛下?」
声をかけてもファガースが動く気配はない。
「何があったんですか?」
「それが……。」
アルバートはファガースがアルティアラインと話していると、侮辱だ、という一言を言い置いて去ったらしい。
騎士は不敬罪でアルティアラインを捕まえようとしたが、ファガースがそれを止めた。
理由を聞くが、不問とするという事だけ告げると、ファガースは今の状態になって動かなくなってしまったらしい。
「……陛下が不問にされたのであればこの件はもう触れる必要がありません。この後、掘り返して問題とすることも許しません。……ちょうど三人いますね。至急、近衛隊のノーランド閣下、ディノーバ閣下と、宮廷魔導師のスティール様を陛下の執務室に呼んで下さい。」
騎士が敬礼をして慌ただしくその場所を離れるのを確認すると、アルバートはファガースの前にまわる。
「……ファガース様。大丈夫ですか?」
「…………アル、か?」
やっとアルバートを認めたようで、ファガースが彼の方を向く。
「えぇ。どうしたんですか?」
「……嫌われて、しまった。」
嫌われた、というのはアルティアラインに、という事だろう。
「とにかく、一旦お部屋に戻りましょう?」
背中に手をあてて歩くように促すが、ファガースはあまり歩こうとしない。
「……陛下。こんなところに居ると警護がしづらいです。動きなさい。」
強い声にゆるゆるとだが、ファガースが動き始める。
それにしても……。
陛下はアルティアライン様に何を言ったのだろうか?
ファガースが悪意で他人を傷つけることができない人物だと知っているアルバートは、アルティアラインが些細なことで怒ることもないとも知っていた。
だからこそ、どうしてこんなことになってしまったのかが、アルバートにも分からなかった。
アルバートに呼び出された三人はそれぞれ好き勝手に座ったり、立ってファガースとアルバートを待っていた。
「ライザック、アルバートが呼び出した用件はなんだ?しかも本人は来ていない。」
「知らねぇよ。……俺だけなら押し付けた仕事の件だと思うが。」
押し付けたのか、と避難的な視線を向けるノーランドとそれを受け流すライザック。
「…………。」
ミシェルは珍しく眉間に皺をよせ目を閉じて何かを考えている。
ガンッと大きく扉が叩かれ、扉から一番近くに立っていたノーランドが扉のノブを掴む。
「誰だ?」
「僕です。開けてください。」
「アルバートか?」
「あー、すみません。ノーランドさん」
扉が開くと、ファガースの腕を肩に引っ掛け、半ば強引にファガースを引きずってアルバートが入ってくる。
「陛下?!」
なにかあったのかと、真っ青な顔でノーランドがファガースの顔を覗き込む。
ボーっとしているが、顔色は悪くない。
「何があった?」
アルバートに代わってライザックがファガースを今度は背負って運び、先程まで自分が寝転んでいたソファにファガースを横たえる。
「……。」
目を見開いたまま、何も言わないファガースをミシェルは辛そうな目で見つめる。
「……そうか。侮辱、な。」
窓から外を眺めながらライザックが呟く。
「…………むしろ、今までよく言われなかったよね。」
「ミシェル……。」
「ノーランドさん、そんな怖い顔しないでください。……僕たちが言い出したことだよ。アルティアライン様と結婚した方がいいって言い出したのも、でも今の状況を一気には変えられないってことで現状維持をしたのも。」
ファガースの向かいのソファで彼をじっと見るミシェルは、ファガースのすぐ後ろに立っているノーランドに顔を向ける。
「陛下はお優しすぎるんだよ。だから、変に人の傷抉る。……それも無意識にね。」
……一番タチが悪い。ぼそりと呟く。
言いすぎだ、と睨むノーランドをミシェルは敢えて無視した。
「でもね、あのお姫様も同じくらい優しいからほっといたら妥協して謝りに来るよ?」
「……?それの何が悪い。」
仲直りしていただくなら、ちょうどいいだろう。そう続けるノーランドにミシェルは首を振る。
「違う、僕が言いたいのは妥協して謝りに来させちゃいけないってことだよ。」
「だから……。」
「姫さんのことだ。妥協したら踏み込んで来なくなる。……一番やべぇのはこっちが真相言い出そうと思ったときに聞く耳持ってくれねぇことだ。」
いざ言おうと思ったら、
「いえ、私は大丈夫です。皆様が言いたくないことを私は聞きませんわ。」
……なんて言われたら、ファガースと姫さんの間の溝は一生もんだな。
窓の外を見つめていたライザックが呟いた。
「……みんな、」
「……陛下!」
ゆっくりと起き上がるファガースをノーランドが支える。
「……まだ混乱しているかもしれませんが、陛下。……どうなさいますか?……いえ、どうしたいですか?」
ファガースはゆっくりアルバートの方に目を向けた。
いつも、こうしてくださいと要求や指示を求めていた青年は自分の希望を聞いてくれる。
「…………僕は、妹の悲しむ顔は、嫌ですね。」
……妹とは誰のことだろうか。
真面目な顔の天使から窓際に目を向ける。
「ま、好きにしろや。」
いつものように気軽に笑いかけるライザック。
「……陛下。」
いつも、今も自分を支えてくれるノーランドに顔を向ける。
「御心のままに。」
微笑むノーランドにつられてファガースも笑う。
「あぁ、……ありがとう。」
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「……ミラ、お風呂にお湯張ってくれる?」
「……はい。」
部屋について早々にアルティアラインは湯浴みの準備をミラに頼んだ。
「姫様、どうぞ。」
「ありがと」
言葉数も少ない主をポネーは不安そうに見つめる。
「……ポネー、お兄様が陛下の恋人ってのは、知ってたの?」
「…………噂では聞いておりました。」
「どう思ったの?初めて知った時。言葉を選ばないんだったら、お兄様も男色でしょ?」
兄が男色。
……言葉にすると結構ダメージ大きい。
「い、え。えっと、……兄は陛下のお相手をする前から私の兄ですから……。でも……まぁ……びっくりしました。正直。」
「……そう、よね。びっくり、するわよね。」
「姫様?」
やはり少し様子がおかしい。
「……姫様。湯浴みの準備が整いました。」
ミラが声をかけると、アルティアラインは立ち上がる。
「……ありがとうね、ポネー。」
さっきの思いつめたような顔はどこへ行ってしまったのか、アルティアラインはいつもの笑顔で浴室に向かう。
「……ミラさん。」
ミラを見ると、ミラは分かっているというように頷く。
そのまま二人は浴室に消えて行った。
コンコンッ
扉を叩く音。
アルティアラインは入浴中だ。
人を簡単には招けない。
そっと顔一つ分だけ扉を開ける。
「やほ、ポネー。」
「ミシェル様、……陛下?!」
びっくりして兄の向こうのファガースに目を向けると、二人だけではなかったという事が分かった。
「……皆様おそろいで、姫様にご用ですか?」
少し眉を寄せて見上げると、
「うん。アルティアライン様に御用があるんだけど。居る?」
「…………いますが、入っていただくわけには参りません。」
ふ、と浴室の方へ目を向けると、ミラが浴室から出てきた。
「ミラさん……!すみません、助けてください。」
心強い助っ人に目で訴えると、ミラは即座に理解したのか、ポネーを部屋に残るように頼む。
「私が応対させていただくから。姫様の近くに居てあげて。」
ポネーがうなずくのを確認すると、扉の外に出て扉を閉める。
「あ、ミラさん。ポネーがアルティアライン様は居るのに入れないって言われたんだけど。」
どういう事?と聞かれたがそれには答えない。
「陛下にお聞きしたいことが。」
「…………なん、だろうか。」
歯切れの悪さに少しだけ不信感を覚えた。
「おそれながら……姫様に、何かされましたか?」
「…………あぁ。」
「では、お通しできません。」
何を言ったのか、などと問うつもりはもはやない。
姫様が傷つくようなことを目の前の国王は言葉として、行動としてしたということ。
それだけで、十分だ。
「……。」
「陛下であろうと、姫様を傷つけることは許しません。」
睨みあげると、アルバートが静かに前に出る。
「……ミラさん、今の発言で、貴女を不敬罪の咎でこの場で切り捨てれるんですよ」
「貴方がたに殺される前に、自分で死にます。」
背丈の低いミラだが、長身の男五人に圧倒されることはなかった。
その時、扉が内側から開く。
「……ミラ、いい加減になさい。」
「…………姫様。」
「貴女に何かあったら私は義姉上にどんな顔で会えばいいの?」
「申し訳ありません。」
頭を下げ、ミラが引くとアルティアラインは一歩前に出る。
「入浴中だったもので。失礼いたしました。」
栗色の髪をかき上げる。
「……皆様おそろいで。……何か御用ですか。」
声音は変わっていないが、今までと明らかに彼女のまとう空気が違う事を彼らは察した。
「……あなたに話があって。」
「わかりました。ミラ、お茶お願い。ポネー、隣に居て?」
二人の侍女が頷きそれぞれ動き始めたところで、扉を広く開けた。
「どうぞ。」