2.男色王とその恋人
謁見の間には北面に君主の座する上座がある。
一つは当然ながらこの国の王である国王の座。
そしてもう一つは王の伴侶たる正妃の座である。
その座にもうすぐ座るという王女が謁見の間の正面で入場の時を待っていた。
もちろん本は持っていない。
「……。」
静寂に包まれた広間の前の廊下では言葉に発せずとも彼女の考えていることが斜め後ろに控えたミラには分かっていた。
……本が読みたいんだろうなぁ……。
ひしひしと、まるで宙に王女の心境が書かれているかのように、ミラは王女の心境が理解できた。
なぜなら、この王女はどんな一瞬の間であろうとも本を開こうとするのだから。
「アイルファード王国王女、アルティアライン・アイルファード王女殿下ご入場でございます」
高らかに扉の向こう側から聞こえてきた宰相の声でアルティアラインは背筋を伸ばす。
ゆったりとした足取りで広間の中央まで進むと、将軍、大臣といった国家の中枢に席を持つ人物が厳かに並んでいる。
その人物らの間で恭しく礼をとる。
「偉大なるテロルゴ王国国王陛下、ゾロディアス・ファガース・テロルゴ陛下にアイルファード王国王女、アルティアライン・アイルファードがご挨拶申し上げます。」
ドレスの裾をつまんで膝を折る。
「アルティアライン・アイルファード王女殿下におかれては、婚姻のためアイルファード王国より、よくぞこられた」
目だけを動かして玉座を見るが、紗の幕が下がっているために王の顔はよく見えない。
そのまま、形式上の挨拶が続き謁見の間から解放されたのは日が西にほとんど傾いてからのことである。
やっと本が読める、ともう一度礼をとり、広間から出て侍女達と合流する。
そのまま部屋に戻ろうとするが、
「殿下、よろしいですか?」
ノーランドに呼び止められ、立ち止まる。
「陛下が殿下とお話がされたいとのことです。」
先程の後宮の事もあって、ノーランドは言いづらそうに言った。
……国王が、話がしたい?
「わかりました。うかがいます。私はどちらに行けばよろしくて?」
「は、後宮の広間と伺っていますので……ご案内させていただきます」
どうぞこちらへ、とノーランドは後宮にアルティアラインを先導する。
……話、ね。……聞こうじゃない。
心の底に仕舞い込んだものが、静かに、激しく、燃えだした。
***************
「改めて、ようこそアルティアライン・アイルファード王女。私が国王のゾロディアス・ファガース・テロルゴだ。」
テロルゴ王国の首都は大運河に面しているため、物流が頻繁に行われている。
水源が豊富であるため後宮の広間は池のある庭園が目の前に広がり、窓や扉などもない吹き抜けの間である。
謁見の間と同じように国王の席が設けられている。これも変わらず紗の幕で国王の顔はみれない。
「感謝いたしますゾロディアス・ファガース・テロルゴ陛下。」
先程のように膝をおると、幕の向こう側から衣擦れの音が聞こえる。
「あぁ、王女、そんなにかしこまらないでいただきたい。これは、非公式なものであるから。」
「はい、陛下。……それで、ご用件というのは。」
本題に入ろうとすると、言いにくいのか、テロルゴ王は言葉に詰まった。
「うむ……。その、王女は私の噂を、ご存知だろうか?」
本当に言いづらそうに……。
そんなに言いづらいならわざわざ呼びつけてまで聞かなければいいのに、と内心思うがもちろん言葉には出さない。
紗の向こうに居る夫となる予定の人を王女はじっと見る。
「……あの、下世話と申しあげるしかない噂のことでしたら、はい、とお答えするのが正しいですわね。」
「そうか…。王女に話があるというのはそのことなのだ。」
あぁ、言うんだ。正直な人。
どこか他人事のように王女は王の次の言葉を待った。
「あの噂は本当なのだ。………私は、男色だ。」
「だから、その……王女の事は、その。」
「その、なんでしょうか、陛下。」
やさしく続きを促すとテロルゴ王は意を決したように言い切った。
「王女の事は、妻として愛せない。正妃として迎えることは約束するが……。」
それ以外は…と王は続けないが、その場にいた誰もがそういうことだと察する。
アルティアラインが何も返答をしないため、広間には気まずい沈黙が流れた。
「……陛下。」
やっと言葉を紡いだ王女に王は返事をする。
「なんだろうか。」
「私は、陛下にお仕えする義務がございます。……後宮の方々には、よきように取り計らっていただけるような振る舞いをいたしますので、よろしくお願いいたします」
つまり、国王の性癖には何の文句も言わない。陛下の側室…の男性とも仲良くすると王女は言ったのだ。
「…そうか、……すまない。」
あら。謝るのね。
本当、正直で……、酷い人。
人の事えらそうに言えたことないけど。
と、王女は自嘲しながらゾロディアス・ファガース・テロルゴに深く礼をした。
*************
「ふぅ……。」
安心したようなため息とともにゾロディアス・ファガース・テロルゴは自室のソファに身を沈めた。
長く光り輝く銀糸を真紅の紐で結わえ、瞳と同じ蒼翠の涙が鎖骨で輝いている。
衣は綿のシャツに黒のパンツと、平民の恰好と変わらない。
「なぁ、クラウド……。」
「はい、陛下。」
ノーランド・クラウドは幼少の頃から一緒にいる主に向き合う。
「……った」
とても小さな、しかしノーランドだけに聞こえた声にノーランドは楽しそうに、嬉しそうに返事をする。
「それは、ようございました。」
*************
「さて……、そろそろ行動に移しましょうか。」
後宮で国王陛下と見えてから数日たったある日。
今日も主は本を読んで過ごすのだと思っていた侍女二人は振り返る。
「行動って……何なさるんです?」
「何って、……ご挨拶」
にやりと笑う王女にポネーは意味も分からずつられて笑うが、ミラは笑えなかった。
あぁ、姫様のわるい癖が……。
頭を抱える侍女仲間であり、先輩であるミラをポネーは訳も分からず見ていた。
「ミラ、着替えるわ。ポネー、ノーランド殿に後宮を歩くを伝えてきて。……あと、よろしければ案内も。」
はい、と返事をし退室しようとすると背中から鼻歌が聞こえてくる。
鼻歌を歌うほど上機嫌な主にいったい何の悪い癖があるのだろうと、ポネーは首をかしげた。
「これは……。」
まず、アルティアラインが訪れたのは、自分の部屋から一番近い部屋に居る青年…国王の恋人だった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、アルティアライン・アイルファードです。スティール・ミシェル様、でいらっしゃいますか?」
丁寧にあいさつすると部屋の主…、スティール・ミシェルは天使のような笑顔で出迎えた。
「これは……アルティアライン・アイルファード王女殿下ですね?こちらこそ、ご挨拶が遅れ失礼いたしました。スティール・ミシェルです。よろしければ、ミシェルと。」
「私の事はアルティアラインとお呼びくださいな、ミシェル様。」
白金のくせ毛が天使を思わせる青年にアルティアラインは好感を覚える。
ミシェルは手の甲にキスを落とし、また笑顔を咲かせる。
「どうぞ…お恥ずかしながら散らかっておりますが、お茶ぐらいは出せますので。」
「ありがとうございます。お言葉に甘えますわ。」
アルティアラインも笑顔で返すと部屋に入った。
「改めてスティール・ミシェルです。国王の恋人ですね。」
にこにこと彼の発言した言葉にポネーが少し反応するが、アルティアラインはこれを無視した。
「アルティアライン・アイルファードです。先日後宮にお部屋をいただいたばかりですので、わからないこともありますが、よろしくお願いいたします。」
「……えぇ、僕でお役に立てることがあれば、いつでもお声をかけてくださいね。」
「……殿下は、不思議な方ですね」
アルティアラインは束の間の茶会を楽しんだ後、次の部屋に行くことにした。
退室する三人を見送り、少し遅れて出て行こうとするノーランドをミシェルは呼び止める。
「あぁ、あれでなかなか……。」
「したたかというか……、なんというか……もしかしたらとんでもない女性を元老院は推薦したのでは?」
僕の挑発に一切触れませんでしたよ。というミシェルにノーランドは困ったように眉を下げた。
「……あれはちょっとやりすぎだ。」
もう少しで俺が止めていた。とノーランドがミシェルを軽く睨むので、ミシェルは笑って誤魔化した。
「いやぁ、完全に反応がないとちょっといじりたくなるんですよ。可愛いじゃないですか。あぁ、それにしても殿下は余程素晴らしい女性なのでしょうね。……一番挑発に引っかかったのが、わが国の侍女とは。」
それはそれで楽しそうなミシェルにノーランドはため息をつく。
「まぁ、新人ってこと考えてもな……。」
アルティアラインとミラの徹底的なスルーを踏まえると、ポネーの反応はあからさまに目立った。
「……。」
両脇の侍女と楽しそうに話しているアルティアラインを扉にもたれながらミシェルは見つめていた。
*************
「お?」
扉をノーランドがノックすると、あからさまに眠たげな二つの碧眼と目があう。
「アルティアライン・アイルファードと申します。これから後宮でお世話になるので、ご挨拶に伺いました。」
「……あぁ、姫さんか。ファガースの嫁さんだろ?」
頭をかきながらあくびをする大男に侍女二人があっけにとられていた。
「失礼いたしました。お疲れでしたら、またご挨拶に……。」
表情を変えず、笑顔で礼をするアルティアラインにあわてて侍女が習う。
「気にしないでください。ほら、兄上。殿下に失礼でしょう。」
大男の陰から痩身の眼鏡をかけた青年が出てきた。
二人とも飴色の髪で、大男の方は短い髪をそのままに、痩身の男は肩口まで伸ばした髪を後ろで一つに束ねている。
「……あぁ、悪いな。着替えてくっからくつろいでててくれや。」
そういって部屋の奥に消えて行った。
「すみません。気にしないでください。」
困ったように眉を下げる青年にアルティアラインは変わらず笑顔を向けた。
「いいえ、ご連絡もせず押しかけたこちらが失礼でした。改めまして、アルティアライン・アイルファードです。これからお世話になります。」
「ディノーバ・アルバートです。さっきのは兄のディノーバ・ライザック。」
部屋に通され、ライザックが戻ってくるまでアルバートと話すことにした。
話を聞いていると様々な事が分かってくる。
ここの部屋を使っているのはアルバートらしい。
ノーランドからはディノーバ・ライザックと聞いていたので首をかしげていると、アルバートは微笑を浮かべる。
「えぇ、この部屋は兄が主ですよ。私の部屋はちゃんと別にあります。」
「では、どうして?」
こちらをお使いに?と聞くと、兄が消えた扉を見ながらアルバートが答える。
「兄は近衛に勤めていますので、そちらでも部屋をいただいているんです。」
どうも後宮が落ち着かないようで。
私の部屋は本を置いているので、浴室も使っていないんです。と、本の話になるとアルティアラインの眼が輝く。
「そうそう、本といえば殿下は熱心な読書家だとか。どのような本を読まれるのか聞いても?」
「なんでも読みますわ。あと、私のことはどうか、アルティアラインと。」
「では、お言葉に甘えます。アルティアライン様は、キャンドル・ティアという作家をご存知ですか?…小説家なのですが。」
キャンドル・ティア、という名前に今まで笑顔だったアルティアラインの顔が少しだけ変わったが、すぐにまた笑顔に戻る。
「えぇ、わが国にも流通している、女性向けの恋愛小説の作者と思いますが……?」
その方が、どうか……?と首をかしげるアルティアラインを見ながらアルバートは恥ずかしげに首に手をやった。
「えぇ、実はあの小説が私は好きでして……。キャンドル・ティアはアイルファードの作家でしたから、ご存知だと思いまして。」
恋愛小説が好きだという目の前の青年にアルティアラインは好感を覚えた。
「いえ、わかりますわ。本の嗜好など人それぞれですもの……アルバート様は、……キャンドル氏の小説のどんなところがお好きなの?」
「そうですね……。」
それからアルバートは自分の好きな小説の説明を始めた。
本当によく読んでいるのか、細かい箇所まで話題に上るのをアルティアラインは楽しそうに聞いている。
「……本当によくご存知ですね。私も小説は好きですが、アルバート様の読書歴には負けてしまいましたわ。」
「いえ、やはりアイルファードでしか発行されていない書籍もたくさんあるのですね……。」
どうやらアルバートは、読書欲がかきたてられたようである。
「アルバート様、よろしければ私の部屋にアイルファードの本がありますので、読まれていない本がありましたらお貸ししますわ。」
「本当ですか?!!!」
余程嬉しかったのだろう、先程の落ち着きはどこへやら、子どものように瞳を輝かせてアルティアラインの手を取る。
「ありがとうございます!!」
とても嬉しそうにするアルバートにアルティアラインは思わず破顔した。
「いいえ、そんなに喜んでいただけると私も嬉しいです。」
「なーんか、お前ら仲良くなってねェ?」
ふわりと優しい匂いがすると、アルバートの背後にライザックがあらわれた。
「兄上…遅いと思ったら風呂に入っていたんですか?」
「おう。男前が上がったろ?」
確かに上がった……。とアルティアラインは素直に思った。
先程あった無精ひげはなく、後ろになでつけた飴色の髪が煌めく。
服を着替え、清潔感あふれる姿になった。
「えぇ。本当に……。」
思わずそう感想をもらすと、嬉しかったのか回り込んでソファに座るライザックはテーブルの下から何かを取り出した。
「おぉ、姫さんは分かってくれるか!!……で、姫さんは領獲できるか?」
「兄上……。」
呆れたアルバートは兄を制止しようとするが、当の本人は気に掛ける様子もない。
「……領獲はしたことがありませんが……似たような盤将ならあります。」
「あぁ、東国のゲームだな……じゃあルールはそんな変わらねぇ。」
やるか?と聞くライザックにアルティアラインは二つ返事を返す。
「お手柔らかにお願いしますわ。」
「おう、最近は誰も相手にしてくんなくてな。」
ライザックはボードを広げると、盤将と領獲の違いを説明してくれた。
盤将は駒を取り合い自陣を広げていくゲームで、一番の特徴が駒が一切動かない。
ゲーム開始時は自分の駒がひとつだけだが、周辺の駒を取りこみ、陣を広げていく。
もちろん、相手の駒の奪取もできる。
領獲は自分の駒は限られており、自分の領域を広げるゲームだ。
盤将との一番の違いは駒が動かせることである。
駒によって領域範囲が変わるので、どこにどの駒を配するのかが鍵となっている。
二つのゲームは両方とも最上位の駒が王ということで、この王をどちらのゲームでも自陣に取り込むか、まわりを取り囲み孤立させることが勝利条件
となっている。
「……負けました。お強いのですね、ライザック様。」
しばらく盤を見つめて考え込んでいたアルティアラインだったが、観念したようで、ため息をつく。
「まぁ、初めてだったんだろ?これから上手くなるさ。」
そしたら再戦だな?
楽しそうに笑うライザックにアルティアラインも同意する。
「……姫様、そろそろ。」
「あら、もうそんな時間?」
控えめに話しかけてきたミラを振り返って窓の外を見る。
もう日が傾きかけていた。
思ったより長くしていたらしい。
「では、長い時間失礼いたしました。」
アルティアラインは立ち上がると淑女らしく礼をする。
「えぇ、また来てくださいね。」
「おう、じゃあな。」
ミラの先導でアルティアラインが出て行き、ポネーもそれに続く。ノーランドも手を挙げて部屋を出て行った。
「領獲、……初めてだって言ってたな。」
「あぁ、初めてだっておっしゃっていたな。」
ライザックは机の上の片づけていない盤を見た。
「…ぎりぎりだった、」
「だろうな。…俺も驚いた。…兄上が劣勢に立ったのなんて何年振りだ?」
私から俺に一人称が変わったアルバートが眼鏡を外す。
「…ま、俺よりお前の方が上手いからな。一回やってみたらどうだ?ってか、珍しいな。あんなに人見知りのお前が楽しそうに話してるの久しぶりに見たぞ?」
ソファに座りなおす弟をライザックは目で追う。
「……なんか、アルティアライン様と話してると……。」
「あぁ、それは俺も思った。」
「ファガースと話してるみたいなんだよな。」
「陛下と話してるみたいだったな。」
同時に言葉を発した兄弟に反応する声はだれもいなかった。
*************
「そういえば……。」
何かを思い出したように立ち止まるアルティアラインに先導していたノーランドも立ち止まる。
「どうかいたしましたか?」
「ノーランド殿は……陛下の恋人でいらっしゃいますよね?」
確信を確認するように聞く。その言葉にノーランドは目を丸くした。
「……なぜ、そうお思いに?」
「なんとなく……、ではいけませんか?」
この女性はなにかしらの理由を持って言っているが、それを答えるつもりはないらしい。
表に出さず、ため息をつくと軍人の敬礼をとる。
「改めまして、近衛のノーランド・クラウドです。陛下の……寵を頂いている事に関しましては、おそらく殿下の想像通り……とだけ申しあげさせていただきます。」
その答えに、アルティアラインは少しだけ面白そうに笑った後、淑女の礼をとる。
「アルティアライン・アイルファードですわ。これからよろしくお願いいたします、ノーランド様。」
「私の事は、今まで通りノーランド、と。」
「えぇ、ではよろしくお願いいたします、ノーランド殿。」
そして男色王とその恋人は男色王の妻となる女性と相まみえた。