表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願う先に・・・  作者: 十六夜 祈雨
第一部
6/9

05

 



 関係が崩れる音が、ずっと遠くに聞こえていた。本当ならそれはもっと近くで鳴っていたのかも知れないけど、俺は、あえてその音から意識を逸らしていたのかも知れない。

 いつだったろう、翔が凛を異性として見て「好き」になったのは。いつだっただろう、俺が凛を、女として見て「好き」になったのは。それは俺達にだけ訪れた変化で、凛が見る目は昔と何も変わらなかった。意識して変えていないのか、近くに居過ぎてそういう対象には見れないのかは分からないけれど。


 ――凛は、笑う。俺達の前では良く、笑顔で居てくれる。周りのイメージに沿うようにしている凛だからこそ、幼馴染である俺達の前では気が緩むんだろう。いつだって、俺達だけは「特別」だった。


 ただ、その「特別」は異性としての特別ではなく、幼馴染としての「特別」。それは俺も翔も重々承知だったから、何か言う事はしなかった。アイツが俺の気持ちに気付いていたかは分からないけど、俺はすぐに気付いた。翔にしては必死に隠していたが、ずっと一緒にいる俺の目を誤魔化す事は出来なかった。

 だからこその、暗黙の了解だった。凛が望むのであれば、というだけの思いで。

 そう、ただ、凛が笑顔で居てくれるなら俺は、今のままでも良かったんだ。でも、それはもう、とっくの昔に終わっていたのかも知れない。「好き」と気付いたその時に・・・。





 その日の夜。優羽は行きつけのバーに居た。良く凛や翔の三人と飲みに来る店だったが、今日は一人で来ていた。頼んだお酒が入っているグラスを手に持ち、軽く揺らす。

 ゆらゆらと揺れる水面を見ながら小さく溜息を吐く。――自分達、幼馴染の間で基本的に隠し事はなしだった。聞かれれば答える、というだけだったのかも知れないが。隠してもすぐに気付かれてしまうのだから意味がない、という理由だけだった。

 そう、そんな事は当たり前の事だったというのに。今日の凛と翔はそれすらも忘れているかのように、凛は必死に翔は意図的に、隠そうとしていた。あの場で問い詰めていたのであれば、或いは答えたのかも知れないけれど、何となくだが嫌な予感がして。


 ――今朝の凛が、赤い目をしていたのも気に掛かっていた。


 よほどの事がなければ、あそこまで目を腫らす事はなかっただろう。つまりは、昨日別れて、今朝になるまでの間に二人の間で何かがあったのだ。自分の知らない所で、関係を崩すような、何かが。

 予想出来ない事もなかった。翔の様子を見ていれば何となく気付く事もある。だけど、それを口にしてしまうのは憚れたのだ。今まで一度だって口にした事はなかった事だったから。

 だからこそ、優羽はバーに来る間に凛にメールをしていた。「いつものバーで待っている」というメールを。それ以外は何も書いていないから、さぞかし困っているだろう。それでも急いでこちらに向かって来ている凛を思い浮かべると、小さく笑みを零す。

 凛以外の女性に興味を示した事は一度も無かった。興味を示せば、何かが変わったのかも知れない。こんな事にならなかったのかも知れないとすらも思う。

 今更かも知れないけど、目を向ければ良かったのかも知れないと思う。そうすれば凛を追い詰める事態にはならなかっただろうし、翔も、自分の気持ちに素直でいられたのかも知れない。もしも自分に好きな相手がいて、それが凛以外だったのであれば自分はきっと二人を祝福出来ただろう。今まで通りの時間を今まで通り毎日過ごすということは無理だとしても、たまには昔に戻る、なんて事は出来たかも知れない。


 ――そう、自分が、居なければ良かった。自分が、凛以外に興味を持って好きになってさえいたのなら、こんな事にはならなかった。凛を傷付けることには、ならなかった。


 後悔しても遅いということは重々承知だが、後悔せずにはいられない。今朝の凛を思い出して優羽はグラスを持っていない手を強く握り締める。


(凛…、翔……)


 ――お前達の中で、俺という存在は、邪魔でしかなかっただろうか。俺さえいなければ、良かったんだろうか。


「優羽……」

「……っ!? 凛…」


 顔を俯かせ、強く握りしめた手をゆっくりと解きながら答えのない問いを心の中で呟いた時。後ろの方から聞き慣れた声が名を呼んだ事に気付き、はっとしたように優羽は顔を上げ、後ろを振り向く。

 慌てて家を出たのが分かる格好でそこに立っていた凛を見た優羽は僅かに苦笑を零しながら、隣に座るように促す。少しだけ躊躇いはしたものの、今更躊躇っても仕方ないと思ったのか促されるままに凛は隣に座る。

 酒飲むか、と問うように翔はグラスを差し出すが凛はふるふると無言で首を振る。何となく想像は出来ていた事だったので小さく頷く。

 しばらくの間、沈黙が続いた。店に流れる音楽と店に来ている人の声や店員の声などがやけに耳に響く。凛は口を開こうとはしなかったため、翔は溜息を一つ吐くと凛の方を見ずに口を開く。


「……何があった?」


 たった一言、翔はそう問い掛けた。聞かれるだろう事は分かっていた凛であったものの、その言葉を聞いた瞬間にびくっと身体を震わせ、顔を俯かせる。

 もう既に大体の想像はついているので、後は直接聞くだけだった優羽はそれ以上は何か言う事はせずにグラスに入っている酒を一口、口に含んで飲み込む。

 ――思えば、ずっと一緒だった日々の中でこんなにも沈黙が続いた事はあっただろうか。常に一緒に行動してきた自分達は、絶えず話題は尽きなかった気がする。たまには二人になる事だったあったが、それでも会話が途切れることは、まずなかった。

 飽きないのか、と数少ない友人に問われた事がある。問われた時、何の事を言われているのかが分からなかったがすぐに理解したのか、微笑みを浮かべ、たった一言だけ返した。――飽きるはずがない、と。

 翔の事は羨ましいと良く思うし、嫉妬も良くする。あれだけ素直に、一直線に居られたらどれだけ良いだろうと、何度も見て思った。翔を見ながら自分もああなれたら、と何度も思ったけれど、そう思いながらすぐに諦める自分がいたのも確かだった。

 自分が翔のようになれる事は、ないのだと当たり前のように思った。それでも羨ましいと思う心を抑える事は出来なかったけれど。あんな翔だからこそ、幼馴染で良かったと思える。親友のような関係、家族のような、まるで兄弟のような関係になれて本当に嬉しいと思う。

 凛は、自分達の中では唯一女の子だった事から、特別扱い、というよりはそれこそ当たり前のように大切にしようという気持ちがあった。凛はそれが嫌だったようだけれど、それでもその心が変わる事は一度だってなかった。

 ずっと一緒に居るから分かる事もあるし、何よりも彼女の性格を知っているから傍に居ようと思った。彼女が自ら離れていくその日まで、守ろうと思った。その気持ちはいつの日か、「幼馴染」を想う心から「一人の女の子」を想う心へと変わっていた。自然に、当たり前のように、変わった。

 ――変わらぬ心であれれば良かった。そうすれば、凛と翔の幸せを、一番に願える存在になれていたはずだ。そして、凛の願いをずっとずっと叶えられる存在でもあれたはずなのに。

 気持ちは時を重ねるごとに変わっていった。変わることが普通なのだと言わんばかりに、自分の気持ちも、翔の気持ちも、変えていった。

 『変わらぬ関係で、いつまでも一緒に』。三人が幼き頃思っていたことは、いつしか、凛だけの願いへと変わった。自分の心にも、翔の心にも、別の願いへと、変わっていった。それがどれだけ寂しい事なのか、気付くことを恐れていた。


「………昨日」

「ん……?」

「昨日の夜……、翔に好きだって言われたの。『オレだけのモノになって欲しい』って……」

「…………」

 考えに耽っていた優羽の耳に聞こえてきた凛の声が告げた言葉は、気付いていた通りの事だった。それ以外はあり得なかった、と言うべきなのかも知れない。

「アイツは……、お前の気持ちを考えもしないで…」

「………翔の気持ちは、嬉しいよ。でも……、私は、そういう目で、見た事がなかったか、ら……!?」


 優羽は翔を責めるように溜息交じりに呟き、その呟きを聞きつつ、凛はぽつりぽつりと自分の素直な気持ちを口に出していた時だったろうか。不意に腕が引っ張られ、次の瞬間には、何か暖かいものに包まれていた。

 抱き締められているのだ、と気付くにはそう長い時間はかからなかった。つい昨日も、同じような事があったばかりだったからだ。

 身体を硬くすることしか出来なかった。抱き締めているのは優羽で、それがどういう意味が示すかなど、考えたくもなかった。もう、そんな事すら許されない状況になってしまっているのかも知れないけど。


「さっきまで考えてた。……俺がこんな気持ちにさえならなければ、お前を苦しませるような事にはならなかったんだろうなって」

「ゆ、う……」

「――好きだ」

「……っ!?」


 それはたった一言。耳元で小さく、どこか震えた声で告げられた、言葉。抱き締められているのだから、こう言われる事はある程度は想像しなければいけなかったのかも知れないが、したくなかった。

 本当は、気付いていたのかも知れない。翔の目も、優羽の目も、昔とは全く違う視点で、自分を見ていることに。ずっと一緒に居るのだから気付かない方がおかしいのだ。――それでも気付かない振りをした。意識さえしなければ、何も変わらないままで居れたから。

 口にさえしなければ、ずっと変わらないでいられると、馬鹿みたいに信じていたから。

 そんな事ありはしないのに。全てが壊れてしまっていく音を遠くの方で聞きながら、抱き締められている力がゆっくりと弱まっていくのが分かった。


「悪い、凛。……でも、もう、俺もアイツも、限界なんだ。幼い頃と変わらない関係を続けるのは、無理だ」

「……」

「返事は急がない。翔もそう言っただろうから、俺もそれでいい」


 そっと離されながら、苦しそうな表情でどこか泣きそうな、そんな震えた声で口早に言うと自分の分のお金を払い、振り返る事もなく、その場から去ってしまう。

 その場に残された凛は、どうすることも出来なく、俯いて涙を、零す。ここで泣いては迷惑になる事は分かっているのでその店から出ると、どうしようもない気持ちを持て余したように走り出す。


 ――謝って欲しい訳じゃない。


 どうせなら、翔も優羽も、自分を責めてくれれば良かったのだ。自分の我儘で何十年もの間苦しめてきたのだから、責めてくれれば、良かった。怒りをぶつけてくれれば、良かった。何もかもをぶつけてくれれば良かったのに、優しかった。

 気遣ってくれる優しさ。関係が崩れる事を知りながらも、それでも自分を大事にしようという優しさ。その優しさが、今は逆に辛かった。胸が痛み続け、涙も溢れてくる。

 走っていた凛が辿り着いた先は、小さい頃は良く、三人で遊びに来ていた小さな公園だった。幼い頃からすれば大きな場所だったのに、年を重ね、大きくなるにつれて、その場所も小さく見えるようになった。

 翔と優羽は、身体も心も時を重ねるごとに大人になっていった。でも、自分だけは取り残されたのだ。身体だけが大きくなり、心は幼いあの時のままで止まっている。――否、あえて止めていた。自分さえ変わらなければ、関係がいつまでも続くと、思っていたのだ。


「ばか……」


 凛は自嘲気味に掠れた声でぽつりと呟く。馬鹿すぎて何も言えない。この世界で変わらぬものなどないのだと、思い知らされてしまったかのようだ。

 止まらない涙を地面へと落としながら、誰かに相談する事も出来ない状況まで追い詰められた凛の耳に響いたのは、携帯から鳴る着信音。その音楽にびくり、と身体を震わせた凛であったがこの着信音が指すのが誰なのかを思い出すと通話ボタンを押す。


『ちょこ? こんばんは。今日はいつもの場所に来てなかったから、少し心配になって……、ちょこ?』

「……ふ……う……」

『……泣いてるの?』


 携帯から聞こえてきた声は、今では聞き慣れた、マスカの声だった。事情を知らないマスカの優しく気遣う声に更に涙を溢れ出してしまった凛。泣いていることに気付いたマスカは問い掛けはするも、それ以上は何も聞かずに凛が落ち着くのを待つ事にした。

 数分経った後ぐらいだろうか、ようやく落ち着いた凛は少しだけ気恥ずかしくなる。仲良くしてはいると言ってもほとんど何も知らない相手に、携帯越しだとしても泣き喚いてしまった。

 そんな凛の気持ちには気付かずに、ゆっくりとマスカは口を開く。


『大丈夫……?』

「……う、ん。あの、ありがとね、マスカ。ちょっと楽に、なったよ」

『いいんだよ。僕にはこれぐらいしか出来ないから』


 気遣ってくれる声に凛は声を掠れさせながら、恥ずかしさのために小声になりながらも安心させるように言葉を紡ぐとほっとどこか安心したような声が聞こえる。

 会話はそこで途切れてしまい、気まずさもあった凛は何を言えばいいか分からなくなってしまうが、何かを言わなければ、と口を開いた時だったろうか。相手の方から言葉を紡いでくれた。


『ちょこ。良ければ、近い内にそっちに遊びに行ってもいい?』

「……え?」

『逢わないかな、って思って。僕なんかじゃ役に立てないかも知れないけど、少しでも君の力になりたいと思うから。……どうかな?』

「……うん。そうだね、逢おっか……あ、私は、一条凛って言うの。マスカは?」

名取なとり 恭一きょういちだよ。詳しい事が決まったらまた連絡するね』

「うん」

『じゃあ、またね。――凛』

「また……、恭一」


 本名を名乗っていなかった事に気付き、凛が名乗るとマスカ――恭一も同じように教えてくれる。最後に互いの名前を呼びながら通話を終えると凛は小さく息を吐く。

 何も知らない彼に相談するのは気が引けるけど、それでも誰かに相談出来るのは助かる事なのかも知れない。少しだけ心強い味方が出来たことに安堵の溜息を吐きながら、携帯に不意に視線を落とし、見えた名前に目を伏せる。


(明日から、どうしたらいいんだろう)


 それを考えると気が重くなる。ずっと一緒に居て、こんな気分になった事はなかった。関係が壊れてしまった事を改めて実感すると胸に痛みが走る。


 ――明日なんて来なければいいのに。


 そう思っていても時は残酷にも、過ぎていくことを、誰よりも知っていた。


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ