18.男色王の秘密
私は男色ではない。
ファガースのその言葉にアルティアラインは何も言い返せないでいた。
「……アルティアライン?すまない。驚かせてしまったか?」
「…………あ、すみません。その、予期しない言葉だったので」
本当に、予期しなかった。
まさかそんな話が出て来るなんて。
「そうか、すまない。だが貴女には知っていてほしかった」
自分には、そう言われては嬉しくなってしまう。
「……知ってましたけど」
「知っていた、のか?」
至極不思議そうに聞くものだからむしろアルティアラインの方が訳が分からなくなる。
「確信めいたものは何も掴んではいませんが。……これほど長い間お側に居たら、さすがに」
その言葉にファガースはアルティアラインをじっと見つめる。
しばしの沈黙が続くものだから、アルティアラインはどうにかファガースに今の自分の思いを伝えたかった。
「陛下、陛下が男性を好きでも、女性を好きでも。陛下は陛下です。私がお慕いしているのはただの、あなた。誰を好きであっても、それは変わりません。私は男性を好きなあなたでも、男色でもなんでもないあなたでもきっと好きになっていたでしょう」
そう。
きっと好きになっていた。
もしも、ファガースが男色でも。
言葉にしたらそれがもっと明確になって。
アルティアラインはすっきりした。
「……私もあなたの事がもちろん好きだ」
何故かどこか不服そうにそういうファガースを見てもその時のアルティアラインには自分の感情を上手く言葉にできたおかげか、特にそのことに関しては考えなかった。
「ありがとうございます」
にっこりほほ笑むアルティアラインにファガースはやはりどこか不服そうだった。
しかし、ファガースは何も言わない。今はいいと思っているのだろう。
その事よりもアルティアラインは自分の言った事が相手よりも自分の中に入りこんでいる感覚の方に意識が向いていた。
言われて初めて気がつく、といのはある事だけど。
言って初めて気がついたのは、本当に初めてだった。
「……陛下、どうして男色と偽る事にしたのですか?」
いままでは踏み込まなかった領域に踏み込むなら今だと、アルティアラインは確信した。
「さっき、制服の受注書の話をしたのを覚えているだろうか?普通はそんな物、王に回って来るはずがないだろう?」
首肯するとファガースは続ける。
「原因……というと少し違うのかもしれないが、この国はもともと王は元老院よりも力が強かったんだ。しかし、過去の歴史に暴君が現れ始めてからは王と元老院は同等の立場と権力を持つようになった。それはよかったんだ。問題は、先代の……父の時代から元老院が一気に力を持つようになった。今は元老院のトップに立っている宰相がまるで王様みたいに、ね」
この国の王様が言う事か、とアルティアラインは面白くなった。
そう、面白い。
「男色というのはね、元老院の人間が入りこめない場所を探したらあったんだ。目の前に」
「それが後宮……と」
ファガースが頷く。
「受注書のようなどうでもいい仕事が回ってくるように、極々偶に国政の書類も回って来るんだ。元老院も皆が皆宰相のような人間ではない。……もちろん両極の意味でね」
宰相のように国王の力を根こそぎ吸い取る事に疑問を抱いている者。どちらに付くでもない者。何も考えていないような者。
元老院も一枚岩ではないとファガースは説明する。
そうか、そういう事か!
……それにしても……。
アルティアラインにはどうしても不可解な事があった。
「宰相殿は男性。普通なら男子禁制の後宮は確かに入れませんね」
そう、普通は入れない。
アルティアラインはふとした疑問に手を上げる。
「ちょっといいですか、男子禁制の後宮に男を入れた時点で元老院も入ってきそうですけど……?」
その言葉にファガースが自嘲気味に肩を揺らす。
「先代は色好みだった。私が子供の頃から男子禁制のはずの後宮に男が居たから、息子の私にも同じ趣味嗜好があってもおかしくないと思ったんだろうな」
先王……存命であると聞いてはいるが、アルティアラインが会ったことはない。
どうやら現在王都にはいないらしい。
「宰相はその事を知っていたから。息子の私が男色でも何の不思議もないと思ったんだろうな。特に反対はされなかった。……ただし、正妻は娶れ、世継ぎだけは作れと言われたな」
「それで……私、ですか?」
ファガースは肯く。
「言い出したのは宰相だった。その、変り者の……王女なら嫁に来てくれるのでは、と。もちろん、今は貴方でよかったと思う」
とってつけたようなファガースの言葉にアルティアラインは何も言わなかった。
「一つ、聞いても?」
「なんだろうか」
「宰相は私を推したと言いますが、変り者の王女で世継ぎをとは普通考えませんよね?」
もしもファガースが男色であっても、だ。
「むしろ、陛下が男色であるなら自分の娘とかを嫁がせて……国父になった方が都合が良くありません?」
アルティアラインが不可解に思っていたのはその点だった。
そもそも、どうして隣国から王女を后として迎えようとしたのか。
どうしてそれを宰相自らが提案したのか。
自分の娘を嫁がせて、その娘が子を成せば宰相は国父になれる。そうすればあとはファガースを何とかすれば、自分が国王のようなものだ。
既に実権を奪い取っているにしても、実質的な名目があるのとないのでは大きな違いである。
「宰相は自分を国父に……なんて考えていないだろう。彼が欲しているのは玉座そのものだ。だから、私が男色であるという事はむしろ歓迎すべき事実だろうね」
だから、男色の夫を持っても関心を起こしそうもない女を選んだという事か。そうアルティアラインは納得する。
「陛下、ライザック様からそういう話はどことなく聞いていました。私は陛下の味方でいたいです。それでよろしいですか?」
アルティアラインのその言葉にファガースは肯いた。
*************
ファガースが座っているのはいつもの執務室。
先程と変わらず、不服げな顔をしていた。
周りには、彼の恋人と言われる男達が立っている。
「なんだ、機嫌わりぃな」
「そういうお前こそなんだ、その眼の下の隈は」
じろりと睨むファガースに、ライザックも珍しく睨み返す。
「ライザック、陛下を睨むな。陛下、話とは?」
「……あぁ。アルティアラインに、例の話をした」
「あぁ、話してなかったんですか?まだ?」
金髪を揺らしながら、ミシェルは首を傾げる。
「ミシェル!」
「……ノーランドさん、いちいち注意するだけ無駄です。陛下、それで殿下の反応は?」
他を構うことなく、アルバートはファガースに続きを促す。
「知っていたと」
「「「あぁ、やっぱり」」」
ノーランド以外の三人の声が重なる。
「姫さんこういう事は鋭いもんなぁ……。ってか、後宮にいてそれすら気がつかなかったら、それはそれで問題だよな」
「もともとは気づきにくそうな鈍感通り越して愚か者のお姫様探してたあの頃が懐かしいね」
「あぁ……、思い出したくもない。よくよく考えたらそいつに国力掴まれることになるって気付いたのって、その日の昼でしたか。……あの時期はほとんど寝てなかったかですらね……」
各々言いたい放題している所にファガースが咳払いをする。
「とにかく、だ。彼女には話した」
四人が無言で首肯する。
周りの了解を確認すると、ファガースはノーランドに視線を向ける。
「……そちらはどうなっている?」
「遠まわしに聞いてきますね。陛下のご様子、殿下との仲はどうだとか」
「分かり易いな、あのおっさん……」
「それが権力を持つからややこしいのだろう」
ノーランドが腕を組む。
ファガースの前では絶対にこの仕草をしないと、他の三人は知っている。
苛立っているのだろう、というのは気配で分かった。
「……なんかあったの?」
ミシェルはノーランドだけでなく、ライザック、ファガースも何かに苛立っているというのは分かっていた。
「……さぁ?」
小声でアルバートに聞くが、アルバートも知らないらしい。
ノーランドが自分を睨んでいるような感覚にミシェルは襲われた。
*************
結婚かぁ……。
ファガースが出て行った部屋はどこか広い。
そう思いながら、アルティアラインは本を開く。
本は好きだ。
誰も自分を巻き込まないし、自分は誰を巻き込むことなく話が進む。
ゆったりとしたソファでゆったりと本を読める。
この事程幸せな事もない。
なのに。
どうしてだろう?
アルティアラインの頭の中に世界が広がらない。
本の世界は閉じてしまっている。
「?……あ、ポネー?」
こちらに背中を向けてお茶の用意をしている侍女に話しかける。
「はい?」
「……原稿。書くから手伝って?」
「?はい」
本を閉じてアルティアラインは立ち上がった。
気のせいだ。
そう思って、彼女は自分の世界を閉じた。
この気持ちが何かを考えないまま。