08
例えば。……例えば、俺と、凛と、翔。幼馴染という関係でなかったら、どうだったろう? 俺は凛を好きになっただろうか? 翔と、親友になれただろうか? ――きっと、なってないんだろうな。
幼馴染という関係だからこそ、俺は翔の良さを知り、悪い所も知って、憧れもし、頼り頼られるような親友になった。話すのが楽しくて、一緒に居ると嬉しくて。たったそれだけで、何時間でも、過ごせる気がした。
……凛についても、同じだ。幼馴染だからこそ、凛の弱さを知り、凛の笑顔を見て、好きになった。話すこともなかったのなら、一緒に過ごす事さえなかったのなら、俺は多分、凛を好きになることはなかったのだろう、と思う。
幼馴染という関係が、俺達を結びつけた。でも、その結び目は引っ張れば、すぐにでも解けてしまうような、そんな危い結び目でしか、なかったのかも知れない。
――最近は、良く思うようになった。俺さえいなければ、凛も、翔も、今も幸せに過ごせたのかも知れないな、と。
俺さえ、あの中に居なければ、全てが上手く進んだのかもしれない。何も迷うことなく、誰も、傷付くことなく、全てが上手く丸まったのかも知れない。
大分落ち着いてきた凛は、恭一との電話を切り、ベッドに飛び込んで顔を枕に埋める。何かを考えていないとまた泣いてしまいそうになるのに、考えてしまうのは、翔や優羽の事ばかりだった。二人の事を考えたくないと思うのに考えてしまう。
いっそのこと、このまま寝てしまえばいいんじゃないだろうか、と思い、布団の中に潜り込んだ時、聞き慣れた着信音が流れて来る。
びくり、と大袈裟過ぎるほどに凛は身体を反応させながら少し遠くにあった携帯を恐る恐る手を伸ばして取ると、画面に表示されている名前を見て息を飲み込む――優羽の、名前だった。
最初に思い浮かんだのは、出たくない、という気持ちだった。だからと言ってここで出ないのはおかしい気がするし、出なければ次に優羽と逢う時に気まずくなって今まで通りに出来なくなるだけだ。ただでさえ、今まで通りに出来なくなっているのにこれ以上おかしくなると、翔が気付くかも知れない。
それだけは避けなければいけない気がして、鳴り続けている携帯の通話ボタンをピッと音を立てて押す。耳に携帯を当てると聞こえてきたのは、どこか、沈んだ優羽の声だった。
『……凛?』
「どうしたの……?」
『いや……、出て、くれたんだな』
「……」
沈んだ優羽の声は、何かを恐れるかのように名前を呼ぶので凛は出来るだけ声を震わせないように返事を返すと、ほっと安堵の息を漏らしながら優羽は小さな声でぽつりと呟く。その言葉の意味を気付かないほど、凛は現実を見つめていない訳ではなかったので黙り込んでしまう。
失言だった、と思う優羽だったが既に言ってしまった言葉を撤回するのもおかしい気がして同じように黙ってしまうが、電話をしたのは理由があったからだ。
その理由を話せば、電話の向こうに居る凛は、また泣いてしまうだろうか。目を赤く腫らして、また自分を傷付けてしまうだろうか。そう思えば話す口を閉じてしまいそうになるもこのままでは何も変わらないという事は分かっていた優羽は意を決して口を開く。
『凛。……俺も、良く思ったよ。ずっと変わらない関係で、変わらずに過ごしていければいいって。いつか凛にも俺にも、翔にも……互いに大切に思う人が出来て、幸せを願いながら、たまに変わらない関係で逢って。――そんな関係になれれば、良かった』
「……」
『……でも、そんなの、無理だったんだ。俺も、翔も、当たり前のようにお前に惹かれた。好きになった。幸せにしてやりたいと、思った。……思ったけど、今はお前を傷付けてばかりだな』
ゆっくりと語りかけるように話す優羽の言葉に凛はまた、泣きそうになってしまう。優羽の声もどこか沈んでいて、いつもの声と違うのは嫌でも分かってしまう。
何か言葉を掛けた方がいい事は分かるのに、喉から、声が出ない。違う、と否定したいのに、その言葉を口にする事が出来ない。
弱い自分が、勝手に傷付いただけだ。傷付く資格もないのに泣いていただけだ。ただ、それだけの事。優羽が悪いわけでも、まして翔が悪い訳でもない。――それは誰よりも自分が知っている。
現実から目を逸らし続けてきた自分が悪い、ということは。
『……。凛、俺はもうお前達と一緒にはいられない』
「え……?」
『好きだと告げたからには、凛には俺を選んで貰いたい。だから、もしも、俺じゃなくて翔や、他の誰かを選ぶなら、俺はもう一緒にいられない』
「そ、んなの、嫌だよ。優羽!」
『……俺も嫌だ。嫌だとしても……、言っただろ? 凛。俺も翔も、もう我慢できないんだ。――凛が俺を選んでくれないなら、俺は、もうお前や翔の傍にいることは出来ない』
「……ッ!」
意を決したような優羽の声から発せられた言葉に、凛は一瞬何を言っているのか分からずにただ、聞き返すような、そんな声を発することしか出来なかった。
もちろん、そんな反応が来るだろうと思っていた優羽はもう引き返せないと言わんばかりにキッパリと言い切ると、凛はほぼ反射的に叫ぶように言う。想いを告げても、今までは、傍に居てくれた。ぎこちなくても傍に居てくれた。
それさえも無くなってしまうのかと思うと、凛はふるふると首を横に振りながら必死に訴えるように嫌、と小声で言う。優羽は今、凛がどういう表情をしているのか分かって別の言葉を言おうとしていたのだがそれを飲み込み、ただ、ゆっくりと言い聞かせるように言う。
その言葉で優羽はもう既に決めたと言うことが分かると、凛は言葉を失ってしまう。
好きだと告げられてからも、どこか自分は現実から目を背け続けていたのかも知れないと気付いた。告げた後でも翔も、優羽も変わらずとは言えないけど。それでも傍に居てくれたのは事実だから。自分が答えさえ出さなければ、ずっと、傍に居てくれるんじゃないかと。
逃げの道を探して、その逃げの道に甘えていた。そんなの許されるはずがないと言うのに。だからと言って今すぐに、どちらかを選べと言われても、今の自分には無理だった。
「……一日、考える時間が頂戴。明日、返事するから」
優羽からこれ以上、何か言われることから逃げるように早口でそう言うと電話をぷつり、と返事を聞く前に切ってしまう。
凛は携帯を机の上に置くとベッドに上に飛び込んで、枕に顔を埋める。
翔の良さも悪さも、優羽の良さも悪さも、誰よりも、きっと彼らよりも自分は知っている。いつだって傍に居てくれたから、知っている。
知っているからこそ、どちらかを選べと言われても、分からないというのが真実だった。好きだと言う気持ちは当たり前のようにあるけど、それは二人が自分に向けてくれている気持ちと違うものだということも知っている。分かっている。
自分の中の気持ちは、未だ変わらずに、あるのだ。――幼馴染として慕っていた頃と何も変わらぬ気持ちが、自分の中にあり続けている。
答えなどとっくに決まっている。でも、それを告げてしまってもいいのだろうか、と思う。思っても、自分の中の気持ちを変えられるはずはなく、凛は浅い眠りにつくのだった。
次の日。
凛は浅い眠りからゆっくりと起きる。起きてすぐに思い出すのは、昨日の電話だ。どちらかを選ばなければいけない日はもう、迫っていた。
考えたくないけれど、考えなければいけなかった。もう逃げることは許されないのだと、嫌でも気付いているのだから。
――二人と一緒に居たい。いつまでも変わらぬ関係のままで。
でも、それは彼らは願ってはいないのだ。望んでは、くれていないのだ。そう思うだけで涙がまた、溢れだしてしまいそうになるも朝から泣いてしまえば、母に心配を掛けてしまうのが分かるのでぐっと我慢する。
翔と、優羽。二人の内、一人を選んだのであればどちらかは傍に居てくれるのだろう。でも、どちらか片方は必ず、離れて行ってしまうということ。片方が傍に居てくれたらそれでいい、そう考えられるほど自分の気持ちは強いものではなかった。
恋愛の好きと、家族への好き。好きという気持ちは同じなのに、意味合いが違う。家族として見ているか、異性として見ているか。もちろん、彼らが異性と言うことは分かっているつもりだが、それ以上に家族のような存在、もっと言うのであればずっと一緒に過ごしてきた兄弟のような存在。
それ以上には、ならないのだ。翔も優羽も、それ以上になることは、自分の中では、ない。それだけは二人から気持ちを告げられた今でも変わらなかった。
だけれど、これを告げてしまえば、二人はどうするだろうか。翔も、優羽も、離れていってしまうだろうか。選べないと言えば、もう同じ時間を過ごせなくなってしまうのだろうか。
――でも、もう先延ばしには出来ないことも確かで。
凛はぎゅっと手を握り締めると着替えを済ませると、朝食はいらないと告げて外へと出る。いつもならばそこにある姿はなく、ほっと溜息を漏らしてしまった自分に苦笑を浮かべる。そんな時だったろうか、横の方から声が掛かる。
「……凛」
電話越しに聞いたばかりの声であるのに、どこか懐かしさがある声。誰であるかは振り返らなくても分かっていたために凛は深呼吸をすると口を開く。
「優羽。答えを、出したよ」
「そうか……」
声が震えないように。出来るだけ凛とした声になるように気持ちを持っていきながら、ゆっくりと振り返って優羽の向かい合う形になる。優羽の表情はどこか暗く、その表情は何もかもが分かっているような、そんな表情のようにも見えた。
一瞬、凛は怯んでしまいそうになるがごくりと想像以上に乾いている喉を潤すように唾を飲み込むと口を開き、言葉を紡ぐ。
「……。私にとって……翔も、優羽も、家族だから。それ以上には見れない。――どっちも選べない。でも! それで離れていくのは、嫌だよ、優羽!」
出した答えは何も変わってはいない。我儘を告げているのも分かっている。それでも、これが自分の中にある本当の気持ちであるから一気に言葉を紡ぐと、返答が怖くて凛は優羽と向き合っていた顔を俯かせる。
そんな凛の耳に届いたのは、短い、溜息だった。