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願う先に・・・  作者: 十六夜 祈雨
第一部
7/9

06

 



 オレは、気付かなかった。否、それに目を向けようとすら、しなかった。気付こうとすれば気付けたこと。オレと同じ想いが、アイツの中にあることも知っていたんだから。

 ――もしも、気付けたのなら、オレは、これから起こる未来を変えられたかも知れない。でも、オレは気付けなかった。オレの悪い癖と知っていながら、オレは変えられずにいた。そんなオレを苦笑しながら、「仕方ないな」と言ってくれて、許してくれる親友との間に、決して埋めることの出来ない溝が少しずつ、確実に出来ていた。


 ごめんな、盲目的で。謝っても仕方ないのかも知れないけど、それでも謝っておくよ。


 でも、オレは、無理なんだ。凛が、オレの世界の全てだから。この想いを抑えることも、捨て去ることも、もう、オレには出来なかった。

 分かって欲しいなんて思わない。許して欲しいとも願わない。ただ、凛。――お前が、好きなだけなんだ。

 分かるだろう?オレやアイツは「男」で、お前は「女」。世間もそういう目で見て、お前は男を魅了する。他の男に取られるぐらいなら、オレは、もう我慢するなんてことはしない。


 ――本当は、オレが、我慢さえ出来れば、良かったんだろうな…。





 次の日。どれだけ朝が来なければいいと願っても、朝は必ずやって来る。凛は目覚ましの音でゆっくりと目を開けながら、重い身体をゆっくりと起き上がらせる。気分の所為なのかも知れないが、身体がやけに重かった。

 大学を休みたい。出来るならば、あの二人に会いたくない。――ずっと一緒に居て、こんなことを思ったのは今日が初めてだった。

 それはただの逃げでしかない事も分かるし、それでは何の解決にもならないのは分かっているがそれでも逃げたくて仕方なかった。変わらない毎日が送れなくなってしまったのだ。変わりゆく世界の中で、自分だけが動けずにいる。

 日常から少し外れたところにいるような、そんな気分に陥った。

 どうして変わってしまうんだろう。どうして、変わってしまったんだろう。どれだけ問い掛けてもその問いの答えは帰ってくることはない。その答えは、誰よりも、何よりも、自分が知っているから。

 変わっていく二人に、気付くことを拒否したのだ。気付いた瞬間に、今のように全てが終わることが分かっていたから。気付こうとすることすら、止めた。

 逃げ続けていた自分に、罰が下ったのだ。もう目を背ける事も、逃げる事も許されない。「言葉」にしてしまったのだから、それを無視することは、出来なかった。今まで二人を傷付けてきた自分の、罪。


(……準備、しよう)


 部屋の外に出る気すらしないが、凛は重い身体を無理矢理に動かして着替えを済ませ、鞄を持ち、下へと降りて行く。リビングからは朝食の良い香りがするが、食欲はなかった。


「あら、凛。朝ご飯は?」

「食欲ないから、いらない」

「……具合悪いの?」

「ううん、違うよ。今日は、食欲ないだけだから、大丈夫」


 心配そうな視線を向けられ、凛はふるふると首を横に振りながら安心させるように言う。「大丈夫」なんて上辺だけの言葉かも知れないが、母に心配を掛けるのは違う気がして、精一杯の笑顔を浮かべる。

 母は、それでも心配そうな表情を浮かべてはいたが詳しく聞くことはせずに「無理はしないようにね」と一言だけ告げて、とりあえずは自分の分の食事を始めた。

 聞いてこない母に心の中で感謝を述べながら、リビングに入り、ソファーに座る。はぁ、と溜息を一つつきながらゆっくりと窓から外に目を向ける。後数分もすれば、あの二人がいつものように家の前に来るだろう。

 それはいつもと変わらない光景。ずっと、ずっと、昔から変わらない朝の日常風景。それは自分にとっても、あの二人にとっても、自分達の周りに居た人達にとっても、何も変わらない、日常だった。

 今なら分かる。本当なら、あの変わらない″日常″は、翔や優羽が必死になって守ってくれていたのだと。自分だけの我儘で、今までずっと、我慢させて来たのだと。

 時は過ぎていく。止まって欲しいと望んでも、残酷にも時は戻ることも、止まることも出来ない。ただ、確実に進んでいく。例え、時に置いていかれようが、その時と一緒に、自分も、彼らも成長し続ける。その成長は、幼き頃とは比べようもならないぐらいのものになる。


 ――分かっていた、本当は。


 だから何度も願った。『男』になれれば良かったのに、と。『女』でなければ良かったのに、と。どうしようもない事ぐらい、誰よりも自分が知っていたけれど。

 凛はもう一度、大きな溜息をついた時だったろうか。やけに大きく、聞き慣れたインターホンの音が聞こえた。びくり、と身体を大きく震わせた事に母は気付かなかったのだろう、自分の方へと目を向けてくる。


「翔くん達ね。……あら、凛。本当に大丈夫?」

「う、うん。大丈夫だよ。行ってきます、お母さん」

「いってらっしゃい」


 視界の中に入った凛の顔色が少しだけ悪かったのに気付き、確認するように問うと凛は慌てたように頷きながら鞄を手に持ってリビングから出て行く。その後ろ姿を心配そうに見ていたが、あの二人が居れば大丈夫だろう、と思い、食事を再開させるのだった。

 リビングを出た凛は、重い足取りで玄関まで向かい、靴を履く。ゆっくりと立ち上がって、玄関へと手を掛けようとした時だったろうか。その前に、がちゃ、という音を立てて扉が開く。


「え……?」

「お、居た。凛、はよー」

「あ……、翔、おはよう。優羽も、おはよう」

「……ああ。おはよう」


 いつまで経っても返事がなかったために少しだけ心配になって扉を開けたのだろう翔は、凛の姿があった事にほっと安堵の息を漏らしながら、笑顔を浮かべながら挨拶をする。

 凛は少しだけ、歪んだ、それでも必死に浮かべた笑顔で挨拶を返しながら、いつもと変わらず、腕を組みながら立っていた優羽へと視線を向けて、不自然にならない程度に声を掛ける。

 声を掛けられた優羽は、一拍だけ遅れて挨拶をし返しながら、凛と翔に気付かれない程度に小さく息を漏らす。

 幸いにも、翔は気付いてはいないようだった。本来ならば口に出して告げるべきなのかも知れないが、そうしたらどういう行動に出るか分からない。――ほんの少し前までなら、どんな行動に出るのかすらも分かっていたような気がするのに、今では、分からなかった。

 自分達の関係とはあまりに儚く、脆かったのだと気付かされた。どれだけ共に行動して、長い時間一緒の時を過ごしてきても、ほんの些細な事で関係にヒビが入れば、途端に分かっていたことすらも分からなくなってしまう。

 それはもどかしく、それはとても悲しいこと。それでも、もう、後戻りは出来ないところまで来てしまったのだ。多分、それは凛も気付いているだろう。


「じゃ、行くか! 忘れもんとかは、ないよな?」

「……多分、な。俺達に言うより、翔はどうなんだ?」

「オレは忘れたとしても、借りればいいし!」

「そう言う問題でもないだろ」


 いつものように明るい声で、交互に二人を見ながら翔は告げると、出来るだけいつも通りにしようとしているのか優羽は頷きながら、僅かに苦笑を浮かべて問い掛ける。

 問い掛けられたことに関してはキッパリと言い切る翔を見て、優羽は苦笑を浮かべる。そうしながら横目で様子を窺うように凛を見ると、会話に入って来ることはせずに僅かに苦笑を浮かべているだけだ。

 ぎくしゃくした、どこか、おかしな関係。それは確実にいつもと違うというのに、少し前を歩く翔は、それに気付くことすらなかった。




 朝の登校を無難に終わらせ、もう少しで昼になろうという時だったろうか。今日もまた、あの二人が迎えに来てくれるのは分かるが、重い溜息しか吐けなかった。

 優羽は確実に気付いていた、あのぎくしゃくとした雰囲気。以前のように、変わらない態度でいようとすればするほど、どういう感じに二人と接していたのかが分からなくなってしまった。意識しようとしてやるものではないのだろうけれど、意識しなければ避けてしまいそうになるから。

 幸いにも翔は気付いていないようだったので、そこは安堵の息を零すものの、ふと目の前に影が出来た事が分かり、ゆっくりと顔を上げる。


「……?」


 顔を上げた先に居たのは見覚えのある、だけれど名前は覚えていない青年だった。レポートの出し忘れなどがあっただろうか。何となく、そんな予感がしたので口を開いた時だった。青年の方から先に口を開く。


「一条さん」

「あ、はい?」

「ちょっと話があるんだけど……、付き合って貰ってもいいかな?」

「……はぁ」


 もしや、人前では言われないほどの失敗をしてしまったのだろうか。凛は今日の自分を思い出しながらその可能性が否定出来ないために、青年からの誘いを受け、彼に付いていく事にした。

 この後、二人が来るかも知れないから伝言を頼もうとは思ったものの、それほど長い時間は掛からないだろうと思い、遅くなったら謝れば良い。先に食べてくれるのであればそれはそれで良い気がして、凛は誰かに声を掛けることはせずに、付いて行く事にしたのだった。


 ――凛が教室を出て行ってから数分が経った後、いつにも増して上機嫌な様子で翔がやって来る。がらっと勢いよく扉を開く隣に、優羽の姿はなかったが、苦笑交じりにゆっくりとした足取りで後ろから来ているのが分かる。


「凛ー、昼飯、行こうぜー! ……ありゃ?」


 教室全体に聞こえるように少しだけ大きめな声で誘うように声を出しつつも、教室全体をぐるりと見回した時、いつもならすぐに見付けられる姿がなかったことにきょとん、と首を傾げる。

 珍しく席を外しているようだった。教授に呼ばれたか、それとも私用で席を外しているのか。どうしてなのかは分からないが、どちらにしろ、ここで待っていれば戻って来るだろうと思い、大分遠くにいる優羽に対して軽くを手を振る。

 遠くに居る優羽は気付いたのか、見える限りでは苦笑を浮かべて軽く手を振り返す。それに嬉しそうに笑いながらも、ふと今日のことを思い返す。


 ――そう言えば、やけに凛の口数が少なかった気がする。優羽もそれに負けじと少なかったが、どこか体調でも悪いのだろうか。


 後で聞いてみようかな、と翔はそう思いながら不意にもう一度、教室へと視線を向ける。いつもならば声を掛ければ笑いながら来てくれる凛の姿がないというのは、どこか物足りない。もやもやとした気持ちが身体全体に広がっていくのを感じながら、それを振り払うように首を横に振る。


「あの……、麻生くん」

「……うん?」

「一条さんなら、その、呼びだし受けて付いて行っちゃったんだけど……」

「っ!?」


 後ろから控えめに声を掛けられ、翔は不思議そうにきょとん、と首を傾げたが続けて言われた言葉にその意味をすぐに理解出来たのか息を呑む。

 凛の事だ。どうして呼ばれたのかは分かってはいないだろう。だが、ハッキリと言われればその意味は嫌でも理解するはずだ。――既に自分が告げたことがある、言葉なのだから。

 受けるだろうか、凛は。受け入れて、自分から、離れていくだろうか。自分以外の男に笑顔を見せて、頼って、甘えて、その身の全てを委ねるというのだろうか。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 返事すら貰っていないというのに、それだけは、嫌だった。――いや、違う。全てが、嫌だ。凛が自分以外の男のモノになるなんて。自分以外の男から想いを寄せられるなんて。

 翔は自分の中で様々な黒い感情が渦巻いているのを気付きながらも、それを抑えることは出来るはずがないとでも言うように、教えてくれた人に礼を言うことも忘れ、その場から駆け出す。こちらに向かっていた優羽は自分の横を走って通り抜けていく翔の存在に気付き、声を掛ける。


「おい、翔……?」


 優羽の声など聞こえていないかのように翔の姿は、すぐに見えなくなってしまう。優羽は何がどうなっているのか、さっぱり分からずにその場に固まってしまう。


「あ……、相馬くん」

「ん? ああ、確か、凛と同じクラスの……」

「一条さんが、男の人に呼び出しを受けたって麻生くんに教えちゃったから」

「……そう、か。それで……」


 先程、翔に声を掛けた人は近くまで来ていた優羽の姿を見付けて少しだけ困ったような表情を浮かべながら話した内容を優羽にも教えると、翔の様子に合点がいったように頷く。

 ――もしも、翔の前にこの話を聞いていたのであれば、自分もどうしていたかは分からないが。後に聞いた身としては、追い掛ける以外の道は残されていなかった。

 教えてくれた人に一言お礼を述べると、翔の後を追うように軽く走り出す。

 翔の事だ。どういう事をしでかすか分かりはしない。最悪の事態だけは起こらないと信じたいが、ああなってしまった翔を抑え込むのは中々の至難の業だ。今の自分達の関係を見てみれば、更に難しくなってしまう。

 一瞬だけ目を伏せはするも、その考えを振り払うように今は、翔に追い付くことだけを考えることにした。




「……」


 凛は、お決まりと言えばお決まりの屋上へと来ており、先程声を掛けてくれた青年から、所謂告白を受けたばかりだった。真剣な表情で告げて来ているし、その意味が理解出来ないほどの子供では、もう、ない。

 どう答えようと思いながら、不意に頭によぎったのは翔と優羽の二人の姿。あの二人からも告白を受けて、自分はまだ、返事すらしていなかった。

 ――それは、定まらない自分の気持ちの所為なのか、未だに元の関係に戻ると信じているからなのかは、分からない。二人のどちらかを選べと言われても、無理なのだ。

 同じぐらいの時間を一緒に過ごした。同じぐらいの想いを、二人に抱いている。だけれど、それは決して『恋愛感情』ではないのだ。愛情に変わりはないけれど、それは家族などに向ける、家族愛に似たような、気持ち。

 異性として見て、異性へ向ける気持ちへと変えるには、自分の中でこの愛情は深すぎる。変えることが出来ないぐらいの、深い愛情を二人に対して抱いている。

 告白を受けた今でも、それは変わらないまま、自分の中にあった。それは二人にとっては残酷な事実だろうし、確実に傷付けるだろうことだけれど、それが、変わらない。


「……一条さん?」

「あっ……」


 訝しげに名前を呼ばれ、はっとしたように告白をしてきた青年へと視線を向ける。今は彼への返事をハッキリとしなければいけないというのに、あの二人のことを考えるのは失礼だった。それに気付くと慌てたように口を開こうとした、その時だったろうか。

 バンッ、と乱暴に屋上の扉を開く音がいきなりして、凛達は驚いたようにそちらに視線を向ける。向けた先にいた人に、凛は、目を見開かせる。


 ――そこにいたのは、息を切らせている、翔の姿だった。


 この状況を見れば何があったのかは一目瞭然だろう。凛は何を言えばいいのか分からずに困惑した様子を見せるものの、翔はそれに対して目を向けることもせずに青年へと目を向ける。まるで、見定めるように、睨むように。

 だが、すぐに視線を凛へと向けると早足で凛に近付き、おもむろに、凛の腕を引っ張ると自分の腕の中に閉じ込めるように、強く、抱き締める。


「かけ、る……?」


 強く抱き締めすぎているのか、僅かに苦しげな表情をしながら戸惑い名前を呼ぶ凛の顔に自分の手を添えて、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 最初こそ、それを呆然と見ていた凛であったものの、何をされるのか分かったのか慌てて離れようとするがそれを許すはずもなく、翔は無理矢理口付ける。

 深く深く口付けながら、視線は呆然と自分達を見ている青年へと目を向けると、まるで「去れ」とでも言うように強く睨むと、青年は逃げるようにその場から去っていく。

 それを見て確認するが重ねた唇を離すことはせずに、何度も角度を変えて口付けを繰り返した。

 我慢し続けた。凛が、変わらぬ関係を求めているのを、知っていたから。『男』としての自分を見せないように必死に我慢して、暴走しようとする自分を抑え続けていた。


 ――でも、本当は、ずっとずっと、凛に触れたかった。


 幼馴染としてではなく、『男』として凛に触れたかった。この腕で抱き締めて、温もりや香りを感じて、触れたことのない、唇を奪い去ってしまいたかった。

 それが叶ったのだからしばらくは楽しんでもいいだろう、と翔は思っていたものの、凛が抵抗する様子を続けるのでゆっくりと、名残惜しげに唇を離す。離すと、息を僅かに乱す凛の姿があり、力が僅かに抜けている身体だが、必死に逃げようと身体を離そうとするが、翔はすぐにそれが分かり、更に強く抱き締める。


「……分かるだろっ! オレは、『男』で、お前は『女』だ。これ以上、お前を放って置いたら、他の誰かに奪われる! それぐらいなら、オレは無理矢理にだって、オレのモノにしてみせる」

「かける……」

「……なぁ、オレを、選べよ。オレだけのモノに、なってくれ」


 抱き締める腕を弱めることはせずに、まるで願うように、耳元で囁きかける。だけど、凛はその言葉を聞きながら、どう応えるべきか分からずに、黙ってしまう。


 ――だから、気付かなかったのだ。


 屋上の扉の向こう。壁に寄り掛かりながら、一部始終を見ていた、優羽の姿があったことには。


 


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