第1話 記憶と謎01
『えーん、えーん』
奥深い山の中にポツリと建っている、何処か寂れた社の前で少女は泣いていた。
人ならず者に追われ、必死に逃げて、気付いたらここにいた。
前も後も右も左も分からない山の中、少女は泣いていた。
覆い茂る木々により、昼だと言うのに薄暗い山の中は、少女の中の恐怖心を煽った。
泣き止まない少女の前に、いつの間に現れたのか、一人の青年が立っていた。
蒼銀の髪に鮮やかな紅眼のその青年は、少女を見下ろした。
『…何を泣いてる』
『ここ、何処か分からないの。それにお守り、失くしちゃった。大事な大事なお守り』
掠れた声で告げる少女に、青年は肩眉を寄せた。
『お守り?そんなのこの辺では見なかったが……』
『どうしよう、どうしよう。失くしちゃ駄目って言われてたのに。私を守ってくれるお守りなのに』
ジワリと少女の目に涙が溜まる。
そんな様子に青年は小さく溜息を吐くと、彼女の頭を優しく撫でた。
『……お前、楔の巫女だろう?』
『楔の巫女…?なぁにそれ?』
少女は首を傾げ青年に問う。
鮮やかな若葉色の瞳が、青年を映し込む。
『――妖が喉から手が出るほど欲しい人間のことだ。お前、妖に狙われてるのだろう?』
『――妖って、あのへんな生き物の事?』
『――変な……まぁ、人の形を成してない者が殆どだが』
だが人の形をしている者もいるしな…と青年は苦笑を零した。
『私が狙われるのは、楔の巫女だから?』
『――あぁ。……俺が、助けてやろう。お前に指一本触れさせない』
『本当?』
『勿論。その代わり―――………』
ピピピピピ......と鳴る目覚まし時計に、少女、如月瑠花はパチッと眼を覚ました。
「……懐かしい夢、見ちゃった」
先程まで見ていた夢は、鮮明に思い出せる。あれは、幼い頃の記憶だ。
妖と言われる者達に追われ、祖母から持たされていたお守りを失くし、山奥に存在する社で途方に暮れて泣いていたときの記憶。
今までずっと忘れていたのに、何故今頃になって思い出すのだろう。
不思議に思ったが、気に止める事でもないと考えるのを止めた。
「…そう言えば、あの時のお兄さん元気にしてるかな?」
あの時出会った不思議な青年。途方に暮れて泣いていた瑠花を約束通り守ってくれたうえに、彼女を神社まで送ってくれた。
「――あの時、彼と何の約束したんだっけ?」
守ってくれる代わりに交わした彼との約束。それだけが思い出せない。夢の中でも、その約束は聞こえなかった。
確かに、彼と約束を交わした。大事な、大事な約束を。内容は思い出せないけれど、大切な約束と言う事だけはわかった。
「思い出せない…。大切な約束をしてたって言うのは覚えてるのに、肝心な中身が思い出せない」
思い出さなければいけない気がするのに思い出せない。どうしよう、と瑠花は頭を抱える。
その時、下から母の声が聞こえた。
「瑠花ちゃん、朝ごはん出来てるわよー。早く下りてらっしゃい」
「はい、直ぐに降ります」
母の声に促されるようにベッドから降りた。
とりあえず、約束の事は後でゆっくり考えよう、そう結論付けて階段を下りてリビングへ向かった。
「おはようございます、お母様」
「おはよう、瑠花ちゃん」
リビングに入ると、温かな笑顔で母親が彼女を迎え入れた。
ダイニングテーブルには、美味しそうな朝食が並べられ、食欲をそそる。
かたん、と自分の席について、瑠花は部屋を見渡した。
リビングには、母と彼女しかいない。
「お母様、お祖母様は…?」
「お義母様なら母屋へ行かれてるわ。何でも会議があるとかで」
母の言葉に、瑠花は「そうですか」と軽く頷いた。
如月家は由諸正しき巫女の家系であり、代々如月家の血を受け継ぐ女子が当主になるという歴史を持っている。
現在の当主は瑠花の祖母である如月瑠璃であり、彼女自身強大な力を持つと言われている。
また、如月家に代々仕えている家系もいくつかあり、その家の当主達と会議をするのも当主の務めだ、と祖母が言っていたのを、瑠花は思い出した。
「恐らく、もうすぐしたら行われる『楔祭り』の件でしょう?確か、お祖母様が幹事を勤めると仰ってましたし」
「えぇ、そう仰ってたわね。……私に『才』があれば、お義母様の代わりを勤める事が出来たんでしょうけど……」
そう言って母は苦笑した。寂しそうに、悔しそうに顔を歪める母に、瑠花は何も言えなかった。
瑠花の母は如月家の血を継いでいない…所謂嫁入りしてきた身だ。
勿論、如月家に嫁いでくるに相応しい家柄の出だと母は言っていたのを思い出した。
しかし、いくら相応しい家柄の出だとしても『如月家』に代々伝わる『才』は持ち合わせてはいない。
だから、祖母は瑠花の母に如月家当主の座を譲らなかった。
「お母様……」
「そうそう、お義母様から言伝を預かってるわよ」
思い出したと言わんばかりに告げる母に、瑠花は首を傾げた。
「お祖母様から?」
「えぇ、なんでも『今日は離れから出ないように』と仰ってたわ」
祖母からの言伝に瑠花は怪訝そうに母を見た。
いつもは、神社の敷地内だけだが自由に行動が出来ていたのに、今更何故、と言わんばかりの様子を見せる瑠花に、母は苦笑を漏らした。
「今日は何故か朝から嫌な予感がするとかで、今日一日は離れで大人しくしているように、とのことよ」
「………嫌な、予感ですか」
「あのね、瑠花ちゃん…お義母様は瑠花ちゃんが大切だから―――」
ガタンッと、母の声を遮るように音をたてて立ち上がった瑠花は不愉快そうに眼を細めた。
「―――そのことは、十分存じております。それこそ、嫌になるほど肌に感じてます。けれど、私は籠の中に捕らわれ飼われるだけの鳥ではありません。一方的に護られるだけの存在だなんて…お断りします。それに…私には、彼らとこの子がいますから心配なんて必要ないです」
キッパリと告げる瑠花の肩には、いつの間に現れたのか、一匹の管狐が乗っかっていた。
瑠花は管狐を軽くなでると「失礼します」と一言告げてそのまま自室へ足を向けた。
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